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宇治の萬福寺から届いたお茶を川根のお茶屋さんからいただいた茶筒に移して煎茶道の師匠からいただいた茶合で計って消防団永年勤続表彰の記念品金谷の志戸呂焼きの急須で淹れて東京ディズニーランドのお土産のカップに注いで、美味しい一杯を。島田駅前の寿真庵にて。。。お茶菓子はいつものです。
確か二度目の参拝かなぁ海福寺(かいふくじ)は、東京都目黒区下目黒にある黄檗宗の寺院。山号は永寿山。本尊は釈迦如来坐像。元々は江戸の深川に真言宗の自肯庵から始まり、のちに曹洞宗の僧侶、独本性源が住持した。黄檗宗の開祖隠元禅師が来日した折に、開基を願い、隠元禅師を初代、自分を二代目とした。万治元年(1658年)。日本で隠元禅師が初めて開いた寺院である。明治43年(1910年)、現在地に移転。移転に伴う墓地整理の際に檀家の溝口家のミイラが発掘され、東京帝国大学に献体された。海
「2022年7月長崎・福岡3泊旅行2日目その1」は、「私の百寺巡礼」と題して、私がライフワークとして行っている参拝の「第二十五番目」のお寺として、「興福寺」を訪問したときの模様をまとめます。※※※※※※※※※※「百寺巡礼」。作家の五木寛之さんがかつて二年間をかけて、全国の百の古刹・名刹を訪ねるということを成し遂げられました。それらは書籍化だけでなく、放映もされて、当時私の心を揺さぶりました。その足跡を追う旅が始まったのが2018年11月。題して「私の百寺巡
令和5年黄檗宗カレンダー(小)7月です。寿真庵の一転語シールにもなってます。「慈悲の心、これ佛心」黄檗宗の開祖隠元禅師が遺された一語と記憶してます。
隠元禅師350年大遠諱の記念品を紹介するシリーズ(その7)9日前に紹介したのと同じ色です。滋賀県東近江市の正瑞禅寺から発行された一冊「黄檗開山國師大遠諱記念」と記されています。「三籟」=天・地・人の発する響き恥ずかしながら、「附乩筆」の意味を知りません。
隠元禅師350年大遠諱の記念品を紹介するシリーズ(その6)黄檗山聯額集黄檗山には、伽藍のあちらこちらに聯や額が掲げられています。心得の無い私にはよくわかりませんが、明朝末期の書のお手本かと思ってます。
隠元禅師350年大遠諱の記念品を紹介するシリーズ(その5)大阪にある瑞龍寺(通称:鉄眼寺)の住職が書かれた一冊隠元禅師が本当に言いたかったことって、、、
6月9日、三室戸寺のアジサイ園に行った後、もう一ヶ所参拝してきました。車で10分もかからないところに、黄檗宗の大本山萬福寺があるのです。萬福寺は、京都府宇治市にある黄檗宗の大本山の寺院。山号は黄檗山。本尊は釈迦如来。日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した黄檗宗の中心寺院で、明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する。総門中国福建省から渡来された隠元禅師が開創された萬福寺は、明朝
隠元禅師350年大遠諱の記念品を紹介するシリーズ(その4)滋賀県にある祥光寺の住職が書かれた長いタイトルの本です。扱われているのは、隠元禅師の師匠筋から始まる萬福寺歴代住持のほか、後水尾法皇、売茶翁、伊藤若冲など、黄檗にゆかりのある方々です。
隠元禅師350年大遠諱の記念品を紹介するシリーズ(その3)禅文化研究所からが発行された冊子です。2回にわたって黄檗禅が特集されています。
隠元禅師350年大遠諱の記念品として届いた黄檗ブランドのお茶パッケージの裏側に説明書きが、、、黄檗山も世界を相手にしてます。そんな銘茶に対抗するわけではありませんが、島田では新茶のペットボトルが出来上がりました。栄西禅師をモチーフにしたキャラクターのデザインお寺に来られるお客さま用に最適です。隠元禅師400年大遠諱では、福寿園の銘茶とともに記念品のラインナップに加えてもらいたいものです。そのときには、私も、記念のお茶で煎茶道黄檗弘風流の腕前を披
隠元禅師350年大遠諱の記念品を紹介するシリーズ二品目です。報恩の包みの中身は、京の名店「福寿園」が手がけた煎茶です。黄檗山ブランドのパッケージにてきっと美味しいと思います。ただ、こういうものを開けるタイミングを考えてしまう性格なので、、、
黄檗山から届いた隠元禅師350年大遠諱の記念品を紹介するシリーズその第一弾です。令和4年5月3日の大遠諱に先立ち、天皇から隠元禅師に新たな大師号が加諡されました。その書状の写しを軸にしたものです。「厳統大師」「真空大師」、「華光大師」に続いて3つ目の大師号です。
日本で黄檗宗を開いた隠元禅師の350年遠諱の記念にといただきました。袋には、宗祖隠元禅師のサインもプリントされてます。その中身については、これからのブログネタとして小出しに紹介していく魂胆です。
5月19日(金)雨の黄檗山7枚も写真を載せましたが、雨に濡れるお寺を撮影するために宇治まで行ったわけではなくて、黄檗宗を開いた隠元禅師の宗祖忌ということで、※お供え物を開山堂まで運ぶところ。法要のあと、普茶料理(黄檗流精進料理)のお弁当をいただいて、お土産は、妻の好きな落雁と宗務総長からもらった、隠元禅師の漫画本です。
☆日本最古の黄檗宗の寺山門…通称「あか門」。扁額の「初登宝地」は隠元禅師の御書。寛文3年(1663年・江戸時代)の長崎大火で焼失した初代の山門に代わり、元禄3年(1690年・江戸時代)に日本人工匠によって再建。宗派…黄檗宗(おおばくしゅう)山号…東明山ご本尊…釈迦如来創建…寛永元年(1624年・江戸時代)中国の僧・真円により創建された、日本で最初の唐寺。大雄宝殿(本堂)…寛永9年(1632年・江戸時代)建立。国の重要文化財。中国工匠による純粋の中国建築で、氷裂式組子の丸窓、アーチ
今晩は。今日もお立ち寄りいただき、感謝いたします。✨✨神さまご縁つなぎ・ことだまヒーラーの「陽菜海.(ひなみ)」です。有難いご縁のある方に、少しでもほっこり・楽しんでいただける時間であったら良いな。と思います♡【今日は何の日ブログスタンプ】2022年7月21日(木)から2周目の投稿になりました♡できるだけAmebaブログさんのお題に合っている“カバー写真”で投稿できるように本日も挑戦中です。✨💻
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようインゲン豆の日由来夏に旬をむかえるいんげん豆だが何故④月③日がいんげん豆の日なのだろうか⁉️いんげん豆を日本に伝えたのは中国の隠元禅師というお坊さんといわれ、いんげん豆という名はこの『隠元(いんげん)』から名付けられたとか。この隠元禅師が亡くなったのが①⑥⑦③年④月③日。それにちなみ、この日がいんげん豆の日となった。伝わった日ではなく、伝えた人の命日というわけだ。インゲン豆食卓のおなじみの食材でもあるが、いんげん豆につ
4月3日は、黄檗の宗祖隠元禅師が亡くなった日です。令和4年が350年大遠諱の年でした。50年に一度の大事業です。数年前から準備が始まり、萬福寺を中心に様々な記念事業が行われました。あらためて、関わった多くの方々のご苦労を想いつつ、、、それから、黄檗山萬福寺は、煎茶の聖地でもあることから、「お茶の京都DMO」でも何度も紹介していただきました。【お茶の京都ぶらり旅】~宇治編①~知ってたつもり!?萬福寺-YouTube“萬福寺ランタン”LIVE配信
こんばんは、今日も来てくれてありがとうございます。今日はインゲン豆の日です。インゲン豆の日と言ってもインゲン豆普及のための日ではないのですよ!今日は中国からインゲン豆を持ってきた隠元禅師の亡くなった日です。「隠元和尚」の呼び名の方が私には親しみがあります。隠元和尚様は日本からの要請で中国から弟子たちを引き連れてやってきた和尚様一年で弟子の半分が帰国してしまったというのに任期を過ぎてもずっと日本にいてくれました。日本の民にはとても馴染みやすい説法
今日は朝から雲間に見える青空が、久しぶりに際立って見える好天でした。外歩きの時、いつもとルートを変えて小学校の横を通ると、まだまだ桜が楽しめたので、つい写真に収めてしまいました。毎週マメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう『インゲン豆の日』は、1673年(延宝元年)の今日、いんげん豆を日本に伝えたとされる隠元禅師が亡くなった日にちなんで制定されました。隠元
毎週マメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようなるほど、、、こういう事か…いんげん豆の日1673(延宝元)年のこの日、いんげん豆を日本にもたらしたとされる隠元禅師が亡くなった。毎日マメにしてる事??絶対に毎日となると、、、毎朝リンゴ1個食べてから食事!!(笑)(それもスターカット=輪切り=で皮も食べてますよ)起きても直ぐにお腹が空かない人なもんで先ずお腹に入れるのが、、毎朝リンゴです!!確
2023.04.03.今日はいんげん豆の日こんにちは今日はいんげん豆の日です元々の由来はいんげん豆を中国から日本へ伝えたとされるお坊さん隠元禅師が1673年(延宝元)4月3日に亡くなりそれにちなんでこの日をいんげん豆の日としました
毎週、いや毎日のように、マメにしていることはブログ更新更新しないと、何か忘れ物したようで。でも、もっと内容のある更新をしたいですね。そう考えると出来なくなってしまうから今のままでいいか。毎週マメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプどうして今日がインゲン豆の日?1673年(延宝元年)4月3日中国からいんげん豆を持ってきたとされる隠元禅師。その命日にちなんで、いんげんの日に制定。なるほど
毎週マメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今日は「インゲン豆の日」です。いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師(隠元隆琦)の忌日にちなんで4月3日に制定された記念日です。隠元禅師は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日しました。いんげん豆を精進料理の材料として日本に広く普及させております。いんげん豆は三度豆とも呼ばれていますね。その名の通り、一年に三度収穫できるので三度豆と呼ぶそうです。大豆屋<高鍋商
定番ドーナッツのミニが6個選んで少しずつ、いろいろ食べられて美味しかった。さて、今日はインゲン豆の日!毎週マメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこの日のいわれはこちらです。『今日はインゲン豆の日(4/3)』1673年(延宝元年)4月3日、中国からいんげん豆を持ってきたとされる隠元禅師。その命日にちなんで、いんげんの日に制定。インゲン豆が使われた料理といえば?…ameblo.jp励みのた
毎週マメにしていることは?仏壇に手を合わせる。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういんげん豆の日(4月3日記念日)1673年(延宝元年)のこの日、いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師が亡くなった。隠元禅師隠元禅師(1594~1673)は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日して日本黄檗宗を開祖した人物。来日後、将軍徳川家綱により厚くもてなされ、中国にいた時と同じ萬福寺というお寺を京都・宇治に創建した。また、いんげん豆を禅の普茶料理
さあ!今日は何の日(^_^)/今日は!!!いんげん豆の日なんだそうです(笑)いんげん豆を中国から伝えた隠元禅師の命日なんであそうです。誰???誰???(苦笑)その日にちなんで制定されたそうです。料理のつけ合わせに使われるいわてる!どじょういんげんと言うんだそうです。は南米ペルーが原産。現在はほとんどがアメリカからの輸入されるそうです。この・・・隠元禅師は、江戸時代に中国の明から日本に渡ってきて、京都の宇治に黄檗山(おうばくざん)万福寺(まんぷくじ)を開いた方なんだそうです。いんげん豆のほか、
毎週マメにしていることは?Aまあね▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう✋おいっす✋今日の記念日はなんじゃいな?〜いんげん豆の日〜いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師(隠元隆琦)の忌日にちなんで4月3日に制定された記念日。隠元禅師忌日寛文13年4月3日(新暦:1673年5月19日)隠元禅師は中国・明の禅僧で江戸時代前期に来日。いんげん豆を精進料理の材料として日本に広く普及させております。また同師は禅の宗派のひとつに数えられる日本黄檗宗の祖でもあり能書
毎週マメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういんげん豆の日(4月3日記念日)1673年(延宝元年)のこの日、いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師が亡くなった。隠元禅師(1594~1673)は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日して日本黄檗宗を開祖した人物。来日後、将軍徳川家綱により厚くもてなされ、中国にいた時と同じ萬福寺というお寺を京都・宇治に創建した。また、いんげん豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させた。