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手前は摺鉢山=2022年1月6日、東京都小笠原村、朝日新聞社機から朝日新聞社2022/07/2718:21厚生労働省は27日、硫黄島(東京都)で戦没者の遺骨収集にあたっていた派遣団のうち9人が新型コロナウイルスに感染し、収集活動を中止したと発表した。派遣団は30人で、20日から同島で活動していた。24日に体調不良者が出て、持参した検査キットで陽性と判明。感染者は全員軽症で、島に駐在する自衛隊員との接触はないという。派遣は8月4日までの予定だった。同島での遺骨収
みなさん自覚されていませんがいま『地球』という名の天の川銀河に属する太陽系の第3惑星では世界同時の解放運動の真っ最中なんですよ!!!わたしの望む破壊は搾取し虐げる現在のシステムを破壊して新たなる地球へ移行するためのステップですそれは庶民の手で成し遂げるべきです!!!何故かって?多
数年前、アイヌの方の遺骨を返還するという内容のテレビを見ていました。これは、北大人骨事件と呼ばれていることは、恥ずかしながら今日知りました。事件はウィキペディアで読めます。1939年(昭和14年)から1956年(昭和31年)にかけ、北海道大学(北海道帝国大学)は北海道・千島・樺太の各地より研究の名目で1004体のアイヌの遺骨を収集し、時には遺族に無断でアイヌ民衆を警察により排除しての発掘が行われていたこともあった。中略絶滅した動物と同列に並べられる等、非人道的であると非難が集ま
大本営發表(昭和十九年七月十八日十七時)一、「サイパン」島の我が部隊は七月七日早暁より全力を挙げて最後の攻撃を敢行、所在の敵を蹂躙しその一部は「タッポーチョ」山附近迄突進し勇戦力闘、敵に多大の損害を與へ十六日迄に全員壮烈なる戦死を遂げたるものと認む同島の陸軍部隊指揮官は陸軍中将斎藤義次、海軍部隊指揮官は海軍少将辻村武久にして同方面の最高指揮官海軍中将南雲忠一亦同島に於いて戦死せり二、「サイパン」島の在留邦人は終始軍に協力し凡そ戦ひ得るものは敢然
実はこのシュガーローフは単独では到底守り切れるものではなくハーフムーンとの相互応援によって防御力がアップしてたのです。黄色く囲った所がおおよそですが当時のシュガーローフとハーフムーン52高地東斜面は傾斜がきつく、南下してきた敵は北・西の斜面から攻撃に移ります。東から攻める場合、登るのに手間取るとハーフムーンから攻撃を受けやすく戦車が現おもろまち駅付近まで進出すれば速射隊の餌食となりまた、首里からの砲弾も雨のように
おがさわら丸出港日の午前は戦跡ツアー硫黄島での遺骨収集のお話などもさせていただきました。ツアーご参加のお客様ありがとうございました。
1944年半ばにはマリアナ諸島を抑えた敵は速攻で飛行場整備を行い、11月24日B29による東京初空襲が実行されました。サイパン奪回を断念した日本軍は、硫黄島を中継基地として、サイパン航空基地への強襲を行います。日本軍機の爆撃が何度かあり、その都度B29が被害にあってたので敵は「こりゃマズイ!」と思ったんでしょう。当時マッカーサーはフィリピンを完全制圧した後、台湾への侵攻を主張していましたが
※度々お知らせしておりますが、当方のPCの不具合につき、皆さまの全てのアメブロ記事でタイトル部分と本文以外が欠落し表示されません。「いいね」「フォロー」をしていただいてもお返しすることも出来ません。見返りを期待して押される方は申し訳ありませんが、ご遠慮下さい。当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。硫黄島は、海上自衛隊硫黄島航空基地が設置され、海自隊員が常駐してるのと、各種設備の保守・点検を行っている防衛省北関東防衛
2022年2月7日月曜外はぴーかん照り☀️の朝キンキンに冷えてる❗️やはり、ちりちゃんは晴れ女でした😆時間を巻き戻して、、、まだ日の出前ちりちゃんとの最後の夜を過ごしました。一緒に寝たよ☺️お手手にぎにぎしながら💓日の出前になっても、起きずイチャイチャ💞ツーショット😘ちゅーしまくり🥰そーこーしている間に朝日が差してきた♪ちりちゃんが陽の光に照らされてキレイ✨だった😆本当は安置しなくちゃいけない😅のだけど、あと数時間だしねちりちゃんは太陽☀️が似合うから☺️長旅の
新聞記事で、「今年の大佛次郎賞受賞作品」と言うふれ込みが目に留まった。著者の堀川惠子氏は、「教誨師」「死刑囚からの手紙」などで知られるでも、「宇品」ウジナ?聞いたことがないな。広島の南部の埋立地で、日清、日露、以来の陸軍船舶司令部の本拠地だ。広島出身の堀川さんが、「なぜ広島が原爆の落とされる地として選ばれたのか?」と疑問を抱いたのが取材のきっかけだという。登場する軍人さんたちは、知らない人ばかりだった。田尻昌次(たじりしょうじ)、佐伯文郎(さえ
多くのかたがブログをあげていらっしゃいます。12月15日、記事を見て、わたしはガックリしました。友人が伝えてくれた一文だけが赤木雅子さんの言葉を、正確に教えてくれました。国の行為を守るための法律なら、ふざけるなと思います。なぜ、マスメディア、編集するのでしょうか?勝手だ!との思い?自民党のため、流せない?たぶん、同日だったと思います。海外メディアの記者さん?からの質問のなかにこのまま、自民党政権でありつづけたほうが、日本の没落は早い。海外のかたは、日本のことを、少数派とは
今日の一枚今朝6時前の東の空の月🌙手抜きで庭先からなので電線が😩朝の地震!山梨県😱富士山でなくて良かったな~!と思っていたら今度は和歌山県だって!紀伊水道\(◎o◎)/!首都圏と関西圏を狙い撃ちやん!これは旅行など止めろという啓示かな~😩Ⅰ野鳥①アンタ誰や?↓藪に逃げ込んだ11月30日正午過ぎ、いつもの鎮守の森に行ったら林の中からカケスの声がしたので近づいてみた!すると何かがガサガサバタバタと立て込んだ木の中に突入した!その
2021年は、再生の年です。新型コロナウイルス感染症が浮き彫りにしたこの社会の脆弱性に目を向け、社会保障制度を生存権を守るものに再整備し、平和憲法に基づいて法体系を再改正し、私たちの働く場所を雇用体系による差別やハラスメントのない職場へと再構築し、核兵器禁止条約を批准する日本へと再生するために、行動し、声を上げることを提起します。11月20日、第7回沖縄の闘いに連帯するつどいが開催されました。今回の講師は、沖縄で遺骨収集を続けるガマフヤー、具志堅高松さんでした。以下、講演の概要をま
最近、いい作品に出会えないなあ・・・なんか感動できる小説はないか・・・自分の生き方を、周りの人を、世の中を考えるきっかけになる本・・・そう思っていらっしゃるあなたに朗報です!『あの青い空と海を』自作本のご紹介です。東京出身の大学生洋一が見た1980年前後の沖縄の歴史・民俗・人情を描く。大人とは、愛とは、社会とは・・・若者の悩み・葛藤をも包み込む沖縄の大自然。卒業後、遺骨収集活動を通して、命の尊さ、平和の大切さを浮かび上がらせ、後世に伝える。沖縄に生きる若者の青さ
8月22日(日)標記の集会に参加してきました。どこかの会場に行って、集会に参加するのは久しぶりです。ZOOMも用意はされていたのですが、ちょっと手間がかかりそうだったので、PLP会館に行くことにしました。沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが来阪しての集会だったので、直接ご本人からお話を聴きたい!という思いも強かったです。具志堅隆松さんは、40年近く遺骨収集を続けておられます。「ガマフヤー」というのは「遺骨収集をする人」という意味だそうです。沖縄県庁前で
お盆ですね✨ひとりトリマーnatsumiです🍀今日は何の日?ってことで🌱セレベス島(現:スラウェシ島)沖3海里第11号掃海艇が沈んだ場所⚓️大伯父はここで200人以上の人たちと眠っている同じ艇に乗っていたであろう方のご遺族の著書↓↓↓↓↓↓↓↓自費出版で15年以上前の著らしく今回、運良く購入できたのは本当に奇跡的✨✨お盆に届くってのがまた😭🌼家に仏壇もあるし南洋から帰って来れてるなら何か感慨深い🌈⛩️
この時期には先の太平洋戦争についての映像や記事を目にすることが多くなる。おとといNHKでやっていた妻夫木さん主演のドラマ『しかたなかったと言ってはいかんのです』もそうだし、その後の「遺骨返還作業」のニュース解説もそうだ。『しかたなかったと言うてはいかんのです』は、主人公が老年期に語った内省の弁だった。もう一つ、異色的に売れている漫画の紹介で知った『ペリリュー島』パラオが太平洋戦争の激戦地だったというのは知っていたが、具体的な島の名前や詳細は知らなかった。私は「Renta!」
どつだい、勇ましい姿だろ。海軍航空兵の雄々しき姿の鶴田浩二だよ。彼の歌唱による『あぁ軍歌』ってアルバムのジャケット写真だよ。ダブルジャケットで内側はこんな感じだよ。して、収録曲はこんな感じだよ。まっ、誰でも知っているスタンダードな軍歌のセレクトだよね。A面頭は鶴田自身の歌詞によるオリジナルだよ。ほんで、やっぱイチバン泣けてくるのは、こりまた鶴田自身によると思われるモノローグで構成さりた「同期の桜」だよね。そのモノローグはこんな感じだよ。特攻隊で、死に損なった無念が伝わるよね
冬になると沖縄を訪れ、遺骨収集に努める青森在住の夫婦がいる。元朝日新聞カメラマンの浜田哲二さん(58)と、妻で元読売新聞記者の律子さん(56)。20年前、沖縄で遺骨収集の先駆者とされる国吉勇氏の活動に同行取材した際、土中から掘り出される無数の骨片に、より大きな衝撃を受けた。戦後半世紀以上がたってなお、暗いガマの奥に取り残された英霊の遺骨。息をのむ哲二さんに、国吉氏が言った。「あんたの足の下にも、お骨が埋まっているんだ」以後、哲二さんは律子さんとともに、国吉氏の活動を手伝うよ
「戦友だより第3号」のテーマは、”その時「死んでもいい」と思った事、「死にたくない」と思った事”。第2回目は、新潟県の「関宮太郎」さんです。(左側が第3号)「死にたくない」と思った事・・・・”地獄のサラワケット”「ダンピール(注:ニューブリテン島と東部ニューギニアに挟まれた海峡)でやられ、泳いでいるところを、運よく駆逐艦に拾われ、九死に一生を得てラエ(注:東部ニューギニアの主要地)に上がり、2中隊員(注:第2中隊の隊員)となって、サ
川田龍平参議院議員が2日間連続して委員会で質問に立ちます。3月22日(月)厚生労働委員会3月23日(火)地方創生及び消費者問題に関する特別委員会この二つの委員会で質問に立ちます。ぜひ、応援をよろしくお願いします。いのちを守る参議院議員川田龍平
東日本大震災から10年経ちました。今なお行方不明の人が2525人いて、捜索が続けられています。この一年で3人の身元が分かりました。「家に帰っておしゃべりしたい」という遺族の言葉は、10年の時を感じさせません。テレビドラマの「監察医朝顔」では、津波にのまれた母のものと思って大切にしていた歯が、他人のものと判明します。諦めようとしたその矢先、母のものと判明した指の骨が帰ってきます。「指きれいだね」揺れ動く遺族の心に触れた気がします。数年前から、海外戦没者の遺骨収集活動をしている団体
こんにちは今日こそは少しでも外に出ようかな…と思いつつブログ更新しています。昨日の琉球新報さんのLINEニュース糸満・陣地壕で戦没者遺骨8体、2体は子どもかボランティア発掘(琉球新報)【糸満】沖縄戦中に日本兵が使用していた糸満市の陣地壕で2月末から3月初めにかけ、沖縄戦戦没者とみられる8体の遺骨をボランティアが発掘した。当時、陣地壕を使用していた日本兵の証言を頼りlin.ee沖縄・辺野古の基地建設に沖縄南部の土砂を使おうとしていることが問題視され連日報じられていますがそ
仁尾淳史@atsushi_mic本日から辺野古新基地工事に南部の戦没者の遺骨が残る森林を伐採しその場所から土砂を採取しようとしている。それに危機感を感じたガマフヤー(遺骨採取ボランティア)の具志堅隆松氏が計画を中止させるべくハンガーストライキを始めた「沖縄県…https://t.co/f6b9DvcPQu2021年03月01日20:14EMIL@emil418ガマフヤーの具志堅隆松さんが本当にハンガーストライキに入ってしまった。ニュー
(本文より一部転載させて頂きました)自宅でできる「辺野古の海を埋めないで!」キャンペーン2「辺野古の海を埋めないで!」の声を首相官邸や防衛省のホームページに集中させよう!辺野古新基地設計変更申請に全国から意見書殺到、最終確定数が17,839件!沖縄県知事は設計変更を承認しない見通し=========================#緊急事態下辺野古の工事を今すぐ止めろ(ハッシュタグをつけて拡散お願いします)辺野古の新米軍基地建設こそ、不要不急の工事!「#緊急事態下辺
琉球新報の記事をお借りしました。沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表・具志堅隆松さんが、辺野古新基地建設に伴う沖縄島南部からの土砂採取計画に反対し、3月1日~6日まで沖縄県庁前で有志とリレー形式でハンストへ。沖縄戦激戦地だった南部は戦没者遺骨がまだ眠る場所。新聞記事琉球新報ErikoUehara@ErikoHopUehara38年間沖縄戦遺骨収集を続けてきた具志堅さん、激戦地沖縄南部の土砂を辺野古新基地の埋め立てに使うのは戦没者への冒涜と3月
(八ヶ岳南麓小淵沢の樹木葬霊園「八ヶ岳フラワージュ」同社HPより)小淵沢にある樹木葬霊園に資料請求したところ、同霊園の運営主体である「松戸屋」から各種パンフレットがどっさりと送られてきた。紛らわしい屋号だが「大戸屋」とも「松屋」とも関係はない模様。(墓じまいのへ関心は高い)同社の「樹木葬ガイドブック」によると、樹木葬の一般的なデメリットとして「後で気が変わっても遺骨の返還が難しいこと」が挙げられている。その点同社の樹木葬霊園は個室型とか、ペット同伴型とか、各種ニーズに応
オタクな息子たちのエピソードがわんさかあふれだす絵本講師たかはしみほです。先週は、わたしの父方の祖母が亡くなりました。93歳でした。祖母のお通夜・告別式で気付いたことが、色々あったので数回に分け、アウトプットしていきます。祖母が亡くなり、家族でお通夜に参列しました。その翌日の告別式は、わたしと、子ども下2人で参列しました。夫は、仕事だし、会食も禁止なので日帰り。長男は、告別式への参列を希望したけど、日帰りしてもらい
昨年の夏、NHKで、歴史発掘ミステリー「京都千年蔵大原勝林院」が放映されました。最近になって、知人から、この番組の事を知らされ、昨年末にその全編を視聴させて頂きました。大原にある古刹、勝林院に収蔵されている貴重な寺宝が数多く初蔵出しされ、それを番組で拝観できるという興味深い番組でした。その中に、「証拠の阿弥陀如来」と言われる同寺の御本尊の胎内に、平安時代から江戸時代にかけて制作された3体の「念持仏」があることが分かり、それらが初めてカメラの前
サイパンで戦没者の遺骨収集をした際に起こった出来事。前回までの続き日記で、ずっと体調が悪いことを綴っていましたが、どうやらやっぱり憑依によるものでした。遺骨を探しているとだんだん頭痛がし始めたので、ロキソニン(鎮痛剤)を内服しておきました。しかし、全く痛みはとれず。だからと言って熱中症の気配もない。しゃがんで遺骨を見つけていると、ガンガン痛いが、立ち上がると痛みがラクになっていました。それの繰り返し。それに加えて、一番紫外線予防に努めて、顔までタオルで隠しているのに、顔から首ま