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年末に作詞家のなかにし礼さんが亡くなられた際作詞家として以外に作家としても直木賞を受賞されてたことが紹介されていました。直木賞受賞作品が長崎ぶらぶら節(新潮文庫)ちょうどこの本が受賞した頃、私は大学生でして新宿の紀伊国屋書店で働いてました。紀伊国屋書店の社員食堂ではベストセラー作品や直木賞などの受賞作品が自由に読めるように置いてあってご飯を食べ終わったあとによく読んでました確か『長崎ぶらぶら節』も置いてあって長崎の方言やしっとりとした大人の世界に新
今年は仕事においても私的にも、お世話になった方々が、それはそれは多くお亡くなりになりました。当方で話し合いをしまして、僭越ながら哀悼の文章を書かせていただきます。2000年の東映映画「長崎ぶらぶら節」の原作者、なかにし礼先生がお亡くなりになりました。これはさすがに親戚中で大きな悲報になりました。ーーーーーーーーーーーーーーーーー<余談>深町幸男という映画監督がおります。2014年に幸男おじさんは亡くなるのですが、「長崎ぶらぶら節」は深町幸男の監督作でございます。ざっとその時の写真(
お亡くなりになっていたとのこと。ふっと何週間か前に、「長崎ぶらぶら節」を読み直したいなぁとアマゾンを見ていたのでびっくりした。十数年前に、遠藤周作の著書と長崎ぶらぶら節を読み、どーしても長崎に行きたくなって夫と旅行へ行った。帰宅すると、長年子宝に恵まれなかった私達に赤ちゃんが授かっていた。という不思議な思い出がある。長崎に行かなかったら、長崎ぶらぶら節を読んでいなかったら、お兄ちゃんを授かっていないような気がずっとしている。なかにし礼さん。素晴らしい感性をお持ちの方。とても残念です
いやー本当に残念なニュースがまたさらに飛び込む作詞家で作家のなかにし礼さんが他界なかにしさんは黛ジュンさんが歌う「天使の誘惑」菅原洋一さんが歌う「今日でお別れ」北原ミレイさんが歌う「石狩挽歌」などを作詞何といっても細川たかしさんが歌う「北酒場」を作詞した時は名作曲家中村泰士さんとのなかなかコンビで1982年の日本レコード大賞に導いたそして作詞家から作家と肩書きを変え長崎ぶらぶら節で2000年直木賞受賞した作家にもなった近年はワイドショー番組のコメンテーターとして出演し
ちょっと風があって、曇り気味。あまりにも雨が降らなくて、乾燥しているので、母は庭に水をまきました。植木たちは潤って、私もちょっとほっとしました。今日も体調はちょっときつめです。足のむくみがとれません。しびれも手肌の乾燥も、冷たい手足と一緒で、なかなかしんどいです抗がん剤を飲み終えて1週間以上が経過。早く楽チンにしてくださいと、仏壇のご先祖様に手を合わせました。クリスマスに、一方で、キリストの生誕を思いつつ、一方で、仏教のご先祖様に手を合わせる、なんだか自分が身勝手など
私はこの方が書いた、長崎ぶらぶら節、という小説が大好きで、何回も繰り返し読みました。主人公の愛八の人間性と生き様が本当に大好きで、特に彼女の晩年の生き方は今も時々、憧れとして思い出しては、できれば自分もそうありたいと思っています。今日たまたまTwitterでみかけて、https://twitter.com/TokikoKato/status/1342325851166142464?s=06この言葉、改めて、たくさんの人に届けたいです。ありがとうございます。RT@madameokan
23日「北酒場」「石狩挽歌」など数々のヒット曲を生み出した作詞家なかにし礼(82)さんが心筋梗塞のため亡くなりました。日本歌謡界の作曲部門の大御所的存在だった筒美京平さんにつづききました。またなかにしさんは「長崎ぶらぶら節」で直木賞も受賞しており作家としても活躍しておりました。なかにし礼先生心安らかに・・・・・・・・・・人気ブログランキング・・・・・・・・・・・
隠れキリシタンの里、広がる絶景(夕景スポットなど)、小説・映画の舞台で有名な善長谷(ぜんちょうだに)教会を訪れました。長崎半島のほぼ中間地点で長崎中心部から30分の所に教会はあります。江戸時代後期、三重地区の樫山から移ってきた隠れキリシタンの子孫により明治時代に建てられました。現在の教会は戦後に建てられたもので、城山の中腹の高台にあります。通じる道は細く険しく、たどり着くのは恐る恐るですが、登りきると絶景が広がります。教会の前の大きな木にはアンジェラスの鐘がつるされています。
長崎ぶらぶら節石川さゆり
∂長崎ぶらぶら節∂『長崎ぶらぶら節』(ながさきぶらぶらぶし)は長崎県長崎市に伝わる民謡。単に『ぶらぶら節』ともいう。江戸時代の初期から明治初期にかけて長崎市内を中心に歌われた作者不詳のお座敷唄で、昭和初期にレコード化され全国に知られるようになり、長崎くんちの本踊に欠かせない長崎を代表する民謡となった。歌詞には長崎の風俗・風習・時事が歌い込まれ、時代とともに付け加られて、市井で生まれた多様な歌詞が伝承されている。民謡を題材に小説家、作詞家のなかにし礼が1999年に同名の小説を発表。同
“名センターの生みの親”ジョン・トンプソンが78歳で死去アイバーソンも追悼「人生を救ってくれ...NBANCAA界の名将で、バスケットボール殿堂入りも果たしているジョン・トンプソンJr.が78歳で死去した。家族が8月31日(日本時間9月1日)、長年...三浦春馬さんシングル、最新週間チャート2位…売り上げ20万枚読売新聞死去した後、出演予定だった音楽番組で同曲のミュージックビデオが流され、歌唱やダンスの実力が話題を呼んでいた。1作目のシングルの売り上げ..千原薫氏死去
残暑お見舞い申し上げます。うんチャンネル第10回「うん平の脳書き2」わかりにくい落語家の身分制度について、詳しく教えます。
お盆から、しばらく渡哲也追悼特集を致して参りましたが、ちと、ここいらでお休みをしましょうかね。けっこう、私、石原軍団の話は出していると存じますし、これからも出すと存じますので。ということで、今日の「歌謡曲だよ、成澤弘子」は、あの渡が、こ~んな歌も歌うのだということで、「ありんこ」。作詞:門谷憲二、作曲:山崎一稔、編曲:矢島賢門谷憲二っていうのは、泉谷しげると活動して、古井戸などをプロデュースした人。布施明の「君は薔薇より美しい」なども作詞してます。山崎一稔は、元・三輪車のメンバーですので、
東映映画「長崎ぶらぶら節」2000年公開深町幸男監督作品より冒頭は制作発表会見、2枚目と3枚目は、東京・丸の内東映にて初日舞台挨拶。ドラマ演出家・映画監督の深町幸男と、渡哲也さんがご一緒したお仕事は、1994年読売放送(日本テレビ)でネットされたドラマ「麻酔」(共演は浅野忠信)。1995年NHK総合で「夏の一族」(共演は宮沢りえ)。東映映画「長崎ぶらぶら節」が有名ですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/29b2037ebd44cd1531df9efa94a7612e0e3bb7be東京流れ者無頼人切り五郎ゴキブリ刑事ザゴキブリ仁義の墓場やくざの墓場くちなしの花誘拐長崎ぶらぶら節テレビ作品大都会大都会part2大都会part3西部警察西部警察part2、3私鉄沿線97分署太陽にほえろ1986ゴリラ警視庁捜査第8班代表取締役刑事愛しの刑事スクープ絆西部警察スペシャル弟相棒2009年正
俳優の渡哲也さんが亡くなりました。今朝のデイリースポーツではなんと一面で報道されています。享年78歳。もうそんな年齢だったのか・・・いつもの如く自分の年齢さておき驚いています。ここ20年程は病との戦いや被災地支援での支援といった話題が多く映画やテレビで演技される場面は少なくなっていました。私は幼稚園まで神戸市須磨区で育ちました。幼い頃(多分4~5歳)父親に板宿や新開地の映画館に連れていかれてヤクザ(任侠)映画やアクション映画を観た記憶があります。松方弘樹
10日に肺炎で亡くなった渡哲也さん(享年78)と66年の映画「愛と死の記録」で初共演以降、親交が深かった吉永小百合(75)が14日、追悼のコメントを発表した。「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで(実弟の)恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。ご冥福を心からお祈りいたします。吉永小百合」吉永は渡さんと00年「長崎ぶらぶら節」以後、映画での共演はなかったが。00年まで3年オンエアされた宝酒造「松竹梅」のCMで、近年は16、18、1
~いつも神様に守られているあなたへ~渡哲也さん、亡くなられたのですね。今ネットのニュースで知りました。事務所の解散のニュース、つい先日にブログに書いたばかりでしたね。こちらのブログ『人間関係について。私が感動したこと。』~いつも神様に守られているあなたへ~石原プロが解散されるのですね。炊き出しとか温かさを感じて、テレビでですが見るのが好きでした😊有名だった専務さんの思い出が…ameblo.jp二週間前のブログです。責任を果たして片付けての旅立ち、お人柄が伝わってきます。父か
さて前回は花月の史料とランチをご紹介いたしましたその後は庭園を見学しましたよ↑庭園の一部芝がフワフワ、柔らかくキレイでした!足にも優しいp(^^)q↑庭園には長崎ぶらぶら節の歌碑(なかにし礼原作)。↑ああっまさかの庭園内神社がやった月姫稲荷大明神です↑端唄「春雨」と言うものがあり、花月はその発祥の地です。作者は佐賀の小城藩士で神道家の、柴田花守(はなもり)。花守の書も花月に有りましたよ(左写真)↑片方だけ残る鳥居の柱。その向こうに工事中のビル。新旧の対比が良い↑破
今回は長崎市丸山町↑史跡料亭花月へ期間限定ランチへ来ました♪(長崎県指定史跡)たまたまお友達の7~8女史も「(行こうか)悩んでる」と仰っていたので一緒に(もうブロ友さんと言うより、普通のご近所のお友達となっています☆)花月は老舗料亭でもあり、歴史の舞台の史跡でもあるんですよ↑頼山陽と向井去来(蕉門十哲、松尾芭蕉の優れた弟子のうちの一人)ゆかりの地であります。去来の句碑は長崎にいくつかあるうちの一つ、「稲妻句碑」です。(諏訪神社にも句碑が有るのをご紹介した事があります。あちらは
4月28日、我が文学座の愛すべき先輩、金内喜久夫さんがお亡くなりになりました。享年87歳。「夢夢しい女たち」「長崎ぶらぶら節」「ヘンリー六世」などでご一緒させていただきました。どんなに大変な時でも、いつも飄々とユーモラスに接してくれた金内さん。競馬が大好きで、本番直前まで楽屋で馬の話を聞かされていました。が、そのことが、無駄な緊張をほぐしてくださり、いつも金内さんの温かさに守っていただいてました。金内さんの周りには、いつも笑い声が溢れ、座員みんなの心のオアシスでした。またひとつ大きな穴
∂長崎ぶらぶら節(新潮文庫)(日本語)なかにし礼(著)∂SeesaaプログのTopへ∂長崎ぶらぶら節(新潮文庫)(日本語)なかにし礼(著)その他(3)の形式およびエディションを表示する文庫¥605獲得ポイント:10pt¥41より28中古品の出品¥605より2新品¥1,100より1コレクタ
なかにし礼が今年の11月5日発売の「サンデー毎日11/17号」にジェジュンについてのエッセーを書いた。その文章に打たれ、直木賞を受けた『長崎ぶらぶら節』『兄弟』『赤い月』をたて続けに読んだ。(その時のくりあのブログ→https://ameblo.jp/dionisia/entry-12545502097.html)そして『赤い月』の舞台となった満州では、関東軍による阿片の専売が重要な軍資金となっており、そのために満州で阿片中毒患者を増大させていたことを知ったのである。その儲かる闇の専
くりあの弟ぶん、しあぽんの方に書いた→https://ameblo.jp/trinakria/entry-12549408539.html
先日、サンデー毎日に掲載されたなかにし礼のエッセイに感銘を受けた。→くりあのスレッドはこちらhttps://ameblo.jp/dionisia/entry-12545502097.html同誌には、なかにし礼がジェジュンに、直木賞受賞作「長崎ぶらぶら節」の韓国語版をプレゼントしたとあった。それで私も読んでみようと思ったのである。この小説は、取材をもとにした、実在の人物によるドキュメンタリーでもある。主役は長崎の芸妓で歌のうまい愛八と、彼女が惚れた長崎学者、古賀十二郎。読み進むうち
リブログさせていただきました。「長崎のんのこ節」耳に馴染みのあるお囃子で何となく覚えている曲です。昨日、中野では「長崎浜節~長崎ぶらぶら節」を聴かせていただきましたが、長崎浜節はお初でした。
サンデー毎日読ませて頂きました。ジェジュンさんも読んだのかな?だからあのツイートしたのかな?対談ではなかったけど今までどの記事より感動しました。片寄った主観を入れず起きた出来事を書き評価して下さる。私は本を読むのでなかにし礼さんも読んだ事あります!長崎ぶらぶら節は読んだ事ない!早速図書館に借りに行こう📖
長崎ぶらぶら節宝海大空座長花道よりお目見えでお客様、お一人、お一人に目を配りますファンに優しいぃ
✨2019/10/09水曜日✨・ココエリだより´◡`♡♪✨NO418・【今博多町✨本踊り】・庭先回りで、今博多町の本踊り✨・ココペリ前で踊っていただき、とても嬉しかったです´◡`❤️✨・素晴らしく、とても美しかったです❤️✨・福❤️✨がたくさんココペリの中に入ってきたように、感じました´◡`❤️✨・ありがとうございました❤️✨・ぜひ、音ありでご覧ください´◡`❤️✨長崎ぶらぶら節が聴けますよ!✨・令和初の、おくんちもいよいよ今日
リブログさせていただきました。何度か、民謡番組で聴いたような記憶はありますが、ただそれだけで、殆どわかりません。長崎県民謡「長崎ぶらぶら節」お座敷唄らしいことは何となくわかります。