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●今、ここにいるだけでありがたい。こんにちは。愛媛県新居浜市で活動中「復職前に子育てに安心と自信を!ファミリー・ハンド・サイン:新居浜」西原浄子です。9年前の今日のこと、今でも鮮明に覚えています。自分が見ている映像が、現実のものとは思えず、震えが止まらなかった。同じ日本で起きた震災のことを、決して忘れてはいけない。あの日、亡くなった方。家族を亡くされた方。住む場所をなくした方。まだ家族を待ち続けている方がいること。生まれてきてくれたわが子たちにも伝えないとな。今、ここにいる
今日は東日本大震災のあった3月11日です。わたしはその日は高知、香川を旅してて直接は被害の様子を見てません。ただただ、テレビを見て愕然としたのをおぼえています。まだまだ復興には遠い地域もあるし忘れてはいけないことがたくさん。いつ起きるかわからない地震に抗おうと思っても自然に勝てないからこそ人間の考える力で乗り越えて忘れないで語り継いでいくことが必要だとおもいます。わたしの娘はもはや震災を知らないけれど、教えてあげることは必要だからわかるような年になった時にお
311私はその頃約1年半くらいかなブログを休んでいたんです理由はなんとなく書けなくて書かずにいるうちにいよいよ書けなくなって書かずにいたら1年半というイマイチ盛り上がりにかけるカップルが自然消滅するよな感じのフェイドアウトでしたそれがねあの地震をキッカケにもう一度書き始めたのですシンプルにまた書きたいな、と思ってその時の記事はこちら▹▸▹▸1年半ぶりでございます昨日の夜日めくりカレンダーをめくる息子・チビ寅氏にね震災のことを少し話したのだけどあ
こんにちは⛅マンツーマン児童英会話講師U子です今日は、真面目な話をさせてください。英語とは全く関係ありません。今日は、3.11、東日本大震災があった日です。もう、あれから9年になります。私は当時妊婦でした。娘は、東日本大震災があった年の5月に生まれました。私は、関西に住んでいるので、直接、東日本大震災の被害を受けてはいませんが、阪神淡路大震災の経験者として、他人事とは思えなかったのを覚えています。ニュースを見て、津波の恐ろしさを初めて思い知らされた災害でした。津波の映像が何
東日本大震災から9年早いもので9年とは。。。当時私は東京汐留で働いていましたが、友人たちと中野坂上まで歩きました。その道中の異様な雰囲気といったらなんとも。。。9年たった今でもあの日のことは鮮明に覚えています。震災の日ともあって、妹ちゃんと近くの神社にお参りしてみました。震災のこと、子供たちは教科書などでしか知ることがないこの世代にどう伝えていけるだろう。そんなことを思います。生きている素晴らしさ、生まれてくる奇跡。当たり前のことが幸せ。今後、上手く伝えられるといいな~。
1年前の3月11日に私は「せめて10年だけでも」とタイトルを打って震災のことを書いています。震災に関してはこのブログではなくて別のブログに書いていたこともあってこのブログにあのような形で書かせていただいたのは1年前の、あの投稿が初めてだったように思います。別のブログは、愛犬たちの日常を綴るのがメインだったため一昨年に愛犬が死んでしまったことにより見るのも読むのも辛くなって閉じたまま
こんにちは。今日は3月11日。東日本大震災発生から9年目になりました。被災地した地域をテレビなどで見たとき、これは数年でなんとかなるものではないことはすぐに実感しました。同時に時が経つにつれ、被災していない地域で暮らしていると記憶から遠ざかることは避けられないことも感じていました。なので、毎年この日にはその時感じたことを文字にしてリマインドを心がけています。今年は新型コロナウィルスの影響が大きく、震災のことですら覆ってしまいそうな雰囲気になっています。9年
東日本大震災から9年去年訪れた時の記事を読み返してみた復興は進んでいるけど、まだまだ苦しんでいる人達が多いのも事実今回の新型コロナ騒動で感じたけど、震災のことも忘れつつ、日本は平和ボケしているのが一番の危機だね
先日、テレビで3.11のことを紙芝居で伝える活動をしている高校生たちの話をみていました。次の世代に震災のことを風化しないよう、つたえていきたいという思い。9年前に生まれた子どもたちは、何も知らずに生活をしているけれど、水道が使える、電気やガスが使える、家族と過ごせる生活という当たり前だと思っていることが、当たり前ではないということを伝えたい。高校生の彼女たちが当時、9歳のときに体験した東日本大震災での出来事を、今の小学2年生の子どもたちにどうやったら伝えられるかを考え、紙芝居という形にし
あの日から9年信じ難い経験をした2011年3月11日当時16歳だった羽生少年25歳になった青年はその時の事をあまり鮮明に思い出したくないいまでも震災のこととか考えると泣いたりする夜もあるそうだったんだね…でもでもやっと…進んで行けているっていう感覚が出てきたなって思っている良かった忘れてはいけないけれど前を向いて進んでいくしかないものね今、また私たちは乗り越えなくてはいけない事がある新コロナウィルスという厄い困難を乗り越えるため羽生くんのように日
当時、会議室で、引き継ぎの打ち合わせしてた。そして、地震。すごいゆれた。事務所にすぐ行くと棚が倒れている。すごかったようだ。そして、階段から外へ出る。皇居に避難する途中、ビルがゆれているのがわかる。自宅に電話するもつうじない。自分だけつうじなかった。みんなより一時間してやっと通じた。長男(当時10ヶ月)とかみさんは無事だ。よかった。その日は帰れず事務所に泊まり次の日に帰った。当日の食べ物などはよく覚えていないがそれ以降カップラーメンやおむつ水などがスーパーからな
僕らは進んで行くそれでも進み続けてく何かを信じられる心が残っているから(浜崎あゆみ『progress』)明日で東日本大震災から9年。9年経ったけれど、あの日のことは今でもはっきり覚えています。自分は三重県という、被災地からは遠く離れた場所にいましたが、次々と鳴り続ける地震や津波を知らせるメールの着信音とか、テレビで見たビニールハウスや家が津波にのまれていく映像、そして夜中に同時に3つの緊急地震速報が流れて、日本が壊れてしまうんじゃないかと不安になったこと、多分一生忘れることはないと思
皆さん、こんばんは。まだ通り雨は降っているようです。気温差で少し体調を崩していますが、これも三寒四温、まさに春へと向かう、決まった通り道です。今年はその前の寒さが弱かったから、身体にこたえるのでしょうね。最近、社会で起きていることに過剰な反応が目立っています。でも、冷静に考えてみると分かります。毎年、インフルエンザやノロウイルスが流行したり、他の病気が流行して、もっと多くの人が感染して、もっと多くの人が亡くなっています。今年も、そうであるはずです。ただ、有効な治療薬が
数日前にも記事に書きましたが、改めて備蓄。見直そうと思いました。腐らないもの。トイレットペーパー、ティッシュ、などは、2週間から1ヶ月はもつ範囲。食料、水も、防災用のもの、2週間から1ヶ月分。外に出られない時でも、なんとかなる範囲で少しずつ揃えています。本来、ミニマリストに近づきたい私は、ストックも最小にしたいのですが、それは普段の何も無い時には問題ないのですが、今回のマスクにしても消毒液にしても、急に完売になるとか、こういうことが起きると本当に困るので、少しずつ
こんにちは。日曜日は、大人しくどこも出掛けずに「シューイチ」で吉永小百合さんを観て目の保養~~午後は、PCを立ち上げてAbemaTVの「7.2新しい別の窓」を流しっぱなしにしてました。はい、7時間。途中で掃除したりゴハンたべたり洗濯したりしながらずっと観てました。(ローラースケートで踊ってくれるかもと一瞬期待した。笑)新しい地図の皆さんは相変わらず魅力的で目の保養~~月曜の夜は、大好きなたけしさんの特番で目の保養~~ハワイで
NHKNEWSWEB2020年2月29日15時42分東日本大震災の津波で被災した宮城県女川町にある「旧女川交番」が震災遺構として整備され、29日、工事の完成を記念する式典が開かれました。震災の津波で横倒しになった宮城県女川町の「旧女川交番」は、津波の威力のすさまじさを後世に伝える「震災遺構」として整備が進められてきました。この工事が震災から9年を前に完了し、29日開かれた記念の式典では、出席者が全員で黙とうをささげ犠牲者を悼みました。震災遺構として整備された「旧女川交番」の周辺は
お元気ですか?非常識なセラピストのさとまんです。コロナの影響で、様々なイベントが中止になったり。学校がお休みになったりしています。今は感染が広がるのを防ぐことが重要ですから。当然だと思います。サラリーマンは、通勤ラッシュが危険なので。テレワークにしたり。時間差通勤したり。企業も出来る限りの努力をしはじめています。かく云う私もサラリーマンの身ですから。在宅勤務しましたよ。で、昼休みの時間にマツキヨにお買い物に行ったら。トイレットペーパー、キッチンペーパー、ティッシュが各1
今日は朝、出勤する途中できれいなお花見れました。春ですねぇそして、いつものとおりいつもの時間の流れでしたが・・・ツイッターで、あれれ、髪がない…神がない……紙がないでしたまじでないやんねぇ、震災のこと思い出してよ。そんなに困ってないじゃん。買いだめやめようよ本当に。困ったら助け合えばよいやんそんな気持ちが…よいことは、今日はね、ゆりえさんが、いいねしてくれたのうししっさっ、生きていこう!
1995年1月17日の阪神淡路大震災から25年が経っている。松『阪神淡路大震災から25年が経ってますね。』ハル『そうですね(^_-)-☆震災を忘れないようにしましようね。』松『猫のマロ様は、震災のことは、分かりません。今は、笑い😊を大切にしてJUNONボーイ様の応援していきましょう。』ハル『はい(・∀・∩)それが今の復興ですね。』
今日は嬉しかったことが2つもあったよ♡まずはトワさん、週末の宿題に作文があって、そのテーマが震災のこと。だったんだけど、今日、先生がよく書けてる子のを3人分読んでくれたそうで、その中の1人になったで!って。週末、実家に泊まりに行ってたトワさんは、日曜日の朝に、じぃじと頑張って書いたそうです。自分は体験してないので、震災当時が、今のトワと同じ年だった私のこととか、じぃじが経験したこととか、詳しく書いて、まとめていました。土曜日に書くわーと始めた時は、何書くかも決めてないまま書き始めよっ
神戸市西区・西神南・明石市ピアノ教室《MUSICPHARMACY.》内多陽子のブログにご訪問いただきありがとうございます♡ただいま生徒さま募集中です!!MUSICPHARMACY.お問い合わせはこちらまでこれは5年前の1/18の記事です↓↓5年前の記事を読み返しても、私の気持ちはあの時と変わらないです。だから、1/17は投稿しませんでした。被災した方々をそっとしたかった。昨日のレッスンでレッスンにお越しになられたSくんが
毎年、思い出されます、あの瞬間に自分の目に写った情景。神戸に居たわけではありませんが、一番大きな地震を経験したことは間違いありません。時間の経過と共にテレビで徐々に映像と共に神戸の街の悲惨な現状…自然災害の脅威、大空襲に合い、焼け野原になったのではなく、わずか25年前のことなのだ。とはいっても人の寿命から考えると25年の月日の経過は、震災のことを知らない人、美しい神戸の街しか知らない人の方が多くなりつつある。私の子どもも震災を知らない人なのだ。今の時代なら、誰もがスマホで映像記録を残
記憶つなぎ教訓生かす若い力神戸発、震災後世代の奮闘1/18(土)8:30配信神戸新聞NEXT震災の経験を商店主から聞く長谷川紗椰香さん(右から2人目)=17日午後2時13分、神戸市長田区、大正筋商店街記憶の継承の在り方が問われる中、震災を知らない若い世代は17日の追悼行事や催しに参加し、伝える責任と向き合った。25年前のあの日を経験していない自分たちが、どう風化を食い止め、教訓を次代へとつなぐか。阪神・淡路大震災の被災地で経験者の声に耳を傾ける。(杉山雅崇、竹本拓也、地道優
そうです。今日は母親の92歳の誕生日。ショートステイ中なので、向こうでお祝いしてもらっているでしょうか。この過去の記事は2年前のものですが、あんまり状態は変わってない(^_^;)多分車椅子に乗るようになったことくらいかな。あ、オムツ使うようになったことも。それと食事が自分で食べられなくなって、全介助が必要になったこと。…めっちゃ進んでるやん(¯−¯)でも多分いちばん変わったことは、私自身のこと。行きたいところは行くようになったし、色んな我慢もしなくなった。兄さんが家を出た
皆さまこんにちは、こんばんは。今回の記事は参加ジャンルや普段紹介している京都のことはまったく関係ありませんし、この記事を書くかどうか迷いました。この記事によって傷つく人が、不快に思う人がいるかもしれません。でも、自分の気持ちを整理したい。少しでもこういうことがあったと知ってもらいたくて記事を書き、アップさせていただくことにしました。上手くまとめることができないかもしれません、誰かを傷つけてしまうかもしれません。でもよければ最後まで読んでください。さて、今日は1月1
いつもありがとうございます。宝塚・アロマエステスクール&サポートeclat(エクラ)です。1月17日、いつもより冷え込む朝になりましたね。25年前の早朝も今日のような寒い朝でした。今生きていられることが奇跡の積み重ねなんだと心に刻みこの震災のことを忘れずにこれからも過ごしていきます。被災したときにはまだ知らなかったアロマテラピーですが不安な時期に知り合った方に教えていただいた香りに気持ちがほっとしました。ただ嗅ぐだけ一
新聞紙スリッパ作り兵庫県立大学のお姉さんたちに教えてもらいました!明かりを灯してきました。たくさんの方いましたお姉ちゃんも。当時小学校6年の12歳の私震災から25年で37歳震災生き延びてるからいまがあり4人こどももいてです。いまの実家は全壊して建て直してと親のすごさは感じる。仕事も震災のときに両親共に変わり必死で働いてとなかなかできないよなーと大人になって思う。父親とか嫌がらせもありながらも仕事行ってたし、母親も営業の仕事とか。本当大変だったろうなあと。亡くなった方のた
今日で阪神大震災から25年区役所の半旗の見ただけでジワっと涙が出てしまいました追悼ニュースの映像をみたら涙が止まりませんきざむ1.17忘れないように悲しかった気持ちも前に進もうと思った気持ちも刻もう防災に関しても改めて学びなおします今日の神戸は曇り空今朝、家を出て「寒いなぁ」と思ったけど、あの日は地震の衝撃と変わり果てた街の姿に寒さも感じず、ただこれからどうなるのか?と恐怖と不安を感じた朝でしたあれから25年街の姿も随分変わりましたが震災のこと