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大掃除をしていたら、祖父母が大事にしていた箱の中から長野市内の文学同人誌「溯行」内に祖父が投稿したエッセイを見つけました。1970年11月25日におこった三島由紀夫の割腹自殺事件について述べています。三島事件-Wikipediaja.wikipedia.org私が幼少期の祖父の印象は、いつも座って何かを読んでおり、優しいけれども、若干気難しい面がありました。私は15歳時に長野市を離れ、大学卒業の1年ほど前に祖父は82歳で亡くなりましたので、もちろん祖父と文学談義などしたことはありませ
11月25日はの三島由紀夫の命日。長田神社で追悼慰霊祭がおこなわれた。1970年、今から53年前に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(今の防衛省)で憲法改正のため自衛隊に決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件。三島が創った「楯の会」のメンバー4人と共に市ヶ谷駐屯地に入り、益田総監を人質に総監室バルコニーから演説。しかし、自衛隊員からのヤジ、罵声、ヘリの爆音等でほとんど聞き取れず、あきらめた三島は総監室で森田必勝と共に割腹、そして介錯された。それから53年後の現在、憲法改正は進んだだろうか
2023年11月25日今日は何の日か女性に対する暴力廃絶のための国際デー1999(平成11)年12月17日の国連総会で制定。国際デーの一つ。1961(昭和36)年この日、ドミニカ共和国の政治活動家であったミラバル3姉妹が、ドミニカの支配者ラファエル・トルヒジョの命令により惨殺された。ハイビジョンの日郵政省(現在の総務省)とNHKが1987(昭和62)年に制定。ハイビジョンの走査線の数が1125本であることから。この日とは別に、9月16日が通商産
ある文学系のスレッドに「国内文学で最高と思う作品を一つ挙げるとしたら」というようなスレタイがあり、少数派ではあったが三島由紀夫の「憂国」が挙がっていた。私がこれまで通読した三島由紀夫の作品は「金閣寺」をはじめとする代表的な長編をいくつか、短編小説でいうと「ラディゲの死」といったごく狭い範囲ではあるが、独特の端整で流麗な文体にいつも感銘を受けたものである。作品の存在は知っていながら、これまで読む機会がなかったこの「憂国」であるが、読み手の身に迫るような文の一つ一つが、これまで読んだ小説作
約半世紀前に人生半ばで切腹自殺した、天才作家の三島由紀夫さん。場面も自衛隊の市谷駐屯地で、自衛隊員に檄を飛ばした後と言う、その舞台装置も劇的だった。彼は自分の人生を自らの手で、自分が執筆した長編叙事詩そのものに、締めくくったわけだ。この総括の仕方は、ある意味狂気である。この狂気の基本原理として、「陽明学」という指摘がなされた。陽明学は孔子の儒教の一流派で、「知行合一」を旨とする。なお日本における儒教の主流は朱子学で、こちらは形式美と秩序を基本としている。江戸幕府もこちらを奨励していた。
\\メイクしながらスキンケア//山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥夢見た悠々自適ゆうゆうじてきの年金生活は、なぜか幽遊自虐ゆうゆうじぎゃくの年金生活にさま変わり‥だがしか~し転ころんでもただでは起きないのが団塊だんかい育ちのいじましさ!つかんだ節金せつきんテクニックを余すとこなくご披露いたしましょ~ぅさて、昨日の『三島由紀夫が復活する』の続編、いよいよ本作の中身に迫ります!
春眠暁を覚えず。今日は布団が恋しくてたまりませんでした。久しぶりによく寝ました。さて今回の話題ですが,兵庫県の中学生が自殺したとのことですが,その自殺方法が噂では割腹自殺したとのこと。しかもまたいじめが原因らしく,当然のごとく教師も加担していたとか。割腹自殺まで追い込むって鬼畜って言葉すら生ぬるい所業ですね。ずっと言ってますが,教職ってほんととんでもなくホワイトでお貴族様なんです。犯罪しても辞職する必要なく,なんかやらかしても教育委員会という逃げ場があり
「剣」「剣」予告編1964年3月14日公開。雷蔵自身が志願して映画化された作品。三島由紀夫の短編小説を映画化。三隅×雷蔵の「剣三部作」の一つ。キャッチフレーズ:誘惑の風を斬って剣の心に生命を賭けた一学徒の異常な生涯を描く!脚本:舟橋和郎監督:三隅研次出演者:市川雷蔵、長谷川明男、藤由紀子、川津祐介、紺野ユカ、稲葉義男、河野秋武あらすじ:東和大学剣道部主将・国分次郎(市川雷蔵)は、純粋に剣の世界に打ちこんでいた。剣に全生命をか
昔、ある人から、「鶴見神社は御利益があるから、行きなさい」と勧められたことがあった。お参りに行くだけだったら簡単だ。私は何度も、「早く結婚できますように」などと祈りに行った。その後、不思議な成り行きで結婚相手が見つかったあとも、ことあるごとにいろんなことをお願いに行って、それが割とかなってきたような気がする(「宝くじで1億円当たりますように」とかいうレベルではなく)。さて、その鶴見神社、聞くところによると、横浜最古の神社だそう。(詳しくはWikipediaに)これが入り口
(「僕は食って寝てお散歩してご主人様と同居して、それだけで幸せ」とビーグル犬まろさんオス8歳)今日は「憂国忌」の日です。これは何かというと、1970年11月25日に日本文学の作家の三島由紀夫(1925年生まれ、当時45歳)さんが市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部において「盾の会」の仲間4人と一緒に総監を人質にとって自衛隊を巻き込んだクーデターを起こそうとしたけれども失敗したという事件があって、三島さんには「憂国」という作品があったので、それにちなんだ追悼集会。(次回の憂国忌のご案内
三島由紀夫は、昭和45年(1970)11月25日52年前の今日自決した。三島由紀夫に少しばかり夢中になっていた。10歳の頃……嘘です。例えば…「文化防衛論」とか「若きサムライのために」等々の社会批評や文明評論やエッセイでは「人間45歳を過ぎたら、後は惰性だ」とか「武士の時代は言葉と剣は同じ重みがあったが、今は言葉が軽くなってしまった」このようなニュアンスの発言が多かった。理知と暴力が共存していて、若い自分にとっては、多くのファンと同様カッコいい存在だ
三島由紀夫が、1970(昭和45)年11月25日、憲法改正を訴えるため自ら主催する「楯の会」のメンバーと共に、東京・市ヶ谷にある陸上自衛隊東部方面総監部にて総監を人質にとり、自衛隊の決起を呼びかける一種のクーデターを起こしました。本館前に自衛官1,000人を集合させ、約10分間演説を行った直後、自ら割腹し命を絶つ結末に…。この事件は、日本社会に大きな衝撃をもたらしただけではなく、海外でも国際的な名声を持つ作家の起こした行動に驚きの声があがりました。
日航スチュワーデス(attend01b.jpg)(attend08.jpg)(attend04b.jpg)(hawaii91.jpg+cleoani.gif)(sylvie500.jpg)(sylviex.jpg)ケイトーは若い頃日本航空のスチュワーデスをナンパしようと思っていたのォ~?(kato3.gif)どうして僕が日本航空のスチュワーデスをナンパしなければならないのですかァ~。。。だってぇ~、冒頭に日本航空のきれいなスチュワーデスの写真を貼り出しているじゃない
リブログさせていただきました。ありがとうございます。合掌。
太宰治と三島由紀夫境遇が似ているからでしょうか文学が好きだと言う人にはこの「太宰派?三島派?」という質問が向けられたようです太宰治は1909年(明治42年)に生れ1948年(昭和23年)の39才で一方三島は1925年(昭和元年)に生まれ1970年(昭和45年)の45才で亡くなりました2人とも自害です太宰も三島も実家は裕福な名家です2人とも職業作家になり今なお愛される名著を残しています2人の生きている時代が2
今年は作家・三島由紀夫さんの没後50年にあたります。これを機に、新潮文庫の三島由紀夫作品のカバーが一新されました。これまで、新潮文庫の三島由紀夫作品のカバーは、白地にオレンジ色の文字を配したシンプルすぎるデザインと、写真を使ったデザイン、そして絵を使ったタイプが混在していました。没後50年を機に、著者名に金銀箔押しをほどこし、写真を使ったタイプを基本デザインとし、金銀箔も各書名にふさわしい色味と輝きで、華やかでノーブルな装幀に生まれ変わりました。僕は正直言います。デザ
最近は没後50年の三島由紀夫の番組やら雑誌の特集を目にする。本屋に行っても三島、三島だ。下の写真は週刊新潮の記事で、市ヶ谷で割腹自決をする直前の「天皇陛下万歳!」の瞬間と、空手選手権の様子。市ヶ谷の割腹自決した現場はかなり凄惨だったと友人の叔父から聞いたことがある。この方は当時は警視庁にいた方なのだが、「江戸時代じゃあるまいし、刀の使い方なんかよく分かってないから、介錯が下手くそで酷い現場にしてくれた」と言っていた(笑)。清掃員のおじさんか?と思ったが、これは45年前の話しだ。三島由
三島由紀夫没後50年。最後は強烈でした。自らつくった「盾の会」はそのコスチュームから軍事組織のようにみえましたが、実際はなんであったのか。防衛庁に立てこもり持論を演説し、割腹自殺して遂げました、おまけに介錯までさせたのであります。報道が実況しておりましたから鮮烈な印象が残っています。日本人に対して「自立せよ」ということと受け取っています。小さいときから非弱だったことと、男色だったことがトラウマとなり小説にエネルギーを発散していたのでしょう。近年明らかになったのは、恩師川端康成と
本日であの三島由紀夫割腹自殺から50年だそうで彼が憂えた日本はどう変わったかを検証しようという試みが広まっています。ムズカシイ政治の話ではなく結局「こころ」の問題だから大丈夫!当時は大勢の前での「自殺」という衝撃的な行動に誰もが驚いて思考停止してしまう始末でしたが駅前メンタルクリニックもない精神科と言えば山奥の大病院しかない時代自殺するのは特殊な人たちと信仰されていた。今では同じことをかわいい高校生が行っても誰のこころにも残りません
今日は令和2年11月25日。ノーベル賞最有力と言われた、作家の三島由紀夫が、盾の会会員とともに陸上自衛隊東部方面総監部市ヶ谷駐屯地に益田東部方面総監を人質に立てこもり、自衛隊員を前に決起の演説を行った、「三島事件」からちょうど50年が経過しました。時は、昭和45年11月25日。私自身は当時はまだ小さかったので、その記憶はありません。また、私は中道であり、三島の思想とは相容れないものもありますが、三島の描いた美や文学は色あせることなく、今日まで受け継がれています
皆様おはようございます。今日は11月25日(金曜日)水曜日)です。今年も残り36日!今日は作家三島由紀夫が割腹した日。いわゆる三島事件。三島由紀夫は大正14年生まれで日本の戦後の文学界を代表する作家で、ノーベル賞の候補にもなりました。日本のみならず世界でも注目されていた作家で、代表作の「潮騒」は何度も映画化されるなど人気の高い作品です。「金閣寺」も日本文学を代表する傑作で、海外でも評価が高い作品です。その三島由紀夫が晩年は政治的な傾向を強め自衛隊に体験入
今日のNHKスペシャルは、「三島由紀夫・没後50年」。あの衝撃的な日から、もう50年たつのか。1970年11月25日、三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地で割腹自決した。45歳だった。この日が近づくと、毎年、三島由紀夫と言葉を交わした日を思い出す。過去のこのブログにも書いたが、改めてその日のことをアップしたい。場所は、東京・新宿にあった「アートシアター新宿文化劇場」当時学生だった私は、映画好きなこともあって、そこでアルバイトをしていた。ここの支配人・葛井欣士郎さ
『三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実』公式サイトこのドキュメンタリー映画『三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実』は逃さずに見たかった作品です。シネコンでの上映しかも上映回数が多くて、楽にスクリーン鑑賞ができました。三島由紀夫が亡くなった1970年に学生時代を過ごした「団塊の世代」というボリュームゾーン。その周辺の人々の社会への影響力は、いまだに大きい…と“次世代”の私は思います。作品は1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論
今三島由紀夫が生きていたら・・・・・この時代をどう思うのだろう三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実立川キノシネマリクライニングシートがリッチでも居心地良すぎて寝てしまうかも〰️(笑)・・・・・三島はむしろ学生の言葉に聞き入り時には受け入れてもっと対立するかと思ったけどめちゃくちゃ友好的だった教室では三島も学生もタバコを吸いながら熱く語る難解な用語ばかり(笑)三島が用意した新潮社のカメラマン三島の表情や動きを撮る.....彼は本当にナルシストだなぁ三島はこ
さて、話は三島由紀夫にもどりますが、日本の有名作家と言えば、芥川龍之介、夏目漱石、川端康成、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫、大江健三郎。。。ですね。その中でも、太宰治と三島由紀夫には熱烈なファンがいます。ALMAもどちらかと言うと厭世派でしたが、太宰も三島も好きではありません。特に太宰は、破天荒で荒れた生活を送り、愛人と玉川で心中するなどという愚行を仕出かした人物で、こういう方とはお友達にはなりたくありません。三島由紀夫についても市ヶ谷駐屯地で割腹自殺するというセンセ-ショナルな最期を遂
2030年1月9日そろそろ、僕のウチに起きたあの事件の真相を話そうと思う。10年前、あの事件は起きた。正確に言うと僕が起こしたのだ。その当時、新聞にもセンセーショナルに報じられた。「千葉県46歳男性割腹自殺を図る」僕はまだ小学生だったし、ウチは新聞を取っていなかった。でも、近所の祖父母の家にあった新聞にそのように書いてあったのを覚えている。見たくない見出しだった。でも、目の隅に移ったその文字を忘れる事はできない。あの日、父は包丁で割腹自殺を図った。と、新聞には書か
まずはこのツィートを見て。田母神氏のツィートなんだけど、彼の知り合いの人が割腹自殺したそうな。しかも靖国神社の前ってことで、かなりの反響がありそうな話題なのだが、何故かこれ一切ニュースになってないの。どうしてかな?報道機関が、いつものように報道しない自由を行使したってことでいいのかなぁ?ってことは、この事件には一般国民に知られちゃ困るような情報が含まれてるとでもいうのだろうか?ところで、自決された方の動機って、実際のところ何なんだろうか?天皇陛下の靖国神社へ御親