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お久しぶりです。2月に私にしては大きな移動をしました。東京へ「舌切雀」の舞台を見に行きました。一人で。好きな作家、太宰治さん原作の舞台で、島津亜矢さんが主題歌を歌うと知り、好きな人が2人揃った作品、これは是非とも行かなくては、目的地への行き方、電車の乗り換え方やら調べて準備しました。太宰さんの「お伽草紙」の中の一編、「舌切雀」は好きな作品で、中学生の時にこれが舞台化されたらと想像してシナリオを書いたことがありました。そして死ぬ前に一度、太宰さんのお墓参りに行きたいと思っていたので、舞台
昨日(2月28日)、ちょっと出かけることがありましたが、その道すがら周りに視線を向ければ華やかな様子を見ることができました。快晴だったということもあるのでしょうが、外はとても明るく、陽射しの中を歩くと、うっすらと汗をかくほどの状態でした。もっとも、事務所に戻ればこの時期らしい気温でしたので暖房が有難かったのですが、今日は歩きながら撮った写真をアップしながらその様子を綴っていきます。少し旬を過ぎたと思われるケースも目にしますが、しっかり咲いているウメがあります。
三鷹駅から600mほど。山本有三記念館を拝見しました。正面玄関はお菓子のお家のよう🍰このお家には暖炉が多くあり、家族団らんの時間を大切にしていたよう。昔、団体スケッチで訪れた邸宅でした「路傍の石」の作家、山本有三氏が昭和11年から21年まで、ご家族とお住まいだった邸宅です。とはいえ凄く広くて瀟洒な訳ではなく、とてもセンスの良い洋館です。応接室。趣きの有る階段。アーチ型の窓が素敵だ。ステンドグラスからの窓が柔らな光。どの部屋も豪華過ぎず、幸せな生活が見える様な気がしました。
三鷹市山本有三記念館F6ポスターカラー三原色+黒+白5色で混色の練習です思う色になるまで絵具をたくさん使いましたが楽しい時間でした
12月3日日曜日まあまあ早起き。お米がなかったので、今朝はトーストサンドにしました🥪トーストサンドと紅茶と豆乳プリン。中身は卵です。お米も大好きですが、パン🍞も大好きです。やちむん❤︎❤︎❤︎。食後にコーヒーといただいたスイーツ。美味しくいただきました。いつもありがとうございます♪この箱は、取っておこう!そして今日は吉祥寺へ。天気が良かったので、三鷹で途中下車して歩いて吉祥寺へ向かいました。山本有三記念館のお庭だけ拝見。ステキだな。今度は建物の中も入ろう。
2023/9/21三鷹駅~井の頭公園に向かう、風の散歩道を歩く。彼岸花がキレイ山本有三記念館に到着路傍の石記念館は有料で、今日は時間もなく入らずに、お庭だけ歩きました。この後は井の頭公園~吉祥寺へ。吉祥寺で高校時代の部活仲間と久しぶりにランチ気の置けない友達は、最高だ
2023年6月17日三鷹市の風の散歩道と三鷹市山本有三記念館の紫陽花よく🚲で通るのですが記念館の中に入ったのは初めてお庭だけなら無料で見れます。風の散歩道の紫陽花
運命の男。だなんて、なんて刺激的な題名なのでしょうはい、今回は私の運命を変えたといっても過言ではない、大事な方をご紹介いたします山本有三氏です。高校2年生の時に「路傍の石」を読んで衝撃を受けましたそれまで、私、勉強って嫌いだったのです印綬持ちの教育熱心、教育関係の仕事をしていた至れり尽くせり超〜献身的な母に育てられて、勉強をやらされている感がすごくて、全然面白さがわかりませんでしたでも
昨日は友人グループ(長男のママ友たち)と三鷹から吉祥寺に大人の遠足(笑)先ずは腹ごしらえからイタリアンランチTORETATEkitchenサラダとパスタとドリンクバーのセットボンゴレビアンコ大量のアサリ❣️一年分のアサリ食べたかもです❤️そして玉川上水
前回から続きです。1階の長女の部屋だった所です。窓が大きくテラスにいるくらいに明るいです。何という石で出来たテーブルなんでしょう。陶器のようにも見えます。しかし「触れてはいけません」🈲とありました。コンコンと指で軽く叩けば、陶器なら分かる自信があるのですが見学なさってた妙齢のご婦人の2人連れがいらっしゃいました。そのうちひとりが木製のテーブルを指して「まあ、これきっと鎌倉彫りよ。材質は桜の木の一枚板ね❗️」と仰っていました。本当かしら笑高価そうではあります。う〜ん。こんな子ども部屋
ジブリ美術館には3時間滞在帰りは多摩川上水(もう多摩川上水ということばからだけでも都会を感じます)の川沿いを歩くことにしました。おしゃれなウォーキング徒歩15分の距離マンホールの蓋がかわいい途中に「山本有三記念館」がありました。家族と住んだ家だそうです。小説「路傍の石」若い頃に読みました。山本有三さんってたしか栃木県出身だった記憶(北関東だー)と思ったら明治大学の文学部で教鞭をとられていたときにお住みになら
前回の続きです。現れましたのは三鷹市有形文化財『山本有三記念館』作家・教育家山本有三の旧居跡です。庭先には著書にちなんで「路傍の石」がちょっと私には珍しい門です。館内を訪ねる前に庭の紅白梅玄関蹴上げの紋様が刻み何とかというらしい。忘れました😅スクラッチタイルに大谷石と変わったデザインです。建てたのは山本有三ではなく、大正時代末期に清田(せいた)何某氏の別荘だったのを、後に山本が購入したとの事です。関東大震災の後でしたので当時としては最新の耐震技術が施されているそうです。デザ
三鷹まで散歩に行った時に、山本有三記念館に寄りました❣️「路傍の石」という作品名だけを知っていた程度ですたが、ととも楽しめました💖タイムスリップしたような気がして、気分転換になりました😊
本日は土曜日ババワーのある日先週配った新しい楽譜から3曲今日譜読みをしたのですが生憎アルトが2人お休み頼みは一番新しいカムバックさん昔ソプラノだったのですがアルトが弱いのでアルトに入って頂いていますオペラ歌手の方からレッスンを受けるほど歌もお上手だし何より深みのある声が羨ましい歌うのはその方に任せてオンバサンはひたすら例の方の音頭取り耳が聞こえないのは痛いですしかもご本人はケロリとしておられる今日から始めた曲は冬景色、早春賦、追憶の
昨日病院と病院の合間に行った山本有三記念館路傍の石や音なの一生など小説家として有名な有三ですが教育者としての山本有三にスポットライトを当てた企画展を3月一杯開いています有三が愛した武蔵野の自然を望む書斎も健在有三の作品も展示されていますそして勿論生前愛用していた品々も嬉しいことにパンデミック以来中止されていた文庫も再開された模様三鷹育ちの友
▽企画展山本有三路傍の石に描かれた少年のYouTubeを視聴します。展示期日は記事配信当時ですので、良く分かりませんYouTube動画としてご視聴ください。▽草加市展展示作品2022年10月↓洋画↓彫刻麦倉忠彦彫刻家(草加市出身)↓七宝焼き小泉先生
いやはや今日も本当に暑かったです今日はJR中央線で三鷹市まで行ってきました三鷹駅から10分ちょっと歩いて山本有三記念館に行ってきたのですが、記念館に着く頃には汗が噴き出していました山本有三記念館三鷹市山本有三記念館は、作家・山本有三が1936(昭和11)年から1946(昭和21)年まで家族で暮らした家です。武蔵野村(現武蔵野市)吉祥寺に住んでいた有三は、家族が増えて家が手狭になりつつあったことや、周辺に家が建て込んできたことから、執筆に適した環境を探していました。三
「接収」とは、第二次大戦後、占領軍が使用するため、個人の住宅などを提供させられたこと。山本有三邸=山本氏が1936年から約10年居住。竣工は1926年。GHQの「接収に適している住宅」の条件を充分に満たしていた=洋風の暮らし、電気とガスがあり、バスタブがあって、水洗トイレがあって…。接収されて「U.S.houseNo.843」として、高位の軍人の住まいとなっていました。1951年には返還されていますが、ペンキを塗るなど改変された部分もあって、山本有三は返還後はここ
あや坊が就活のためのポートフォリオ用に、証明写真とは別の自分の写真が必要とのことで、市内の山本有三記念館に行ってきました。三鷹市山本有三記念館|公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団mitaka-sportsandculture.or.jp三鷹に住んで22年、実は山本有三記念館は来たの初めて😅写真が趣味のモバぞうさんだけだと自然な表情が撮れないと言うので(とほほ)、アシスタントで私も同行。黙々と撮るモバさんの脇で、「もうちょっと笑って」「いいね〜、
今日は「樺美智子さんの命日」1960年6月15日、日米安全保障条約改定に伴う反対闘争いわゆる「安保闘争」におけるデモの最中,国会南通用門前にて官憲により虐殺されました。この国の未来を憂えて行動した学生や市民の行動を暴挙、暴力として、暴徒と呼ぶのは権力の常。樺美智子さんの死も「圧死」として発表されていますが、父親である樺俊雄さんの証言によると明らかに暴力を振るわれた上での死亡、虐殺と言ってもよいものです。残念なことにこの事件ののち、新聞社は「暴力を排し議会主義を守れ」という「7社共同宣
(1948年6月13日太宰治は玉川上水に身を投げた享年38歳)碁会所、囲碁教室のお手伝いと三鷹に足しげく通うようになって3年経つ。三鷹はとても暮らしやすそうな街だが、かつては農村、今は住宅街とあって歴史的には不毛の地で、「これ」というような名所旧跡は見当たらない。市のHPで確認しても「ジブリの森美術館」、「山本有三記念館」、それから「太宰治の墓」位のものだ。そんなわけで囲碁教室のお手伝いのついでに会場のすぐ近くにある太宰治の墓に行ってみることにした。奇しくも太宰治の命日
5/28、31珠玉のフルーツサンド&絶品パンをペロリ♪三鷹スイーツさんぽ飲食店の激戦区・吉祥寺で最も有名なイタリアンの一つ「プリミ・バチ」。井の頭公園の緑を臨む閑静なロケーションで、上質なランチタイムをお過ごしいただけます。北イタリアの郷土料理をベースに、日本の旬の食材を組み合わせた本格イタリアンをご堪能ください!
東京都下の三鷹市内で見かけた石です。この二つの石は歩いて5分ほどの近さにありました。どちらの石も「文学」に関わりがあります。問題1この石の名前はなんですか?この大きな石は文豪山本有三の元のお住まいの玄関前にありました。旧山本有三邸の庭にあった巨石は彼の代表作にちなんで「路傍の石」と呼ばれるようになりました。問題2この石の名前はなんですか?太宰治にゆかりの石で、彼の故郷津軽で採れた石をこの地に運んで来ました。この石は「玉鹿石」と呼ばれてます。ここは太宰治が入水した
最近の三鷹エリアも春らしい陽気も続き、近所の花も咲き始めています。下はひとつの木に紅白の花を咲かせる梅の木です。一部つぼみのところもありましたが、綺麗に咲いていました。下からは山本有三記念館の様子です。季節の移り変わりも楽しめる場所で、こちらの中も春らしくなっていました。下は白梅と紅梅です。こちらの中の梅もしっかりと咲き始めていました。地面近くも小さな花も咲いていました。下は花壇の様子です。
昨日(3月11日)、三鷹駅のほうに用があったので、その周囲を歩いてみました。最近、歩いているとどこからか良い花の香りが漂ってきますが、そこから春を感じています。それをこの目でしっかり見、そしてその様子をブログの読者の方にもお届けできればと思い、写真と共に綴っていきます。今回歩いていて最初に目に入ってきた春の花、菜の花です。道の傍らに咲いていましたが、目線を落とさなければ気付かなかったかもしれません。毎年訪れている昭和記念公園の場合、一定のエリアにそれ
昨日(2月25日)のブログはいつもと異なるテーマになり、私の気持ちも少々重かったので、久しぶりに三鷹駅のそばから山本有三記念館まで歩き、この時期の花を見てきました。こういうことも平和あってのことだと改めて認識しつつの散歩になりましたが、戦っている人たちのことを思うと気が引けてしまうところもあります。報道によると、首都キエフでは一般の人たちも大変な状態になっているようで、とても心配しています。日本にいて何ができるかという時、私には今回のロシアの軍事侵攻に対して明確な反対の
大好きな山本有三記念館に行きました❣️I年ぶりの訪問です。私は古い洋館が大好き。それだけでも好みのど真ん中なのに、山本有三は児童文学作家の草分けなので、ますます大好きな館です❤️✨(私は元々児童文学が専門。その縁で教職に就いてます)訪れる人はほぼなく、広いお家を独り占め💕暖かく静か、品が良く、歴史を感じる、全てが好きな空間です。庭に面した、サンルーム。イングルヌック。炉を囲む狭い窪みで、家族の憩う場所。大好き❤✨お庭のベンチで持参の弁当を食べ、すぐ近くの井の頭公園へ向かいま
今日は三鷹の方へやってきたまだ1時間程余裕があるので近くにある井の頭公園まで散策してきた雪の降った朝の公園は何となく落ち着いて好きだまだ朝なので人の姿はあまり見えないが既に足跡は沢山ある。キレイに積もってる雪に自分の足跡を付けられると思ってたのに残念…思ってたより積もったなぁ~そして戻る途中にお洒落な建物で山本有三記念館なるものを発見開園前の雪かきで忙しそうだ
山本有三記念館あまりご存じの方はいらっしゃらないと思います。吉祥寺と三鷹の中間くらい、玉川上水沿いにこの山本有三の記念館があります。Wikipediaによると大正から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、政治家と出ています。主な作品では『女の一生』『真実一路』『路傍の石』(ろぼうの石と読むらしいです、ボク読めませんでした)ちなみに、この玉川上水沿いの道の名前『風の散歩道』ですって、あらま洒落てる松本隆みたい。何故にこんなボクが山本有三なる存在を知ってるかというと、小学生の時の課外
東京は晴れてて気持ちいいです。昨日も都心の人混みを避けるため僕は逆方向に文学的散歩に出掛けました。向ったのは【山本有三記念館】大正末期に住んでいた洋風建築です。三鷹駅から歩くと15分くらい秋を感じながら玉川上水横を歩きます。ちょっと奥まったところにありました!入場料は¥300古い建物探訪はとても興味があります。部屋によって窓枠の形が違うんですよ長女の部屋↓応接間↓この2階への階段も素敵すぎる2階には和室までありました。