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十刹とは臨済宗寺院の寺格。五山の次に置かれました。鎌倉時代末の成立のようですが、室町時代には天下十刹が定められ、変遷があった後、足利義満のときの五山制度改革によって、五山は鎌倉五山と京都五山に、十刹は関東十刹と京都十刹に分けられます。鎌倉の寺院で関東十刹に定められたのは、禅興寺(廃寺)・瑞泉寺・東勝寺(廃寺)・万寿寺(廃寺)・大慶寺・興聖寺(廃寺)・善福寺(廃寺)・法泉寺(廃寺)だったようです。禅興寺跡(明月院)瑞泉寺東勝寺跡大慶寺
24-2北山文化(14世紀末~15世紀前半、将軍義満の時代前後)北山文化(きたやまぶんか)は、まず鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく)に注目しておくことが大切になる。鹿苑寺金閣は、寝殿造風(しんでんづくりふう)の建築の上に禅宗様(ぜんしゅうよう)の仏殿(ぶつでん)があり、公家文化(くげぶんか)と中国文化を折衷(せっちゅう)したものになっている。このことからもわかるように、北山文化の時代、武士は文化の担い手へと成長するが、まだ、その独自性を示すにはいたらなかった。➊臨済宗(りん