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自坊では毎月法座をおつとめしていますが、平成7年に建った本堂が建築中の時には休座していました。その頃、自転車で本堂建築の様子を常に見に来られていたご門徒のおじいさんがおられました。その方はあまり話をされることもなく、いつも「おう、だいぶ建ってきたな」「屋根ができたな」などと言って帰っていかれました。しばらくして本堂が完成し、毎月の法座を再開しました。そのおじいさんは、法座の時はいつも阿弥陀さまの真正面でお聴聞されていました。法座が終わると、おじいさんは毎回のように「慈悲ってどういうこと
7月11日より本伝寺にて祠堂経会をお勤めしています昨年は新型コロナウイルス感染拡大のため、内勤めでしたので、2年ぶりとなります毎年お勤め出来るものだと思っていたことが間違いだったなと噛み締めながら迎えました初日は正午過ぎからかなりひどい雷雨で心配されましたが、13時半頃には止み、無事始めることが出来ました内陣のお荘厳阿弥陀さま(真ん中)、親鸞さま(右)、蓮如さま(左)。祠堂(本堂へのご寄付)を下さった方々の法名軸飴🍬と一緒に袋詰め張り替えた網戸本伝寺参道の入り口の側溝清掃中に現れ
浄土真宗では、伝統的に阿弥陀さまのことを「親さま」とよんで仰(あお)いできました。けれども、それは、私たちが阿弥陀さまから生まれたということではありません。煩悩にまみれた身で、仏さまのことを「親さま」とよべるのはなぜでしょうか。それは、阿弥陀さまのほうから「親の名のり」をしてくださったからです。「親の名のり」とは「南無阿弥陀仏」です。それは「我(われ)にまかせよ、必ず救う」という、阿弥陀さまが私をよんでくださるよび声でした。「南無」とは「おまかせします」という意味です。しかし、迷ってい
お念仏は、大変功徳のあるものです。そして、阿弥陀様の極楽浄土へ往生させていただける素晴らしいものです。では、お念仏を称えながら、どのような生活を心掛けたらよいのでしょうか。法然上人の御法語に念仏して往生するに不足なしといいて、悪業をもはばからず、行ずべき慈悲をも行ぜず、念仏をもはげまざらん事は、仏教のおきてに相違するなり。たとえば父母の慈悲は、よき子をも、あしき子をもはぐくめども、よき子をばよろこび、あしき子をばなげくがごとし。仏は一切衆生をあわれみて、よきをも、あしきをもわたし給え
昨年の7月26日に神奈川県相模原市で知的障害者の施設を利用する19名が刺殺されるという、大変痛ましい事件が起きました。自首した犯人は施設の元職員で、「障害者はいなくなればいい」と供述していました。戦後最悪といわれる殺人事件であり、また、犯行に至る動機から、マスコミでも大きく取り上げられました。「障害者はいなくなればいい」という言葉には、「障害者は不幸をつくることしかできない」という考えが根底にはあり、「障害者は死んだほうが幸せ」というのが犯行の動機です。その考えに対して、非難の声が多く
丑20210472021年06月19日(土)昨年出来なかったおふくろの三回忌親父の一周忌納骨行われました法要前日親戚からお花が届きました法要当日納骨時に雨が降りましたが無事に終わりましたこの状況下なので会食はなし。叔父が来ていたので寿司を食べに行ったりすき焼きやしゃぶしゃぶを食べたり法要の翌日には阿弥陀さまに逢いにようやく納骨ができて一安心。家から近いのでできる限りお墓参りをしよう親父おふくろ見守ってください。
嬉しいお参りです!今日のお荘厳!お花仏華壁花お佛飯こんもりと阿弥陀さま綺麗に優しくとりどりとキウイとメロンは婦人会長からのお供えです。爽やかに住職と同級生ですがお一人でお暮らし!仲良し親子で、嬉しいご縁でした。なもたみだふつなもたみだふつなもたみだふつ
京都・太秦にある広隆寺の弥勒菩薩さま国宝の弥勒菩薩さまをずっと実際に見てみたくて♡〜その理由は、布袋さんは、弥勒菩薩さまの化身だといわれてるからです旦那さんと布袋さんとはちょっとしたご縁がありまして^^〜京都あるあるですが、近いのに行ったことがないというところが、まだまだあります。(写真は撮れないので、おかりしてきました)国宝や重要文化財になる仏像の数々・・凄いこんなにあるとは・・冊子を見て驚きました!!「ほとん
今日の仏華今日のお供えお佛飯ありがとう嬉しい心から感謝みんなにありがとう阿弥陀さま
谷川俊太郎さんと元永定正さんペア絵本ご紹介part2.絵本「あみだだだ」谷川俊太郎ぶん元永定正え中辻悦子構成あみだだだあみだだだまっすぐおりてこれなあに?あみだだだだあみだだこのみちそのみちどこへいく?*****濁点多くて調子良くリズム取りながら読んでいける*****まっすぐ一本線のあみだは最初のページだけあとは入り組んで入り組みすぎて到達する道のりが果てしなく遠いあみだくじばかりでも一応ハズレはなさそうだこれは人生
聞けば、その女性とのであいは、本願寺の永代経のおつとめの時でした。ご主人を亡くされたご縁で、幼い男の子と二人でお参りされていたのですが、大切なご主人のことを思い出してか、おつとめの最中、ずっと涙を流しておられました。その横で、幼い男の子はニコニコとアミダさまのお顔をのぞき込んでいました。そしておつとめが終わると、男の子は一目散に外の縁側へと走っていったのです。広い縁側には、節穴などを補修した、いろいろな形の「埋(う)め木」がたくさんあります。男の子はそれを見ながら「富士山だ!」「ひょう
この話を聞かせていただいて、私はふと阿弥陀さまのことを思ったのです。阿弥陀さまはいつでも・どこでも・どなたにもはたらき続けている仏さま。つまり、今・ここで・この私にはたらいていてくださる仏さまです。『仏説観無量寿経』というお経に、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」というお言葉があります。親鸞聖人はこのお言葉の意味を「ものの逃ぐるを追はへとるなり」「ひとたびとりて永く捨てぬなり」とお示しくださいました。阿弥陀さまから、せっかく救いのおはたらきが与えられていても、そのお心に背き、逃げ出す私がい
演奏会の終了後、打ち上げの時にF君がボソっと私に言ってくれた一言があります。「お前がいてくれたからバリトンのパートがまとまることができたよ。ありがとう」私は思いもよらないF君の言葉にびっくりしたと同時に、私を見ていてくれたことがうれしく、ホッと肩の力が抜けました。そして、そんなF君にひどいことを思っていた自分を恥じました。思えば、皆の羨望(せんぼう)やプレッシャーに耐え、一人本番に臨まねばならなかったF君の方がよほど苦しかったに違いありません。それなのに私は「どうしてわかってくれな
今月は、日常にお称えしているお念仏と臨終を迎える時に称えるお念仏とを見ていきたいと思います。法然上人の御法語に問うていわく。最後の念仏と平生の念仏と、いずれかすぐれたるや。答えていわく。ただおなじ事なり。そのゆえは、平生の念仏、臨終の念仏とて、なんのかわりめかあらん。平生の念仏の、死ぬれば臨終の念仏となり、臨終の念仏の、のぶれば平生の念仏となり。【念仏往生要義抄・昭法全686】訳:ある人が法然上人に「臨終に称えるお念仏と常平生に称えるお念仏とでは、いずれが勝れているでしょう
おはようございます🎵昨日の左官屋になってミルゥの続き…🌠まずはセメントに水を加えて混ぜる🌀割り箸を数本持って少しずつ水を加えながら🌀混ぜるがヨシ✌️右下のグッズを使って目地にのせていきます〜💪真ん中の甘酒はレジ待ちの時に目に入ったから。お稲荷さんの好物だと教えてもらったので衝動買いしちゃった😁遠くからみたらそんなにわからないけれども近くによるとホラッ汚れてる〜😅お客様の仕事の都合で急に帰ることになり一晩お風呂が空いたのですよ〜コレはキレイにしなさいとの
こんにちは。キュアサロンマナです。去年の今頃、「いいね!」が、まだ1桁台だった頃に書いてました。リブログさせてくださいね。写真もイラストも入れてなく、ただ文章だけでした。寂しいブログでしたね。簡単投稿で、申し訳ありません。最後まで読んでいただきありがとうございました。
先日は細々とありがとうございました。私の123位と一緒でした。今日はあみだおっさんからなんですがね、やっぱりね、前にもなんか言ってたけど「おっさん」と呼んでいいのは限られた人だけなのね。みなさんは「あみださま」って呼んでほしいそうで。阿弥陀さまにすると普通の阿弥陀如来さまとごっちゃになるので普通の阿弥陀如来さまは阿弥陀さま、あみだおっさんはあみださま、で、みなさんもそうされてください。で、なんかしてほしいらしいアンケート。【あみだおっさんは好き?嫌い?興味無い?】土曜日の消印2
お話のためにいろいろ読み漁っていますなかなか悩ましい浄土真宗は「信」の仏道だと聞かされてきたわけですが、一体その「信」とは今回は、宮城顗さんの言葉をご紹介しますね本願を信ずるということは、本願というものを私が信ずるのではない。本願が起こされてあるということは、実は私が信じられているということです。願いが起こされているということは、信じきられているということなのです。信じてもいないものに願いを起こすなどということはないのでしょう。本願という信ずる対象があるのではな
先日は春の永代経法要が勤まりました。美祢から白石智昭先生がお越しくださりました。楽しく、有り難く、ご門徒さまとも一緒に喜ばせていただき、やっぱりお聴聞っていいな。阿弥陀さま有難いなと充実した2日間でした。次回は5月30日(日)の降誕会です。詳細は後日ご連絡致します。境内には鯉のぼり。気持ちよさそうにゆらゆら、ゆらゆら。
生家の氏神様とか調べていたお祭りが大好きで、夏が一年で一番楽しみ、待ち遠しかった子供の頃子供会のお囃子もやって小太鼓を、屋台の上で叩いていた子供の頃だったので、お祭りの意味は全く知らず、親やら、近所の、お年寄りにも、聞かず御神輿の意味も知らずに今思えば、御神輿は神様を乗せて、街を練り歩く大事な物だと多分、七五三で、7歳の時に行った、瀬戸神社では無いかと❓ネットで、頑張って調べてみたら、やっと分かった次第水の神様だった海上交通天神様も御祭神が多い神社の事は良く
おばあちゃんおじいちゃんの🍀法要🍀でお寺ヘ行って来た帰って来てからお母さんたちと話をしていたら右耳が✨キ〜ン✨と耳鳴りがしたおばあちゃんたちが✨そばにいますよ✨と言ってくれているんだなぁって感じたありがとうございます🍀✨南無阿弥陀仏✨阿弥陀さまが私たちに向かって🍀まかせよ必ず救う🍀というお心を告げて下さる声であるとの意味私は一人じゃないいつもたくさんの方から私はお守りいただいていますいつもそばにいて下さりありがとうございます🍀
さあ、車を停めて、お御堂に向かいます!御影堂の阿弥陀如来さま宗祖親鸞聖人さま二十三代勝如上人さま歴代御門主さま七高僧さま美しい内陣親鸞聖人さまなもたみだふつ本当の仏華なもたみだふつさま仏説無量寿経仏説観無量寿経仏説阿弥陀経の浄土三部経浄土真宗の根本聖典阿弥陀さまの出現するその意味=救いについて説かれています。その教えを親鸞聖人が立教開宗して後2年で800年になります!是非、皆さんで、本願寺にお参り致しましょう!楽しいですよ、京参り!
今日は大仏の日由来は、奈良の大仏の開眼供養の日だそうです。まあ、大仏にちなむ話題なら許容範囲だろうということで、ひとつ鎌倉大仏の話を。大仏を主題にした有名な短歌があります。藤四郎は中学生の時の国語の教科書にでてました。与謝野晶子の歌です。「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」「かまくらやみほとけなれどしゃかむには・・・」これは国語の教科書に載せてはいけないでしょ。鎌倉の大仏様は阿弥陀さまです。お釈迦さまではありません。手元の「名歌名句辞典
こんばんは、清秀です😊五劫思惟阿弥陀さま。せいせいるてん。すべてのものが、生まれて死に、死んで生まれることを繰り返すこと。形を変えて永遠に変化し続けること。考えすぎると、ろくなことにはならない。特に夜は。だけれど、今日は、私らしからぬことをしてしまい、思い出すたびに赤くなる。あ、ウルフルズの歌の歌詞みたいや…😝なんであんなこと…しちゃったんだろ。不思議と相手も受け入れてくれたけど…そういえば、昔は人見知りだったのにな。今では、レストランで隣に座った外国人の方にテキトーな
今月は、この世の中での諸々のことについて、どのように捉え、向き合っていけばいいのかを法然上人のお言葉を見ていきたいと思います。法然上人の御法語に現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろずをいといすてて、これをとどむべし。いわく、ひじりでも申されずば、めをもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流(る)行(ぎょう)して申すべし。流行して申されずば、家にいて申すべし。自力の衣食にて申されずば、
お墓参りをしました。一心に手を合わせ父を偲びました。声が届いたかな。ちょうど日が西に傾いていて、阿弥陀さまの浄土に向けても手を合わせました父が臥せっていたとき、病院の天井のシミを見て「阿弥陀さんが迎えに来とるわ」と言ったのを思い出します。お寺の帰りには総鎮守様にも詣でました。先日、大切な人のためにお願い🙏をしていましたが、その願いが叶いましたので御礼を申し上げました。本当によかった!日々、神仏に守られている有難さをひしひしと感じた時間でした。
明日の彼岸の中日を前に菩提寺の「法善寺」にて、蜜を避けるため、午前と午後に分かれて春彼岸の法要が行われました。我が家は、午後2時からの法要でした正面入り口浄土宗石上山正覚院法善寺本堂正面には阿弥陀仏様約一時間の法要ご、お塔婆を頂きお墓へお墓が、ない場合はお札を頂きました彼岸の日~暖かくぽかぽか陽気でした!法善寺様のホームページです春のお彼岸法要南無阿弥陀仏お彼岸法要です。消毒、換気、時短、人数少なく、コロナ仕様のお勤めです。
先日柏崎日報に「新成人のメッセージ」が掲載されていました。鯨波地区出身の学生・渡辺詩恩さんの文章を書きとめ、紹介しようと思います(行通寺のご門徒さんのお孫さんで、新聞にも載っているし、ブログでも紹介させていただく旨お願いしました。)成人を迎えるにあたり、今までを振り返ると家族や友人を始め、たくさんの人に支えられながら様々な出会いと経験を繰り返して今の私があると感じます。柏崎を離れて4年目の春になりますが、ちょうど4年前に新しい地で感じた最初の違和感は波の音が聞こえないことでした。自分
今日は父のご命日。丸8年…九回忌になりました。雨風の強い一日…お骨納めの日も、ひどい天気でお骨が飛ぶほどだったのを思い出します。本堂の法名殿…父と母が並んでいます。ご命日が一日違いの夫婦となりましたね。日々の生活をおろそかに過ごし、尊い呼びかけに応えられないダメダメの私を夫婦のダブルパンチのご命日で…呼びかけてくれてるんだと思います。さすがの私も手が合わさります…なんまんだぶつなんまんだぶつ南无阿彌陀佛…おじいちゃん、おばあちゃんは今日はこちらに…いつも四人並んでますが、