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仕事中の転落事故で、外傷性くも膜下出血と診断された彼の入院記録。⚫︎2018年11月25日日曜日受傷から2日経過病院の面会時間は午後1時〜午後8時まで。一緒にいれる範囲でお世話をする毎日の始まり…目は覚ましているものの、とにかく暴れる。どこか痛いのか?気持ちが悪いのか?痰が出て苦しいのか?全部だと思うけど。起き上がろうとするから人工呼吸器が外れない様に看護婦さんも私も力尽くで抑え込む。右に比べて左半身の力が少し弱いが酷く暴れるから強めの眠れる薬を点滴
3歳の誕生日に起きたしゃにーの皮膚トラブルは、抗生剤投与とリンデロン塗布、滅菌ガーゼで肌を休める処置で、一晩で嘘のように良くなりました。そして、夫婦喧嘩から和解したしゃにー家も落ち着きを取り戻し、しゃにーがお家で過ごす初めてのクリスマスを穏やかに迎えるはずでした……しかし、またもや波乱が起きてしまったのですそれはクリスマス三連休前の金曜の夜でした。自宅でのんびりと寛ぎ、そろそろ寝ようかというときに、突然しゃにーが痙攣発作を起こしたのです。最後に痙攣発作が起きたのは今年の1月22日その
依然、ICUだけどお部屋を移動していた。少し検査結果が良くなくて、また点滴…💧点滴したまま待合室でしばし過ごす。本当に一喜一憂だなー
ショコラの貧血が酷く早急に輸血が必要になり高度救急救命センターに来ました。色々な検査をしてエコーでは内臓の腫瘍などはなく、やはり自己免疫で血小板や赤血球を破壊しているのでしょうとの診断で輸血をします。こちらには輸血をしてくれる大型犬が数頭いるそうでこれからまた検査をして適合をみて一晩かけて輸血。その後、ステロイドや免疫グロブリンなどを点滴するそうです。帰り際、立てないほど酷い貧血なのにショコラは立ち上がって、置いていかないでと鳴いて鳴いて💧可愛そうだけどショコラを消耗させてはいけない
朝食のあと、いつものコンビニのイートインにコーヒーを飲みに旦那と飲み終わる少し前から、どうも旦那の様子がおかしい…?やがて唾液が止まらないというか、よだれが垂れる状態でとりあえず帰ろうということに。歩くのはしっかり歩いてるけど、話せないという。1度家に入ってエアコンをつけて横にならせるすぐに起き上がって止まらないよだれを拭く。しかも話せない?おかしいぞ、これは!と、私の危険信号点滅!「ちょっとヤバいから病院行った方がいいよ。救急車呼ぶよ?」というと、案外素直にうんと。我が人生
平成26年11月8日看護師さん、娘っちの髪を洗ってくれた。血がベットリでとかせないほどになってて。血臭いよぉと怒ってました。3回シャンプーして頂いたそうです。ありがとうございました少し落ち着いたのか笑顔が見られます。痛い痛いはずーっと言ってますがこの日もDrの退院しろ攻撃です💣旦那さん、Drにハッキリ言いました。退院退院言いますが、この状態でどのように生活したらいいでしょうか?めまいが酷くて心配で仕方ありません!これから、娘っちに何かあったら保障してもらえますか?フォロ
前に整形外科と形成外科の受診を書かせて頂きましたが、もう1科受診していました。歯科です。娘っち、ご飯を食べながら歯ってより、顎?痛いって。顔は傷があるから腫れてるから顎とか腫れててもイマイチ分からない鏡でジーッと歯を見る娘っち。あ歯がギザギザになってるぅ見てみると、左上の歯がギザギザ…歯科受診になりました。えー、ハッキリ言って何様って言いたくなるほどに態度の悪いDr。どこ痛いの?ギザギザって大した事ない!えばり口調で娘っちを攻撃旦那さんの顔色が変わります。
大腸カメラ検査のあとから見てわかるほど容態が悪くなっていった母。担当女医も大腸カメラ検査のあと特に何もなければ退院みたいなことを口走っていた。こちらも利尿剤を止めて下痢も止まって大腸カメラ検査で何もなければ退院だろうと思っていた。しかし現実はあれよあれよと言う間に悪くなっていった。ごはんを食べるのが大好きな母が、急性大動脈解離の手術後は血圧コントロールのために塩分控えめの食事。抗糸球体基底膜腎炎のあとは減塩に更に低たんぱく食という制限が入っていたけど、病院食も食べて治さ
個人情報とかがあるので、ザックリと高校の先生とか加害者を見た人から見ると冴えないオジサン。この一言でした。年は私の1つ上。44歳。後部座席には奥さんが乗っていて、寝ていたそうです。見通しのいい一方通行で、夕日が眩しくて下を向いたのが事故の原因。これは救急隊の方、警察の方、Drから聞いた情報。ところが月曜日には変わっていた。眩しくてサンバイザーを下ろすのに下を向いたら引いてしまった。えっと…車の免許を持っていらっしゃる皆さま。おかしいと思いませんか?サンバイザー下ろす
平成26年11月7日入院3日目(この日は話題満載です)娘っちとトイレに行ったりしてる間に看護師さん、旦那さんに明日退院です。サインしてください!と1枚の紙を持って来た。旦那さんいつ決まったんですか?と聞いてみた。看護師さん先生からの指示です。ここにお名前書いてもらえばいいです。よく分からないからサインした旦那さん。それを聞いた私は大激怒まともに歩けない状態で何故退院この病院はバカかおかしいだろすぐ取り下げてこい病院は何故早く娘っちを退院させたいのか。交
事故当日、会話は出来ていました。ただ、同じ事を何度も聞き直す。返事をする。また聞いて来る。脳震盪の症状です。あちこち痛い!とICUでは言ってました。喉乾いたの。お茶飲みたい。看護師さん、24時間飲めませんから!えっと、説明あってのその言葉じゃないの?態度、猛烈に悪いです。2日目。めまい、首・腰・傷の痛みを訴えていました。お茶が飲めて気分が少しだけ良くなったようです。でも、会話はイマイチ噛み合いません。記憶出来ていないってより、何を話したか分からない感じ。事故にあった
※傷の写真載せてます。見ても気分いいものではありません。見たくない方はスルーしてください。平成26年11月7日入院3日目。左手手首が痛い!と訴え続け、やっと受診。またここでもバカ過ぎる整形外科医。どこが痛いの?腫れてないし。ただの痛がりさんだね。と。娘っち、骨折の痛みは分かる!これは絶対に骨折してる!と言い張り、レントゲン撮影。見事、命中\(*ˊᗜˋ*)/♡左手尺骨のヒビ。これ、かなり痛いらしいです。バカな整形外科医。何も言わずにシーネ固定。完治まで6週間
一晩、ICUへ。私と旦那は家へ。いちごさん、猛烈に寂しかったらしく離れない。娘っちが居ない事も分かってるみたい。翌日、ICUに娘っちの荷物を届けに。今日、部屋を移動します。次からはそちらに行ってください。と看護師。ん?娘っちはどこの病室?はっきり言わない。おかしくないか?とりあえず、壊れちゃった娘っちのスマホを買わないと。そこに長女登場!やる事早いです。私は別行動で娘っちの入院に必要な物を買ったりして病室へ。お腹空いてたらしく、ドーナッツをペロリ。お茶をたらふく飲み。
娘っち、検査をするので私達はICUの前で待つ。救急科のDrから話があると。CT、腹部エコー異常ありません。おでこの傷は月曜日、外来で縫います。明日、退院出来ます。と…そんなに簡単な事故?救急隊の方、生きてて良かったです!本当に良かったです!と言ってましたよ。駆け付けた高校の担任の先生と教頭先生、あの状態で助かって良かった!と。私の仲間は病院関係の人が多い。娘っちが事故にあったと連絡したら、電話鳴りっぱなし。頭部外傷なのに、MRI撮らないDr居ないよ!変だよ!必ず撮って!
恐る恐る初療室へ。「ごっぺちゃん、ごっぺちゃん(娘っちはママとは呼ばず名前で私を呼びます)痛いの。何があったの?」と泣きながら聞いて来ます。「どこ痛い?泣いてたら分からないよ?」と言いましたが、泣き止む事なく。「パパは?いちごちゃんは?」「パパ、もうすぐ来るよ。いちごちゃん、お家でお留守番してくれてる」1回会話終了。1分も経つか経たないかで「パパは?いちごちゃんは?」と聞いて来ます。同じ会話を何度もします。「大丈夫だから。どこ痛い?」と言ってもまた同じ事を聞いて来ます。脳震盪に起こ
住んでる市で1番大きい総合病院。嫌いな病院だが、脳外科救急外来担当日。…そんな事より娘っち!救急外来受付前に娘っちと同じ制服を着た女の子が震えながら座ってる。「娘っちの友達だよね?怪我ない?大丈夫?」って声を掛けるのが精一杯だった。お友達は「目の前を歩いてたから、声を掛けようと思ったら居なくなって…」と。本当に怖かったんだと思う。「スマホも壊れちゃったみたいで繋がらなくて…」と宝物のように大事に持っててくれた。「ごめんね。辛い思いさせちゃって。今日はお家に帰って。ママに電話しよ
今日は、自分の事じゃないですよ今日は診察。に、行く途中の話。もうすぐ病院。後ろから救急車です。みんな、避ける。当たり前だけど、ほっこりします。私の通う病院は、高度救命救急センター。もちろん、救急当番はありません。救急車が入って行くと言う事は…重体…。いつでもだけど、家族の思いを考えてしまうと…とてもツラくなります。早く??少しでも、元気になったらいいな。
カルテの内容をひとつひとつ調べていくなかで見つけたもの。劇症肝炎の病気自体そんなに無い症例だけど。治療した病院は、「過去に劇症肝炎の治療をしたことがあるのか?」とずっと疑問に思っていた。5月に母が亡くなってから気になって調べていたけど検索に出てこなくて、今回データベース化されたものがヒットした。過去三年劇症肝炎の治療ゼロ。それ以前の事は解らず。多分、統計は出していないのだと思う。公立の病院だから管轄の自治体に問い合わせれば分かるのかもしれないけど。内科部長
今日は救急の日ということで9月9日9時9分9秒に更新ゾロ目好きさて、お恥ずかしい話ですが救急車過去に5回乗ったことあります2回は付き添いで3回は自身で実は先週、救急車のお世話になったばかりでした夜中の3時過ぎ熟睡していたはずなんですが急に目がまわってよくあることなのでいつものめまい発作かなと思ってしばらくの間、様子見ていたのですがこれ、あかんやつ・・・。。。と思って119させてもらいました結果、救
今回は、高度救命救急センターの様子についてです※※妊娠・出産後にイロイロありました…詳しくは、《こちら》から過去記事を御覧ください※※Wikipedia先生から引用です。高度救命救急センター(こうどきゅうめいきゅうきゅうセンター)とは、救命救急センターのうち特に高度な診療機能を提供するものとして厚生労働大臣が定めるものであり、広範囲熱傷や四肢切断、急性中毒等の特殊疾病患者に対する救急医療が提供される。その特殊性ゆえ、心肺停止患者の搬送が多数を占め、患者死亡率も一般の救命救急センターよ
今回は大学病院で生死をさまよっていた時の話です※※妊娠・出産後にイロイロありました…詳しくは、《こちら》から過去記事を御覧ください※※2016年1月18日の晩、総合病院から大学病院へ緊急搬送され、色々な検査をしました。輸血、大量の点滴、人工呼吸器を装着されました。搬送された大学病院には高度救命救急センターがあり、そこの重症患者のところへ入院することになりました。高度救命救急センターは一般病棟の面会時間とは異なり、お昼の1時間、夕方の1時間だけ面会できます。一度に面会できるのも二
タイトルを救急搬送にしてしまうと仰々しくて姫に何かあったのでは?と思われたかもしれませんが…そうではなくてですね…2日前にお世話になったばかりのiPad先生の病院に今日はナースとして行って来ました。ママンがお宅に訪問している患者さんが救急搬送される事態になったためです。ここは四年前に姫が急性心不全を起こして最初に搬送された高度救命救急センターなもので何だかね、不思議な気持ちになりました。あの時は、ただオロオロする母で今回は、ドクターに冷静に申し送りしている自分チ
7年前の今日ーー2010年5月5日、23:30頃。私は意識不明で倒れ救命救急センターに運ばれました。当時、165cm25kgで風邪をこじらせ気管支炎の状態でした。幸運にも私の住んでいる地域には、関西を誇る大学病院があって自宅からも車でわずか十数分圏内、意識を失ってすぐ救急車でこの病院の高度救命センターに運び入れてもらうことができたので奇跡的に生き延びることができました。プラス+さらに幸運だったことには当時ちょうど倒れる一か月前くらいからその大学病院の精神科
こんにちは。バンプです。バンプはちょっと変わった経歴を持ってます。大学↓大学院↓看護学校です。専門は、社会学なんだけど、社会学をやる前までは、政治に興味があり、政経学部に入学しました。看護学校を志したのは人の死に直面したからです。あとは、友人のガン結局中退してしまいましたが、看護学校で学んだことはムダにはなっていません多少の医学知識と看護理論を学びましたヘルパーの資格ももってますけど、重度心身障害児施設で勤務したことも
台風の影響で今夜は風が強いです子供達も寝て夫当直の今夜はのんびり持ち帰りの仕事(笑)点滴や注射を受ける子供達のために刺入部を固定した上から貼るシール作成作業テープを切って絵を描いています~にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
本日より仕事はじめ雪の一日でしたにほんブログ村