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9月27日の日曜日。静岡県浜松市の〈浜松城〉へ初めてやって来ました葵の紋所小高い平山城。それでも真夏でなくて良かったと思う私もちろん中に入ってみます。綺麗だね説明文。浜松市の街並み。浜松市の人口って、ほぼ80万人。岡山市の71万人より遥かに多いのに驚き天守の脇のお稲荷さんにお参り立派だね中に入ってみましたが、これ大阪城と同じでビルなのねそれでも出世城には変わり無く~この銅像は誰だおっと若き日の『狸親父』でした。
遠江国(とおとうみのくに)は、現在の静岡県西部の磐田市、浜松市を中心とした地域にあたり、お隣はすぐ三河国(愛知県東半部)に位置する地域です。浜松八幡宮で参拝よろしくお願いします。昼食はテイクアウト専門「バロン」のカレーです本格派ですよ!この紋所が目に入らぬか!徳川家、三つ葉葵紋です。おかげさまで大吉を引き当てましたが自分としてはかなり珍しいです。徳川300年の歴史を刻む出世城写真撮り忘れたので、これだけ拝借です。夕食は、明治42年
桜の時期に行った浜松城何度も浜松行くけど、1度きり、またゆっくり撮りに行きたいなぁ
《堀川城》[読み方]ほりかわじょう[別名称]-[所在地]静岡県[城分類]平城[築城主]斎藤為吉他[築城年]1568年(永禄11年)(解説板伝堀川城跡)(解説板堀川城の戦い)(石碑堀川城趾)(堀川城跡首塚)[登城日]2015/03/25にほんブログ村
天守閣ないけど、日本100名城のひとつらしいです
《志津城(遠江国)》[読み方]しづじょう(とおとうみのくに)[別名称]-[所在地]静岡県[城分類]山城[築城主]藤原共資[築城年]正暦年間(御山塚)(桜を観る2018石碑志津古城趾)(藤原共資公の石碑)(藤原共資公の石碑・御山塚入口)(藤原共資公の石碑・御山塚へ)[登城日]2018/03/25にほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,500円Amazon
「遠江国一之宮・小國神社」と「遠江国一之宮・事任八幡宮」の御朱印です。
掛川市、遠江一宮、事任八幡宮遠州一宮、ことのままはちまんぐう〒436-0004静岡県掛川市八坂642Tel0537-27-1690事任八幡宮の境内案内図。境内への入り口は南側と西側にある南側の入り口に建つ事任八幡宮の石鳥居。一の鳥居と奥の二の鳥が見える境内の社務所前から事任八幡宮の本殿を見上げる。己等乃麻知比売命
☆20世紀に残したい日本の自然100選環境美化募金案内所が入口です。任意の募金かごがあります。寸又川を堰き止め造られた大間ダムのダム湖上にかかる吊り橋です。入口から30~40分位かかります。光の波長やチンダル現象(光の特性によって起こる物理化学現象)などにより、エメラルドグリーンやコバルトブルーに輝くそうです。高さ8m、長さ90m。定員10名まで。板2枚を並べただけの、安定感が無い橋です。絶景とスリルの橋です。ワイヤーが手すりがわりなんですが、両手でしっかりつか
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城を観る今回は...(撮影2018/03/25)志津城(遠江国)〜藤原共資公の石碑〜石碑ってこれかな。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,500円Amazon
城を観る今回は...(撮影2018/03/25)志津城(遠江国)〜御山塚〜ん?ついた。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,500円Amazon
城を観る今回は...(撮影2018/03/25)志津城(遠江国)〜藤原共資公の石碑・御山塚へ〜おっなんか見えてきた。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,500円Amazon
城を観る今回は...(撮影2018/03/25)志津城(遠江国)〜藤原共資公の石碑・御山塚入口〜こ...ここ行くの...ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村アクティブライフ・シリーズ009クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)Amazon
2019年1月5日曇天朝方は小雨。自転車にも乗れず…いつもは1月半ばに行く、初詣に行く事にしたビミョーな天気なら人手も少ないと甘い考えw目的地は、遠江国一宮小国神社。静岡県森町にあり、清水の次郎長の子分、森の石松(実在?)の生誕地とされるトコロでございます。小国神社の近くには大洞院と言う寺院があり、森の石松さんのお墓もあります。若かりし頃に行った事がありますが、お墓を削った御守りがあった様な気がします。なんだか、ギャンブルの神様的な存在に昇華されている様でw8:30に自宅を出
だいぶ時間があいてしまいましたが続きから2階に上がると飛行機✈️、戦闘機模型がありました。みんな同じ縮尺のため、大きさくらべできますよ☺️ブルーインパルスのコーナーも1階同様パネルでの展示や見てお勉強のコーナーもあります。1番滞在時間が長かったのは展示格納庫「展示格納庫」明るく開放的な展示格納庫には19が展示されています。ブルーインパルス仕様の航空機や実際の救難機としても使用された救難ヘリコプターなど多くの航空機を見学できます。一部の航空機は操縦席へ座ることもでき、記念撮影も
前回の続きです。わたしが浜松で行きたかったのはこちら航空自衛隊浜松基地浜松広報館(エアーパーク)です。実は乗り物大好き❤️ただし見るのがね子どもの頃は乗り物酔いが激しくて出掛けるのが憂鬱なほどでした。自分が運転免許を取得し、運転するようななってからは余程下手くそな人が運転しなければ酔わなくなりました前置きはこのくらいにして全体を1枚【施設情報】開館時間午前9時~午後4時※天候又は、施設などの不具合により開館時間を変更することがあります。休館日毎週月曜日(月曜日が祝
かれこれ2週間ほど前になりますが、たまたま休みが重なったダンナさんと「出掛けよう」ということになり出かけてまいりました。行き先は浜松です。犬山にも行きたかったのですが…何となく「東」に足が向いたそんな理由です。ブログ読んだのかな、ダンナさん?気遣いしてくれたのか?まぁいいか😅この日最初はこちらダンナさんから行きたいとのリクエスト(寺社ではないんか~いと心の中で独り言)です。駐車場から向かうと建物が見えます。ただし裏側だけどね。正面玄関までにかわいいものがたくさんもうどこかお分かりで
諏訪原城が武田方の遠江侵攻最前線であればそれに対峙した徳川拠点がこの高天神城二度の争奪戦は有名ですね。北口側(搦手門)この奥に三日月井戸があるらしい今回登城するのはこちら大手(南)口から追手門着倒櫓跡(武田方が攻めて来たときに鐘を鳴らしたところ)大手道三の丸三の丸土塁眺望本丸(御前曲輪)本丸(的場曲輪)本丸本丸土塁石窟(大河内政局が幽閉されていた)井戸曲輪かな井戸(井戸曲輪)袖曲輪
諏訪原城という名は馬場信春が築城時に諏訪大明神を祀った為とも言われ城内には諏訪神社が今でもあります。諏訪神社(二の曲輪大手馬出)カンカン井戸のカンカンの名は全国でも多い石を投込むとカンカンと音がすると言うことから来てるのかな?内堀の底にあるカンカン井戸堀の中あるってことは水の確保が難しかったのかな?二の曲輪前日までの雨で足場が悪く水の手曲輪へは行けませんでした二の曲輪奥にこんもり見えるのが仕切土塁外堀二の曲輪東内馬出二の曲輪南馬出
諏訪原城は武田の城として誕生しましたが天正3年(1575年)に長篠の戦い後に徳川家康が攻め落した最近の発掘調査でこの武田らしい丸馬出も徳川時代のものらしい結果が出てるらしい丸馬出と言えば武田なのになぁ〜二の曲輪に渡る土橋二の曲輪二の曲輪仕切土塁二の曲輪から本曲輪への土橋本曲輪内堀カンカン井戸つづく
丸馬出が象徴的な諏訪原城址この城は武田勝頼が天正元年(1573年)に家康の所領だった遠江への侵攻を目的に築き掛川城・高天神城への前線基地の役目を担った山城です(築城は馬場信春)大手曲輪大手南外堀と土塁大手曲輪大手北外堀と土塁惣曲輪二の曲輪中馬出と三日月堀(立派です)外堀二の曲輪北馬出の門(薬医門復元)つづく
みなさま、こんばんは。陣笠隊のなつでございます。本日は遠江国は浜松へと出陣致しました。此度は『第五回出世の街浜松家康公祭り』の援軍へ馳せ参じた次第にござりまする!本日と明日の二日間に渡り開催される此度の催しの初日にお邪魔致しました!!!ご来場くださりましたみなさまはお楽しみくださりましたかの?武将隊の演武だけではなく、楽市楽座も同時開催でござりましたが故に浜松の名物がずらりと並んでおりました。更に、小さなお子から大人の方まで参加できる甲冑試着体験があったり、大きくふわふわになっ
せっかくのGWだから、気になってた神社、小國(おくに)神社に行ってきました。青紅葉の時期だから、綺麗だろうなと期待して…♡私の産土神社は、砥鹿神社なのですが、社格は三河国一宮で、ご祭神は大己貴命。奥宮は本宮山山頂にあり、所在地は愛知県豊川市一宮町。小國神社もまた、社格は遠江国一宮で、ご祭神は大己貴命。奥宮は本宮山(←名前は同じでも違う山)山頂にあり、所在地は静岡県周智郡森町一宮。と共通するところが多いのです。http://www.okunijinja.or.jp/ご祭神「
前回のブログ『②球磨の鎌倉時代以降の橘氏』より続きます。https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12354853471.html以前も書きましたが肥後国球磨郡久米郷の領主と書かれた『橘遠江禅門(入道)道公』橘薩摩・橘佐渡の名乗りは橘公業の後裔には多数見られるにも関わらず『橘遠江』を名乗られた方は『橘遠江禅門(入道)道公』この方のみ。橘遠江・・・とは?と遠江国の橘氏を調べた結果、太田亮博士の以下の御推測を目にする事となりました。国立国会図書館の
前々回のブログ『球磨の鎌倉時代以降の橘氏』https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12354061937.htmlさらに前回のブログ『補足球磨の鎌倉時代以降の橘氏』https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12354738055.htmlより続きます(..)まず前々回のブログ『球磨の鎌倉時代以降の橘氏』で「新堀氏」について『次回詳しく書かせて頂きます』と書きましたが、国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されていた太
前回のブログ『番外編じいちゃん(父)と子猫のにゃん♡』https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12353525839.htmlより続きます。前々回『②球磨郡久米郷と物部氏(前回のまとめ)』の中でhttps://ameblo.jp/hirom0211/entry-12349977888.html『「久米物部」と「久米族」の調査の流れの一つとして球磨郡久米郷と伊予橘氏(橘氏であり越智氏であり物部氏の系でもあり紀氏の系でもある)の(p_-)その後