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生きていれば、絶望のどん底に落ちてしまってもだえ苦しむことだってある。あの、破戒僧っていわれる一休宗純だって、自殺を試みたこともある。爺だって、およそ30年前に会社倒産を経験したとき人生詰んだと思った。人生終わった💦その時、今のように、動き回ってる自分の姿はまったく想像できてなかた。おいおいおいおい!って、ツッコミたくなる、ショッキングな出来事は、ふとしたタイミングでぼわっと現れる。と思えば、なんとかなっちゃった的なことも突然現れることもある。たぶんそれは、歩みを止めなかったから、何
昨日の朝は走り出してすぐ新聞配達の自転車の後になりました新聞配達の自転車は頻繁に止まるのであまりスピードを出しません(ヤクルトレディーの自転車は速くてついていけません)しばらく後について走ったのですがこれであっという間に心拍数は150を越えましたペースダウンしましたが一度上がった心拍数はなかなか下がりません(これ以上ペースを下げたらウォーキングじゃん)7kmはあきらめて5kmコースに変更しました(焦らずにいこう)室町時代の臨済宗大徳寺派の高僧一休宗純の名言を頭の
「日本も外国もそのときに至らなければ、短慮で行動して破綻したのはかなり多い。世の中の人はたいてい福徳や果報を得ようと思うと、果報は寝て待てと、または果報は練って待てという二つをよくよく理解して勤めるように。」算右衛門は言った。「実にありがたいお慈悲で、生涯の果報を得て奉ります。ありがとうございます。ですが、一つ疑問があります。一休和尚は世の中に寝たほど楽ななきものをあほのたわけがおきてはたらくとお読みになったのは、今の果報は寝て待て、果報は練って待てとおっしゃるのと
「今日ほめて明日わるく言う人の口、泣くも笑うも嘘の世の中」とんちで有名な一休さん、一休宗純禅師の歌である。私は、以前も、この歌のエッセイを綴り、アメブロに投稿している。その認識はあるけど、再び投稿させていただく。今日、褒められた。でも、次の日は、悪口を言われた。どちらも同じ人である。かつて、私が人事権を持っていると思われていたとき、多くの人が私を引っ張ってほしいと頼んできた。でも、今は異動し、冷や飯を食ってる立場。訪れる人もかなり少ない。さらに
今日褒められた。でも、翌日は悪口を言われた。こういうことは、よくある。「あなたはいい人だね」と褒めていても、都合が悪くなると「そんな人とは知らなかった、だまされていた」と手のひらを反すように悪口を言われる。勝てば官軍負ければ賊軍、ではないが、勝っているときは評価されるが、負けてくると評価されなくなる。それどころか、悪い奴となる。自分に利があるとすれば、「いい人」と言う。自分に利がない人は「悪い人」と言う。自分に利がなくても、利が出るとなれば、手のひらを返し、「いい
愛する人の死を受け入れる(ブッダの言葉)【ブッダの言葉】みずから自己を害い(そこない)ながら、身は痩せて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。(スッタニパーダ585)(出典:「和尚が伝える心が軽くなるブッダの言葉」(著者:大愚元勝(佛心宗大叢山福厳寺31代住職)))大愚和尚からのメッセージ「法事をちゃんと行い、愛する人の死を受け入れていく。」愛する人の死。これは、なかなか受け入れられない。なぜなら、愛す
今日を命日のつもりで生きようみなさん、おはようございます今年度の最終週です早いですね一日一生今日を命日のつもりで生きたいものですアリガトウ「3月25日」の國史です「蓮如、没」明応8年(1498年)鎌倉時代に親鸞が開いた浄土真宗を蓮如(八代法主)は室町時代に教えをわかりやすく説き強大な本願寺教団の基礎を築きました5度の結婚で13男14女の計27人の子供をもうけ各寺に出します子供たちは北陸、近畿、東海の中枢寺院で活躍するのです
「袈裟が有り難く見えるのは、在家の他力本願」一休宗純禅師の言葉である。とんちで有名な一休さんは、常識を覆す破天荒なイメージがあるが、それは、おかしな世の中への怒りと警鐘、世直しの気持ちがあったのかもしれない。さて、この「袈裟が有り難く見えるのは、在家の他力本願」であるが、物事の本質を真正面から指摘し、風刺している。袈裟を着たお坊さんは偉い。外見で判断してしまう。しかし、その考え方は間違っている。どんなお坊さんが本来は偉いのか?私にはわからない。徳を積んだお坊さんなの
今日のことば一休宗純さんの言葉大丈夫。心配するな。なるようになる。(禅僧)
1日遅れの参加になった、Instagramの#ヘンテコ書道部バトン。お題は…「大丈夫心配するななんとかなる」(一休宗純の言葉)ほんまそうやねんなぁ。若い時には全くわからんかったけど。これを書いたあと、片付けようと思ったときにふと思い出して、初めてやってみたのがマーブリングYouTubeのおすすめにあがってきたのを見たことがあったので、ミニカードにやってみた。水にごくごく僅かの墨汁を筆で垂らし、紙をペラッと浮かべる。(私の記憶ではそうやった気がする)そうしたら
人はこの世に一人で生まれ、一人で死んで行く。まさに「独死独来」。人生の孤独がわかっているから、生まれてから、死を迎えるまでの、その瞬間に出会う人に心をこめて、出会わないといけない。一期一会、である。今日あった人と二度と出会うことはないかもしれない。そうした人が多い。日常では、また出会う人ばかり。非日常だと、二度と会うことがない人が多い。日本国には、1億2千万人の人が住んでいる。1日に1人と出会うとすると、1年間で365人。100年
光る君への第一回放送の時の紀行でちらっと映っていた京都の紫野エリア。場所的には平安京部分の北に位置し、平安時代は皇室関連の葬送の場などが有ったと言われます。この紫野エリアのどこかで紫式部は生まれたのではないかと言われています。紫野にある大きな寺院としては臨済宗大徳寺があり、その塔頭寺院の一つ・真珠庵に「(伝)紫式部産湯の井戸」があります。(伝)としているのは大徳寺自体が創建されたのは紫式部の時代よりかなり後なことが大きな理由です。以前に真珠庵を訪れたことが有りますので、少し紹介しておきます。
知り合いと話していた時の話私が一歩を踏み出すことが、変化が怖いと言った時、知り合った人からアドバイスをもらった。その人は一休宗純の名言を私に教えてくれたこの道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ危ぶめば道はなし踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる迷わずに行けよ行けばわかるさその言葉を言われて、その時は分からなかった。今不意に思い出した。これから道を作るのだと。こういうことだったのかと。私はその時に、その人に伝えた。一休さんすごいね!本当、リラックス、リラッ
🅱️📚📘聞こえるか、一護?"誰だ"?何を言ってる私だ⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️だついに虚ホロウ化が始まった一護必死に対抗する一護の内面世界にヤツはいた!彼の名は⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️まだ一護には届かない黒衣の男は「魂に隠された自分自身の死神の力を捜せ」と告げるのだった・・・死神代行篇-63🅱️63Lesson2-3:InnercircleBreakdownレッスン2-3:インナーサークル・ブレイクダウンレッスン2-3:内なる世界の崩壊死神化、虚化
『踏み出せばその一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ』とんちで有名な一休さん、一休宗純禅師の言葉である。最初の一歩は、勇気がいる。歩き始めれば、なんだ、大丈夫じゃないか。そんなことが多い。自信をもって歩むこともあれば、恐る恐る歩き始めることもある。人生は三歩進んで二歩下がる。確実に、一歩進む。一気に進まなくてもいい。慌てる必要はない。明日という日は、どんな日だろうか。私は、地道にこつこつとやることが好きだ。慌てずに
一休さんの言葉。この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一歩が道となる、迷わずゆけよ、ゆけばわかる一休宗純珠玉の名言・格言21選|心を輝かせる名言集(soul-brighten.com)だけじゃない。知らなかった!でも、知った!!そんだけ。愛と感謝をもって。ありがとう!まだ、読みれてない・・・。寝る。ご免。。
一休禅師の墓所、酬恩庵・一休寺金澤成保京田辺に南山城の古寺の一つ、酬恩庵、通称・一休寺がある。JR学研都市線の京田辺駅を、西に1kmほどにある臨済宗大徳寺派の寺院で、住職手ずから作られる「一休寺納豆」でも知られる。トンチ話で有名な一休宗純禅師が、晩年暮らして復興させた寺院で、その墓所も祀られている。本尊は、釈迦如来。自由奔放で戒律を破ることを怖れなかった一休禅師ではあったが、その一方で生涯、悟りの境地を己の方法で求め続けた。一休寺が、静寂で美しく気高い禅苑であるのは、一
よく見るテレビ番組は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようYouTubeかAmazonプライムビデオ地上波は見ませんねマスゴミに汚染されて頭がバカになりそうな気がしますし明後日2月3日が節分で2月4日が立春だかな?今年は暖冬らしいですが寒いのは本当に勘弁!なので、春待草状態いや、ソレはミスミソウトラウマ級の胸糞漫画なので閲覧注意ね!ミスミソウ完全版:2(アクションコミックス)Amazon
2月1日その11268年(文永5年1月17日)モンゴル帝国の使者が通交を求めて来日。誕生日1394年(応永元年1月1日)-一休宗純。禅僧後小松天皇の落胤(らくいん)とされる。私生児であり正当な血統の一族とはみなされないので系図記載されないことが多い1546年(天文15年1月1日)-最上義光(もがみよしあき)戦国大名。忌日1922年-山縣有朋政治家、第3・9代内閣総理大臣テレビ放送記念日。1953年NHKが東京地区で初めてテレビ放送を開始した日。
紅葉にはまだ早い秋の旅は南山城方面へ行くことになりましたが、わたしも軍曹殿も別々に所用があったため前日の夜に水都大阪で落ち合うことに。所用を済ませようと京阪本線(京阪電鉄)と堺筋線(大阪メトロ)の交差する北浜駅で下車、出口を上がると難波橋の袂に出ます。難波橋から土佐堀川とライトアップされた中央公会堂の夜景をしばし眺めました。左手前にカフェがあり、川に面したウッドデッキで綺麗なお姉いさんたちが優雅に寛いでらっしゃいました。浪華八百八橋のひとつ難波橋です。橋の装飾が美しく夜の街に映えますね。
むかし、、、一休宗純が、(そ、そんな話?)孫が生まれたから、何かありがたい言葉を掛け軸に書いてほしい、と、裕福な商家に頼まれて「親死に子死に孫死ぬ」って書いたんだけど、孫が生まれてめでたいのに、なぜ「死」なんて、縁起でもない言葉を書くんだ!と、文句を言われ、生まれたからには死に向かう。親が死んで、子が死んで、孫が死ぬ。順番通りにいけるのが一番、縁起がいい。その逆だったらどうする?と問うた、という、そういうお話がありますが、こういう大きな自然災害が起きると、
1月9日は・・・。【とんちの日】とんちで有名な一休さん(一休宗純)から、「いっ(1)きゅう(9)」の語呂合せ。【一休】(1394-1481)室町時代中期の臨済宗禅僧。名は宗純、号は狂雲子。後小松天皇の落胤といわれる。生涯定住することきわめて少なく、各地を巡って貴賤士庶の別なく布教。晩年の1474年ようやく京都大徳寺住持となり、応仁の乱で荒廃した同寺の再興に尽くした。天性洒脱で奇行逸事に富む。著書に『狂雲集』がある。【とんち】(頓知・頓智)機に応じてはたらく知恵。機知。wit。「トラ
今日1月9日は、1(いち)9(きゅう)の語呂合わせから室町時代の高僧「一休禅師」の功績をたたえて、「とんちの日」としています。皆さんもアニメの「一休さん」でおなじみではないでしょうか。しかし、実際の一休宗純は、そんなかわいいキャラクターではありませんでした。「世の中は食うて糞して寝て起きて、さて、その後は、死ぬるばかりよ」一休宗純(一休さん)この歌はあの〝とんち〟で有名な一休さん(一休禅師)の歌だそうです。世の中は食うて糞して寝て起きて、あとは死ぬだけとは身も蓋も
2024-01-09は何の日【とんちの日!・一休禅師】「智慧の気づき力」【今日の運勢!今日は何の日?智慧の気づき力】・毎日配信中!【第二の人生・仕事の大学】・土曜・日曜朝6:00~6:30無料オンライン坐禅会開催中!↓↓↓https://3jj1.childstar-sp.net/【Lステップ正規代理店】・智慧の経営とLステップでLINEビジネス構築!日本の霊性思想の...youtu.be2024-01-09は何の日【とんちの日!・一休禅師】「智慧の気づき力」【
昨日は、私の実家に行ってきました。息子が受験生なので入試が終わってから3月に行くつもりでいたのですが、実は昨年、父の体調があまり良くなかったりして一時期入院していたのですが、今は退院しているもののまた今月手術の為に入院する予定で、82歳という年齢を考えると会えるうちに会っておかないと…という気もしました。それに息子は自宅で1人で勉強したいみたいでしたので、夫と2人で行ってきました。一時期父は全然熱が下がらず高熱が続いていて、もしかしたら危ないかも…と母から連絡があったのですが、想
毎年、新年を迎えるといつも「目出度さもちう位也おらが春」という小林一茶の句を思いだします。また「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という一休宗純作と伝えられる狂歌も思いだします。楽しい嬉しいお正月に、いつから一抹の寂しさを感じるようになったのか、定かな記憶はありません。考えれば、時間そのものには悲しみも喜びもなく、その生きように悲しみという色、喜びという色を付けているに過ぎないように思います。入蔵の父は自分の誕生パーティーの日に母を亡くし、入蔵は結婚記念
6年前の元日、一休宗純のこんな狂歌を紹介した。「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」数えでひとつ歳をとる正月は、その分、死に近づくことでもある、というわけで、竿の先にしゃれこうべを掲げながら、京の街を歩いたともいう。それとは別に、正月を含めた年末年始は、痩せ姫にとって、節目になりやすい。ふだんとは食事の仕方が変わることにより、たとえば、制限型の人が食べすぎてしまい、そこから、過食、あるいは排出型に転じたり、ということが起きがちだ。数日
元日のランチは…シェラカップで作ったお汁粉1月1日の16時10分までストレスフリーな休日を過ごしていたが…能登地方にお住まいの方々は生命を最優先に行動していただきたく思う正月で交通量の少ない街中車の運転が知らないうちに注意力散漫になっていたかもしれない車は便利な反面、生命を奪い得る凶器になるということを、この地震があらたて思い起こさせてくれた『正月は死出の旅路の一里塚めでたくもありめでたくもなし』一休宗純の一首まだ休みは続くが正月気分半分で過ごそう
「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」。とんちでお馴染みの一休さん、一休宗純禅師の歌である。毛利純一郎と申します。あけましておめでとうございます。今年も私の『毛利純一郎百匹目の猿』のブログに、毎朝8時に、禅語のエッセイ1篇正午に、自由気ままなエッセイ1篇夕方の18時に、140字小説1篇夜の21時に、300文字小説1篇毎日4篇ずつ投稿していきます。その他、随時、自由気ままなエッセイを投稿していきます。私のブログを訪問いただけ
昭仁親王、後の第115代桜町天皇は、正月元旦に生まれました。元旦生まれの天皇は、神武天皇と垂仁天皇のみ、また聖徳太子も元旦生まれだったので宮中では格別大喜びだったそうです。桜町天皇が即位されたのは江戸時代、徳川吉宗が将軍の時でした。長い間中断していた大嘗祭が復活したのは、桜町天皇の時でした。和歌を好まれ、『桜町院御集』を残されています。聖徳太子は第31代用明天皇の皇子で、第33代推古天皇の時代に皇太子で摂政としても活躍されました。「冠位十二階」や「十七条憲法」の制定で知られています。