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3月は・・3月・・振り返ると幸村は毎年3月は体調を崩しているようだ1年前は「救ってくださいの」の固まりのようになっていた思いから解放されるそして、2年前はあと2割よくなってほしいと考えていたようだ今年は、ふりだしに戻ったような気がするのだがそれでも助かった命は愛おしいものだふわっと心に浮かんだ言葉が「神様仏様助けてください」でなくて「神様仏様ありがとう」だった退院して1週間経ちなんでもない日曜日が過ごせることに感謝です。そしてずっ
退院して数日・・・ちょっと元気がなさそうだけどまあまあ日常を取り戻しつつあります。幸村が体調を崩すちょっと前のブログにそろそろ仕事&将来のことを考えたら?とわたしの中でイラッとした思いと重なりこの言葉を何度繰り返しただろう?そしてそれを諦めさせるためか否か?なんらかの症状が出てまた入院するといったことが今まで起きてきたから不思議だと載せててで・・・至るわけでいやはやそういうこと考えるからそうなっちゃうんだよと引き寄
3月23日退院しました。入院してから夫と通った日もあり高速バスで通った日もあり・・・でした。高速バスで90分kらいかな・・その間、わたしは空想というと聞えがいいのだが妄想に近いのかもしれないちょっと楽しいようなそうでないような空想わたしがミクロ決死隊になって幸村の鼻の中に潜入するのだミクロ決死隊というものは外国のものらしいのでもしかしてわたしが子どもの頃見ていたのは手塚治虫氏の何かかもしれないがともかく小さくなって幸村の鼻の中に入る白い防具?ハニーハン
あっけないものでした。喜ばしいことに昨日鼻の中のバルーンがはずされました。2019年3月18日(月)朝から病院に行き「今日はずしてもらえそうだ」ときいたものの今日と言う日は手術日らしくそれが終えてからだから夕方とのことが・・しかし確実に今日という日にやってもらえるのか??などと思いながらの夕方5時頃ふらっと先生がやってきたほんとにこのS先生は背も高くひょうひょうとしていてクールな感じで背が高いせいか背中を丸めた感じでなんていうか”寒い”って時の人の動作
諸々あり現在幸村入院しています。専用の診察椅子(歯科の椅子のようなもの)に座り上を向いて横を向かないでと言われながら鼻の中口の中診ようとするT先生その間血は流れつづけゴッホゴホむせるように咳き込む幸村血しぶきが先生に床に飛び散るT先生が「ちょっとかかるじゃない汚れちゃう咳き込まないで」「ああ・・床にも・・」ここで看護師のIさんが「仕方がないんです!」ときっぱり言ってくれてT先生黙るそれから別な部屋に一旦動く先生は他の患者も診なくちゃなの
いいね!をくださる皆様こちらを読んでてくださる皆様いつもありがとうございます。ご無沙汰しています。PCからしかやってなくてそのPCが年季が入ってて調子悪く週末に帰って来ていた夫に修理してもらいやっと使えるようになりました(*^_^*)さてはてその間ですが・・・またか!!!でした。前回のブログにそろそろ仕事&将来のことを考えたら?とわたしの中でイラッとした思いと重なりこの言葉を何度繰り返しただろう?そしてそれを諦めさせるためか否か?なんらかの
昨夜幸村が就寝前に薬を飲んでいたわたし「それはなんの薬?」幸村「不安を和らげる薬」わたし「不安なんだ・・」幸村「不安だよ!!」そして今日たま~~に幸村に対して爆発するわたしともかく幸村は起きればまた居間で寝てる・・日々しっかり起きてからはスマホとタブレット・・・ゲーム頼まれて父(幸村にとって祖父)の世話洗濯とりこむまたは干す買い物洗い物などなどそろそろ仕事&将来のことを考えたら?とわたしの中でイラッとした思いと重なりこの言
2月12日N大病院の整形外科の診察レントゲンからの先生とのお話今日は二人のインターンの面々もいたけどそんなん無視無視レントゲンの結果は転移はなし転移なんてないだろうなあ・・と漠然と思ってるわたし「そもそも転移なんてするんですかあ?」なんてのん気に今さら?!!の質問をするわたし・・先生「はい。この病気でもあるんですよここでは胸を診てG大では全体を診てもらってればいいでしょ」先生がいうにはやはり5年は転移を心配しなければだそうです先生
今日は幸村の30歳の誕生日30歳ってけっこう大人だよねが・・・しかし社会に触れてない男ってって感じの息子です。はい。人が大人になるタイミングっていろいろあると思います。親元を離れた時就職した時結婚した時親になった時家をもった時親をなくした時などなど・・・そこが世の中の仕組みを知る時だったりもするからかもしれないのだけど。だからといってこの経験が多ければ大人だ!というわけでもなく。(まあちょっとわたしの偏見かもしれないけど)うちの30歳はどれ
1月18日認定調査は1年に1回あるらしい・・今日はその日です。あれこれ質問をされてる父を台所に立ちながら、ふむふむと聴くわたし母のような娘のような心持で聴いているわたし質問の捉え方って面白いなあと思ったことが・・調査員の方は毎回毎回のことであろうが父には今日だけの事である調「〇〇さん今はどんな季節かわかりますか?窓の外を見てみて・・どうでしょう?」父「そうだの~春のようでたまに初夏のような光が・・」調「春ですか?」父「今が冬だってことはわ
一応病勝のブログがメインなので12月の幸村ですが・・2018年12月21日金曜日口からの出血濃いタイプの出血PM7:00くらいいったん収まったのでほっとくまたまた出血今度は長くでてるPM8:00くらい過去の事を思いだすhttps://ameblo.jp/kokoni-iruyo-etoko/entry-12352255731.htmlどうしたものか・・やはり病院に。。。タクシーで行く(父にご飯を食べさせおむつを替え・・父はしっかり事
自分の出身大学に入局したとき、受け持ち患者のほとんどが頭頸部癌患者であった。耳鼻咽喉科としての入院ベッドは60人ぐらいだったが、そのうちの8割以上が癌患者であった。喉頭癌がもっとも多く、他に上顎癌、下咽頭癌などがいた。受け持ちはグループ制になっており、60人の患者を3グループで分ける。各グループ、20人の患者を4人ほどの医師で診察にあたる。上の医師は、バイトにいったり、外来にいったり、研究していたり、いろいろあるので、普段の患者の管理は、研修医にもっぱらまかされる。がんの患者さんに毎会のよ
叔母が逝き初七日も過ぎた昨日、叔母の家・・うーん姉の家を訪ねると時々弔問客が訪れるくらいで落ち着いてきたようだ。茶の間には、叔母ではなく姉の夫が座っていた(ああ・・そうだね)それでも遠くから来ている、孫ちゃんがまだ滞在していていい華となり悲しみや寂しさを払ってくれているようだわたしもツリー姿になり?!孫ちゃんを抱っこした年齢を重ね、わたしも涙もろい年頃になった甲子園の応援もしていなかったチームなのに監督の最期の話を聴けば涙し・・観てもいなかったのに、最終回近くの宣
続きです。人間は多面体のタイトルとおばちゃんのことがどう被るのかって感じではあるのですが・・。読んでくださっている方ありがとうございます。伯父と姉が家に来ていろいろな話をしていった後いろいろあったが無事に式は終わり姉の夫が加わり家族が増えたこととなるそんなこんなで式も終えどのくらい経ってからのことだろうかその日は母は留守でわたしと父だけ家に居た伯父が何か用事があってきたその時は穏やかないつもの伯父だったわたしは、ちょっとその部屋から離れ。。多分伯父にお
続きです。手紙を書きました。内容は、結婚おめでとうの言葉と母の結婚式でのポジションそして今の幸せはうちの親が養子に出したからなのだからと感謝の言葉をありがとうを言ってもいいのでは・・といったことを伝えました。しっかり切手を貼り、郵便局を通して配達された手紙を読んだ姉と叔父がわが家にやってきた叔母はご立腹すぎて悲しすぎてか来なかった姉は泣いていた伯父は神妙な顔をしていた産まれた家で12年養女に出て12年12年の間にいろんなことがあって親子に家族になっていたのだ
続き・・となるわけですが・・おばちゃんは中学1年生になったばかりの姉を育てることとなりました。十二まで、わたしの家族で十二から、叔母の家族そこには、明治生まれの祖父母となる人たちがいたわけです。あらゆるエピソードがあって向かい合わせに賞状とか何か貼ってはいけないとかトイレに歴史の年表か何か貼っていたら便所に貼るなんてええ!!と破かれたりまあ・・・ちょっとわたしの家では考えられないさまざまなこと。わたしも時に泊まりに行ったけど食事中は絶対しゃべっちゃダメ!!わたし
わたしがおばちゃんと呼んでいる人は父の妹であり姉の母である叔母は子どもに恵まれずわたしの母は子どもを3人産んだ叔母の夫の兄妹にも子どもが3人旦那さんの両親と同居の叔母にはあととり問題とかいろいろあったかもしれない。。養子が欲しいと夫の兄妹に願って断られ叔母の兄であるわたしの父に願ったのであるわたしの母は当然「嫌だ!!」と言ったが父としては妹を不憫に思ったのかもしれない3人兄妹の末っ子のわたしに白羽の矢が立った(大げさ)少し慣らすために・・と数日叔母の家に住む
クリスマスシーズンはわたしの変身時ってな仮装でちまたに繰り出すわたし。飲み会の席は、これ持参。そう【ツリー婦人】とはわたしのことよ♡たしか息子が病1年目の年も変身してたもちろん出かけられる状態の時だけね。介護をしていても子どもが病気でも障害があっても暗い毎日かといったらそうじゃないよ大変でもどのくらい大変かの秤は、その人だけのもの幸せの感じ方も同じ・・。昔やたらと人の幸せを自分の秤で勝手に秤って「あんたは幸せでいいね!」と責めるかのごとく
今日、Mさんのブログを見たら書いてたものがなくなっていたわたしの退院しましたの投稿にいいね!をくださった後のことだと思うMさんから初めていいね!をもらったのは、今年の6月くらいだったかなうちの子と同じ神経繊維腫症1型からの悪性抹消神経鞘腫瘍わたしみたいに、過去と現在と書いていたきっとハッシュタグから、自分と同じ病気だなあ・・って思って読んでくれてそして、いいね!してくれたんだと思うわたしと違うのはその病気がMさん自身の事だったってことわたしもそれから
退院して数日日常を取り戻してきました。。ところでわたしの日常ってなんだっけ?!となるわけですが・・なんか今も現在も本当の日常でないような気もするんだけどね。息子の入院と共に抱えていたのが宴会だったり・・宴会だったり。。幹事やってたりとか。。(笑)そこでわたしは職場とか限られた人にだけ入院の話をしておき(病院に行かなきゃいけないこともあるし、早めに帰る日とかいろいろあるからね)どの会も「行ける」体でいたさ。何度も友人に「実は、息子が入院してて当日行かれるかどうか
12日にCTとってなんともなさそうということで15日木曜に退院しました。なんで出血したかどこから出血していたのかは謎まあ・・重粒子を大量に浴びてるのであちこち支障が起きているのだ後遺症だいつ終えるのだろ?じわじわと破壊されてる?なんてことは考えない考えないにしようそう。そもそも幸村の強みって考えないことなんだよねN大病院に行かなくちゃなのかってぐわーーーーーーって集中して思いめぐらしたけど行かずにすんださやっぱり同じ妄想するでもいい方向に妄想したほうがい
午前中の診察の際一緒にと思いC病院に行くなんかちょっと看護師さんの邪魔になってたかもしれないけど左の鼻からガーゼを抜かれている様子をみれたビニール袋を持たされ・・幸村が慣れたように顎の下にそれをつけるピンクの使い捨てのエプロンを看護師さんに付けられてる幸村出血するかもしれないということで準備されてることがわかるわたしは心の中で(大丈夫!!今日はそれは要らないから・・うん!今日はもう出ないから・・)と拳を握りながら思うひとーつふたーつでかいガーゼが出てくる
今日は午前中にG大に電話このあいだの看護師さん・・だったここの看護師さんはほとんど患者さんの説明担当なのかな?医師はお腹を診たりとかするわけでなくほとんど医師と患者と家族だけで話すので看護師さんは常に患者や家族への対応となるのかも・・だとしても当日来ている患者さんもいるなかわたしの不安に思う気持ちをよく汲んで聴いてくださるC病院の先生が生検したいようなことをいうがいかがなものかとか焼灼していいものかとかそういったことにこたえてくれるつい「それで大丈夫か?
11月5日G大に電話S看護師が応対2日から入院していること止血の点滴をしていること焼灼止血するかもののことS看護師がK医師にいろいろきいてくださる鼻を全部まきこんで重粒子が当たっているので左の鼻もありうる治りにくい状態焼灼するにあたって情報が必要であれば言ってくださいで終える以前の幸村の担当医師はA医師だったところがA医師が転勤??し8月の診察はO先生になり先月がM先生になり電話ではたまたまいたK先生に聞いて担当医師というものはなくなりグループで
10月30日ゴミ箱に血の付いたティッシュが・・・「どうしたの~??」「鼻血が出た」「ふ~~ん」翌日は燃えるごみの日まとめて黄色の市の指定袋にいれる翌朝31日ゴミ箱に前日より鮮やかな血の付いたティッシュが・・・「どうしたの~??」デジャブ?しかも腫瘍のあった右ではなく左の鼻から・・31日1に日2日毎日お医者に行く事にしかし鼻血は止まらないたくさんガーゼが詰められてるらしいが止まらない止血の点滴もしているが止まらないといっても微量にでているのだと
先週の検査のの説明後その時で12時前だったので帰りに紅葉を観に行こう!!と密かにわたしと夫で盛り上がっていたのだが・・・病理説明としては右眼の周辺では色んな事が起きていて先ずは前頭葉ちょうど目頭の辺りになるのかなあ(正直ああ脳って案外大きいと今さら思った)その辺りに袋があるというん~こうして書いてると聴いてる時はわかってるような気でいたが壊死したところが袋になっているということか??他に目の周りの骨が薄くなっているという怖いよねなんか頭突きなんてされた
ご無沙汰してて何から書けばいいの?の状態です。ブログ読んでくださっている方お久しぶりです。最近のこととして父の右手の小指を骨折させてしましまいました。父が幸村の車につかまりながら移動している際に幸村がトランクを開け閉めるという作業をしたため挟んじゃったのです。「痛い!!」父「え?きゃーー!!」わたし「わわわ・・・」幸村外科外科外科を捜せ・・・・・ほんとうに可哀想なことをしました。そしてまた大変です幸村は日頃それは丁寧に父を車に乗せシートベル
重曹ぶくぶく、、重曹鼻👃うがい重曹飲む、、、血糖コントロール、、基礎疾患を探す、、下顎を広げる、、僕は下顎を前方移動広げるマウスピースをしてる、、頸部郭清部位、、毎日触診してる、、頸動脈まで癌細胞が絡んでいた、、節外浸潤多数、、患側、、根治的頸部郭清術、、副神経も、、胸鎖乳突筋も、、静脈も、、脂肪も、、基本術式なのだ、、僕ら基本が好きだ、、僕は、、原発がん、、告知後、、ビタミンBC補強を始めた、、ただし、、少量だったな、、もっと今みたいにメガ盛
北海道で大きな地震があった今は報道もそのことでいっぱい今朝見ていたテレビでインタビューに答えている女性がずっと口を両手で覆って話している姿を見て「この人顔を見せたくないのかな?」と言っているわたしに息子は「何日も歯磨きできないから口臭が気になるのかもよ」と言ったほお!そういうところがあるボーっとしているようでほお!って思わせる気づきのようなものがあるなんかこう~テレビでガン患者の人が出ていても自分もその身の上に近いにも関わらず関心を持たずにいるのに地震の報道
吐き気が突然くるので酸素マスクが邪魔そうに見えた家族がマスクを頭の上に一旦ずらしてくれて少し部屋を出てた間に主治医先生が来ました。「頭に乗っちゃってますよ。もうとっちゃいましょうか。」と、笑いながら酸素マスクをとってくれました。ふと、ほぼ全く同じ事を以前の自然気胸の手術後にもやって(違う病院)その時の先生が頭の上の酸素マスクをとってくれた事を思い出しました。手術後に酸素マスクで烏天狗風になる患者…家族には頭の上に載せないよう指導しておきます。余談でした。さて、私は