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コロナ禍3年目の1学期が終わりますね。小学生活の半分近くを「コロナ禍」で過ごしてきた今の小学生たち…もうコロナ前の「標準」を忘れちゃったでしょうね。成績表を見て、また参観や懇談、また運動会で、よく保護者の方は、「みんなと同じように、ちゃんとやってて安心した。」またはその反対に「みんなと同じようにできてないから、うちの子は大丈夫だろうか?」などとつぶやかれます。「みんなと同じ」ということに安心するのは、日本人の大きな特徴かもしれませんね。でも、それって本当に「安心」なんでしょうか
今日もモチベーションは上がらず一応朝1時間夜1時間歩きながら録音してるやつを聞きました。めーーーっちゃしつこく言い寄ってくる男がいて、ブロックすればいいんだけど微妙に家を知られていそうな気がしてブロックしたら逆上されそうで怖くてブロックできなくて好きな人いますよ。無理ですよ。会う気ありません。と何度伝えても俺の気持ちわかって。ってしつこくて困っています。そしてアファメーションしながらその男の事を考えてしまっていてヽ(;゚;Д;゚;;)ギャァァァーーーーーー
アセンションを導くプレアデスあなたがどの星から来たのかがわかる!Amazon(アマゾン)1,683円迷うインディゴチルドレン。インディゴチルドレンの特長などはよくあげられるていますが、イマイチ壮大過ぎて⁉️参考にならない事が多くありませんか⁉️「インディゴチルドレンって言われること自体が嫌❗️」こう言っているインディゴさんがいると聞いたとき、私はまさしくインディゴさんね💦と思いました。宮沢賢治や金子みすずも早生まれのインディゴと言われています。早生まれのインディゴさん達が生まれて
蓮と鶏金子みすゞ泥のなかから蓮が咲く。それをするのは蓮ぢゃない。卵のなかから鶏が出る。それをするのは鶏ぢゃない。それに私は氣がついた。それも私のせいぢゃない。「金子みすゞ童謡全集」JULA出版局より許可を得て投稿させて頂いています。なんくるマキさんの素敵な絵を使わせていただいています↓自分で自分をよろこばす✧なんくる✧マキなんくるマキさんのブログです。最近の記事は「目に優しくします♪(
私と小鳥と鈴と私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。リベラル社『小さな名詩集』より☆☆☆☆息子が小学校3年生の時この詩を音読してくるという宿題が出ました。。音読を聞いて親がハンコを押すのです。聞きながら涙がで
「なぞ」なぞなぞなァに、たくさんあって、とれないものなァに。青い海の青い水、それはすくえば青かない。なぞなぞなァに、なんにもなくって、とれるものなァに。夏の昼の小さい風、それは、団扇うちわですくえるよ。
猫を4匹飼っていると私は幸せだなーと感じることがよくある。猫の寝顔をみていると世の中がどうでもよくなってくる。インドネシアから持ってきた私の家族というべき猫たち。今ではすっかり地元猫になって暮らしている。彼らは私の母や父のことも大好きだ。特に母は毎朝夕のご飯をあげるので、朝や夕方に猫全員台所へ集合する。この様子はなかなかの圧巻である。猫の性格は「みんなちがって、みんないい」金子みすずさんの詩そのものだ。こんなにも違うのかというぐらいみんな性格がバラバラです。喧嘩したと思ったら、
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先週からの夏風邪からの夏バテ!地味に個人的生命の危機を感じながらも昨日はゴミ捨てに全力投球。今日は瀕死の状態で銀行まで行けた!!いつになったら生き返るんだろう…と思いつつも、一年前だったら「私は何の縁があって広島で死ななきゃいけないんだろう」とか、思っていたけど、「まぁなんかよくわからんけど縁があって広島で死ななきゃいけないんだろうな…」そう思うようになった。前職を辞めて今月でちょうど1年。
「お日さん、雨さん」ほこりのついた芝草を雨さん洗ってくれました。洗ってぬれた芝草をお日さんほしてくれました。こうして私がねころんで空をみるのによいように。#金子みすず詩#金子みすず#金子みすゞ#お日さん雨さん#童謡詩人#詩
夢売り年のはじめに夢売りは、よい初夢を売りにくる。たからの船に山のよう、よい初夢を積んでくる。そしてやさしい夢売りは、夢の買えないうら町の、さびしい子等のところへも、だまって夢をおいてゆく。蓮(はす)と鶏(にわとり)泥のなかから蓮(はす)が咲く。それをするのは蓮(はす)じゃない。卵のなかから鶏(とり)がでる。それをするのは鶏(とり)じゃない。それに私は気がついた。それも私のせいじゃない。金子みすず*:..
明るい方へ明るい方へ明るい方へ。一つの葉でも陽のもるとこへ。やぶかげの草は。明るい方へ明るい方へ。はねはこげよと灯のあるとこへ。夜とぶ虫は。明るい方へ明るい方へ。一分もひろく日のさすとこへ。都会(まち)に住む子らは。蚊帳蚊帳のなかの私たち網にかかったお魚だ。青い月夜の青い海波にゆらゆら青い網。なんにも知らずねてる間に暇なお星が曳きにくる。夜の夜なかに目がさめりゃ雲の砂地にねていよう。金子みすず*:..。o○☆゚・:,。
日の光おてんと様のお使いがそろって空をたちました。みちで出会ったみなみ風、(何しに、どこへ。)とききました。ひとりは答えていいました。(この「明るさ」を地にまくの、みんながお仕事できるよう。)ひとりはさもさもうれしそう。(わたしはお花をさかせるの、世界をたのしくするために。)ひとりはやさしく、おとなしく、(わたしはきよいたましいの、のぼるそり橋かけるのよ。)のこったひとりはさみしそう。(わたしは「かげ」をつくるため、やっぱり一しょにまいります。
花のたましいちったお花のたましいは、みほとけさまの花ぞのに、ひとつのこらずうまれるの。だって、お花はやさしくて、おてんとさまがよぶときに、ぱっとひらいて、ほほえんで、ちょうちょにあまいみつをやり、人にゃにおいをみなくれて、風がおいでとよぶときに、やはりすなおについてゆき、なきがらさえも、ままごとのごはんになってくれるから。雪だれも知らない野のはてで青い小鳥が死にましたさむいさむいくれがたにそのなきがらをうめよとてお空は雪をまきまし
しょうじおやのしょうじは、ビルディング。しろいきれいな石づくり、空までとどく十二階、お部屋の数は四十八。一つのへやにはえがいて、あとのおへやはみんな空(から)。四十七間のへやべやへ、だれがはいってくるのやら。ひとつひらいたあのまどを、どんな子どもがのぞくやら。−まどはいつだか、すねたとき、指でわたしがあけたまど。ひとり日ながにながめてりゃ、そこからみえる青空が、ちらりとかげになりました。ぬかるみこのうらまちのぬかるみに、
すなの王国わたしはいますなのお国の王様です。お山と、谷と、野原と、川を、思うとおりにかえてゆきます。おとぎばなしの王様だって自分のお国のお山や川を、こんなにかえはしないでしょう。わたしはいまほんとにえらい王様です。美しい町ふと思いだす、あの町の、川のほとりの、赤い屋根、そうして、青い大川の、水の上には、白いほが、しずかに、しずかに動いてた。そうして、川岸(かし)の草の上、わかい、絵かきのおじさんが、ぼんやり、水をみつめてた。
こだまでしょうか「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとでさみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、だれでも。こころおかあさまはおとなで大きいけれど、おかあさまのおこころはちいさい。だって、おかあさまはいいました、ちいさいわたしでいっぱいだって。わたしは子どもでちいさいけれど
ゆめとうつつゆめがほんとでほんとがゆめなら、よかろうな。ゆめじゃなんにも決まってないから、よかろうな。ひるまの次は、夜だってことも、わたしが王女でないってことも、お月さんは手ではとれないってことも、ゆりのなかへははいれないってことも、時計のはりは右へゆくってことも、死んだ人たちゃいないってことも。ほんとになんにも決まってないから、よかろうな。ときどきほんとをゆめにみたなら、よかろうな。だれがほんとをだれがほんとをいうでしょう、わたしの
なしのしんなしのしんはすてるもの、だからしんまで食べる子は、けちんぼよ。なしのしんはすてるもの、だからそこらへほうる子、ずるい子よ。なしのしんはすてるもの、だからごみばこへ入れる子、おりこうよ。そこらへすてたなしのしん。ありがやんやら、ひいてゆく。「ずるい子ちゃん、ありがとよ。」ごみばこへいれたなしのしん、ごみ取りじいさん、取りに来て、だまってごろごろひいてゆく。こよみと時計こよみがあるからこよみをわすれてこよみをながめちゃ、四月だと
星とたんぽぽ青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、春がくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。茶わんとおはしお正月でも花ざかり、わたしのべに絵のお茶わんは。四月がきても花さかぬ、わたしのみどりのおはしには。金子みすず
不思議わたしは不思議でたまらない、黒い雲からふる雨が、銀にひかっていることが。わたしは不思議でたまらない、青いくわの葉たべている、かいこが白くなることが。わたしは不思議でたまらない、たれもいじらぬ夕顔が、ひとりでぱらりと開くのが。わたしは不思議でたまらない、たれにきいてもわらってて、あたりまえだ、ということが。次からつぎへ月夜にかげふみしていると、「もうおやすみと」とよびにくる。(もっとあそぶといいのになあ。)けれどかえってねていると、
みこし赤いちょうちんまだひがつかぬ、秋のまつりの日ぐれがた。遊びつかれてお家へもどりゃ、おとうさんはお客さま、おかあさんはいそがしい。ふっとさびしい日ぐれがた、うらの通りをあらしのように、みこしのゆくのをききました。石ころきのうは子どもをころばせてきょうはお馬をつまずかす。あしたはたれがとおるやら。いなかのみちの石ころは赤い夕日にけろりかん。金子みすず*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆今日も命を授けていただきあ
朝顔のつる垣がひくうて朝顔は、どこへすがろとさがしてる。西も東もみんなみて、さがしあぐねてかんがえる。それでもお日さまこいしゅうて、きょうも一寸(いっすん)またのびる。のびろ、朝顔、まっすぐに、納屋のひさしがもう近い。夕顔お空の星が夕顔に、さびしかないの、とききました。おちちのいろの夕顔は、さびしかないわ、といいました。お空の星はそれっきり、すましてキラキラひかります。さびしくなった夕顔は、だんだ
実家に飾ってあった金子みすずさんの詩にジーンとしました。『星とたんぽぽ』青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、昼のお星は眼にみえぬ、見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。散ってすがれたたんぽぽの、瓦のすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根は眼にみえぬ、見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。眼にみえないけれど、そこにはあるもの。たくさんある。風も、小鳥のさえずりも、太陽の日差しも人
げんげの葉のうた花はつまれてどこへゆくここには青い空がありうたうひばりがあるけれどあのたのしげな旅びとの風のゆくてがおもわれる花のつけ根をさぐってるあのあいらしい手のなかにわたしをつむ手はないかしらげんげ畑ちらほら花もさいている、げんげ畑がすかれます。やさしいめをした黒牛にひかれてすきがうごくとき、花も葉っぱもつぎつぎに、黒い、重たい土の下。空じゃひばりがないてるに、げんげ畑はすかれます。金子みすず
わらいそれはきれいなばらいろで、けしつぶよりかちいさくて、こぼれて土に落ちたとき、ぱっと花火がはじけるように、おおきな花がひらくのよ。もしもなみだがこぼれるように、こんなわらいがこぼれたら、どんなに、どんなに、きれいでしょう。はちと神さまはちはお花のなかに、お花はお庭のなかに、お庭は土べいのなかに、土べいは町のなかに、町は日本のなかに、日本は世界のなかに、世界は神さまのなかに。そうして、そうして、神さまは、小ちゃなはちのなかに。金子み
つゆだれにもいわずにおきましょう。朝のお庭のすみっこで、花がほろりとないたこと。もしもうわさがひろがってはちのお耳へ入ったら、わるいことでもしたように、みつをかえしにゆくでしょう。木小鳥は小えだのてっぺんに、子どもは木かげのぶらんこに、小ちゃな葉っぱは芽のなかに。あの木は、あの木は、うれしかろ。金子みすず*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆今日も命を授けていただきありがとう(^-^)二度とない人生だから今
だいだいの花ないじゃくりするたびに、だいだいの花のにおいがしてきます。いつからか、すねてるに、だれもさがしに来てくれず、かべのあなからつづいてる、ありをみるのもあきました。かべのなか、くらのなか、だれかのわらう声がして、思いだしてはないじゃくるそのたびに、だいだいの、花のにおいがしてきます。だるまおくり白勝った、白勝った。そろって手をあげ「ばんざあい」赤組のほう見て「ばんざあい」だまってる赤組よ、秋のお昼の日の光り、土によごれて、
おひる休み「しろ取りするもなみな来いよ。」「ためおにするもなみな来いよ。」あの組ゃ、いれてはくれまいし、あの組ゃ、あの子が大将だし。知らぬかおして、かたかげで、地面(じべた)に汽車をかいている。あの組ゃ、わかれてはじめたな、あそこは、おにきめしているな。なにか、びくびくしていたが、みんなはじめてしまったら、さわぎのなかに、うら山のせみのなくのがきこえるよ。くれがたにいさん口ぶえふきだした。わたしはたもとをかんでいた。
しかられるにいさんにいさんがしかられるので、さっきからわたしはここで、そでなしのあかい小ひもを、むすんだり、といたりしている。それだのに、うらの原では、さっきからうしろ取りしている、ときどきはとびもないてる。いぬうちのだりあのさいた日に、酒屋のクロは死にました。おもてであそぶわたしらを、いつでも、おこるおばさんが、おろおろないておりました。その日、学校(がっこ)でそのことをおもしろそうに、話してて、ふっとさみしくなりました。金子み