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初めはわたぼこりが頭についているのかと思った。第1回目の抗ガン治療から4か月後、産毛のような髪の毛が生えてきた。まつ毛もものすごく短いけれど生え始めた。嬉しくて、1日に何度も鏡を見た。産毛をそっと引っ張ってみたりもした。頑張っている毛根細胞がとてもいとおしく思えた。部分によって生える速度が違う。前髪はとてもゆっくりで、頭頂部は速い。帽子なしで出かけられるようになるにはそれから半年はかかった。それから数か月の間に他の部分の体毛が再生し
姑は約20年前に乳がんになった。それ以来冷水のシャワーを浴びる。冬でも水だけ。免疫力を高めるのだそうだ。私の祖母は風呂上りにいつも冷水をかぶっていた。96歳まで生きた。私もガンになってからは、温水シャワーの後に冷水シャワーをするようになった。姑のように初めから最後まで水だけというのはさすがに無理。冷水で顔を洗ったり、紙の毛の生え際と首、要するにうなじに冷水をかけるだけでも効果があるらしい。
5度目の抗ガン治療の後は、貧血に悩まされた。数値が輸血寸前のところまで下がったので自宅で自分で打つヘモグロビンを増やす注射を処方された。食事にも気を付けた。鶏レバー、ラム肉、ほうれん草、食べる輸血と言われる赤ビーツを積極的に食べた。なるべく鉄製のフライパンで調理した。レバーは炒める、甘辛く煮つける、味噌漬け、レバーペースト、ひき肉と混ぜてミートソースなどいろいろ工夫したが、最後はレバーを見るのも嫌になった。私は基本的にベジタリアンで、肉や魚は週に
重たい話が続いたので、病院食の写真を。これは、朝食。期待はしていない。食欲もないので、何が来ても驚かない。夕食。この日の前日はハムの代わりにサラミだった。こんなにハムやサラミを食べたら塩分を摂りすぎる。写真を撮る気力もなく下げてもらった。ふたをとる気にもなれない。げんなり。ポテトサラダときゅうりのピクルス。これだけ。食べかけで失礼。この時はボリュームがあった。食欲がなくて食事などどうでもよかったが、一度夫に、和食デリの鮭弁当を持ってきてもらった
ジニーへ、あなたに会えて本当によかった。抗ガン治療があなたの命を縮めたと思いたくない。ドクターもあなたも、それが最善の選択だと信じた。あなたと1週間、あの部屋で一緒に過ごし、元気になってまた外で会えることを楽しみにいろんな話をしたことを私は忘れない。あれから5年、私は時々不安に押しつぶされそうになる。そんな時、あなたのことを考える。あなたの分も私は生きる。生きなくてはいけない。弱音なんて吐いていてはいけない。私が生きている間は、ジニーは
3人部屋の窓側にいたのがジニーだった。私が初めて部屋に入り彼女に挨拶をした時日本人かな?と思ったけれど、違うようだった。彼女は朝起きると髪をとかし、軽くお化粧をしてから朝食を食べ、散歩をしたり読書したり誰かと電話で話をしたりして過ごしていた。姿勢が良くて気品があった。同部屋のもう一人の方から彼女も迷惑をうけているはずだが悪口を言ったり、目配せをしたりといったことは全くなく、まるで眼中にないようだった。彼女の寝姿はいつもまっすぐで、ベッドの下にはスリッパ
3回目の抗ガン治療の後の激しい吐き気を思い出すと医療用大麻を処方されてよくなったとはいえ心底うんざりな気分だった。4回目が近づくと気が滅入る。敵前逃亡が許されるなら逃げたい。そんな気分で4回目、5回目が終わった。5回目の抗ガン治療から1週間ほどして突然39.5度の熱が出た。夜中にタクシーで大学病院の救急へ。待合室は救急患者であふれていたけれど、事情を説明したら、すぐ中へ通された。その頃は病院に強烈な拒否反応があったので消毒液や点滴の匂いに打ちのめ
ガン病棟の一角にガンヘルプセンターの出張所がある。ドクターの手を煩わせるのも気が引けるし、でもちょっと知りたい、聞きたいというようなことがあれば、ここに行くといろいろと情報をくれる。患者のみならず、患者の家族のケアもしてくれる。患者の家族も大きな不安・痛みを抱えている。その上患者の前では泣きずらい。私が抗ガン治療を受けている間、付き添いで来た夫は、ここでよく話を聞いてもらうなど、お世話になった。ある時、ここでガン患者のためのメイク講座という
障害者手帳というか、カード。ガンに罹患すると国に障害者カードを申請できる。この情報を教えてくれたのは、キャンサーヘルプセンター。障害の度合いは50%。有効期限は5年間。70%以上になるとパーキングが無料になったり電車料金が割引になったりするのだが、ガンに罹患したというだけでは障害率50%。いや、もうそれだけで十分。どのような特典があるかというと、美術館や観光施設の入場が無料もしくは割引料金になる。映画館やプールの入場も割引になった。パリ
外来の待合室で待っている時に、主治医の部屋から出てくる患者さんはみんなニコニコしながら出てくることに気が付いた。いい結果の時はそれなりに、悪い結果でも前向きになれるような主治医の言葉があるから。「お医者さん」というと、それまでなんとなく年配で威厳があるイメージだった。私の主治医は私より一つ年下。当時40代前半。どんなことを聞いても、嫌な顔一つせずに聞いてくれる、こちらが納得するまで丁寧に説明してくれる。穏やか、暖かい、淡々としている、ブ
白い砂糖は10年くらい前から使うのをやめキビ砂糖やキシリトールを使っていた。ガンがわかってからは、そう言った甘味料もできるだけ摂取するのを控えるようにした。お菓子が食べたくなると、かなり糖分を控えめにして自分で焼いたカントゥッチーニを食べた。甘味料はキシリトール、ドライフルーツ。精白された小麦粉の代わりに全粒粉で作る。硬いのでよく噛むし、全粒粉は腹持ちも良い。完熟したバナナをつぶして甘味料代わりにしてホットケーキを焼いたりもした。それにメープルシロップ
抗ガン治療中に漢方医のところへ行く途中で見た看板。左半分は、薬用シャンプーの宣伝。しかも「抜け毛?」と書かれた一般向けの抜け毛対策、予防のシャンプーの宣伝。右側は市内にある小児病院、特に小児がんの研究をしている聖アンナ病院の寄付を募る宣伝。これを隣同士に貼ってしまうって、偶然だとは思うけれど、あまりのデリカシーのなさに驚いた。ちなみに私は脱毛中はベビー用のボディソープで頭を洗った。シャンプーは、髪の毛という死んだ細胞を洗うもので、ボディソープは、生きてい
2回目の抗ガン治療の時に20代の女性とベッドが隣同士になった。彼女とはいろいろな情報交換をした。彼女からパクリタキセル投与時は、手足を冷やすといいことを教えてもらった。パクリタキセルの副作用の一つが手足のしびれである。手足を冷やすと血液のめぐりが悪くなり、抗がん剤が手足に影響を及ぼさなくなるので副作用の手足のしびれも出にくいという。私は5回目からパクリタキセル使用だったのでそれまでに保冷剤でできた手袋とスリッパをドイツから取り寄せた。オーストリアで販売
病院でお昼ご飯は出るのだが、私はいつもおにぎりを2つほど持って行った。好きな時に食べられるし、胃にやさしい。3回目の抗ガン治療が終わり、カテーテルを抜いている時に突然吐き気に襲われてお昼に食べたものも全部吐いてしまった。そのまま様子を見たのだけれど、吐き気はおさまらず、ビニール袋をもらってそれを握りしめながら帰宅。そのまま3日間は起きても横になっても吐き気が止まらない。体力も気力も消耗しきった。こんなに強い吐き気が出るなら、4回目なんて無理だと思った。それを主
抗ガン治療3回目を終えたあたりから、味覚障害が出るようになった。味を全く感じなかったり、酸味を強く感じるようだった。塩分が足りないので料理に塩を足すとどんどん酸っぱくなる。水も変な味に感じて、飲むのがつらかった。匂いにも敏感になった。洗剤、化粧品、香水、体臭、料理中の匂い、排気ガス、病院での消毒液の匂いも吐き気の原因になった。洗剤は無香料のものに変えた。ボディオイルには食用のココナツオイルを使った。逆流性食道炎による夜中の咳込み対策に、
抗ガン治療の点滴や、MRT検査で造影剤を入れる点滴のためにカテーテルを血管にいれる。その時、カテーテルがきちんと血管に入っているかどうか少量の生理食塩水を注入して確認する。冷たく感じたら、OKである。その生理食塩水を注入すると、鼻の中に強い刺激と胸の間にある食道が熱くなるというか、胸板に熱を感じ、強烈な吐き気を覚えるようになった。それを看護師さんに伝えると、それはその生理食塩水に入っている保存料が原因だという。時々そのような副作用が出る患者がいるという。
抗ガン治療=髪の毛が抜けると思っていた。まつ毛も眉毛も鼻毛も腕毛もすね毛も、すべての毛がぬけることを想像していなかった。ある時、外を歩いていてあまりにも眩しいのでまつ毛がないことに気が付いた。晴れた日はサングラスが必要になった。ある時は鼻水がよく垂れてくるので、よく見たら鼻の穴の中に毛が全くなかった。鼻毛フィルターがないと埃を吸ってしまうので手元にあった日本の使い捨ての白いマスクをして歩くことにした。コロナの流行の前は、マスクなんて病院で医者が時々し
励ますつもりで言われていることはわかっているのだけれど心にざらっと来たセリフがある。「あなたは強いんだから、頑張れるわよ」私は子供のころからいろいろな意味で強かったし、運も強かった。恵まれた環境で育った。確かに私は強い。ガンの治療中、頑張らない人なんていないと思う。気持ちの浮き沈みの激しい毎日で、検査結果に一喜一憂してガンと闘ってる。不安になり声をあげて泣くこともある。病気になってごめんなさいと、申し訳なく思って泣くこともある。なぜ私がガンになるのだと
ドイツ語でケモテラピーという。そのまま訳して「化学治療」。日本語でも化学治療というけれど、抗ガン治療という方が一般的なのかな?日本語の「ガンに抗う治療」で「抗ガン治療」という言葉の方が、なんだか力づけられていい。逆に、日本語の「不妊治療」をドイツ語ではキンダーブンシュテラピー、「子供を望む治療」という。これはドイツ語の方がポジティブでいい。
髪の毛が抜けることは説明を受けたので抗ガン治療が始まる前にベリーショートにした。美容師のマイクはスキンヘッドで両腕両脚にタトゥーを入れた超こわもて。夏は黒いTシャツに黒い短パンでタトゥーが全部見えてちょっと怖い。そして彼は全然笑わない。マイクに出会うまでは、美容院では良い思い出は全くない。アジア人の髪の毛は白人の髪の毛より硬いので「はさみが壊れる」とか、「切りにくいわ」など文句を言われて不愉快になることが多い。それで現地の美容院からは遠ざかっていたのだけれど偶然仕
もう一つ大事な本を忘れていた。マンガの「はたらく細胞」これは、日本語でガンについて検索しているときに見つけ興味を持ったので、送ってもらった。瞑想の時、なかなか頭の中にイメージが湧かなかったり、日常生活の中で突然不安に駆られたときは、この「はたらく細胞」のキャラクターを頭の中に思い浮かべる。彼らが私の身体の中で戦ってくれてるんだ、ありがとう!私もがんばるよ!と。特に5回目の抗ガン治療のあと、赤血球が激減し輸血寸前の数値になった時は毎日「赤血球」のキャラにお願い
私が受けたカウンセリング方法は日本語でどのような言い方をするのかわからないけれど、カウンセラーは「旅をする」と表現した。横になり、目をつぶって、初めは自分の呼吸に集中する。カウンセラーがガン患者の瞑想のためにかかれた本を読んでくれたり、その時の私の精神状態に合わせて、彼女の言葉で語りかけてくれたり、それは毎回違う。その誘導で、私は意識の中で自分のお気に入りの場所に行き、あるときは海辺に寝そべり、草原で草の香りを感じたりするものだった。子供のころに育った懐
これも、読んでみて心が穏やかになった本。「がんでも、なぜか長生きする人の『心』の共通点」ガンの診断を受けた時、精神科の先生も紹介された。初めはなぜ精神科?と思ったけれど、ガンと闘ううえでの精神状態はとても大切なことでそのケアをしてくれる。カウンセラーも紹介してくれる。戦うぞ!と力まなくてもいい。けれど、ネガティブな考えはいけない。どういう気持ちで過ごすのがいいか、とても分かりやすく丁寧に書かれている。化学治療が始まると、多くのつらいことがある。時々狂っ
映画「希望のちから」のほかに、闘病中の私を力づけてくれた本がケリーターナー著「がんが自然に治る生き方ー余命宣告から『劇的な寛解』に至った人たちが実践している9つのこと」私の場合、HER2が陽性でガンの進行が速く、その代わり分子標的治療がHER2に良く効くということだったので化学療法を拒む理由がなかった。私はこの本に書いてある人たちのように自分のガンを自然治癒することはできなかったと思う。でもここにかかれている人たちの体験談はとても参考になったし、力
朝食はもう長い間果物とヨーグルトで済ませていた。乳がんになる前から、冷たい朝食は身体によくないよと言われていたけれど長く続いた習慣なので、変える気もなかった。乳がんになってから、気功の先生にも身体を冷やす朝食はよくないと注意されたのでヨーグルトを温めることにした。切ったバナナとリンゴに温めたヨーグルトをかけ、そこにほんの少しのブラックペッパー、ジンジャーパウダーシナモン、ティースプーン一杯ほどの緑茶パウダー、チアシードブルーベリーパウダーかラズベリパウダーをのせ、
1回目の抗ガン治療から1週間後、乳腺外科医の診察があった。念入りに触診をするけれども、しこりがない!ドクターもとても喜んでくれた。分子標的治療薬のトラスツズマブが開発されるまではHER2が陽性の乳がんは予後がとても悪いタイプだった。アメリカのデニースレイモン医師がトラスツズマブを苦難を乗り越えて開発する様子を描いたのが映画「希望のちから」である。希望のちから:作品情報-映画.com希望のちからの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画
どんなに身体がつらくても点滴を受けた翌日から散歩するなど、軽い運動はした方が良いとのアドバイスを受けた。抗がん剤によって死んだ細胞を体外に排出するためにも新陳代謝をよくしないといけないとのことだった。1回目の抗ガン治療の後は何もかもが初めてで、足がしびれて歩けない、身体が痛い、吐き気がするなど様々な症状がでて結局1週間ほどは運動できなかった、というかしなかった。2回目の抗ガン治療後からは、どんなにつらくても翌日からは散歩に出るようにした。それか
1回目の抗がん剤治療は月曜日の9時から始まった。問診を受け、点滴のためのカテーテルを入れたら3人部屋に通された。荷物をロッカーに入れてカギをかけたら、ベッドに横になる。まるで入院のようだと驚いた。今日は初めてですよね、よろしくお願いしますと看護師さんが来て、今日はゆっくり進めていくと説明された。まずは分子標的治療薬から。1時間半かかるという。はじめて30分ほどでトイレに行った。戻ってくると突然苦しくなり身体がガタガタと震え全身が冷たくなった。手足も震え、歯もがちが
抗ガン治療は正常な細胞をも傷つけてしまうので、その細胞、内臓器官の回復を早めるために鍼や漢方薬を頼るのがいいと聞いた。主治医に相談すると、抗ガン治療と並行して問題ないといわれた。中国出身の漢方医のところで鍼治療を受け、漢方薬を処方してもらうことにした。これは最後の免疫治療が終わるまで約1年間続けた。そのおかげかどうかわわからないけれども振り返ってみれば抗ガン治療の副作用は、他の人の話と比較してみて少なかったように思うし、治療後の体力の回復も早かったように感じる。
主治医から、抗ガン治療が始まったら体毛が抜けるのでかつらを準備したほうが良いですよと、健康保険から約300ユーロほど補助が出る申請書類をもらった。市内にあるウィッグの専門店2軒を訪ねた。1軒目は美容院のように鏡の前に座り、私に似合いそうなウィッグを次々に試着させてくれる。お客さんの8割が抗ガン治療による脱毛のための購入で、健康保険からの補助が受けられるため、その書類を見るとお客さんの年齢がわかってしまう。10年くらい前は60歳以上のお客さんが多かった。最近は30-