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池之端陣屋の並びに池之端城があります。元々陣屋があった場所も池之端城の城域の一部で、現在周囲は畑になっていますが、堀跡と虎口があります。下の写真は堀跡です。こちらも堀跡ですね。草ボーボーですが、虎口です。堀跡を陣屋側より撮影。昔は立て看板もあったようですが、現在は朽ちてしまったのかどこにも無いのでちょっと判りづらいかもしれません。駐車場はありませんが、陣屋広場の所に車を停めて徒歩で行く事が出来ます。城跡座標(37.927385,139.307168)
大関城から今度は沢海城へ。阿賀野川沿いの沢海地区に城跡があります。駐車場横に説明板があります。新発田藩初代藩主の溝口秀勝の次男によって築かれたそうです。遺構はありませんが、公園として整備されています。この周辺マップには歴史に関するスポット巡りの場所とか紹介されています。この沢海地区には神社や北方文化博物館、沢海代官所などもあるので、併せて散策するのも良いかと思います。駐車場(37.827145,139.156283)
因幡城から今度は大関城へ。写真を撮影した場所に車を停めて行きます。大関城は上杉謙信~景勝に仕えた家臣、大関氏の居城です。石碑と説明板があります。説明板です。別名田中城と言うそうです。こちらが石碑で後に知ったのですが、この裏に説明書きがあるそうです。城跡は畑になっており、遺構はありません。説明板に記載されている越後善光寺はここから車で5分位の所にあり、長野善光寺の御分仏を授かっているそうです。住職はおらず、地元の方たちが善光寺を守っているとの事なので、興味が
こんにちは続日本100名城を制覇した、「城盗りにっき」の投稿もすべて無事完了しました。このあとの投稿する記事が特にない(平凡な日常を過ごしているため・・・)ので、続日本100名城の投稿前に少し投稿していました「日本100名城」の続きを投稿していきたと思います。日本100名城は、続日本100名城の前に登城している100名城ですので、古い内容になってしまいますので現在の様子をインターネットで調べながら、自分が撮ったフォトを掲載して紹介していきますので、よろしくお願
夏季休暇前半はその前の週がハードだったのもあって、初日はゆっくり休み、次の日には山形の城跡巡りをしてました。そして二日間家でゴロゴロして体が整ったのもあってこの日下越の城館巡りを行いました。真夏に行くというのもあって、夜明け前に柏崎の自宅を出発。そして明けた頃に着いたのが燕市にある最初の目的地である横田城。詳細は不明ですが横田氏の居城と伝えられています。現在は稲荷大明神が祀られています。鳥居の横には横田城の標柱が立てられています。朝早くから清掃を行っており、境内はとてもキレ
最上義光の居城だった山形城その後徳川家の有力大名保科氏の居城に国内5番目の規模ということもありかなり広さです二ノ丸東大手門からstart度重なる藩主交代に伴い石高が削減され維持が困難になり荒廃しほとんどが失われましたが二ノ丸跡が霞城公園として残されています本丸へ向かいます
伊達政宗が生まれたとされる米沢城その後明治維新まで上杉氏が居城直江兼続が城主を務めたことも本丸跡には上杉神社がありました上杉謙信を祀る神社です
別所城創設年代・・・室町時代創設者・・・・萩別所氏形態・・・・・平城遺構・・・・・水堀・土塁郭跡天理教本殿市内道標近隣の山辺御縣座神社右側の林周辺が城跡土塁土塁・堀跡堀跡土塁・堀跡堀跡堀跡土塁・堀跡略史在地土豪、萩別所氏の居館。別所氏は大乗院方衆徒で、上総庄の給主職を与えられていたしかし筒井方に属し豊井で討死した。
前日に山形城⇒上山城⇒に行き、行きつけ(?)の龍上海米沢店で赤湯辛味噌ラーメンを食べた後に資福寺館へ行きました。東北中央道の南陽高畠ICの南にあり、米沢へ向かう途中にあるという事で寄り道がてら行ったのですが…最上川沿いの道を進んで行くと、下の写真のような案内表示があります。車を停めれる場所が無いので、この案内表示の反対側(写真を撮った場所)に広いスペースがあったので、そこに停めて歩いて行きました。民家の脇に道があり、ここから入っていきます。民家の脇道を抜けるとすぐ案内板があ
関ケ原の合戦後転封された佐竹義宣の居城久保田城石垣が殆どなく堀と土塁を巡らした平城現在は千秋公園として整備されています長坂門跡no階段を登ると表門構造は木造2階建て瓦葺き櫓門二の丸跡
江戸時代庄内藩の藩庁となったお城鶴ケ岡城本丸を中心に土塁と堀をめぐらせた平城本丸・二の丸跡周辺・・・が鶴岡公園として整備されています堀の周辺には多くの桜の木日本桜名所100選に選ばれているそうです街並みもと〜っても素敵なのでお薦めです
2023年秋日本海側からちょこ〜っと函館へ渡り太平洋側の東北地方をぐる〜っと巡ります新潟県新発田城からstart新発田城は平地につくられた平城かつて本丸二の丸三の丸からなり11棟の櫓と5棟の門が並んでいたらしい天守閣の代わりを果たしていた三階櫓3匹の鯱を配した独
本日は、久しぶりでヒマ友K氏との歴史遺産探訪カテゴリー中のお城シリーズ第4弾ということにした。そういうことで、今回訪ねる城跡は富山市近郊の白鳥城址と安田城址です。どちらもJR八尾線の沿線に位置して白鳥城址は西富山駅、一方の安田城址は越中鵜坂駅が最寄駅になる。とは言っても、今回はJR利用ではなくいつもの如く、K氏の車に同乗。一応、先日県立図書館で借りた本から予備知識を得ています。それにしても、今日は爽やかな秋晴れでポタリング日和り?いやドライブ日和りです。K氏の車の助
近鉄1026系VH27編成団体2日目2023/10/29本日も1026系VH27編成が団体貸切で運転しました。今回は西大寺、平城で撮影しました。@西大寺@西大寺京都からの貸切と並びました。宮津から奈良は平城で撮影しました。@高の原〜平城種別灯死亡(泣奈良からの返却回送は別記事でご覧下さい。最後までご覧いただきありがとうございました。
古市城創設年代・・・室町時代創設者・・・・古市氏形態・・・・・平城遺構・・・・・空堀・郭・水堀遠望小学校南端にある城碑本丸方面・郭跡堀跡城塁・堀跡八反池(堀)・隣接の高山城方面八反池・前方が本丸麓の奉行屋敷跡・土塁同じく会所・御蔵・勘定場跡同じく御前原石立命神社(氏神)堀跡町内の旧家隣接の高山城(出城)土塁堀切堀切遠
東北続・名城登城と胸ときめく感動を記憶する11日間ドライブ(24)こんにちは9月29日の中秋の名月です。そろそろ、いや、やっと夏から秋へと…季節が移ろうとしているのでしょうか・・・身体に寄りそう風が、変わる・・・そんな夜に見る月が、おしえてくれる「秋」のはじまりを・・・。▼自宅のベランダから見た29日の名月「東北続・名城登城と胸ときめく感動を記憶する11日間ド
東北続・名城登城と胸ときめく感動を記憶する11日間ドライブ⑲こんにちは東北11日間ドライブも後半の8日目の朝を迎えました。8日目も晴天でドライブと城盗りの絶好日です。宿泊先から八戸ICを経て八戸自動車道で南下し、青森県から岩手県に入り一戸ICから国道4号、県道を経由して9時半に九戸城の駐車場に到着しました。九戸城の駐車場は、三ノ丸跡に設けられており城スタンプが設置されているガイドハウスもあり、城盗りの拠点です。なお、三ノ丸跡は大部分が市街
筒井城創設年代・・・永享元年(1429)創設者・・・・筒井順覚形態・・・・・平城遺構・・・・・水堀本丸方面・土塁本丸付近蓮池になっている内堀城域の専念寺同寺前の柿古木同寺裏の堀本丸跡の菅田比売神社同・土塁の痕跡あり同神社脇の堀堀道中の祠筒井順慶の木像を安置している光専寺同寺裏の外堀同寺裏の外堀城の守り
小泉城(別称:小泉陣屋)創設年代・・・室町時代・元和九年(1623)創設者・・・・小泉氏・片桐且元形態・・・・・平城遺構・・・・・水堀・復興櫓ナギナタ池・片桐邸高林庵・復興隅櫓外堀外堀外堀小泉神社(城門)維摩寺・手前堀跡お庭池復興隅櫓片桐邸高林庵片桐邸高林庵駐在所から内郭を内郭にある城碑駐在所付近の外堀駐在所付近の外堀
大和郡山城(別称:犬伏城)創設年代・・・戦国初期・天正八年(1580)創設者・・・・郡山氏・筒井順慶形態・・・・・平城遺構・・・・・堀・石垣・本丸・門・郭・櫓復元櫓追手門三の丸堀三の丸柳橋門・大手二の丸鉄門二の丸鉄門・近鉄線本丸・石垣竹林門柳沢神社・本丸天守台同同同・石垣・石塔逆地蔵御台所土橋・本丸方面本丸石垣・堀柳沢文庫
田辺城(別称:舞鶴城)創設年代・・・天正八年(1580)創設者・・・・細川藤孝形態・・・・・平城遺構・・・・・復興隅櫓・復興大手門・石垣・郭・土塁・堀跡模擬隅櫓と復興大手門復興大手門(場所は異なる)模擬隅櫓同(内部から)公園内部井戸石垣石垣本丸庭園公園内部本丸天守台大手門・隅櫓方面を見る石垣郭跡二の丸石垣二の丸石垣・
東北続・名城登城と胸ときめく感動絶景を記録する11日間ドライブ④こんにちはです。毎日、暑い日が続きますが、皆さんはいかがお過ごしですか?自分は、ブログの記事投稿の合間にジグソーをエアコンを効かせた部屋で作っています。まずは、2時間かけて枠造りを完成させました。▼スヌーピービーチサイドランド(スーパースモールピース2000)今後、ジグソーの完成過程も一緒に投稿します。
槙島城(別称:薗場城・真木嶋城)創設年代・・・承久三年(1221)創設者・・・・長瀬左衛門形態・・・・・平城遺構・・・・・ーーーーーー城碑城跡一帯同・堀跡?関係ないですが・・・カワセミ略史承久の乱で後鳥羽上皇方の長瀬氏が当城を守護したのが初見。畠山義就と政長との対立が激しくなった時、宇治・槙島の合戦で細川政元勢の攻撃を受け落城、政元の居城となり、たびたび将軍足利義澄を招いている。その後将軍足利義昭が
開田城創設年代・・・室町時代後期創設者・・・・中小路氏形態・・・・・平城遺構・・・・・土塁土塁土塁近隣の長岡天満宮お城には関係ありませんが以前撮ったアオバズクです略史応仁の乱勃発直後、菅原氏の一族で土豪の中小路氏(長岡天満宮神官)の居館が畠山義就の西岡占領と同時に城郭として利用されたもの。ポイント犬川の上流、西国街道を挟んで勝竜寺城とは反対側の北方に位置し、老ノ坂か
勝竜寺城(別称:長岡陣屋)創設年代・・・室町時代中期創設者・・・・畠山義就形態・・・・・平城遺構・・・・・土塁・空堀・本丸跡本丸土塁・水堀・櫓本丸土塁・水堀・櫓本丸北門本丸土塁本丸無縁仏本丸土塁本丸土塁同・水堀同・桝形南門・模擬櫓沼田丸城域の神足神社神社内の土橋・空堀小畑川・第九小略史山城守護畠
城郭建築と、「和風」とは何ぞやについて、お話しします。うだつの町並み(徳島県美馬市)旅先で偶に現れる、あのフレーズ。「伝統的な町なみ」とか「和の趣を残す」とかいった、そういう宣伝文句。あとは、県下第二第三くらいの町を歩いている時によく見る、明らかに外堀っぽい大き目の水路であったり。そういう場所を実際に歩いてみると、確かに歴史を感じるなァ、日本ぽいなァと思う場面はあるのだけれど…その正体が何なのか、イマイチよくわからない。新町商店街・銀座商店街(愛媛県八幡浜市)日本の建
物集城創設年代・・・室町時代後期創設者・・・・物集女氏形態・・・・・平城遺構・・・・・水堀・郭主郭・水堀水堀水堀主郭・土塁主郭・土塁略史秦氏の一族、土豪の物集女氏は、戦国時代には天竜寺領物集女荘の代官として在地の有力者となり居館を構えていた。天正元年(1573)、織田信長は細川藤孝に桂川西岸一帯の地を与え、藤孝は国人らの領地を安堵したが、物集女忠重は藤孝の勝龍寺城への御礼参上を拒否した為誘殺された
山科本願寺創設年代・・・文明十年(1478)創設者・・・・蓮如兼寿形態・・・・・平城遺構・・・・・土塁公園内の土塁公園内土塁同・土塁上同同蓮如廟所同同・土塁・石塁公園と廟所間の小川(堀)?東本願寺山科別院同山門略史親鸞の廟所から発した京都東山の大谷本願寺は比叡山により破却された。八世蓮如は、堅田次いで越前吉崎に逃れた。その後蓮如は山科に本願
妙顕寺城創設年代・・・天正十一年(1583)創設者・・・・豊臣秀吉形態・・・・・平城遺構・・・・・ーーーーーーー城碑妙顕寺城跡の西福寺略史鎌倉時代後期に日像が初めて京都に建立した日蓮宗寺院。天正十一年(1583)、秀吉は寺を小川寺ノ内に移転させて二条新邸を構築、聚楽第を造るまでの京都の政庁とした。秀吉の二条城ともいえる。ポイント3年程の間であったが周囲に堀を廻らし、天主をあげていました。平素は前田玄以が居住して政務をとって
二条城創設年代・・・慶長七年(1602)創設者・・・・徳川家康形態・・・・・平城遺構・・・・・堀・石垣・門・櫓・御殿二の丸東大手門二の丸大手門・番所二の丸東南隅櫓同二の丸西南隅櫓二の丸堀唐門同内側より東南隅櫓内側二の丸殿舎・遠侍・車寄所司代との連絡用の鐘楼跡二の丸殿舎・庭園本丸東櫓門同内側本丸枡形本丸堀・桃山門本丸