ブログ記事17件
おはようございます。昨日の京都は雪がちらついたり、寒い1日でした。今日から七十二候が変わります。【桃始笑(ももはじめてさく)】桃の花が咲き始める頃。花が咲くことを「笑う」と表現、「山笑う」は春の季語です。咲き始めた桃の花も、この寒さで縮こんだのではないでしょうか。実際に、桃の花が咲くのは桜の後です。毎年、山梨の笛吹市では甲府盆地がピンク色に染まります。まさしく桃源郷のようです。*****************************************************
おはようございます。今朝、京都市ではシェイクアウト訓練(一斉防災行動訓練)が実施されます。その際、緊急速報メールが京都市内全域を対象に携帯電話及びスマートフォンに一斉配信されますが、隣接している大津市内でも受信する可能性があります。緊急速報メールはマナーモード設定でも着信音が鳴る場合があります。受信した場合は落ち着いてメール文面を確認なさってください。訓練実施日時令和5年3月10日(金曜)午前9時30分(緊急速報メール配信時間は午前9時35分)********************
おはようございます。今日から七十二候が変わります。【桃始笑(ももはじめてさく)】桃の花が咲き始める頃。花が咲くことを「笑う」と表現、「山笑う」は春の季語です。咲き始めた桃の花も、この寒さで縮こんだのではないでしょうか?実際に、桃の花が咲くのは桜の後です。毎年、山梨の笛吹市では甲府盆地がピンク色に染まります。まさしく桃源郷のようです。今日も語呂合わせのような記念日がいっぱいです。○佐渡の日佐渡観光協会が1998(平成10)年に制定。「さ(3)ど(10)」の語呂合せ。○水戸の日
長らく、室町時代の足利義満まで、この日本の歴史をお話してきました。もとをただせば、保元の乱の前からお話してきたのですが、次々にお話していくうちに、足利義満まで来てしまいました。足利義満の代で何とか、大戦乱や大混乱は終息していきますが、それまでのまあ、長いこと。ただ、足利義満という大政治家、巨星が死んだことによって、またまた混乱の芽は出てきて、そして、応仁の乱というところで花が咲いてしまいます。一旦、足利義満の死で、今回のお話は〆みたいなことにして、次回からは足利義満の死後、どうなっていくかのお
福山市鞆の浦の南東約6kmの瀬戸内海の燧灘に浮ぶ走島にトンボロが有ることを知り訪れました。写真①、出発地の鞆の港に停泊中フェリー(19トン)下図は走島の位置と写真撮影場所①~⑬です。JR福山駅から鞆の浦まで南へ13km、鞆から走島へ6km(フェリーで25分)写真②走島港、中央に今乗ってきたフェリーが停泊している。トンボロの場所は島の裏側の唐船地区にあり、これより島の東側の海岸沿いの道を約40分歩きます、写真③は途中の小山と云う場所から唐船漁港を見た
室町時代の最重要人物。それは一休さんに出てくる将軍様足利義満公です。(古い)足利義満といえば金閣と勘合貿易です。昔は勘合符と覚えさせられていましたが今は勘合でオッケーです。平安時代に菅原道真の提言で遣唐使が廃止されて以来公式な日本と中国との国交は途絶えておりました。しかしながら貿易は続いていました。平安時代末期の平清盛も貿易していますがこれはあくまで私貿易であって国と国との正式な貿易ではありませんでした。勘合というものがなぜ出てきたかと
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする歴史エンターティナークリエイターの原一六四(ひろし)です。昨日は、読者の皆様に情報の提供のお願いをさせていただきました。多くの方が読んでくださったみたいで感謝です。早速に、昨日のブログにコメントをしてくださった方もいました。本当に有難く感謝です。本当に有難うございました。昨日のブログを確認したい方はこちらをクリックしてくださいね。『急募!!あなたの情報を提供してください!!』いつもブログを読んでく
*5月31日付記事の続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回はEメールでのやりとりで、テーマは中世の怪物・足利義満。本日は日本国王源道義のおはなしです。あんみつ“先生、応永の乱を鎮圧し守護大名の反抗劇にケリをつけた義満は、極盛期となる晩年10年を謳歌します。そこで手をつけたのは、国際外交の舞台でした。教科書的には中国・明との<勘合貿易>として知られます”ぜんざい“当時、中国の
見事なばかりの歴史概論です。思えば、学生時代の歴史の勉強は、事柄の羅列を訳が分からず丸暗記しなくてはいけないと言う全然面白くないものでした。このような説明を分かり易く、面白くしていれば、もっと歴史が好きな人が増えたのにとは、思えます。そして、400年から700年も前の時代の流れが今の歴史を解いていく手掛かりになるのかとも思えました。早く敗戦利得者の天下が終わる事を願いますね。
おはようございます。【つばめの巣】月曜日担当占い師沙門猫空(しゃもんみょうくう)です🐈️いやー、、、暑いですねぇ(^_^;)動いてもないのに汗ばむ暑さでたまりませんね(´TωT`)外でお仕事されてる方は本当に体調管理気をつけてほしいです(´・∀・`)今日、6月24日は勘合符貿易の始まり。室町幕府の第3代将軍足利義満が最初の遣明使を送った日です。[1401年6月24日(旧暦応永8年5月13日)]【足利義満】1358~1408年室町幕府第3代将軍。南北
経済で読み解く日本史①室町・戦国時代700円Amazon私が大好きな経済評論家で保守論客にして格闘技ジムの経営者でもある上念司氏が先月末に出した文庫本5冊に及ぶ大作の第一弾です。タイトル通り、経済の視点で日本史の解説をしていく趣旨の本で今までもこの趣旨の本を出していたのを室町時代から平成バブルの頃までを五つに分けて加筆したり書き換えたりしているものです。今回、扱う時代は、室町時代の初頭から、信長が戦国史に誕生しだした頃までの間になります。この時代を経済で読み解くカギは、
<さがへの伝言(11)>教育佐賀大学大学院教授・上野景三さん佐賀新聞まず言いたいのは、元号、西暦それぞれでしか表現できないものがあるということ。教育学者のエレン・ケイは「20世紀は児童の世紀」と言った。子どもを労働から...頭も手足もなし…「マイナー生物」コケムシ調べて半世紀朝日新聞頭も手足もなく、動かない動物――。第29回南方熊楠賞に選ばれた北海道大名誉教授の馬渡駿介さん(72)は、水中に暮らす「コケムシ」の分類研究を50年...56年の歴史幕地元音楽家の演奏の場、
-朝鮮出兵(慶長・文禄の役)までの、宗氏と倭寇と堺衆-2021/03/23豊臣秀吉の朝鮮出兵の事情と、それまでの海の事情にも関係してくる、宗(そう)氏と倭寇(わこう)について、まずは紹介しておきたい。宗一族は、古くからの対馬の支配者の、日本の武家氏族である。この宗氏の出身は、かつて九州で広く力をもっていた名族・少弐氏(しょうに)の有力家臣の家系だった。鎌倉時代に主家の少弐氏から、対馬の支配代理を任されるようになったことが、宗氏による対馬の土着支配の由来となる。戦国後期に主家の少弐
<第102代後花園天皇>(将軍)足利義教〔くじ引き将軍〕。1429年尚巴志・琉球統一。勘合貿易・復活。1439年足利学校。永享の乱〔足利持氏〕。1441年嘉吉の乱〔将軍義教VS赤松満祐〕。1457年コシャマインの乱〔アイヌ〕。
<第100代後小松天皇>北朝(皇子)一休宗純〔安国寺〕南朝皇子の可能性大。世阿弥〔風姿花伝〕。足利義満〔日本国王源道義〕。勘合貿易開始。
こんばんは!ひのははです。今日は久しぶりに終日晴れて、気持ちの良いお天気でした。ゴールデンウィークに頑張っていた太陽が、代休を取っていてやっと戻ってきた感じです。ところで、昨晩放送のNHKBSプレミアム「英雄たちの選択」http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-05-17/10/13176/2473137/をご覧になりましたか?この番組は、歴史上に名を残した人物のその後の歴史を左右するような選択について検証する内容の番組です。ところが、昨日は英雄では
元寇と捕虜(genkou01.jpg)(genkou02.jpg)(himiko92.jpg)(himiko22b.gif)デンマンさん。。。今日はどういうわけで遠い昔のお話をするのでござ~♪~ますか?(kato3.gif)卑弥子さんは不満なのですか?不満というほどのことはござ~ませんけれど、そんな昔のお話をしても興味のないネット市民の皆さんが多いと思いますわァ~。。。あれっ。。。卑弥子さんは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのです
人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のことをリーダーと言ってます。<今日のあらすじ>足利義満は南北朝を統一し、ここに室町幕府の最盛期が訪れます。金閣寺が建立され、能文化が花開き、明との国交が開始され、勘合貿易が始まりました。1357年に足利尊氏が亡くなります。その年に産まれた尊氏の孫、足利義満が、1368年、10歳の時、三代目将軍として跡を継ぎました。彼は源氏の始めた場所(鎌倉)での政治をやめ、新たに室町(京都市上京区)にやしきを建ててそ
さて、いまからここから。<今日のあらすじ>洪武帝の治世と三代目、永楽帝の対外政策について。この時同時多発的に世界の各地で、「光り輝く海がわたしを呼んでる〜」な、モアナみたいなのが広がっていました。洪武帝はやり手政治家だった話を書きましたね。ずっとずっと前、黄巾の乱のときはちょうど三国志のときでしたね、ずいぶん遡りますが、そこから隋、唐、と、いかに農民を手なづけるかだったんだよ、って話をしました。均田制というのもそのための大事な制度だった、と、おぼえてますでし
22-2日明貿易1368年、モンゴル人の支配した元が打倒され、漢民族による統一王朝である明(ミン)(初代皇帝朱元璋(しゅげんしょう)=洪武帝(こうぶてい))が成立した。日明貿易(にちみんぼうえき)(勘合貿易(かんごうぼうえき))は、東アジアの伝統的な国際秩序にもとづき、日本が明に朝貢(ちょうこう)するかたちをとって展開された(朝貢貿易)。➊明の外交政策明は、周辺諸国の国王と冊封関係(さくほうかんけい)(中国皇帝が朝貢した周辺諸国の国王に称号などを授与する関係)を結び、それら国
問31標準レベル中世の対外関係について述べた文として正しいものを、次の➊~➍から一つ選べ。➊平清盛は、元との貿易を推進するため、摂津の大輪田泊を修築した。➋弘安の役の経験をふまえ、鎌倉幕府は、九州北部の要地を御家人に防備させる異国警固番役を設けた。➌室町幕府の4代将軍足利義持は、明に臣礼をとることを嫌い、勘合貿易を中止した。➍15世紀初頭、朝鮮(李朝)は九州の博多を倭寇の根拠地とみなし、大軍を率いて攻撃した。*問31の解説解答は、「早慶大受験・正誤判