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「本当に大切な者は何があっても必ず傍に置け。なによりも大切で失いたくない者は・・・・どんなに傍に居たくても遠ざけて守り抜け。・・・綾乃葉、なにがあっても護り抜け、近寄らせるな」「・・・わかりました」「・・・・ここか」風雨が強く吹き抜けていく。さならが暴風雨ともいえる状況だが、腰に剣を佩いた存在は歩みを止めることなく進んでいく。「・・・随分とまた派手なものだ」散乱した夥しい死体の数々を見て、顔色も変えずに呟いた。死体と言えば死体だが、かつて人間だった者達が腹を裂かれ、手足
⚠閲覧注意だな⚠とはいっても、投稿一覧て見えちゃってるけどね😅久しぶりに結膜下出血になりましたこの度は酷い❗年に1、2度はなるのだけどいつもは部分的な出血なのに今回は白目全体が真っ赤っ赤ち🩸🩸🩸🩸🩸さすがに心配で不安にもなりました血圧とか…ここから怨霊の目呪いの目出血初日の目です血の涙でも溢れ出ててくるような画像ですグロいのが苦手な方はスルーしてね気持ち悪いです見る?見ない?どうする?今日で4日目かなり吸収して治りつつありますしっかり治るまで白目は黄色い
藤原実資は有職故実に詳しく、有能な官吏でありましたが・・・唯一の弱点は女好き♥そこらへんは何気に描かれておりましたね(古事談)🤭。さて、遂に登場した源明子。安和の変(969)後に叔父にあたる兼明親王に引き取られた後、明子女王となり皇籍に編入されています。兼明親王は寛和の変前に薨じており、その後、藤原詮子によって東三条院の東の対に迎えられていることからドラマの高松殿のシーンは考えられません😠。道長との結婚後、高松殿に住み高松殿と呼ばれるようになっています🤓。なお、道隆、道兼も求婚し
昭和の新聞記事を見ていると、時々こんな発見があるのです。義経伝説に関する新聞記事。今は流行りませんが、かつては義経が平泉を脱出して北海道を目指し、さらにジンギスカンになったという壮大な物語が語られていました。井沢元彦は「義経が怨霊にならないよう死んでいないことにしたのが始まり」みたいなことを言っていますが、そもそも井沢の妄言などマトモに相手にしてはいけません。義経は現実に怨霊となって『太平記』にも出てくるし、不死伝説は江戸時代になってから語られたものですから、義経が死んだ時に
源氏物語平安中期に作成された長編小説貴族社会を描写した貴重な作品何故、源氏なのだろうか正確には藤原物語天皇が直接統治してたのを摂関政治で権力を占有し我が世の春を生きる対抗馬としての源氏は没落その鎮魂の意味があったのではないだろうか人が死ぬと死穢として忌み嫌われるイザナミイザナギの昔からそれが恨みを持って怨霊化する最上位は崇徳天皇謀反と云われ讃岐に流罪となるよっぽど京の都に帰りたかったのか経典を認め京に送るも門前払いその事で絶望し呪いの言葉と共にはかなくなる
前回の市川高石神社から次のちょっと気になる神社へ向かいます。千葉街道を進んでいくのですがきれいなレトロな壁の建物がありました。ここはなんだろう?🤔🤔ここは⭐中村家住宅煉瓦蔵⭐国登録有形文化財になっている建物。中村勝五郎という市川市の名誉市民にもなっておられている方の屋敷と中村味噌醸造所の建物なんだそうです。外から見ただけですが立派な建物で思わず立ち止まって見ていました。勝五郎という方は中山競馬場発展に携わった実業家でもあり馬主でもあられるそうで競馬場には胸
こんな様になるなんて無責任な家内だ、命を持って償えそれだけに限らず魅力がない家内の分際で裏切ったも何も魅力ない無い物ねだりの家内なんか誰が魅力感じるのさ?これじゃ亭主のメリット0じゃん…家の中では悪臭と騒音がどこまでも追いかけ・・・・・家内が怨霊の如く付き纏い・・・・・・・これのどこが理想やねん
天慶三年二月十四日(940年3月25日)は、平将門公が亡くなられた日です。新暦以前に起きたことは、基本旧暦の日付でアップしている本ブログです。平将門公とは、日本の三大怨霊に数えられており、今では神社の神様ともなっている歴史上の人物です。三大怨霊とは、年代順にいうと、菅原道真公、平将門公、崇徳天皇となります。このうち、菅原道真公は学者の家系から右大臣にまでなったお方で、皇族以外で最大の怨霊となりました。平将門公は京都に遷都したことで有名な桓武天皇の孫の高望王が、宇多天皇の勅命により臣籍降下し
それにしても・・この強風ったら!!!真冬はこういう冬型の気圧配置があって・・・・・とても寒くて寒くて、たまらないのですが・・・この3月に???と思うわけです~たまたま歴史探偵という番組で平将門をやっていたのですが・・・・この春の風に・・・・無敵の将門が負けた、しかも兵士たちを農作物の耕作のため故郷に帰していたとか運の悪いことで反逆者となり・・・・大手町の首塚では怨霊伝説があり私も怖い人だと思っていましたが・・・・
みんな元気ですか聖徳太子の虚像と実像太子よ、あなたはどこから来ていずこへ行くのでしょうか。以前の地震予知の「照」さんのブログに聖徳太子についてこんな記事がありました。QUOTE:聖徳太子<2012.4.26>以前に続くと書いて文章を載せなかった事が多々あったようなのですが、私自身書き終えた後の事はあまり覚えてはいませんが、昨夜から聖徳太子が自分的にはクローズアップされています。「蘇我一族」と自分で書けてビックリ
本日は春分の日、お彼岸の中日です。お彼岸の中日である春分の日と秋分の日は、日付で決まっているわけではなくお彼岸の時期も日付で確定しているわけではありません。春分の日・秋分の日とも太陽が春分点・秋分点に達した日の事をいい、太陽はこの日赤道上にあって真東から登り真西に沈みます。そしてこの日は国立天文台が歴象年表によって決めています。春分の日・秋分の日を真ん中(中日)に前後3日間、計7日間がお彼岸となります。令和6年(2024)暦要項二十四節気および雑節-国立天文台暦計算室eco
今回はこういうお題でいきます。日本史の話ですね。さて、先日、御霊についての話を書き、そのときに「日本三大怨霊」のことも出てきました。三大怨霊は一般的に「崇徳上皇、菅原道真、平将門」なんですが、将門は関東の人間であり、怨霊になる条件にも当てはまらないため、朝廷関係で考えると、将門のかわりに、承久の乱で敗れて隠岐に配流になった後鳥羽上皇か表題の早良(さわら)親王が入るのが妥当と考えられます。数々の祟りが言われる強力な大怨霊なんですね。まずは、ざっとおさらいしてみましょう。ときは8世
おはようございます!龍之介でございます。もしもあなたが悪霊や怨霊に憑依されているとしたらあなたがこのブログの様な悪霊や怨霊に関する記事を読むとあなたの中に居る悪霊や怨霊が反応して体調に異変を感じることがあります!ということでこのブログの悪霊や怨霊に関する記事を読むといつも頭痛が起こる寒気がしてくる胸が苦しくなる肩凝りが起こる首が張ってくる手足が痺れるなどの症状が急に出たりする場合はあなたに憑いている悪霊や怨霊があなたの目を通して一緒にこのブログを読んでいる
菅原道真の生前は、学者、文人のイメージが強いかもしれませんが、実は、政治家として大変優秀でした。菅原道真は、その才能を評価した宇多天皇により、異例の大出世を遂げます。しかし、転機が訪れます。それまで後ろ盾であった宇多天皇が譲位して、醍醐天皇に変わりました。ここで、菅原道真を敵視していた藤原時平が画策、菅原道真を左遷させることに成功しました。そして、菅原道真は失意の中、病気で亡くなりました。藤原時平は、目の上のタンコブだった菅原道真を追
本日、全体稽古でした。「耳なし芳一」初めてリアル人に観てもらう日です。この1週間も積み重なる日本語学校の課題に寝不足が常態となっており金曜日は電池が残ってない💦学校の「実習」や「論文提出」が入ってくると普通に寝られないので「芳一」を満足に稽古できない通学の道々電車の中こういう隙間時間でしかやれない趣味でやってんじゃねえんだけどな!!!と、天に悪態ついてみる。ま、時間が潤沢にあったところで結局、お稽古は自分がやる気にならならいとできないのでちょっとでも隙間があれば
死づえ噂霊1話2005年11月12日公開怖い噂話に秘められた怨霊を、新鋭監督・諸江亮が2話から成るリレー形式で映像化した第1話目。あらすじ音楽プロデューサーの宮崎と歌手デビューを目指す妹の友香は、倉庫付きの一軒家を各安で借りる。子供の頃にこの近所に住んでいた後輩の郁夫は、当時広まっていた噂話を始める。それは、病気を苦に首を吊った女の子カヨちゃんと、車に轢かれて死んだ母親しづえの霊が出る空き家の話。しかも、その空き家というのがここだったというのだ。郁夫の話に冗談で答える宮崎だったが、噂
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前回記事「浄土宗・祐天上人(その3)」の続きです。羽生村の怨霊事件を見事に解決した祐天ですが、実はその後も、自身が所属する弘経寺の近くで何件かの浄霊に成功していることが書物に記されています。後年、祐天の信者であった寺田市右衛門が執筆したとされる「祐天大僧正利益記」では、「弘経寺の近辺において、義母の怨霊が憑依した女性に念仏を授けた」「羽生村において、夫の浮気を恨んで死んだ女性の霊を鎮めるために念仏興行を行った」といったエピソードが記されています。また、祐天の名前を社会に知らしめ
『殺されて井戸に捨てられた聖女がチート怨霊になりました』久々に読む。ガンガンウエブ版久々更新されてたので読む(更新遅いので何話か読み逃しあるがニコ動でフォローできるし)。嫁同士のケンカwあの粗暴女昔聖女のサマラに服選んでもらった恩あるのかよ。それで恩仇で返したのかWあの時はどうかしてたってアンタwそれで家族全員破滅の手引き迄しといてw自分はどうなっても構わないから赤ちゃんだけはってー原作既読だがこの後はー。ニコニコ版で未読部分読む。しかしこちらは更新遅い。オーク井戸に飛び込
前回の記事「浄土宗・祐天上人(その2)」の続きです。力づくで菊に念仏を唱えさせることに成功した祐天ですが、その後、どのような変化があったでしょうか。祐天は「累はどうなった」と菊に問います。すると、菊は「たった今、累は私の胸の上から降りて、私の右手を取って傍にいます」と答えます。そこで、祐天は、菊に念仏を更に10回唱えさせ、再度同じことを問うたところ、菊は、「もはや累は見えなくなりました」と答えます。ここで、累を成仏させることに成功したことが明らかになり、その場にいた者たちは喜び
我に憑依せよ!!!
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怨霊が飛び交う北川聖体調の悪い時過去の記憶が怨霊のように部屋を飛び交う刀をいくら振り回しても怨霊は死なない過去は清算したはずだ今は余生を生きている未だに過去は付き纏うのか私と関係した人は皆な死んだ過去なんて幻影だ死んだ人は安らかに眠れこの世に迷い出るなこの世は死者の世ではない
前回記事「浄土宗・祐天上人(その1)」の続きです。怨霊の累と全面対決中の祐天上人(以下・祐天)ですが、読経・真言・陀羅尼と、どれも効果がありませんでした。そのような中、祐天は自分のしていたことが決定的に間違っていたことに気づきます。「私だけが念仏を唱えても意味がない。自分の内側から湧き出る念仏にこそ意味があるのだ。つまり、菊(累)自身が念仏を唱えなければダメなのだ」大乗仏教では、「自分の善行の結果(善因善果)を他人に向ける」回向(えこう)という考え方があります。お経
台町浅間神社に来ています。小高い丘に建つ本殿へ登りたいんですけど、何処から入れるのか分からず、周囲をグルグル回っています。本殿と拝殿を繋ぐ幣殿に当たる部分が階段になっているので、登れそうな気がするんですよねぇ。あ、ここに鳥居がありますね。人が通れるくらいの隙間もあるし、入ってもいいのかな。もう入る気満々だけど。せまっ!でもこの階段の造りは、参拝OKな感じですね。行かせて頂きます。本殿の中は石祠でした。厨子の中にはお神札が納められており、黄金の紙垂が立てられ
前回記事「怪談「累ヶ淵」と仏教(その6)」の続きです。怪談「累ヶ淵」に登場する怨霊「累」(かさね)を成仏させた祐天上人(以下・祐天)は、浄土宗の僧侶です。祐天が活躍した江戸時代の中期においては、怨霊払いといえば民間呪術宗教者が行うことが通常であったようで、浄土宗では怨霊払いは邪法として禁忌とされていたそうですが、祐天は、羽生村の怨霊事件以降、江戸時代を代表する「浄霊師」として名声を得ていくことになります。祐天は、羽生村の怨霊事件が発生した当時38歳で、羽生村から西に約1㎞の場
こんばんは京都のkojiro(小次郎)です今日は2024年3月11日月曜日今朝の京都市内の最低気温は0℃…起床時(午前6時ごろ)には室内でもめちゃくちゃ寒かったです!愛犬たちとの朝の散歩は薄手のダウンジャケットの上に大きめのウールジャケットを羽織って出かけました(笑)。先日のブログで京の街の『梅の花』がほとんど散ってしまったと書いてしまいましたが、京都御苑の梅の花(半数以上…?)は散らずに残って(咲いて)いました…不確かな情報を発信してしまいゴメンナサイ。先日撮
大河ドラマ「光る君へ」9回「遠くの国」の感想です。第8回で右大臣・兼家は倒れ、寝込んでしまいました。そこへ安倍晴明が呼ばれ、晴明は「右大臣と私だけにしてください。」と確かに言っていました。その時から晴明が怪しいなぁ、と思っていたんですが。二人で陰謀のやり取りがあったんですね。第9回で、道長は兼家に対し、「父上の病は偽りだったということでございますか?」と問う。兼家は「内裏の殿上間(てんじょうのま)で倒れたところまでは
今日は砂糖の日。疲れてくると、ついつい甘い物を食べたくなりますが、食べ過ぎないように注意しています。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
前回記事「怪談累ヶ淵と仏教(その4)」の続きです。怪談「累ヶ淵」の怨霊である累の墓所がある「法蔵寺」の裏手にある鬼怒川に向かいます。グーグルマップでは鬼怒川沿いに「累ヶ淵」という表示がありますが、実際には「累ヶ淵」の詳細な場所は特定されていません。ただ、場所が「羽生村の鬼怒川」であったという記録から、この辺りであるということは間違いないでしょう。途中、道祖神(村境にある疫病や悪霊を防ぐ神)が見られるなど、当時の村の面影を偲ばせる石碑・石仏が見られます。それにしても本当に人が