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先月末(8月26日)、南太平洋のキリバス共和国で収骨された日本軍兵士のご遺骨が、DNA鑑定によって、お一人の身元が判明し、ご遺族にお骨が戻ったというニュースがNHKなど各社から配信されました。(当稿の最後にコピーを掲載)実は、私は2007年に、初めて海外戦地巡拝をさせて頂いたのですが、最初に訪問したのが、このキリバス共和国でしたので、このニュース、大変嬉しく、また感慨深いものがありました。キリバスは、日本からは非常に遠い国で、私が訪れた時も、直行便などは勿論なかったの
2011年に私はブッダの一生を巡る旅行をした。あの当時は何故かブッダにはまっていた。ブッダが悟りを開いたと言われるブッダガヤで瞑想をしていたら、何故か2人の日本兵?と思われる男性の顔写真が脳裏に浮かびあがった。1人は陸軍の格好をした方、もう1人は着物を着た方、1人の方はワタナベさんという名前まで浮かんだ。その2人が浮かんだと同時に、私は瞑想をしながら大号泣してしまった。意味もなく泣き続けていた私に、隣で瞑想をしていた尼僧さんが、そっと私に
YouTubeの動画で、安倍総理大臣が硫黄島に行かれた時に、戦没者に手を合わせている写真を見つけました。安倍総理は、硫黄島に米軍が敷いた滑走路の下に、旧日本軍の兵士の遺骨が多く眠っていることを知り、遺骨を収集し終えた場所に新しく滑走路を移設したそうです。それにかかった費用は確か数10億円と記憶しています。それは素晴らしい判断だったと思います。自衛隊員も、それまで使っていた米軍が敷設した滑走路の下に、多くの旧日本兵の遺骨が眠っていることを知れば、自衛隊機でその滑走路に着陸する時はもとよ
過ぎちゃったけど。。。Yahooだか何だかの特集(?)で、「戦争を伝えるためにしていきたい事」などを募集しているページを見た。実は私、戦争小説を書いている事を、ほとんどの友達に言ってない。ホントに私の全てを預けられるような、最大限の信頼を寄せる、片手で余るぐらいの数人の古い友達だけ。隠してるわけじゃないんだけど、わざわざ言う必要もないし。私には自己顕示欲なんてものは、ない。闇雲に小説を書いている事を言いふらして、読んで欲しいとは思わない。ただ、「私がやるべきなのはこれだ」と思っ
未だ滑走路の下で眠っておられる御英霊に尊崇の念を...どれほど祖国を想い、耐え忍んでおられたであろう。一日も早く靖国神社へお戻りいただくために。願いを込めてリブログさせていただきました。硫黄島に上陸し、滑走路に手をついて詫びる安倍晋三首相硫黄島の滑走路下に眠る英霊にひざまづく安倍総理ありがとうございます。-独立輜重兵第四聯隊第四中隊硫黄島の滑走路下に眠る英霊にひざまづく安倍総理ありがとうございます。blog.goo.ne.jp
(いよいよこの物語の最終回の掲載となります。私がこの物語で読者の皆様に伝えたいことが、ぎゅっと詰まっています。感動のラストシーン、どうか、しかとお読み下さい)「そろそろ、作業を再開しましょう」彼がみんなに告げた。立ち上がり、もう少し奥に入っていく。またもや大きなごつごつ石が通路をふさいでいた。全員協力して、大きな石を動かす。シャベルで、ツルハシで、てこで。ふさがっている石を取り除くと、奥の空間が開けて見えてきた。「よし、これで遺骨収集が出来る!」みんなの顔が輝いた
(いよいよ最終章です。次回で最後の掲載となりました。みゆきと洋一の心の重なり、そして遺骨収集活動にかける意気込みを描きました。最後までお読み下さい)未来へ永遠の平和への誓い今日は、遺骨収集活動の日。私は、待ちきれなくて、夜明け前に起きた。背負うものがある喜びこそ、希望だ。今日の作業は、彼が前回、遺骨を発見した摩文仁のジャングルで行われる。無事御遺骨を持ち帰り、遺品から分かったことを整理しながら、沖縄戦の真実に近づきたい。あの戦争・・・多くの人々が一つのことを信じ、そ
(前回の続きから。洋一とみゆきの心の揺れを読み取って頂ければ、幸いに思います。長文です。最後までお読みください)重なり合い葛藤する金城さんの想いと実績とを引き継いで、遺骨収集活動の準備は、仕事の合間に進めていた。数日後にジャングルの奥に潜むガマの下見をしようと思う。ぼくは、摩文仁のジャングルへ通じる土地の地主さんの家を訪れた。地主さんには、前もって金城さんから電話でその旨を伝えてあった。「私はガマの中に眠る遺骨や遺物を取り上げる活動をしている者です。遺骨収集活動のため、すみませ
雄藩日本のスカピッピパパです。第15回雄藩日本読書部の活動報告をアップします。実質的に、本会が「雄藩日本」に改名してから、僕が参加した最初の活動になりました。これは、「有志で集まって勉強し合いましょう」をコンセプトに、月一参集して勉強会をしているものです。読書部という命名の通り、当初は読みたい本を輪読したり、良い本を紹介したりしていたのですが、最近はテーマ自由の活動報告会みたいになっています。開始して、まる一年経って、ふと考えるところがあって、僕は、おもむろにコンピュータの話
次に向かったのは、こちら…千鳥ヶ淵戦没者墓苑。お堀沿いを桜を見ながら歩きます。ボート乗場がありますので、そちらに着いたら道路を渡った辺りに、千鳥ヶ淵戦没者墓苑があります。戦没者一覧図があり、音声ガイドもあります。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は昭和34年に国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広域な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場において多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又、昭和28年より海
(今回もよろしく御願いします。洋一の心の揺れ、沖縄戦の真実を読み取って頂ければ、幸いに存じます。最後までお読み下さい)自己嫌悪。絶望感。やる気は失せ、体に力が入らぬが、職場に向かう。添乗員として観光客への対応に追われる。失恋の辛さなど感じている暇はない。問題は帰宅してから・・・缶ビールをあおりながら、辛さを紛らわす。寝床の中で、みゆきにふられた時のことを思い出す。未練と嫉妬が同時に心の中でぐるぐる回る。色々な言い訳を思いつき、自分を慰める。そんな思考をしたところで
(前回の続きから・・・最後までお読み下さい)ばたばたと仕事に追われているうちに、遺骨収集活動の日がやってきた。作業着と軍手とヘルメットと数種のシャベルを準備し、金城さんから教えていただいた南部のガマへ車を走らせた。無事、現場に到着した。摩文仁の丘より下った所。「よく来たね。遺骨収集活動は、沖縄の有志だけでなく、最近は、神奈川や仙台からも参加者がいるよ。活動の輪が広がってきて、嬉しいさ。さあ、洋一君も身支度して」金城さんの笑顔が朝日に輝いていた。支度をしている間、次々と参加者が車でや
金城さんとの出逢い侘しさと慌ただしさを感じる四月一日。ぼくは、学生寮を出てアパートを借り、一人住まいを始めていた。家電や箪笥なども買って揃えた。中古車も買った。生活用品は整ったが、大学時代と違い、一人で何もかもしなければならない。学食のおばちゃんや寮長はいない。相談できる親友や叱咤激励してくれる仲間もいない。二十二歳にして寂しさをじんじん感じる。ひとり部屋で、テレビをつけ、VHSレコーダーで録画を楽しむだけ。四月三日から旅行会社の勤務が始まった。笑顔で挨拶を心がけよう、そう誓っ
7月29日月曜日本日は休息日となっている。次の休息日も月曜日、つまり明日から6日間連続の作業となる。休息日といえども食事の時間は作業日と変わらない。朝食は5時20分に宿舎前に集合して食堂へ向かう。昼食は11時20分に集合、夕食は16時半集合、残りの時間が休息時間である。ゆっくり休息しておきたいところだが、せっかくの硫黄島滞在、時間を無駄にせず島内の戦跡を巡ることにした。目指すは摺鉢山山頂だ。摺鉢山ふもとまで約4キロそこから山頂まで20分ほどで山頂についた。基地からはアスファルト舗装の道路、途
そういや、元ヤーさん何だけど?何故かニューギニアの英霊の遺骨収集やってたんだったよ戦争終わったけど、未だ未だ、あの戦地で忘れられて眠っている英霊が沢山いるんだよ海の中に沈んでいる人もいるしなでも国はそう言うのを忘れて資金を出さないもんだから頑張ってたんだよね日本は戦後物凄く発展したけど、忘れちゃいけない人もいるんだよね若い子には分かんないだろう私だって実際分かんないし霊を見て怖い思いをした人色々いるだろう入られちゃった私はどーなるの?今だに日本に
日本政府は「戦没者の遺骨収集事業」という名目で、フィリピンに埋められた金塊を探していたのではないか!?コピペ元へのリンク金融取引プログラムに投入され「秘密の宇宙プログラム」に使われた山下ゴールドフィリピンで日本政府が進めている「戦没者の遺骨収集事業」の実態はかなり酷いもののようで、“日本兵とされる骨の中に、大量のフィリピン人の骨が混じっている可能性が高い”という噂が広がり、現地では「遺骨の盗難騒動」が起きているということでした。フルフォード氏は、
7月25日木曜日つづき重機で削られた山肌にぽかりと穴が開いているところが今日の作業場所のようだ。その穴は入り口ではなく重機で削って壕の通路の途中の踊り場かそれとも部屋なのか。そこから奥に上り階段が続いている。階段の先には光がのぞいている。地上への出口みたいである。←作業前の状態とりあえずここをきれいに貫通させてご遺骨がないかを確認する作業に入る。重機の操作は鹿島建設の委託社員、宿舎と作業場所までのマイクロバスの運転手を兼ねている。陸上自衛隊東千歳駐屯地から化学班、ガス・酸素濃度測
令和元年度第1回硫黄島戦没者遺骨収集派遣への参加について数回に分けて報告させていただきます。今回の派遣は知り合いからのお声掛けがあり実現した。以前より遺骨収容に参加したいという思いがあったが思いがけぬお誘いに是非と申し出た。日程的に運よく議会の予定がなく清須市議会事務局へ参加する旨を伝えた。日本国内とはいえども2週間以上清須市を離れることとなるし、途中何があろうと帰ることはできない。7月23日火曜日埼玉県の入間基地近くの入間第一ホテルにチェックイン、午後7時からホテルの会議室にて今回の令
シベリア抑留者の遺骨収集今般、厚労省がようやく遺骨の取り違えに、調査チームを発足させた。専門家によって、当初から「DNA鑑定上、日本人のものではない」と指摘されていた。遺骨収集についての詳しい知識もないが、いかにも日本人、とりわけお役人らしい。「問題先送り主義」が垣間見えてならない。ひとつ、現場の収集担当者に同情すれば、限られた予算の中で行われているからだろうと推察する。少ない予算で、墓所が特定できる案内図があるわけでもなく、ロシアの大地を村から村へと巡っていく白骨収集の旅であっ
10月16日、ついに厚生労働省から大変重要な発表がありました🙌「硫黄島などにおける遺留品等の手掛かり資料がない戦没者遺骨の身元特定のためのDNA鑑定の実施について」厚生労働省発表文面これは平成31年3月14日、厚生労働委員会での川田龍平の質問から始まりました。その時の質問内容は・・・「終戦から74年経ったが、遺骨収集作業が進んでいない。2016年に出来た戦没者遺骨収集推進法は、2024年度までを国の責任で集中遺骨収集期
昨日は昨年に続き、東京の衆議院議員会館でシベリア抑留遺骨収集について利尻島在住吉田欽哉さん93歳が講演しました。今回東京で初めて吉田さんの講演を聴いた方は、どう思ったのでしょうか。戦争が終わってから、強制的に行先も告げられずに異国の地へ貨車に乗せられ、そして僅かな食事で酷寒の中で森林伐採、炭鉱、鉄道敷設、煉瓦作り等の重労働を課せられノルマを達成しなければならない日々を送った実態を今でも知らない方がいます。なぜでしょうか。「自分たちは捕虜で
以前から私の中には、「日本という国は特別な人や偉い人以外の一般庶民は紙くずのように軽く扱う」という不信感が根強くあるのですが、今日の新聞を見てまた新たにその思いが湧き上がりました。「人権」という概念が入って来たのは戦争に負けてアメリカの思想が入って来てからですから、まだその部分が成熟していないのだとは思いますが、そういう国に住んでいることがとても悲しいです。シベリアに抑留され、厳寒の地で着るものも食べるものもあまりない状況下で過酷な重労働を課せられ、望郷の思いに駆られながら死んで行った日本人
「報道さえなければ…」厚労省担当者がメール遺骨取り違えでhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20190927/k10012100991000.html?utm_int=news_contents_news-main_001
シベリアのみならず、フィリピンでの遺骨収集も関係ない遺骨を⁉️報道されていました。どこまで杜撰なんでしょうか!!親方日の丸お役所仕事の典型‼️全く調査もせずに「そこらの拾って持って帰ろうか⁉️」こんな会話が聞こえて来そうです。遺族の方々を愚弄するにも程があります!そしてその費用は、貴方貴女皆さんの血税を使っているのです‼️厚生労働大臣厚生労働省はどうケジメをつけるのでしょうか‼️万死に値する公僕の愚行、天誅が下っても誰も憐れみませんよ‼️
槇さんの著書は以前に読んだことがあったので注意して店頭でパラパラと見てみたけれど、同じ書ではなかったので購入。俺が読んでいたのは‘潜水艦気質よもやま物語’で、本書は‘続・潜水艦気質よもやま物語’の単行本の文庫版だった。3ページほどの分量の文章にイラストが添えられているという、いわゆる‘よもやま’系。しかしちょっと変わった構成をしている。トラック島の潜水艦部隊司令部に勤務していたベテラン潜水艦乗務員でもあった著者にとって、もっとも悔恨をもって思い出される出来事は、伊169潜のトラック港内
お盆を挟んですっかり間を空けてしまいましたが、いつものように書籍紹介をさせていただきます。今回はこちら、栗原俊雄『遺骨――戦没者三一〇万人の戦後史』岩波新書、2015年アジア・太平洋戦争で亡くなった軍人、民間人は、タイトルにもありますように総計で310万人にも及ぶとされていますが、それは同時に膨大な遺骨が残されたということでもあります。そんな遺骨が、戦中から戦後にかけてどのように取り扱われてきたかを追う、というのが本書の内容です。筆者は日本の戦後史や遺骨収容などについて、長年取
本日は先の大戦が終わって74年目の日です。どうも、終戦記念日とは言いにくく「終戦の日」と書きました。戦没者の方々の上に成り立つ平和。感謝しております。さて、NHKの終戦に関する特番を見てましたら戦没者遺骨収集の特集でした。今の仕事が少しでも役立つなら是非とも参加したい。っと思い立ち色々と探しました・・・募集はあるみたいですが・・・中々難しいみたいですいつの日か参加出来るように成りたいです。今日は、終戦の日戦没者に黙祷を捧げま