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aloha!emu*tです先日、パートナーとの関係を良好に保つには、コミュニケーションが大切、とお伝えしました『離婚原因の原因*』aloha!emu*tですさて先日は離婚原因のトップは性格の不一致だとお伝えしました『離婚がよぎったとき*』aloha!emu*tです突然ですが、どのくらいの…ameblo.jp今日は、そのコミュニケーションのひとつ気持ちの伝え方についてパートナーに言いたいこと望むことは人それぞれたくさんあると思いますどのように伝えると良いでしょう??想像し
ナツです、おはおうございます涼しいですね!私は晴れた夏が好きですが暑い日が続くと今日みたいな曇天もなんだか落ち着きます♡職場の人間関係、いろいろありますよね。自分もそうだし、みんなそれぞれ違う考えを持っているから。違うことはいいこと^^だからこそ自分が意見を言うときは相手に気持ち良く受け取って貰えたら嬉しいし自分も素直に気持ちよく発言できるのが理想ですよね例えば、ズバッと発言した後少し味悪くなるAさん言えなくてもやもやするBさんがいたとします。
「まなざし」の感想と質問をいただいたので、続けて。そもそも「一語一解」とは限らないというのが、大前提でございます。「一語多解」ひとつの言葉(ものごと)に対して、いろんな捉え方がある。ものごとに対する評価をするときにね、「加点式」「減点式」ってありますよね。それが、ひとであったり、作品であったり、態度であったり、言葉であったり、する。いいとこをみつけるのが
コトバに大事なこと。「まなざし」。(捉え方、解釈、ものさし、視点、そんな意味合いとして使っています)ジブンも含めて、ひとはそれぞれいろいろな見方で、ものごとをとらえるもの。そして、ひとはそれぞれ、いろいろな背景があっていろいろな理由があってそのコトバを発しているもの、でもあります。いろいろなところで燃えているコトバたちをどんな立場で、どんな角度からそのコトバが発せられている
コトバを外側に表してみる意味。それはコミュニケーションや自己整理みたいなことが、たぶん、主だけれど、僕が思うもっと大事なことのひとつにジブンのコトバを愛でてもらうこと。っていうのがあるんです。コトバは我が子のようなもの。そのコトバをジブンと、そしてそのコトバに出会ってくれただれかが愛でてくれること。それはただのコトバなのになぜだかふしぎとジブ
きもちをよく、コトバを伝える、お手伝いをお仕事にさせてもらっているのですが、気持ちを伝えるのがむずかしいと感じるとき戦っているのはジブンです。相手を見ているようで相手を気にしてるようできっと、ジブンのことをいっぱい、いじめてるのかも。あるいは、責められてるのかも。ジブンの中に厳しい先生とか先輩とか、そういう感じのまなざしがあって、そのまなざしによって、いろいろな、「言わないほうがいい」
「好きな色は何色?」そんなことを5歳のムスメに聞いたとき、「いちばん好きなのはねえ、ピンク」と答えました。「あとねえ、赤もいちばん好き、オレンジもいちばん好き、グレーもいちばん好き」と続きました。「一番」というと、”他と比べてもっとも”っていう意味あいとして、僕たちは自然にうけとります。だから、「あなたがいちばん好き」っていわれたらそれはとてもうれしいけれど。「●●さんが一番好き」と
むずかしい問題とか未経験の出来事とかなんといっていいか、わからないときもあるもの。なにかコトバにしよう、なにかを伝えようと思っても、あれもこれもなんだかちがうような気がしたり相手を煩わせるようなものになったり、っていう風に想像して、伝えたいけど、コトバにならない。力になりたいけど、コトバにできない。その人が大切な人であればあるほど、コトバにできないジブンのことがもどかしくて、なさけなくさえ、感じたり
「あの人すごいね」「●●さんのコトバよかった」「●●さんが●●してくれて助かった」「●●さんの●●なとこが好き」みたいなコトバが、舞い込んでくることがあります。その人のいないところでその人のいいことを噂する。「陰口」ならぬ「おかげぐち」と呼んでるコトバたちです。口コミだとか、シェアとかリブログとかもきっと、そういう「おかげぐち」の一種なのですが、そういう「おかげぐち」に直面した
好きだよとあっさり伝えたいのに好きだよが迫ってくると怖くなる。照れくさくもなるし、面倒くさくもなるし、あほくさくさえなっちゃう。いまさら言えない、そんな好きという言葉。好きだから言えない、そんな好きという想い。あたりまえのように伝えてくれたような好きも勇気をだして伝えてくれたような好きもそれが特別っぽくてもあるいはいつも通りだとしても、新しい好き、が生まれた証です。──────────
「コトバドリップ」という、オリジナルのワークがあります。何をするかといいますと、たった1つのコトバについて、いろんな角度からの質問を投げかけ、さまざまな角度からそのコトバを見直していく、というものです。どんなコトバだったとしても、掘り下げていくことによって、「金脈」ならぬ「愛脈」みたいなものがあって、そこにたどり着いたときに、ひとからのコトバに隠れていた想いや、自分がそのコトバを好きな(嫌いな)ことによる、自分やま
コトバの無力さを感じることもあればコトバの破壊力を思い知ることもある。大きな出来事がおこったときにあまりにもいつもとちがう状態におちいったときコトバも同じようにいつもどおり、いままでどおりとは少しちがうものになるもの。いっしょうけんめい尽くしても役立たないと感じることもあれば、思いもよらないコトバで大切な人を傷つけてしまうということだってふだん以上におこりやすいもの。なにがいいたいかといいますとコトバよりも大事なのはやっぱりあなたの存在だと。コトバを発し
「いい方はいい方がいい」って、言われる側になったとき、そう思ってるものです、きっと。「わかっちゃいるけど、そんないい方しなくてもいいのに」という感じで、傷ついたり、寂しくなったり、腹がたったり、虚しくなったりする。それはきっと、服装にちかいもので、言装とでもいいましょうか。なにも、高級ファッションに身を包んだり、最先端の尖ったものじゃなくても、相手に対するおもいやりみたいなものがきっと
朝のテレビをみていると俳優さんにこんな質問をしていました。もしも会えるなら12年前のジブンか12年後のジブンか、どちらがいいですか?そして、何をしますか?(みたいな感じです)そして出てきた答えが、「12年前のジブンに会いにいって玄関に手紙を残します」というものでした。いまでは売れっ子の俳優さんですが、12年前は今ほど有名ではなく、迷ったり、悩んだりしていたそうです。どんな手紙を書いたと思います
あのとき「このことに関してはこういおう」「こういうときはこういおう」「こういう言葉遣いをしよう」って、決めて使えてたはずなのにちょっと時間がたってしまったり、環境がかわって応用できなかったり、忘れてしまったりして元に戻ることを「ばかる」と呼ぶことにしました。語源は「慮る」からです。この読み方を「おもんばかる」だとずっと思っていたのですが、「おもんぱかる」だったことをしったのです。
「○○○さん」「○○○ちゃん」って、だれかの、名前を呼んでみる。ただ、呼んだだけ。それだけだとさみしがるひともいる。なんの意味があるの?と問うひともいる。コトバって、うけとり手によって自由に変換されたり価値が変動するものです。名前を呼ぶだけで、喜んでくれる人がいる。名前を呼んだだけのことから、どれだけの気遣いがあって、どれだけの喜びがあっ
コトバは約束。うじうじしてるとき、どうしようか迷ってるとき、やりたいけど留まっているとき、無責任なくらいでいいから、コトバに出してみる。「これする」「あれしたい」「ああなりたい」「そうしたい」って。そうしたら、「ああこれがしたいんだ」「ああそうなりたいんだ」ってそのコトバをジブンも周りもみることでそちらの方へ、向かっていく。そうしたら、向かい風と思って
だれかのコトバに「ぞ」っとすることがある。かとおもえば、「は」っとすることもある。それでいて「お」っと思うこともある。さらには「ほ」っとなでおろすこともある。だけれど「え」っと思うこともあるしついでに「で」っとききたくなりもするし、「あ」っと言わせられることや「か」っと腹たつこともあるし「け」っと妬むこともあるし「や」っと伝わってよかったと思うし、「ど」っと疲れることもある。とはいえめざすの
「トランプしよう」夕食後にほぼ毎日、ムスメに誘われます。遊べるゲームは「ババ抜き(ジジぬき)」「七並べ」「ドーナツ」「神経衰弱(メモリーカード)」など。子どもだと侮るかれ、覚えてコツを掴むと、オトナはあっという間に、負けることも少なくありません。ということで、こちらも本気で取り組んで、パパが勝つことが多いのですが、そのたびにムスメは「もういっちょ」と、何度もお願いしてきます。それ
「バレンタインデーに、手紙を書こう」というコンテストに出会いました。コピーライターを始めたころ、コピーはラブレターだと教わりました。コピーを書くことはほとんどなくなりましたが、コピーでなくても、伝える相手がいるコトバのほとんどは、ラブレターです。若くなくても、恋人じゃなくても、ラブレターって書けるのですね。というより、無意識のうちに、ラブレターを書いてるのですよね。いろんなラブレターがあって、世界中に向
好きには2種類あるのです。ひとつは、「あたらしい好き」もうひとつは「まえからずっと好き」あたらしい好き、それってとても新鮮でドキドキするし、言いたいきもちもやまやま。相手にもまだその「すき」が伝わってないから、そのコトバをその新しい好きを伝えることには、とりわけ大きな意味がある。それに、勇気も必要です。もうひとつの「まえからずっと好き」。もうすでに好きって気
「あげるって、たのしい。」バレンタインにあわせた、ゴディバの広告コピーです。新聞広告の「義理チョコはやめよう」も話題になっていますね。このバレンタインって、チョコに想いを込めて、贈るイベントなわけですけれど、チョコをコトバに置き換えると、ふだん僕たちが日常的に想いを「あげる」「もらう」ということと似ていますね。「あげるって、たのしい」を、「”コトバ”をあげるって、たのしい」に置き換
踏み出そうとするとき、コトバは前からも後ろからも応援してくれたりするものです。コトバの風向きは、引っ張るのか、押さえるのか、どちらかになるもの。そのコトバを、背中におけば後押しになる。そのコトバを、目の前におけば引っ張ってもらえる。戻りたくない方におけば、逆に引き戻されるし、行きたいほうにおけば、封じ込められもする。そのコトバを自分に対するどこに向かって置いてお
だれかを応援するときその声援のコトバは、いろいろ選べるのがいい。無理をしたいときもあれば無理をしなくていいときとか。がんばるときやがんばらないとき自分にきびしいときや自分にやさしいとき他人にきびしいときや他人にやさしいとき。そういうときどきにあらわれていく言葉。それってもしかしたら人によって異なるように見えて優柔不断と思えたり八方美人に感じたりして他人からいろいろ言われたり自分で自
1年の終わりに対して、今年1年はどんな感じだったか、とかこの1年よくがんばったなあ、とか、なんだか、労うような機会って、いっぱいあると思うんです。それに比べると、1ヶ月、1ヶ月の、自分のがんばりだとかあるいは幸せだったこと、よかったこと、などなどって、2月になって、節分になって、バレンタインで、やれ3月で、という感じでどんどん進んで。そんな風に時間がない、忙しく充実したあなただからこそ、いったん、1月の
コピーライターやって、作家になって、コトトレもはじめて、コトバを生業にして、かれこれ17年。クライアントさんの代わりに書いてた、コピーライター時代。ジブンの想いを好きなように、詩にしたり、エッセイにしたり、フレーズを書いたりする今。そして、ジブンではない、他人(受講者さん)たちに、コトバで表現してもらうコトトレ。表現にかぎらず、受容することも含めてですが、ジブンなりに書いてきて、そして、ゼロから
つい先日、10年ぶりくらいに、1通のメールがとどきました。その方は、いろいろあったけれど、いま、結婚して、大切な人と一緒に、毎日しあわせに過ごしているそうで。「わたしなんて愛されるはずがない」って言ってたのがまるで、つくり話のように思えるほど、コトバの温度とか向きが変わっていました。「愛されてる」というのを実感して満たされているような「愛されてる」かどうかを確かめなくてもどちらでもだいじょ
「コトバは答えでなく、ヒントである」っていうのが、僕の考え方です。目の前にあらわれたコトバが、「すべて」であるように思えたり、うけとってしまうことがあります。でも、コトバは万能でも完璧でもなくて、コトバの主の伝えたいことや感じてることの氷山の一角くらいにしか伝えきれない、ということがあるように思います。伝える側にたったとき、相手の反応の薄さや弱さ、それに、誤解されたことに、がっかり悲しくなることもあ
おごりのようであり、過信のようでもある、だれかに伝える「こうしてみたら?」。助けるつもりで厚かましくなったりそもそも必要なの?と自問自答したりもする。自分みたいなものがそんなエラそうなこといっていいものかしらと我に返ってひるみもする。いっておいていわなきゃよかったと悔いることもあるしいえばよかったと悔いることもある。コトバに過敏だからこそそれを差し出すことにはそれ
「なにをいっていいかわからないけどなにか応援したい。」「相手に対して好意をいだいてるのを伝えたいけどコトバがなかなか出てこない」「やさしいコトバで伝えたいけど急にやさしくなんてなれない」「はずかしいから、あれこれいえない」っていうような、ほんとうは思いやりがあって、まわりを大切にしているけれど、それをあからさまに表現するのがあんまり得意じゃないという、あなたみたいなひとが、困ったときにつかえる、