ブログ記事90件
英語版のサイトに"RuinsofNirayamaCastle"のページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/TravelDestinations/Chubu/NirayamaCastle_E.html韮山城は、1469~1486年の文明年間に、堀越公方・足利政知の家臣、外山豊前守が城を築いたのが始まりと言われているそうです。1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際には4万4千人の豊臣の軍勢を敵に、100日間の籠城戦
都道府県別索引へ七面堂のある主郭をあとにして、北西に伸びる尾根を下ってゆく。今までは七面堂への道があり遺構も整備されて見やすかったが、この先、踏まれた道はナイみたいだゾ〜🥶間もなく、木の根が異様に強盛な空間に到着した。目線を少しだけ左にやると…木の根が網の目のように覆っている土塁の切れ目の向こうに、曲輪が広がっていた。左の方にも土塁の切れ目が…ココも虎口で、曲輪を取り巻く腰曲輪のような所から登って来ているようだ。曲輪の中でオフメン思い思い😆曲輪はこんな感じ。土塁なくて、ノッペ
都道府県別索引へ豊臣秀吉の韮山城攻めの際には、特に東の山中に多数の付城が築かれて、こちら方面の備えは万全、いつでも北条方の攻撃に移れる態勢が整えられていた。追越山、上山田に続く付城デビュー3戦目は、オフメンとの共同作戦で本立寺付城に登る事となった。ここは蜂須賀家政が陣を敷いた場所らしいとの事。ここは麓の本立寺から登る。江川邸から歩いても10分ほどで到着する。取り付きは寺のすぐ脇なので、まずは山門をくぐる。そして中の方に進む。仏殿がすぐに見えてくる。日蓮が伊豆に流された
都道府県別索引へ江川邸前からの長い車道歩き、そして荒れたアプローチを突破して、主郭部の西の曲輪に辿り着いた。さて東に隣り合う中央の曲輪には、どうやって行くか?🤔西の曲輪の北東方向には、中央の曲輪を北側から回り込むように、回廊のような平場が伸びている。平場は南に折れ曲がって、桝形虎口に導かれる😮桝形を通って振り返る。桝形と曲輪との間を仕切る土塁のゴツいこと…😮そう。西の曲輪から中央の曲輪に行くには、北側から回って桝形虎口を通らなければいけない😮実際には、曲
都道府県別索引へこの日は付城デビュー2戦目とシャレ込んで、前回行けなかった上山田付城と昌渓院付城を狙ってみる事にした。上山田付城は豊臣勢の韮山城攻めの際に前野長康が陣を敷いたところで、1250の軍勢が駐屯していたとの事で、天ヶ岳砦を取り巻く付城の中でも遺構の残りが良好との事だった。こういう下調べは全くせずに😳、江川邸前の駐車場に車を置いて歩き出した💨ネット情報を色々と見て回ると、南側から行くと、道らしいものが続いていて迷うことがないらしいので、反射炉の方に向かってトボトボ歩いて行
都道府県別索引へとうとうワタシも付城デビューを果たすことになった😅付城とは城攻めのときに敵の城に相対して築かれる城のことで、韮山城の付城群は天正十八年(1590年)の小田原攻めに付随して支隊で韮山城を攻めたときに築かれたものだ。その存在が明らかにされたのは最近のことで、付城の名称もその時に命名されたものだという。まだ研究や整備の歴史が浅く、地元でもこれから整備に手を付けようか、というところらしい。韮山城と天ヶ岳砦を見るのなら豊臣方の付城も見ておかなければバランスが取れまい😇
都道府県別索引へ文化の日のこの日は、天ヶ岳砦周辺の攻め残しを確認しに韮山韮山の地にやって来た。例によって、蛭ヶ小島の駐車場に車を停めて歩き始める💨土手和田砦の復習まずは、9月には草ボーボーだった土手和田砦から。住宅地を縫うように進んで行き、水神社目指して階段を登り、狭いトレイルから砦に入って行った。だが…土手和田砦は今日も🌿🌿の世界だった😮気温高い上に日差しがガンガンに照りつけて暑かったし💦いったい秋🍁はいつ来るんだ…?いちおう、主郭の周りを
先週の土日で伊豆まで行ってきました。最初は飛騨高山に行こうかと思いましたが、最近下呂温泉に行ったので山より海だな~と言うことでブロ友さんが紹介してた所ばっかり回ってきました。伊豆のルートです、遠く大阪から来て伊豆スカイラインも走らず微妙な所を走ってきましたよ~金曜の夜、仕事終わりに出発して浜松のネカフェで一泊して土曜日朝から何処に来たかと言うと伊豆の江川邸に来ました。江川さん家は代々代官やってました。江川邸の銅葺き屋根は明後日から葺き替え工事に入って休館になるそうで
都道府県別索引へ天ヶ岳の砦群も、北の江川砦に始まって天ヶ岳、金谷と順調に南側まで押さえることが出来たので、ラストは天ヶ岳砦主郭から西に伸びる尾根を辿って土手和田砦に出ることにした💨さて土手和田砦へは、その3で出て来た天ヶ岳砦主郭南側の、この土塁があるころの外側から支尾根に入ってゆく。ところが、この外側はなかなかの急斜面で、ロープが張ってあるとは言え降りるのは相当大変だった💦おまけに、尾根は曲輪面より相当低く、ザレ気味の急斜面を相当な距離下るハメになった。それでも、下り
都道府県別索引へ天ヶ岳砦の主郭から続く平坦な尾根は、大小2本の岩盤堀切からすぐで、突然終わっていた。落差15mはあろうかという、岩盤の物凄い急斜面でバッサリ切られていた😮これは降りたあとに下から見上げたところ🥶直登しても全く歯が立たない感じではないけど、ロープ無しでのクライムダウンはキビシイだろ…ロープをがっちり固定できればゴボウ下りでも行けるだろうが、支点あったっけか🤔ココが、天ヶ岳砦の南端だろう。自然のものかも知れないけど、切岸加工されてたかも。まぁ北条サンなら、それぐらい
都道府県別索引へ江川砦から尾根を登って天ヶ岳砦の主郭近くまで来ると、いよいよ急峻になって露岩があちこちに顔を出すようになってくる。そして、尾根の幅もいよいよ狭くなり、正面に主郭直下の険悪な切岸が見えてくるところに、堀切が横たわっている。その直前…尾根の東側が、岩盤で縁取られている😮東側は城外側で、実際に小田原合戦の時には豊臣方が東隣の山稜に付城(上山田付城、昌渓院付城)を築いているから、切岸加工+石塁で重点的に守っていたんだろう。そして堀切🤩旧韮山町教育委員会の記録で
都道府県別索引へ江川砦の裏にある巨大掘切を越えて、いよいよ天ヶ岳砦に向けて登り始めたんだが…いきなり、かなりの濃さのヤブでスタート😨まぁ足元は見えるぐらいだったから、まだ良かった…10mほどでヤブを抜ける。その上の尾根上には、ちっこくて浅い空堀のようなものが這っていた。下の方…真ん中あたりで枝分かれ…いちばん上…全体を上の方から見下ろすと、こんな感じ…左に湾曲しながら下の方に伸びて、途中で左に枝分かれしている。う〜ん…分かりづらい❗📷ヘタクソ❗これは、攻めてきた豊臣方
都道府県別索引へ天ヶ岳砦は、韮山城の南側に広がる山稜の中心にそびえる天ヶ岳を中心に、四方に広がる尾根を加工していくつもの砦をこしらえたもの。全山軍事要塞といった趣の山稜だ。韮山城のある丘陵地帯とは南西側の尾根で繋がっていたが、今は車道の通る堀切5によって仕切られている。Instagramで知り合った城友サン達と、この秋にプチオフ会開いて攻めに行く事になったので、まだ蒸し暑い9月のこの日に、下見がてら攻めに行く事にした。この地に流された源頼朝が住んだという蛭ヶ小島に駐車場があっ
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~小田原編~2020年1月1日(水)電車と徒歩のみで行く関東近郊の城巡り。今回は元日でも開館していた、小田原城、石垣山城の2城を中心に巡ります。まずは小田原駅へ向かいます。出発地を新宿駅とした場合、新宿駅6:00発、小田急線で、小田原駅に7:31に到着。ここから東海道本線に乗り換え、一旦小田原を後にします。小田原駅7:36発、熱海駅に7:59着。熱海駅で東海道本線を乗り継ぎ、熱海駅8
江川砦『別名』なし『所在地』静岡県伊豆の国市韮山金谷10付近『城主』江川氏『遺構』曲輪、土塁、堀跡『城郭形態』砦『駐車場』あり『歴史』江川砦は韮山城砦群の1つです。延徳3(1491)に韮山城と共に北条早雲によって築城されたと言われています。堀跡岩盤畝堀江川邸裏門小田原征伐の時に付けられた弾丸や矢尻の跡が残っています。
始めてみるとブログの更新なかなか進みませんね。生来のなまけ癖で…江川家住宅その3と言うかオマケです。裏門、これ自体は重要文化財ではありません、付けたり指定されているものです。1823年(文政6)の建物です。正面から、江川家らしい質実剛健な感じです。側面から注目は門扉です、門扉は戦国時代のものかも…穴だらけですね、これが豊臣秀吉軍の韮山城攻めの弾痕、矢のあたった痕だとされています。京都妙心寺玉鳳院唐門で応仁の乱の矢の痕と言われるものを見たことがありますがそれと比
前回の記事で「興国寺城」を登城した小生。今回は伊豆のつけ根部分にある「旧韮山町」、現在の「伊豆の国市」を訪問。かつて江戸時代、ここには「韮山代官所」があり、伊豆、駿河、相模の支配を担当していたそうです。こちらにある「韮山城」を訪問しようとしたところ、そこで思わぬ名所を見つけたのでした。■「江川邸」を訪問それがこの「江川邸」。こちらに住んでいた有名人は、幕臣で伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)「海防の建白」を行い、自ら「お台場」の建設
上山田付城『別名』上山田城『所在地』静岡県伊豆の国市南條1380付近『城主』前野長康『遺構』曲輪、土塁、堀跡『城郭形態』山城『駐車場』なし『歴史』天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による『小田原征伐』で韮山城を攻める為に豊臣秀吉の家臣・前野長康によって築城されたと言われています。切岸虎口堀跡切岸土塁と曲輪石積み
韮山城『別名』龍城『所在地』静岡県伊豆の国市韮山438-3『城主』北条早雲、北条氏規、内藤信成『遺構』曲輪、土塁、堀跡、井戸跡『城郭形態』平山城『駐車場』あり『歴史』韮山城は延徳3(1491)に伊勢宗瑞(北条早雲)によって築城されたと言われています。天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による『小田原征伐』では北条氏政の弟・北条氏規が城主となり激しい攻防戦の末、開城しました。その後、徳川家康の家臣・内藤信成が城主となりましたが慶長5(1600)に西軍率いる石田三成と
328に乗った先週の土曜日、韮山の方にも足を延ばしました。桃さんホームコースも桜が綺麗でした。城池親水公園へ。ここも桜が綺麗でした。向こうに見えるのは、韮山城址だそうです。これが目的ではなかったのですが、折角来たので行ってみようと。一応山城に分類されるんですかね?(平山城って記述も見かけましたが)城跡の中には熊野神社があります。二の丸本丸に上ります。本丸。麓には韮山高校があります。野球部が練習終わろうとしてました。私は日本史で受験
緊急事態宣言が解除され、少しは罪悪感なしにお出掛けできるが、人混みは避けたいしま、元々混雑している人気スポットには出向かないけれど昨今の自然ブームで山も賑わっちゃってるから目的地を悩むところであった山にマスクをしながら歩くのはしんどいしここは無難に、そして思い出の地へGOしてきました韮山城なんと…今年の初城でしたで、訪問も2度目となると呑気にNO予習で参ったので…駐車場を探すのに、えっらいロスタイム中学校裏に入り込んで、切替し切替しのUターン最初から江川邸を目指せばよかっ
①韮山城遊歩道静岡県伊豆の国市韮山にある「韮山城跡」の散歩は昨日の続きです。本来、雲が無ければここから富士山が見えるのだがね。②韮山城遊歩道昨日のブログで堀切の4・3の立て札を見て2・1が無く、昨日2の仮説を試み、今日はここが1の堀切ではないかと③韮山城遊歩道思っています。左側の正面が二の丸跡で、右側は上の写真の場所で先は崖になっていました。④韮山城遊歩道正面の山並みは「沼津アルプス」になり⑤韮山城遊歩道後ろを振り返ると、遠くには箱根の山が見えます。⑥本丸の階段ここからも「
2020.12静岡県伊豆の国市にある蛭ヶ小島(蛭ヶ島公園)に立ち寄りました☘平治の乱で平清盛に敗れ、捕らえられた源頼朝が配流された地と伝わり現在は公園になっています。旧上野家住宅(静岡県指定文化財)☆歴史民俗資料館となっていて屋内を見学することが出来ます。源頼朝と北条政子の夫婦銅像☆富士山方面を見ています。逆光で残念、、。ここでは地元のボランティアガイドさんが丁寧に説明してくださいました。ありがとうございます☘韮山城全景☆続いて北条早雲の居城韮山城跡へ向かいます。城池で
今日のリハビリ散歩🚶♂️韮山城跡に行ってきました。この小さな山のてっぺんが韮山城跡手前が城池です。実家のすぐ近所なのでここに韮山城跡があることは知っていたけど実際に行ったことがなかった北條早雲のお城で去年500年祭だったようです。頂上からは綺麗に富士山が見えました。まだ紅葉が🍁暖かいのねー♪途中に熊野神社がありました。こちらも500年前に建立されたそうです。おしゃべりするねこちゃん🐈⬛お昼にひつまぶしを食べました美味しかった
世界遺産・韮山反射炉のあと、同じく静岡県伊豆の国市にある韮山城に行きました。この城は反射炉からすぐ近くにあります。韮山城は北条早雲が伊豆支配の拠点とし、小田原制圧後も居城を移さず、終(つい)の城として生涯住んだ城です。豊臣秀吉の北条攻めでは半日で落城した山中城と違い、4万もの大軍勢を前に3、4カ月も持ち堪え、最終的には落城ではなく開城で明け渡された難攻不落の城でした名城へ入城です登城口から立派な堀が迎えてくれます三の丸へ登っていくとそこは高校のグランドでした三の丸から二の丸へ向か
こんにちは!ゲンです。記事が前後してしまいますが先週は地元である伊豆に行ってきました。久しぶりに伊豆箱根鉄道にのりましたがラブライブ仕様になっていて驚きまずは伊豆長岡駅で降りてジョク開始。源頼朝が配流された蛭ヶ小島へ。平治の乱で敗れこの地に流された頼朝ですが監視はさほど厳しくなかったようでここから伊東や熱海まで足を伸ばしてたそう。頼朝と北条政子かな?昔と違って今は公園として整備されていて食事処まであります。蛭ヶ小島を後にして韮山城へ。韮山城は関東侵攻の足掛かりに北条
こんにちは。本日は、4か月ぶりの「おもしろ歴史ウォーキング」シリーズ新刊本のお知らせです。タイトルは、「おもしろ歴史ウォーキング相模・伊豆国編」。本書は、ご好評をいただいている「東京編」、「東京編2」、「東京編3」、「神奈川編」、「首都圏編」、「関東編」、「最新関東編」に続く第8弾です。なぜ、「神奈川・静岡編」ではないのかと思われるかもしれませぬ。それは、今回ご紹介するスポットが、かつての相模国、伊豆国に密接にかかわってくるからで
〖桜の季節は恋の季節〗⚫新生活が始まりましたね♪⚫↓♪こちらからどうぞ♪↓☆紋次郎SHOP☆↑こちらをクリック↑★4月のおすすめ商品★〘新生活応援キャンペーン〙【収納付きベッドフレーム】「コンセント付き!棚、引出し付き」ベッド収納付き引き出し付き木製棚付き宮付きコンセ…¥25,800(税込)【高級モダンの象徴/HighQualityModern】1:Design/洗練されたシンプルモダンデザイン2:Headboard/棚&コンセント付きヘッドボード3
【問題】韮山城(静岡県伊豆の国市)は、別名「龍城」とも呼ばれる。○か×か?【選択肢】○×【正解】○【解説】韮山城は、龍城山と呼ばれる丘陵に沿った形で、縦に曲輪が連なる平山城で、別名「龍城」とも呼ばれる。現在でも、土塁や横堀などの遺構が残っている。
【問題】韮山城(静岡県伊豆の国市)は、別名「龍城」とも呼ばれる。○か×か?【選択肢】○×【正解】◯【解説】韮山城は、龍城山と呼ばれる丘陵に沿った形で、縦に曲輪が連なる平山城で、別名「龍城」とも呼ばれる。現在でも、土塁や横堀などの遺構が残っている。