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PeñaParra:nãonosresignemosaummundodivididoOsubstitutodaSecretariadeEstado,queestáem#ChipreparaainauguraçãodaNunciaturaApostólica,celebrouumaMissanodomingonaIgrejadaSantaCruzemNicósia@TerzaLoggiaによるポルトガル語からの
ここからの続きです。『キプロス年末小旅行(1)北キプロスに行ってみた』ここ2週間、気温こそ比較的高いものの、毎日曇りか雨のドイツを脱出してキプロスに2泊だけ来ています。チューリヒ経由、一泊空港そばに取って、翌朝便でラルナカ空港に…ameblo.jpGoogleマップが近いチェックポイントを表示しなかったので町外れ(城壁の西端)から行き来することになってしまいましたが、そこからだと考古博物館が近く、18時までやっていたので立ち寄ってみました。この日だけかも知れませんが入館無料。
北キプロスへこの日の朝、ちょっとした事件が起こりました。この日は午後にラルナカに行き、ラルナカで一泊する予定で、それまではのんびりニコシアで過ごす予定でした。正直そこまで朝早く起きてもあんまり見るものがないので、チェックアウトギリギリまで寝ましょうということになりました。8:30頃、眠りが浅くなり始めていて、でもまだ寝よう…となっているくらいに、何やらガチャッ!と音がなり目が覚めました。音が鳴った方を見ると、外から人が入ってきたところでした。私は目が悪く、コンタクトをいれないと何も見えな
ニコシア前回、なんとかニコシアまでたどり着いたところまで書きました。ニコシアに着けたのはいいものの、ニコシアは、空港便の発着するバスターミナルと街の中心地の旧市街近くのバスターミナルが別のようで、ホテルのある旧市街からは離れたところに着いたのです。分かりづらいですが左上が旧市街入り口近くのバスターミナルで、右下が私たちがついた空港と行き来しているバスターミナルです事前に調べて分かってはいたのですが、バスのダイヤがいまいちわからなくて不安なので、タクシーに乗ろうかとかどうしようか悩みました
キプロス共和国へ今日はアテネを経由し、キプロスに向かいます!キプロスはギリシャとくっつけて旅行するのが一番行きやすそうだったので、今回旅程に組み込みました!飛行機に2回乗るので、この日は早起きでの行動でした。6:00に起床し、朝食はホテルではなく空港で食べることにして、7:00にロドス国際空港行きのバスに乗車しました。途中あるチェーン店のカフェでパンを購入しました。すっかりお気に入りになったカフェGregory's種類が豊富ですごいです😍うっかりバスに乗り遅れそうになりながら慌てて
DAY83キプロス2つのニコシアトルコ側の北キプロスとギリシャ側のキプロスの両方を観光する。とりわけ面白いものは見つからなかった。残念。イクラが高いワインはそこまで高くないウナギの燻製だ昼から北キプロスのギルネという街にバスで行く。カジノはあるが思っていた感じと違っていたので切り上げて帰ることにする。ところが、ニコシアに帰るバスがいくら探しても無い。実はトルコ語の呼び名はレコフシャと呼ばれていたのだった。危うく帰り損ねるとこだった。
SeaCaves行った翌日キプロス③この日の朝食もフルーツから。そしてゼクトも少し。この日はこの地図の中心部よりちょっと上の辺りにあるニコシア(レフコシア)へ行きました。キプロスってご存知かと思いますが↓のように茶色の部分はトルコの領地になっております。トルコ以外の国からは国家承認を得ていないところです。20年以上前に来た時はこの辺りには国連の平和維持軍の兵隊を見かけました。ただ、当時からワタシ達外国人はビザ申請をその場ですればトルコ領にあたる北キプ
ニコシアのバスステーション都市間バスの時刻表仕掛けがわかればキプロス共和国側のインターシティバスも使える。と、思ってリマソル(レメソス)に出かけた。曇り空で景色がいまひとつ。左手にスタブロブニ修道院の山があって、ラルナカからリマソル行きの高速道路に入って、ヒロキティアの先、右手にカラバソス·テンタの遺跡(円型住居跡)を覆う白い構造物が見えた。リマソルの街の手前から海岸沿いのリゾート地帯を走るルートで、客がそれぞれ降りて行く。バスステーションがあるだろうと乗り続けると、最後は2人だけになっ
グリーンラインの実態はわかったので、夕方ニコシア(レフコシャ)旧市街の北側に出かけた。夕暮れのブユックハン(大きな隊商宿)、オスマン帝国がキプロスを奪って直ぐの1572年に建てた。中庭その先にもうひとつクマルチュラル隊商宿(英文だと元司教館と表示)。その先にセリミエ・モスク(1325年献堂のゴシック様式聖ソフィア大聖堂)が在るがフェンスで覆われて修復中。それでも2本のミナレットから日没のアザーンが流れてきた。セリミエ・モスクの隣に今どき風のレストランが在った。グーグルマップではスペイン
言わずと知れた世界トップのチューニングメーカー私の経験とかやって来た事を書いて、これから販売する特許部品の宣伝も兼ねようと思って、ブログを始めました。面倒なTwitter、インスタ、YouTubeを始めたのもそのためです。まだ、準備が整っていないので、明らかにしていませんが、近いうちに一斉にスタートします。先日、その部品を自転車に付けて、何も知らない女性に走ってもらい”使用前/使用後”のビデオを撮りました。簡単な部品を付けただけなのに、あまりの変化にその女性は、思わず「何でだろう??」と何
世界幸福度ランキング2020今、世界人口の(55.3%)は都市部に住んでいます日本は何位?"79位"これは世界の186カ国中の結果です。世界の国は日本を含めて196か国あります。日本の順位より一つ下は80位のキプロス共和国です。キプロス共和国基礎データ面積9,251平方キロメートル世界面積ランキングは164位です。人口約119万人世界人口ランキングは159位です。首都ニコシア世界幸福度ランキングTOP3の国々の人口は約5,000,000人です。日本の全
さて、久しぶりに旅の思い出を書きたいと思います。現在のコロナ下で、事実上海外旅行は不可能です。気分だけでも楽しんで下さい。また、旅の思い出(年表)もご参考にどうぞ。。。2012年9月、キプロス&マルタ島の旅行記です。その年の2月にフィンランドへ行ったので、今度は温かいところへ行きたいなあ。。。という単純な理由と、キプロス・マルタ島という地中海沿岸の島国に興味があったからです。今回もドバイ経由の旅になります。東京発のツア-と合流のため、添乗員さんとはドバイで集合、解散となります。無事、
イスタンブルにある、有名な🕌アヤソフィアは、元々キリスト教の教会だったものを⛪⇛1453年に🤴メフメト二世がイスタンブルを陥落し、500年近く☪️モスクとして使われ⇛🕌そして🇹🇷トルコ共和国になってから、1934年に🏛️博物館となりましたが先月、86年ぶりに🕌モスクに戻った事はニュースにもなり、ご存知の方も多いと思います。🌊地中海に浮かぶ🏝キプロス島にも、同じく、元々⛪キリスト教会だった聖堂が、オスマン帝国によって🕌モスクに変えられた建物があります。今回は🚩北キプロストルコ共和国
キプロス島の記事をコピーしています。北ニコシアの散策2016年11月9日(水)Arabahmet地区を歩きます。高級住宅街の細い道を歩いています。左側の緑の窓のある家はEavedHouseだったと思います。階下はルジニアン・キプロス王家時代で階上はオスマントルコ様式?のようです。フランス~キプロス・トルコ共和国文化協会の表示があります。ここの地区の修復などをしているようです。ニコシア市のヴェネチア城壁に囲まれた地図左の方
北ニコシアの建造物キプロス島の記事をコピーしています。コピー記事も時間帯がまちまちになってしまいましたが懐かしい写真がアップされていますので何時かまた再訪したいと思ったりキプロス島の南北問題が気がかりでアップしています!2016年11月9日(水)「Bedesten」という建物の後ろにセリミア・モスク(元聖ソフィア大聖堂)のミナレが見えています。6世紀のビザンチン時代には正教の聖ニコラ教会でした。14世紀にはカトリック教会になってい
聖ヨハネ大聖堂ニコシア、キプロスAgiosIoannisCathedral(CathedralofSt.John),Nicosia,Cyprus#agiosioanniscathedral#nicosia#cyprusビザンチン博物館ByzantineMuseumandArtGalleries#byzantinemuseum#nicosia#cyprusキプロスの北と南を分断するグリーンラインTheGreenLine,Nicosia#the
ニコシア郊外へキプロス島の記事をコピーしています。2016年11月9日(水)南ニコシア散策を終えて集合場所に戻りました。スイス人は時間に正確です。今朝通ったキレニア門に戻ります。キレニア門の前には現代トルコ独立の父アタ・チュウク(ムスタファ・ケパル)の銅像が建っています。これからバスに乗って次の場所にむかいます。車窓風景25分ぐらい走って着いた所は真新しい建物内部は撮影禁止の宝飾店です
南ニコシア散策キプロス島の記事をコピーしています。2016年11月9日(水)1時間の自由時間でキプロス共和国の首都の散策です。お土産屋さんです。殆どのお店は閉まっています。耳の怪我をしている白猫がいました。前後の道を挟んだ横道にお洒落なコーヒー・ハウスを見つけました。ローザンヌのFさんとここでコーヒー・ブレイクをしました!観葉植物が飾ってあったり、、、テーブルや椅子もいろいろあって素敵な空間です。
チェック・ポイントまでキプロス島の記事をコピーしています。2016年11月9日(水)ニコシア観光を続けています。前方にミナレが見えています。ニコシア城壁市の地図がありますが何処を歩いているのか良くわかりません!オレンジの線が散策路ですね!赤い矢印の所がチェック・ポイントのようです。グループの人達の後をついて行きます。ガイドのエミンさんが「この場所に1時間後に集合です!」って9時でしたので10時まで自
ニコシア観光キプロス島の記事をコピーしています。2016年11月9日(水)7時に朝食今日はニコシア観光に出かけます。ガイドのエミンさんの朝の第一声は「アメリカの大統領には、トランプが当選しましたよ」でした。全員「ええっ!まさか」の驚きの声を上げました!私もクリントンさんが当選すると思っていましたのでビックリしました。_______________山の上に国旗が見えました。左はトルコ国旗で中央に兵士のモニュメント右
監督MariosPiperides2004年にEU加盟を果たしたキプロス共和国と、独立を宣言したもののトルコ以外の国に承認されていない北キプロス・トルコ共和国が隣り合わせに存在するキプロス島の首都ニコシアは世界唯一の分断首都。お金もなく、恋人にも出て行かれたミュージシャン、ヤニスは3日後に国外脱出を計画しているが、愛犬ジミが突然逃げだし、北側に迷い込んでしまう。困ったヤニスは、ジミを連れて帰るために北側に向かう。イアンニス彼の計画は、彼の最愛の犬ジミと一緒にキプロスを一度に去ることです。
「人が行かないところへ行く」のをスローガンに掲げる私は、イスタンブールまで来たからには北キプロスには行かねばならぬ。ただし短期の旅行だから早朝発深夜着の日帰りでニコシアに絞る。行きはサビハ・ギョクチェン→エルジャンをトルコ航空で予約。早朝でぼんやりしていたか間違えてチェックイン後に国内線の荷物検査の列に並び係員に指摘されて国際線に並び直したが、北キプロス自体実質的にトルコの一部みたいなものだから間違えるのも仕方ない。待っていたのは子会社のアナドルジェットで、機内誌を見たら運航はほとんど国内線で
ここは、地中海に浮かぶキプロス島、北側を占めている北キプロストルコ共和国(国連加盟193ヵ国のうち192ヵ国が非承認)の北ニコシア昨日ご紹介しましたアルメニア教会(→歴史に翻弄されたアルメニア教会)を後にしました!ここで、ちょっとしたアルメニア・ネタですあるとき、アルメニア料理ってどんな感じなのだろう?と思っているところで見つけた、アルメニア料理店・・・お腹は空いていなかったのですが、ラフマクンというものを人々が買っていく様子を見て、食べたくなりました画像お借り
今日は、旅ネタです地中海に浮かぶキプロス島、北側を占めている北キプロストルコ共和国(国連加盟193ヵ国のうち192ヵ国が非承認)の北ニコシアより2月22日猫の日を素通りできず、「アラバメット地区の散策」記事を中断し、猫記事になってしまいましたが・・・アラバメット地区に戻ります!!(ちなみに、前回のアラバネット地区のお話はこちらです→アラバメット地区を歩く!)アラバメット地区は、キプロス紛争(1955年‐)が始まるまではアルメニア人が多く住むエリアでした。
今日は、旅ネタです地中海に浮かぶキプロス島、北側を占めている北キプロストルコ共和国(国連加盟193ヵ国のうち192ヵ国が非承認)の北ニコシアより南ニコシアに限りなく近い、アラバメット地区を歩いてみましょう細い道の両脇に家が建ち並んでいます。オスマン帝国時代の家々です。小さなバルコニーがついている家が多いですが、これはオスマン建築の特徴とは異なるそうです。アルメニアからの移住者が暮らしていた地区なので、建築スタイルが融合したのかもしれません。バル
そろそろ旅ネタに戻りますここは地中海に浮かぶキプロス島、北側を占めている北キプロストルコ共和国(国連加盟193ヵ国のうち192ヵ国が非承認)の北ニコシアより支配者(国)が変わるたびに、変貌を遂げてきた建物が多いキプロスですが、元々は小さなチャペルだった聖二コラス教会がオスマン帝国時代に屋内マーケットベデスタンとして改装され、その屋内マーケットを教会に戻したかったイギリスが、ベデスタン(屋内マーケット)としての機能を外へ移した先がこのマーケットです(関連記事ベデスタンって
ここは、地中海に浮かぶ島、キプロスの北キプロス・トルコ共和国(以下北キプロス)、北ニコシアです。聖堂からモスクへと変貌を遂げたセミリエ・ジャーミーのすぐ隣にある、ベデスタンは、オスマン帝国によって教会から市場兼食糧貯蔵庫へと変貌を遂げました。美しい教会や聖堂を次から次へと合理的に変えていく、オスマン帝国に怒りさえ覚える私ですが・・・2万人もの先住民を虐殺していますしね現代を生きる、トルコ系キプロス人に罪があるわけではありません。で、今日は、ここTheBedest
ここは、地中海に浮かぶ島、キプロスの北キプロス・トルコ共和国(以下北キプロス)、北ニコシアです。聖ソフィア大聖堂からモスクへと変貌を遂げたセミリエ・ジャーミーをご紹介しました(→聖堂からモスクへ)が、そのすぐ隣にある、ベデスタンも、元々は教会でした。キプロスが東ローマ帝国(ビザンティン帝国)に支配されていた時代(330~1191)の6世紀頃、に小さな教会(チャペル)として建てられたのが始まりのようです。・・・ということは、セミリエ・ジャーミー(旧聖ソフィア大聖堂)より