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昨日、義母の兄弟たちが集まり、義母が使っていた様々な物でこれからも使えるものを引き取りに来ました。私は年代も違うし、洋服のサイズも違うので引き続き、使わせていただける物が無かったのですが、兄弟たちはダンボールが一杯になるほど、品物を引き取っていきました。その後、食事へ。食べきれない程の量が出てきて、それでも8割方は完食しましたが。義母もいい人でしたが、兄弟
義母、義父。実母、実父。その4人を比べたら義母は誰よりもエネルギッシュで元気で一番長生きするものだと確信していた。家事も仕事もやって野菜も作って、広い庭の草むしりも抜かり無く。休んでいる暇があるのかってほど忙しくしていた。病気の発覚。入院、治療。自宅での日々。そして病院での最後。ほんの3ヶ月の出来事だった。あっという間だった。日々奮闘して自分なりに出来ることは全てやった。だから何も後悔はない。
葬儀場では密にならないよう最大限に気をつけて対応いただいた。通夜後、葬儀後、お弁当が配られた。別にそのまま解散でいいと思うんだけど、いつも通りやりたい義父。自宅に集まって食事。コロナだし、誰も文句を言わないと思うし、もしコロナ感染者が出たら葬儀場に迷惑が掛かるんだけど。リビングにぎゅうぎゅう詰め。お弁当があるのに追加でオードブルを頼む。どこかの神経
火葬が終わり、骨になった義母。本当に亡くなってしまったんだなぁと痛感しました。だって、さっきまでただ寝ているようにしか思えなかったから。肩を叩いたら普通に起きるんじゃないかなって。骨を義父と一緒にお骨に入れる。ここからは状況が細かく書かれており、気分を害す方もおられると思うので、閲覧注意ということで心の準備のある方のみ、読み進めていただければと思います。↓↓↓↓↓
短い間だったけど私のしてきた事を話せて良かった。お姉さんからの話もいくつかありました。義母は私達が結婚した事も本当に喜んでいたと聞いた。お姉さんは自分のところで事業をしており、そこで義母は事務職的な仕事をしていてその経験を買ってくれて、人ずてで入社した経緯があるそう。病気になってから私のしてきた話題を出したようで義母は喜んでいたと聞いた。私には自宅にいてまだ元気な頃、「本当に
火葬場へ到着。火葬場って独特の雰囲気あるね。ヒヤっとするというか。ひゅ~とちょっと不気味な風が常に吹いているというか。全然違うけど、祖母の葬儀時も似たような思いを抱いた記憶が蘇った。義母には二人姉がおり、その中でもしっかりしてそうな雰囲気の方を火葬中に捕まえて病気になってから時系列ごとにお話をしようと考えていた。旦那が家の整理をしている中で義母が闘病日記を書いており、それを見てもらいたかっ
最近は通夜と葬儀を同日で行う事が増えているようです。それはコロナもあって、なるべく人との接触を控える意味もあるのだと思います。それだと日中に行われる為、参列したくても難しい人もいるだろうという事から2日に渡って日程を設定してみたようです。通夜の翌日、4/12に葬儀が執り行われました。今日も会社の方、ご友人の方々がいらしてくれていました。「最後に顔を見せて」
亡くなってから4日後、納棺から2日後、4/11に通夜が行われた。夕方より開始なので、それまでゆっくり。亡くなってからは特別、何もしてないけど気疲れした。一旦、親族がうちに集まる。葬儀屋の駐車場が狭めなので乗り合わせて向かう。葬儀場の自分の席で参列者の方をお出迎えする。お焼香の近くの席にてひたすらお礼にて挨拶していた。様々な方がいらした
義母が亡くなった翌日、納棺が執り行われました。棺の中に納めてもらいました。納棺の一連の作業を行う納棺師の仕事が映画の「おくりびと」で一躍、脚光を浴びた記憶があります。見ていないので不明ですが、まず、キレイに体を拭いたりしていただいたのかな?一般的にはそういう手順のようです。その後、死装束へ衣装替え。白の仏衣(着物)を着ていました。私が用意した紫の浴衣の上に直接、着た形でした。
昨日、葬儀まで無事に終わりました。疲れが溜まったので今日は何もせずにゆっくりしたい。明日以降に亡くなった後の出来事を更新する予定です。葬儀の間で時間もあり義母をどう見守ってきたかを義母の兄弟の方々へじっくりお話し出来ました。自宅に戻るというがんの進行具合もあり痛い思いをする決断となったので出来る限りではありますが、マッサージしてあげて痛み辛さを
自宅に義母が戻ってきました。既に自宅では義母を受け入れる体制が整っており、和室にセッティングが進んでいく。義母が布団に入る。病院で化粧をほどこしてもらったけど少し化粧が取れつつあったので、重ねるように化粧をしてあげました。見る人、皆さんが口を揃えて「全然、変わらないね」と言ってくださって、化粧は苦手でヘタなりに頑張りました。(普段は全く化粧っけの無い私なので
入院5日目、昨日の朝、先生と話し合いを持つべく、家を出発しました。10分ほど車を走らせていると旦那から電話。「亡くなったってよ」「そうか・・・」それ以上、言葉が出てきませんでした。昨日の朝、病院で息を引き取りました。だんだん呼吸の間隔が空いていき・・・。義父より後から聞きました。一瞬で病院へ向かう目的が変わりました。
入院4日目、おとといの午後のこと旦那と一言話したくらいだったとのこと。相当、痛みが強かったようです。私が見守っていた午前よりも痛みが増したようで、旦那の腕を力いっぱい握ってきたそうです。力も弱っていただろうけど、相当な力だったと。腹水もありあまり水分を大量に取らない方がいいと旦那が判断していたけど義父が飲み物をコップ一杯半程度あげており、それからは阻止して、ガーゼ
昨日はあまりにも義母が辛そうで見ていられませんでした。午後から旦那が到着して続いて義父も到着したのですが、あまりの変わった姿に義父が泣いていたそうです。その前の日は話す事ももう少し出来ていたからね。しばらく泊まり込みで義母の側にいる事になりそうだし、今後は毎日、病院へ義母に顔を見せながら義父の負担を軽減させようと考えました。しばらく、ちゃんとしたご飯を食べられてないので、コンビニで具沢山のお味噌汁を差し入れようと考えていました。明日は朝一に行って先生と
入院4日目、昨日のこと義父の仕事の都合で午前中のみ私が付き添う事になりました。早朝に病院を出ると聞いていたので、6時前後には病院に到着予定で朝、支度していたら義父が帰ってきました。入れ替わるように私が出発。昨日の一件があったので、病院に泊まりこんでいたので、相当疲れていたとは思います。病院に着き、義母が開口一番「お父さんは?」「今日は午前中、仕事があって午後から来ます」私が付き添うのはいいけど、行く前からだけど私では役不足だと感じていたけど、やっぱり
入院3日目、一昨日のこと、義母が悪夢でも見たのでしょうか?早朝、義父に電話で助けを求めてきたので慌てて病院へ向かいました。家事が溜まっており、済ませてから夕方、病院へ行きました。義父の話だと午後から落ち着きを取り戻したとの事でした。先生がお腹の中を腹部エコーで確認すると腸の中にも水が溜まっており、腹膜あたりの取り出せる水が少ないとの事。抜いても抜かなくても症状としては変わらないとの診断だったので、抜かない選択をしました。私が到着してすぐはごく普通に会話は出来
入院して2日目、体の震えが出ているとだけ聞いた。それは以前からあって手が小刻みに震えていた。何かする時にやりづらそうな感じはありました。お見舞いには行かず旦那が休みの日だったので、私を労う意味で食事に連れていってくれた。うちの実家に寄って実母とうちら夫婦で少しお話し。旦那的にも迷惑を掛けたとうちの実家に一言挨拶をしたかったのかもしれませんね。久々にゆっくり過ごしました。
4日の日曜日、緊急外来で受診して、そのまま救急の方で入院し、翌日、いつもの病棟へ移ったそうでお見舞いに行く。義母「今日は月曜日なんだよ」義父と顔を見合わせる。義父が携帯を確認し、「今日は日曜日だよ」私もその言葉を続く。しばらくして、また義母が「今日は月曜日だよ」再度訂正という事を何度か繰り返していた。診断の結果、錠剤では患部に届いていない事が判明した。点滴での投与に切り替わる。残念だけど、もう家に戻るのは難しいなと痛感した。ケアマネさんまで巻き込んで
昨日の夕方、急遽、緊急外来に掛かり、入院の方向だと聞いた。旦那の仕事が午前中だったので久々に時間もあるので午後から実母とお出かけに行っていたので急展開な感じになった。実母とのやり取りはこちら↓↓↓『実母とお出かけ/旦那の本音』昨日の話ですが、旦那が午前中で帰ってくると聞いたのでそれに合わせて実母とランチとショッピングへ行くことにした話題は義母の話。経緯はこちら↓↓↓…ameblo.jp急激に病状が悪化したわけでなく旦那いわく、思いつ
昨日の話ですが、旦那が午前中で帰ってくると聞いたのでそれに合わせて実母とランチとショッピングへ行くことにした話題は義母の話。経緯はこちら↓↓↓☆義母が全身がん長男嫁の気持ち☆thiala55さんのブログです。最近の記事は「義母腹水対応したがらない/旦那長男嫁説得」です。ameblo.jp確実に悪化が進んでいく病状と義父と義母のあまりにも頭の使わない生き方について信じられないといった模様「お母
日に日に義母のお腹が大きくなるのと比例して食事の量も減ってきており、義父もずーと食べて欲しいと願っておりました。食事が出来ないと体に栄養も回らない。私もそうだし、旦那も何度も病院にいくよう説得していた。昨日の朝、飲む薬の選定も完璧に出来なくなった。朝は5種類飲むんだけど3種類しか選べなかった。首をかしげながら判
今朝、義父と義母のやりとりを見ていた。義父「ほら、早く食べろよ」義母「いらない」ある意味、予想通りだけど、食べる量が減った義母を煽るような言葉をかけていた。義父の気持ちも分かるし、義母の気持ちも想像ですが、予測がつくし、どちらを責める事も出来ません。義父が仕事へ出かけた後、「私は無理に食べさせようとは思わない。食べたい物を食べられるだけ食べればいいと思っている。食事は楽しく摂るものだと思っているので。ただ栄養補助食品は出来るだけ食べた方がいいかもしれ
今は自宅にいる義母ですが、病状が悪化したら病院へ戻るしかない。それは義父も義母も分かってはいると思う。もし、自宅で最期を迎えたら現状では救急車を呼ぶしか選択肢がない。病院側もケアマネさんからも訪問医療を検討するように言われてきたのに義父は全く考える兆しがない。お金がかかる事だけど、義母の事を考えたらそこにはお金を使ってもいいのではと私的には思います。義母が楽に医療を受けられる事が1番なのに拒否する理由が分からないけともし金銭面だとしたらお金が惜
昨日、義母から言われました。「いつもありがとう。よくやってくれてありがたいよ。普通はこんなに面倒みてもらえないよ。感謝しかない。」こんな感じの内容でした。長男嫁「いや、何が出来るかって何かが出来てる訳でもないですよ。」世話という世話も必要無いし、完全に一人は大変だとは感じるけど。義母「居てくれるだけでもありがたい」やっぱり心細いよな。退院してから少ししてふとそんな顔をした瞬間を見てしまい、なるべく居るだけでも側に居る事がベストなんだと感じ取った。自
最近のブログは非常に辛い内容が続きます。不特定多数の方が閲覧出来る内容としては不適切な記述もあるのかなと最近は特に思います。自分の体験として未来の自分へ残す意味もあるので、なるべくありのままに書くようにしています。もしお付き合いしていただける方がいらしたら幸いです。退院してからの食事は朝食はごはん、味噌汁を少量ですが、取る日々が続きました。昨日あたりから食事が取りづらくなりました。朝も昼もヨーグルトか牛乳、栄養補助食品のドリンクになりました。昨晩はう
自分は結婚しても全て嫁がやるのではなく夫婦力合わせてやっていけばいいという考えで、旦那も同様だと思う。そこは義母とは考え方がまるで違う。義母は1~10まで気を回して全てやってしまうところがあった。時代も違った。嫁(義母)が根回ししてやっていく時代だった。義父の爪切りまでやっていたと聞いた。手も足も。きっと、あらゆる場面で義母が面倒を見てきたのだと想像する。
退院して2週間弱経った。自分の感覚としては1ヶ月くらい経ったのではないかというほど、濃い時間が続く。今朝はヨーグルトを食べていた。あまり食欲が無いようです。昨日は友人が来ていて楽しくお話ししていた。携帯の中の写真を眺めながら「この時、花が綺麗だった」とかそんな話題だった。義母も気晴らしになるしそうやって気にして訪れてくれる
昨日も頑張っていました。家の中を歩いたようです。なるべく足を動かして、むくみを解消すべく。友人がおはぎを作って持ってきてくれた。義母「全部、食べたのよ」と嬉しそう。長男嫁「ほんとですか!よかったです!」手のひらから溢れそうな程、大きいサイズだったけど、甘さも控えめで美味しかった。今週は土日ともに義父がお休みで、ゆっくりしています。でも気になって、何時間か置きに様子を見にいっていました。体がずっしり重くて、疲れが取れない。ずっと気を張り続けているからだ
昨日の朝食は取れなかったよう。それでも座って足だけ動かしていて、運動は欠かさない。先生から「足のむくみには運動するしかないですね」と言われていたからずっと頑張っていた。テレビを見てるとフィギュアの羽生くんが出てて「凄いね。あんなに回って」そんなたわいない時間が流れる。吐き気止めの薬の副作用で口の中がただれたり、頭痛がしたりしたそう。義母には合わない薬なのかな?それも体調を見て、飲むか飲まないかは判断しているよう。ケアマネさんからのアドバイスで栄養補助食