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この写真は令和5年10/22現在の状況です。見事な秋晴れで、藤原宮跡のコスモス見物へ。今回は北側(肩丈/見頃過ぎ)と南側(腰丈/満開)で、きれいに咲き分けしています。まさに満開でTHEコスモス畑といった眺めが素晴らしい。お時間ある方は、是非ぜひオススメします。今秋は秋桜を見に行く暇がなかったのですが、本当に嬉しかったです。いつもJR奈良駅を利用していたのですが、書庫宅の最寄りのJR京終駅なら駐輪場無料なのが発覚。トイレも含めてきれいにリニューアルされて、誰でもピアノや喫茶スペースなども併設さ
今回、卑弥呼の事に端を発して尾張氏等の祖について認識不足が露呈し、精査を開始して、最初につまづいたのが『勘注系図』において始祖を「彦火明命」と伝え、それを瓊瓊杵尊と認識している点でした。その伝承となった原因に強く関係している言葉が「カグ」でして、何のこと?と思われるでしょうが、漢字で書くと「香具」となり、なにかといえば「ミカン」の事なんですよね。じゃあ何でミカンが重要なのかというと、野生のミカンの木を「橘(たちばな)」ともいいますが、このミカンの木が生えている山を香具山というん
○前回、ブログ『邪馬台国三山とは何か』を書いて、奈良県橿原市に存在する大和三山の原型が、次の邪馬台国三山であることを書いた。・うねびやま=霧島山(1700m)・かぐやま=桜島山(1111m)・みみなしやま=開聞岳(924m)○日向国では、「うねびやま」は完璧に『うねっている山』として存在するし、「かぐやま」は申し分なく『光り輝く山』だ存在し、「みみなしやま」も『境界を成す山』として存在している。そういうことを、大和国の大和三山では説明できない。つまり、大和国の大和三山が日向国
○奈良県橿原市に大和三山と言う山がある。『邪馬台国三山とは何か』を考える際、その根底が大和三山にあることは、間違いない。大和三山がどういう山であるか。ほとんどの人は認識できていない。だから、邪馬台国三山など、夢のまた夢に過ぎない。○ちなみに、大和三山とは、奈良県橿原市に存在する次の山々を指す。・畝傍山(199.2m)・香具山(152.4m)・耳成山(139.7m)○ところが、この大和三山を、文化庁が2005年7月14日に、次のように改悪してしまった。・香具山(152.
○奈良県橿原市に、大和三山が存在する。日本で古代を考えるなら、絶対に外せない山が大和三山であり、邪馬台国三山なのである。今回は、その邪馬台国三山の話をしてみたい。まずは、地元、奈良県橿原市が案内する大和三山から見ておきたい。大和三山とは大和三山(やまとさんざん)とは、橿原市に位置する香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいいます。平成17年に名勝指定されました。そして、大和三山に囲まれるように、日本で初めての本格的な都であった藤原京の藤原宮跡(ふ
【ブログ】「現実」と「事実」と「真実」とは土方水月「現実」と「事実」と「真実」とはひじかたすいげつアメノカグヤマを例にとれば、「天香久山」や「天香具山」や「天之香来山」が現実である。そして正式には「天香山」であり、これが事実である。そして「海香山」が真実であり、その本質は海歌語山であり、海籠山であり、海火グ山であった。海歌語山は籠神社に祀られる。また、持統天皇の歌にある“白妙能衣”は、「洗って乾された白い衣」が現実である。そし
【番外】天香山その2アメノカグヤマはアメノカゴヤマ土方水月アメノカグヤマその2アメノカグヤマはアメノカゴヤマひじかたすいげつアメノカグヤマとは漢字で書けば天香具山か天香久山となるが、もとはアメノカゴヤマであり、天香山であり天歌語山であった。香具山は大和三山の一つである。しかしそれは、出雲の富氏がやって来て登美氏となり、出雲のアメノホアカリの孫であるアメノムラクモがやって来てからのことである。アメノムラクモは天村雲と書
【番外】天香山その1中大兄皇子と間人皇女土方水月アメノカグヤマその1中大兄皇子と間人皇女ひじかたすいげつアメノカグヤマとは漢字で書けば天香具山か天香久山となるが、もとはアメノカゴヤマであり、天香山であり天歌語山であった。香具山は大和三山の一つ。奈良県橿原市にある畝傍山、耳成山、香具山をそう呼ぶ。万葉集にはつぎのように読まれた。「香具山は畝傍を愛しと耳梨と相あらそひき神代より斯くにあるら
○本来なら、ブログ『三山信仰』からそのまま『大和三山』へと続けるつもりだった。しかし、その前に、どうしても天皇家の故郷が邪馬台国では無くて、狗奴国であることを説明しておく必要を感じた。こういうところに、「古事記」や「日本書紀」の歴史観を見ることができる。必ずしも「古事記」や「日本書紀」の記録が正しいわけではない。○当古代文化研究所の専門は和歌である。したがって、「万葉集」を研究しているうちに、大和三山に悩まされて困った。それが日向国の研究へと発展して行ったことになる。不思議なことに、誰も言及し
仕事帰りに小倉山荘へ20日に栃木の小林宮司に持って行くお菓子を買いにこの時期限定ののし紙が綺麗なんか色々と入ってるのにした香具山特大缶まぁまぁの大きな缶これは自宅用みたらし団子美味しいんだぁ🤤これも美味しいんだぁ🤤20袋入り買ったからトモと分け分けしよっと😊小倉山荘は久しぶりどしたえ〜相変わらず混んでましたえ〜
GW終盤の6日の土曜日は久々の山登り。雨が午後には降るとの予報でしたので近場の低山で済ますことに。プチ登山のそのまたプチサイズである大和三山を初めて登ってきました。近鉄の橿原神宮前駅で下車し、橿原神宮境内を抜けて行きます。三つの山のうち、最初に登るのは畝傍山です。本殿の北側の参道の途中に登り口(赤矢印)があります。山頂まで行き、青矢印へ下ります。ちょっと汚れた案内板がありますので熟読してから登りました。時計回りに山腹を巻くように進むのでキツさは全くありません。
考察古事記には、【富士山】のことが載っていないのはおかしい❗と言う方々がいますね❗そもそも、【藤の山】「フジノヤマ」と名付けられたのは、第7代孝霊天皇が3月に登頂されてからのことです❗田子の浦の住人が、紀元前283年孝霊天皇が山に到着した記念にと「藤の花」を献上されたことから、孝霊天皇が「フジノヤマ」「藤の山」「不二の山」【富士山】と現在の名前になったのですから、古事記に「富士山」と言う呼称では載ってないのが当たり前です❗それまでの富士山の名前は、【ハラミ山】別名「橘山」です❗何故
明けましておめでとうございます本年もよろしくお願い致します。忙しくて1ヶ月間更新ができませんでした追々、記事を追加していこうと思います2023年最初の月次祭が元日10時から『天香山神社』にてありました。寒くはありましたが日差しのある穏やかな元日でした。天香具山北麓にある天香山神社は氏子だけでなくどなたでも参列できる月次祭が毎月1日の10時から斎行されています。興味のある方はぜひ足をお運びくださいませ。拝殿には、氏子の方々がお供えされたお餅が並べられて
○ブログ『天降付く天の香具山の風景』については、2022年12月10日に書いたばかりである。『天降付く天の香具山の風景』を初めて見たのは、2012年12月4日のことだった。その時の感動は未だに忘れられない。枕詞「天降付く」が誕生した風景は、誰が何時見ても感動させられる。それが枕詞と言うものである。○実は、当古代文化研究所は、12月11日から13日まで、英彦山や宝満山に登り、肥前国一宮である千栗八幡宮、筑後国一宮である高良大社、水天宮などに参詣して来た。古代文化研究所第2室で書いているテーマ「豊
続いて、香具山の麓にある奈良文化財研究所【藤原京跡資料室】を見学しました飛鳥美人藤原京・平城京・長安城(唐)瓦&土器全国から集まった土器記年の木簡大工道具日本初の瓦葺きの宮殿役人貴族の大邸宅跡税日本最古のカレンダー祈祷の道具香山と書かれた土器屋外に巨石の遺構がありました続いて次の目的地へ
丸山古墳を後にして次の目的地へいつも時間切れになり登れなかった甘樫丘へこの風景を見てみたかった畝傍山(西)耳成山(北)香具山(北東)香具山は畝火をしと耳成と相あらそひきこの歌は、宝塚ファンはメロディ付きで歌えます眼下に飛鳥寺(東)雷丘↑この歌も、ヅカファンならメロディ付きで歌えます入鹿の首塚と甘樫丘乙巳の変の首謀者(中大兄皇子、中臣のちの藤原鎌足)は、朝鮮半島又は中国大陸から来た人間である事が、日本書紀にハッキリ書かれています-日本
奈良旅行最終日大和八木で降りてコインロッカーに荷物をぶち込み行動開始下ツ道に出て香具山を目指す重要伝統的建造物群保存地区には指定されていないけど立派な古い家が多いほおお〜JRの踏切渋いねーおふさ観音に到着丁度お花の端境期だったみたいだけど小さいながらバラ園もあったりして映えスポットを意識してるのかな名残の朝顔前来た時はもっと殺風景だったような・・・何十年前だ?藤原宮跡
伊香具神社さま。また、二見から、近江国へ話が飛んでおります。天高く馬肥ゆる秋。そして、この拝殿。2018年の台風で、拝殿を失い、本殿も被害を、境内のたくさんの大木も倒れました。どれほどの被害だったかを1度調べていただけると、この再建されたお社を神さまと、皆さんがどれだけ喜んでられるか分かっていただけると思います私は知らなかったので。何も。生まれ近江国。実家に帰るのに、横を素通り。こうして神さまのことが大好きになりようやくお参りの機会をいただきました。
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー56C万葉集の第一巻第二の歌は舒明天皇の御製歌香具山とはどこかひじかたすいげつ物部氏:古代氏族の起源と盛衰(545)(歴史文化ライブラリー545)Amazon(アマゾン)1,879〜5,920円つづき「万葉集」第一巻第二首は「舒明天皇の香具山に登りて国を望みたまひしときの御製歌」なぜこの歌が二番目なのか。子供の頃、書道をやっていた母がよく歌っていた。色紙などにも
大和三山に囲まれた藤原京跡。藤原京跡に蓮の花が咲いている。YouTubehttps://youtu.be/dODFcz4neMQ大和三山と蓮の花鮮やかな花を背景に大和三山を選んだ。畝傍山耳成山香具山だ。畝傍山が西側に見える。耳成山が北に見えている。丘に見えるのが香具山だ。蓮の花と古代からの風景を観ていた。日本初めての条里制の都だった。おわり
〇神武天皇について、ウイキペディアフリー百科事典では、次のように案内している。神武天皇神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さの、さぬ)。『日本書紀』での名は神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)。『日本書紀』・『古事記』によれば天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫とされる。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服し(神武東征)、畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)に遷都して日本国を建国した
○大和三山は、奈良県橿原市に存在する次の山々だと誰もが思っている。・畝傍山(199.2m)・香具山(152.4m)・耳成山(139.7m)○しかしこの大和三山は実はレプリカであって、本物の大和三山は日向国に存在する次の山である。当古代文化研究所では橿原市の大和三山と区別する意味で、これらを邪馬台国三山と呼び称している。・畝傍山=霧島山(1700m)・香具山=桜島山(1117m)・耳成山=開聞岳(924m)○第一、国名を冠せられた山が標高200mにも充たない
○文化庁が大和三山を、2005年7月14日に、香具山・畝傍山・耳成山と案内したことで、日本の大和三山はとんでもない被害を蒙っている。大和三山は、あくまで、畝傍山・香具山・耳成山と案内するのが正しいし、それが日本の伝統的な大和三山の案内の仕方である。○それは日本創成期に、畝傍山が日本を代表する世界山だったからに他ならない。「古事記」や「日本書紀」では、それを天孫降臨の世界山として記録している。畝傍山が大和三山の筆頭に来ると言うのは、そういうことである。文化庁には文化が無いので、そういう認識ができ
○インターネットで大和三山を検索すると、まず、ウイキペディアフリー百科事典がヒットする。そのウイキペディアフリー百科事典が案内する大和三山は、次の通り。大和三山大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。・天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、15
タナボタ!受け取った幼なじみのMちゃんから突然のお誘い小田和正さん【こんど🎶、君と】まさかのコンサート中学校の時、オフコース好きでよく歌詞をかいていたなだけど、その後は洋楽に傾いていあったような。。ところが、今まだ頭中は小田さん声が響き続けるいや、大感激マスクをしていて初めてよかったと思った涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ小田さんも、老若男女、泣いていたこうやって皆が集まれることは3年ぶりということで、急遽、ビックパレット福島@郡山へ向かうことになる
ノストラダムスの大予言迫りくる1999年7の月人類滅亡の日(ノン・ブック)Amazon(アマゾン)990円『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー「世界の終わり」と予言と古今伝授9Aひじかたすいげつつづき大学か高校のときかは忘れたが、「ノストラダムスの大予言」という本がはやった。でも、「また胡散臭いものがはやった」くらいにしか思わず、大学時代の後輩が一生懸命に「ノストラダムスの大予言」には「原爆のことも書いてある
〜香具山③〜[目次]今回は、香具山の東山麓にある2社、2寺を訪ねます。(1)妙法寺(御厨子観音)↓(2)御厨子神社↓(3)春日神社↓(4)興善寺↓(5)カシワモチっ!↓つづく(1)妙法寺(御厨子観音)みょうほうじ(みずしかんのん)へは、香具山の東山麓の、竹林の道を行きます。両側はタケノコの畑です。←盗っちゃダメよ🙅御厨子観音さんは、なんでも吉備正備(きびのまさび)が遣唐使から無事帰国できたことを感謝して創建したとか。ご本尊は、十一面観音菩薩さまで
前話へ__________________________________________次話へ第7話舒明の「天香具山」と「蜻蛉(あきつ、トンボ)島」(5/18更新)持統の万葉歌「天香具山」を前第6話で検証しました。持統の祖父舒明天皇も「天香具山」の歌を残しています。万葉集巻一、第二番歌、詞書「舒明天皇が香具山に登りて国見をした歌」「山常(やまと)には群山(むらやま)あれどとりよろふ(とりわけよい)天の香具山(かぐやま)登り立ち国見をすれば国原は
ゴールデンウィークも後半に入りましたね~(*^-^*)好天続きで嬉しいです朝は早めに起きて洗濯&掃除を済ませて昨日は、ハイキングに出かけて来ました♪大和三山のひとつ「畝傍山へ」まずは、橿原神宮にお参りをして(*^-^*)今年の干支「寅」の大きな絵馬こちらは「さざれ石」”さざれ~~石の~~”と。そうです!あの石です!!「君が代」の詩の中に出て
前話へ________________________次話へ第6話「春過ぎて、夏来たるらし、、、」そんな季節になりましたね。「、、、白妙の衣干したり、天の香具山」、この持統天皇歌は藤原京から大和の香具山を詠ったものとされています(万葉集二八番歌、原文はこちら)。しかし、、、ここでは、従来に無い解釈「この歌は、持統天皇が香具山を眼前にしつつも、幼い頃の『ある思い出の山』を詠ったものだ」とする私なりの解