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昨日の展示機5機連続訪問記事の続きです。通院の後、私は大刀洗平和記念館にやって来ました。世界的にも有名、零式艦上戦闘機三二型を見学!日本海軍の主力戦闘機として知られる零式艦上戦闘機は、元々、十二試艦上戦闘機として三菱、中島飛行機(富士重工)に昭和12年に競争試作が発注されました。しかし、中島は間もなく開発を辞退し、堀越二郎技師(映画・風立ちぬのモデル)をリーダーとする三菱の単独開発となりました。試作2号機の空中分解事故などを経て、エンジンを三菱製の瑞星エンジンから中島製の栄エンジンに換
こんばんは豆腐です今日ももう夜だねみんなはどんな1日だったかな~あたしは疲れ果ててるにょ昼間に徒歩15分程度の最寄りプチ商店街へ行って、3軒お店に入っただけで倒れそうに疲れた。たったそれだけで。……って思ってたら、そういや今朝気が向いて、30分ほどウォーキングしたわね。ラジオ体操第一・第二もしたわね。それにいつもの筋トレもしたわね。そりゃ疲れるわね、体力ないもんね。上述のスポーツのうち、おすすめはラジオ体操だむやみやたらと上半身を伸ばす動きが
この「記念写真帖」の所有者だったと思われる中央の人は、両側の水兵たちに比べて腕を降ろしてやや遠慮気味にしているように見える。帽子には不明瞭ながら「大日本第二十九駆逐隊」と書かれているようだ。このシリーズの③で触れたように、第一航空戦隊は空母加賀と駆逐艦追風と同疾風の2隻で構成されていた。この2隻の駆逐艦で第二十九駆逐隊が構成され、その司令は追風に乗っていたというから、こういう表現が適切かどうかはわからないが、疾風は格下の艦であった。海軍に入隊して間もない時期だったのではないか
今日は終戦記念日。毎年8月15日には太平洋戦争にまつわる記事を書かせていただいております。今回は心がほっこりする内容にしてみました。皆さんは“大空のサムライ”と呼ばれた追撃王『坂井三郎』さんをご存知でしょうか?坂井三郎さんは日本の海軍軍人で、太平洋戦争におけるエースパイロット✈️特に零戦の搭乗員として多くの空戦に臨みました。著書『大空のサムライ』はかなり有名ですよね📖昭和17年にガダルカナル島への長距離飛行作戦に出撃した際には、敵機による集中砲火を浴び頭部を挫傷。ショックのため失神す
はい、今日は、いつもの?冒頭ギャグはありません。それは、珍しく、極めて真面目なお話だからです。今日は、8月15日、終戦記念日です。こんな日にふざけた日記など書けませんでしょう。毎年、この時期になると、テレビではいろんな終戦特集番組をやります。それはいいのですが、私はこの手の報道番組に疑問を持ってしまっているんです。まず、必ず、戦争は悲惨だ、二度と起こしてはならない、という論から始まりますよね。もちろん、それも当然なのですが、その次に、なぜあんな戦争を起こしてしまったのか。対話で解決しよ
岩本徹三という人物。戦記物が好きな人なら、知らない人は、居ないでしょう。日中戦争から太平洋戦争が終わるまで、海軍航空隊の零戦搭乗員として活躍。その撃墜数は、恐らく、海軍の戦闘機搭乗員としては、最高と思われる。撃墜数を正確にカウントするのは不可能なことで、何機撃墜をしたのかということについては、色々と説のあるところ。少ないものでは、80機程度、多いものでは、200機以上と書かれたものを見た記憶があります。戦闘機搭乗員としての初陣は、1938年2月25日。ここから、1945年8月1
【クンビアを踊る人たち】(撮影:万山亀男)クンビアの踊りです。【タクシーの運転手さん】(Sauce:KameoManyama)この人たちは隣町の運転手さんなんですけど2人とも城太郎のお友達です。【スーパーマーケット】(Sauce:KameoManyama)手前のお姉さんは城太郎の家の近所の人で城太郎のお友達です。(↑著者近影😣)実はこのブログの著者は城太郎の猫のペケ3号氏なんですけどペケ3号氏は読み書きが全く出来ない重度の非識字者ですので城太郎が口述筆記し
本日は3月2日、3‐2Dayですね。ということで、3‐2に因んで大刀洗平和記念館の零戦32型をご紹介します。角張った翼端の零戦32型はここでしか見られません。元気だった頃の父と、栄エンジン。記憶に間違いなければ栄二一型のハズ。コックピット内部。本機は以前音楽館に展示されていました。機首部分。この茶色いペラと銀色の大スピナーは零戦のトレードマークのようなもの。側面より。鹿屋基地や靖国神社の物よりオリジナリティは高い?
伝説の残留日本兵・横井庄一さんが暮らした「洞穴」がグアム島のジャングルに残っていた…その...Yahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN...の残留日本兵・横井庄一さんとは、太平洋戦争の終結を知らされないまま28年にわたってグアム島のジャングルに潜伏していた愛知県出身の元陸軍軍曹だ。倉敷「羽島窯」76年の歴史に幕26~30日、最後の窯出し展-山陽新聞デジタル山陽新聞デジタル倉敷市の民芸窯・羽島窯(同市羽島)が今月末で76年の歴史に幕を下ろす。戦後間もなく小河原虎吉
今夜宮崎市に最接近し、次第に遠ざかる台風ですが、台風に吹き込む湿った南風の影響を長く受け…明日一杯は大雨になる予報の宮崎・高知・和歌山等太平洋沿岸地域。暇を見つけての鉄製階段塗り替え作業はしばらく中止…。台風接近前にと、今日午前中は全国?チェーン眼鏡店に…長らく修理やら、前のメガネの度数で新規を繰り返し、視力放置の私。近づく運転免許更新に向けてのメガネ新調。昔ながらの眼鏡屋だと【私の…多分・思い込み?】…度数を合わせた後は…複数レンズ製造メーカー【Nikon・HOYA…】からチョイスだった
日本海軍航空隊で台南空や251航空隊で活躍したエースパイロットの一人である、坂井三郎の映画かな?動画が上がっていたのでアップロードしておきます。古い映画のようなので、細かい点はスルーしましょう♥その他、酒井三郎関連画像岩本徹三↓↓↓↓↓↓↓↓お暇なときにでも、見て頂けると嬉しいです。余談ですが、遅ればせながら、シャアコラボのマックやっと、食べれました。白いニュータイプと、辛ダブチの2個を、食べました(笑)ではでは
運命とは命を運ぶと書く。自分の命を自分で運んで、自分の道を開くしかない坂井三郎(伝説の零戦パイロット)
500ページを超える厚い本。(★)以前紹介したこの本のように、元搭乗員の‘祖父たち’のはなしをまとめたものかしら、と思ったのだが違った。主人公が2人いる。兵学校60期同期の進藤三郎さんと鈴木實さん。両者は親友で、ともに戦闘機操縦員。昭和9年に任官ということで零戦登場よりも前のはなしもあるはずだが、零戦にしぼってはなしは進む。十二試艦戦、一一型に搭乗したことを語れる人も少ない。最初期の中国戦線から零戦を育ててきた2人の操縦将校による回顧は本当に貴重。鈴木さんがセレベス島で英軍、豪軍の航空
ゼロ戦‥正式には零戦(レイセン)‥海軍零式艦上戦闘機21型・三菱A6M2b)大東亜戦争(太平洋戦争)が始まってすぐの頃、ゼロ戦で哨戒中の「坂井三郎」は、オランダ軍の輸送機が飛行しているのを発見した。輸送機といえど、敵の重要人物が搭乗しているかもしれず、拿捕、もしくは撃墜せよという命令が出ていた。坂井はオランダ軍の輸送機に近づいていった。「護衛はいないようだな・・・」坂井は周囲に目をくばりながらつぶやいた。撃墜すべきか警告射撃をすべきか、思案しながら近寄ることにする。用心
にほんブログ村あなたは運命を信じますか?こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。あなたは運命を信じますか。運命は生まれる前から決まっていた。運命は生まれたときから決まっている。だからしょうがない。だからあきらめるしかない。運命だからと初めから諦めちゃいけない。運命とは命を運ぶと書く。自分の命を自分で運んで、自分の道を開くしかない。海軍軍人・坂井三郎(さかいさぶろう)の言葉
*このシリーズの趣旨に関しては、プロフィールを参照して下さい。「二著物語:撃墜王(その1)零戦撃墜王、栄光の軌跡」~「二著物語:撃墜王(その4)意外なエピソード」では、零戦のファイター・エース坂井三郎の戦歴を坂井の自叙伝風の三冊の著書の内容を基に追いつつ、海軍航空隊の問題点などにも光を当て、前回「二著物語:撃墜王(その5)ドイツの撃墜王」では、確認撃墜数258機を数えたドイツ空軍のエース、ヴァルテル・ノヴォトニーの戦歴を、服部省吾『撃墜王ヴァルテル・ノヴォトニー』、光人社NF文庫、2
*このシリーズの趣旨に関しては、プロフィールを参照して下さい。これまで、「二著物語:撃墜王(その1)零戦撃墜王、栄光の軌跡」「二著物語:撃墜王(その2)三郎危機一髪、努力と強運による生き残り」「二著物語:撃墜王(その3)未来の米大統領、危機一髪」「二著物語:撃墜王(その4)意外なエピソード」の内容に基き、零戦のファイター・エースとして知られた坂井三郎の戦中・戦後の活動を概観してきた。戦時中日本の同盟国であったドイツも数々の名パイロット、ファイター・エースを輩出した。服
僕は情報に対しての分析や考察とか『意見』と言う物は人それぞれですし民主主義ですからどんな意見でも自由に発言して良いと思うんです。ここでは便宜上、分析とか考察とか感想とかインプレッションなどを『意見』と定義します。それに対して数量だとか場所とか固有名詞などの部分をここでは『情報』と呼ぶ事にします。この情報の部分は正確じゃないといけないと僕は思うんです。某朝●新聞社さまのように意図的な捏造は絶対に良くないのは当然ですけども仮に悪意が無くて本人が間違いに気付いてないような場合でも間違った情報を
今日のニュースに出てたんですけどGoogle社の発表に拠りますと先日ディエゴ・ベルダゲルさんが亡くなった為にディエゴ・ベルダゲルさんの代表曲『Volvere』に関する検索履歴回数が現在1番多いそうなんです。『ルイジアナ・ママ』の場合ですとオリジナルのジーン・ピットニーさんの歌唱版のYouTube視聴回数を飯田久彦さんの日本語カバー版の視聴回数が上回ると言う事は僕はたぶん無いと思うんです。シルヴィ・バルタンさんが仮に明日亡くなったとしてもシルヴィ・バルタンさんが歌った『悲しき雨音』のフランス語
*当「二著物語」シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。これまで「二著物語:撃墜王(その1)零戦撃墜王、栄光の軌跡」「二著物語:撃墜王(その2)三郎危機一髪、努力と強運による生き残り」「二著物語:撃墜王(その3)未来の米大統領、危機一髪」では、零戦の撃墜王として知られる坂井三郎の著書、坂井三郎『大空のサムライ・かえらざる零戦隊』、光人社NF文庫、2003年(単行本、1967年)[以下、『サムライ』]及び、坂井三郎『続・大空のサムライ・回想のエースたち』
*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。前々回「二著物語:撃墜王(その1)零戦撃墜王、栄光の軌跡」、及び前回「二著物語:撃墜王(その2)努力と強運による生き残り」では、坂井三郎『大空のサムライ・かえらざる零戦隊』、光人社NF文庫、2003年(単行本、1967年)[以下、『サムライ』]を基に、零戦の撃墜王坂井三郎の経歴・戦歴を概観して来た。坂井にはこれ以外にも、幾つかの著書がある。その中で、坂井三郎『続・大空のサムライ・回想のエースたち』、光人
*このシリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。前回「二著物語:撃墜王(その1)零戦撃墜王、栄光の軌跡」では、大戦中六十機以上の撃墜数を誇る零戦パイロット坂井三郎が大戦初期に記録した幾つかの空戦の模様を、坂井三郎『大空のサムライ・かえらざる零戦隊』、光人社NF文庫、2003年(単行本、1967年)の内容を基に概観した。開戦当初からの勝ち戦の日々は直ぐに終りを告げ、坂井を始めとする航空部隊の搭乗員にとって苦難の日々が始まろうとしていた。二つの死線・ガダルカナ
*この「二著物語」シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。第二次大戦の初期、大日本帝国海軍がその戦域を広げる中で、圧倒的強さを見せた零式艦上戦闘機。それを乗りこなして、六十四機もの敵機を撃墜したという記録を持つ撃墜王として知られるのが、坂井三郎(1916-2000)である(注:この撃墜数には、日華事変の時期に九六式艦上戦闘機に搭乗していた時の戦果も含まれる)。その坂井三郎が自らの経歴・戦歴を綴ったのが、坂井三郎『大空のサムライ・かえらざる零戦隊』、光人社NF文庫
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師匠とのドライブ記事の続きです。遅い遅いお昼ご飯を食べた私たちは、筑前町の大刀洗平和記念館にやって来ました。世界的にも有名、零戦32型を見学!角張った翼端の零戦32型はここでしか見られません。機首に収まっているのは、栄二一型エンジンのハズ。コックピット内部。本機は以前音楽館に展示されていました。機首部分。この茶色いペラと銀色の大スピナーは零戦のトレードマークのようなもの。初訪問の師匠と。鹿屋基地や靖国神社の物よりオリジナリティは高
坂井三郎さんという太平洋戦争でエース・パイロットだった方の逸話です。こういう役を春馬君にしてもらいたかったなあ。続きはリンクでどうぞ🇯🇵✨FacebookにログインFacebookにログインして、友達や家族と写真や近況をシェアしましょう。www.facebook.com彼の行いは自らの良心を元に決断した人間らしい立派なものでした。義を見てせざるは勇な無きなり、というやつですよね。今の日本では、彼のような行動のできる人はどれくらい居るのでしょうか?例えば、上司の命令が不正であるとわかっ
9月22日が命日・忌日の有名人・著名人1253年(建長5年8月28日)満53歳没(瘍)道元さん曹洞宗の開祖1949年満66歳没(心臓発作)サム・ウッドさん映画監督『打撃王』『誰が為に鐘は鳴る』1949年満31歳没(前置胎盤(子宮外妊娠)?)金正淑さん北朝鮮国家主席金日成夫人1957年72歳没(?)豊田副武さん海軍軍人・第29-30代連合艦隊司令長官、第19代軍令部総長1961年満64歳没(ガン)マリオン・デイヴィスさん女優1981年78歳没(心不全)
坂井三郎さん坂井三郎(さかいさぶろう)渾名:大空のサムライ(著書名より)、空戦の王者1916年8月26日生まれ、2000年9月22日、84歳没。佐賀県佐賀郡西与賀村大字厘外1523番地(現在の佐賀市西与賀町大字厘外)生まれの大日本帝国海軍軍人(海軍中尉)。太平洋戦争におけるエース・パイロット。真国土防衛隊大隊長さんが2011/09/21に公開【軍事】戦史映像エースパイロットの証言坂井三郎氏「零戦を語る」https://youtu.be/z40AiNvqdTk
「永遠の0」をきっかけに、零戦のエース・パイロットだった坂井三郎さんに興味を持つようになりました。坂井さんは、非常に評価の難しい人物ではあるのですが、人を惹きつける魅力に富んだ人物でもあります。こちらの本、3・5センチの厚さですが、一気に読んでしまいました……。その中で、1つ素晴らしい話があります。坂井さんには3人のお子様がいたのですが、上の2人は実子ではなかったそうです。森本徹さん(中佐)が昭和19年に、フィリピン海上で亡くなり、その奥様が幼い子ども2人を抱えた戦争未亡
Instagramで見かけてカッチョイイから思わず保存してしまった❗️アメリカ🇺🇸海兵隊FA18戦闘機パイロット👩✈️captain(大尉)ベンタリーさん映画俳優のようなイケメンだよね👍コレはアメリカ海軍だけど・・・我々世代には懐かしい映画TopGun1986年トム・クルーズ👍もう、35年も前だね❗️戦闘機もまだF14だよ😁この映画もまた新作が上映予定だよね⁉️楽しみだなぁ😄2021年11月19日公開予定今度は教官役らしいトム・クルーズは1962年生まれだから、オ