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名古屋のシンゾウです先週、19時頃、突然、大きな音が....喧しいな!!...バルコニーに出てみました。なんと、西の空に花火が上がっていました。10分程で終わりましたが、久々に夏の風情を味わうことが出来ました。密を避けるためのサプライズ花火だったようです。クーラーの効いた部屋でのステイホーム、季節の移り変わりを感じることすら出来ません。―――――――――――――本日の問題(244)《整理問題です》建築シリーズに突入です。【】に従い答えてください。【13361】豊国
第七十六代近衛天皇は平安時代末期の天皇です。御父は鳥羽天皇、御母は藤原得子(美福門院)、異母兄に崇徳天皇と後白河天皇がいます。保延五年(1139年)誕生。諱は体仁(なりひと)。在位は永治元年(1141年から)から久寿二年(1155年)大治四年(1129年)治天の君として君臨した白河院が亡くなると、孫の鳥羽院が政治の中心となりました。そして永治元年(1141年)鳥羽院は寵愛している美福門院との子である体仁親王への譲位を、待賢門院璋子との子である崇徳天皇へ強要します。この時、体仁親王はまだ
8月22日が命日・忌日の有名人・著名人1155年(久寿2年7月23日)16歳崩御(?)近衛天皇陛下日本の第76代天皇鳥羽天皇の第九皇子1485年満32歳没(戦死)リチャード3世さんイングランド王父:ヨーク公リチャード・プランタジネット1940年89歳没(?)オリバー・ロッジさん物理学者コヒーラ、点火プラグの発明者1943年満71歳没(脳溢血)島崎藤村さん詩人、作家『破戒』1952年満84歳没(病気)平沼騏一郎さん第35代内閣総理大臣、国務大臣、内務
《新古今和歌集・巻第一・春歌上》87和歌所にて歌つかうまつりしに、春歌とてよめる寂蓮法師葛城(かづらき)や高間(たかま)の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆和歌所で歌を詠んでさしあげた時、春の歌として詠んだ歌寂蓮法師葛城の高間山の桜が咲いたことだ。立田山の奥にかかって、それを思わせる白雲よ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「鵺の泣く夜は恐ろしい・・・」これは80年代に一世を風靡した角川サスペンス映画のCMコピーだったものです。なにか背筋に寒気が走る不気味さが忘れられません。そのCMに使われた「‘鵺’(ぬえ)」にまつわる怖い逸話が、京都にもあり、古くから都人の間に恐怖話として語り継がれています。鵺(ぬえ)とは、陽が沈んだ暗黒の闇に生息する怪鳥で魔物・怪鳥で、「平家物語」(第四巻)では「頭は猿、胴体は狐、尾は蛇、手足は虎の如く」と表現されており、夜になると不気味な奇声を発し都人に恐れられ
第七四代鳥羽天皇は、平安時代後期の天皇です。安楽寿院に伝わるという鳥羽法皇像御父は堀河天皇、御母は藤原苡子。また祖父は、父の堀河天皇時代から次の崇徳天皇まで三代の長い院政を敷かれた白河天皇です。崇徳天皇は第一皇子、後白河天皇は第四皇子、近衛天皇は第九皇子です。康和五年(1103年)生。御名は宗仁。嘉承二年(1107年)~保安四年(1123年)。鳥羽天皇の時代には源氏物語絵巻が作成され、現存する絵巻の最古のものとなっています。源義親の乱の追討や当時多かった武装した僧兵の乱暴狼藉を鎮圧
皆様、こんばんは❗❗❗猪鼻です❗❗❗奈良を満喫させて頂き京都駅に着く前に途中下車です❗竹田という駅で降りて京都の四神を祀る城南宮へ梅まつりを行なっていて境内はすごい人です城南宮から駅に帰る道すがらお寺のような建物が気になり見に行きました。立派な塔があり近づくと、、、近衛天皇の御陵安楽寿院我が名前の猪鼻を御先祖様に与えた方ですなにか深い縁を感じずにはいられない、きっと不思議な力が導いてくれたのでしょう。深く感謝して駅に戻りました🙇🙇🙇http://www.bar-inohan
今日は、伏見駅で降りて、西に歩いていきます。東高瀬川の眺めです。油小路通を北に曲がると、京セラ本社です。また、ギャラリーに来てね。パルスプラザに着きました。久しぶりのアンティークフェアに、来たかったんです。いつもより規模が縮小されていますが、やはりワクワクします。じっくり時間をかけて、回ります。手に取って触れたり、お話を聞けたりするのが、楽しい。おや、おしゃれな一角。田辺竹雲斎展です。密を避けながらも、賑わっています。それでも、いつもよりゆった
20.10/11sun.13:50-16:35京阪藤森駅から西へ名神高速道路高架沿い公園を行く高速バスの深草バス停を過ぎ、国道を渡る新高野川を渡って左折、右岸から分岐突き当たって西へ、近鉄線を越え御陵の杜が見える近衛天皇安楽寿院南陵安楽寿院は、鳥羽上皇が鳥羽離宮東殿を寺に改めて始まる1139年、三重塔「本御塔」を建立され1156年、本御塔に葬られる1157年、新御塔を美福門院(上皇后)建立後に、近衛天皇の遺骨が納められた現在の多宝塔は、豊臣秀頼による再
《新古今和歌集・巻第一・春歌上》13崇徳院に百首歌奉りける時、春歌前参議教長(のりなが)若菜摘む袖とぞ見ゆる春日野の飛火の野べの雪のむら消え☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆崇徳院に百首の歌をさしあげた時、春の歌前参議教長いそいそと若菜を摘んでいる乙女たちの袖のように見えるよ。春日野の飛火の野辺の雪の、まだらに白く消え残っているのは。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
九十権中納言長方紀の国の由良の岬に拾ふてふたまさかにだに逢ひ見てしがな権中納言長方(ごんのちゅうなごんのながかた)こと藤原長方は平安末期の公卿・歌人で、最終官位は従二位・権中納言である。父・権中納言・藤原顕長、母は藤原俊忠の娘だから、藤原俊成の甥、藤原定家の従兄にあたる。さて和歌。簡単なので訳してみよう。「紀伊国の由良の岬で、ふと手の中に捕まえた蝶、偶然だからこそ、私にわざわざ会いに来てくれたのだろうと思いたいのだなあ。」由良の岬は、現在の和歌山県日高町由良町にあ
七十九法性寺入道前関白太政大臣わたの原こぎいでてみれば久方の雲ゐにまがふ沖つ白波作者は藤原忠通(ふじわらのただみち)、平安後期の公卿。摂政・関白・太政大臣・藤原忠実の長男である。最終官位は従一位・摂政・関白・太政大臣で、異母弟に藤原頼長がいる。父・忠実が白河院の勅勘に触れ、関白を辞任した後、若干二十五歳にして、藤原氏長者となり、鳥羽朝の関白となる。その後、崇徳・近衛・後白河の三代に渡って摂政・関白を務めた実力者だ。娘の聖子を崇徳天皇の中宮に冊立するなど、王家との関係をも築いた。
七十七崇徳院瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ崇徳(すとく)天皇は平安後期の天皇で、父・鳥羽天皇、母・中宮・藤原璋子(待賢門院)の第一子である。崇徳天皇は関白・藤原忠通の娘の聖子を中宮に立て、夫婦仲も良かったのだが、子供が生まれず、女房の兵衛佐局(ひょうえのすけのつぼね)との間に第一皇子が生まれる。これで中宮と忠通は崇徳天皇に不快感を抱く。父・鳥羽上皇は院政開始直後から崇徳帝へ譲位を迫り、寵愛している藤原得子(美福門院)との子・体仁親王(近衛天皇)が即位した
安楽寿院南陵近衛天皇京都府京都市伏見区2018年7月18日
時は白河法皇の院政の時代。やりたい放題がさく裂している時代です。鳥羽天皇の父、堀河天皇が崩御すると、鳥羽天皇は5歳で即位します。1108年の話です。その後、白河法皇の子供を身ごもった藤原璋子を中宮にします。1119年に子供が生まれます。これが後の崇徳天皇になります。鳥羽天皇は1123年に白河法皇の命により、4歳の崇徳天皇に譲位して、上皇になります。白河法皇はやりたい放題でした。院政を手放す気はありません。鳥羽上皇も全く白河法皇には逆らいませんでした。なぜならば、中宮も白河法皇のスパイですし、周
この地にあった藤原忠通邸は近衛天皇が皇居としたことから四条内裏と呼ばれていました。天照大神をお祀りする神明神社は、その鎮守社でした。戦後には、菅原道真を祭神とする文子天満宮も合祀されました。※文子天満宮は道真の乳母多治比文子による天神信仰発祥の神社社伝によると、近衛天皇の時代、京の夜空に鵺が現れヒョーヒョーという気味の悪い声で鳴き、人々に恐れられていました。頭は猿、尾は蛇、手足は虎、胴は狸という物の怪で弓の名手であった源頼政によって退治されました。その時に使用した2本の鏃(
さて、牛若丸と弁慶像を見た後は神明神社へ。徒歩15分程。途中でこんな店を見つけてしまいましたが、今回は入店せずwそんなに大きくないので、油断すると通過しそうです笑いやデカデカ書いてあるから大丈夫か.…祭神は天照大御神。社伝によると、近衛天皇の時代、頭は猿、尾は蛇、手足はとらの「鵺」という怪鳥が毎夜、空に現れ都を騒がせた。弓の名手であったという源頼政は退治の命を受け、当社に祈願をこめた後、見事に鵺を退治した。この時使われた弓矢の「やじり」2本が宝物として伝わっており、今でも祭礼の時
多宝塔の近衛陵に立ち入り調査京都・伏見、深草北陵も東京新聞日本考古学協会など考古学や歴史学の団体の研究者が21日、いずれも京都市伏見区にあり、宮内庁が管理する近衛天皇(1139~55年)陵と、後深草...自分が大切にしていた「諱」、なんと、ご先祖様の名前と同じだった!㈱山口敏太郎タートルカンパニー宇多源氏は第59代天皇である宇多天皇を祖とする源氏の一門です。・・・ということは・・・佐々木盛綱公を遡ると宇多天皇に繋がり、更に宇多天皇を遡ると日本国...●宇多源氏ねこね
こんばんは。京都癒しの旅案内人下戸眞由美(おりとまゆみ)です。昨夜、お客様からご連絡をいただきました。「急なんですが、明日、城南宮の枝垂れ梅とランチをお願いできませんか?」と。本日、ご一緒させていただきました。新幹線に乗って、思い立ったが吉日とお越しくださり、感謝しかありません。城南宮さん、今までに見たこともないほどの人、人、人。世間では外出を控えている人が多いこの時期、こちらは例外のようです。並んで、神苑へ。春の山。紅白の枝垂れ梅が見事です。「こんなにたくさんの枝垂れ梅
御心ち例ならずおはしましける秋、よませ給うける御歌虫の音のMushinoNenoよわるのみかはyowarunimikahaすぐる秋をsuguruAkiwo惜しむ我が身ぞoshimuwagaMizoまづ消ぬべきmadukienubeki<歌意>衰え弱ってゆくのは虫の音だけだろうか?過ぎてゆく秋を惜しむ私の身こそ、先に消えてしまいそうだ!<EnglishTranslation>Imisspassingautumn.Andmo
前回からの続きです次に行ったのは近くにある近衛天皇安楽壽院南陵です住所・京都市伏見区竹田浄菩提院町多宝塔近衛天皇生没1139〜1155年在位1141〜1155年(15年)崇徳天皇の後を三歳で即位がしかし十七歳で早世在位中は、病と称して御帳から出ることがほとんどなかったそうですちなみにこの後に続く後白河天皇が源頼朝に「日本国第1の大天狗」と言われた天皇になります(歴代天皇事典参照)次回は安楽壽寺周辺のこととなりますでは、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ
前回からの続きです北向山不動院から近くある安楽壽院へ向かいますその途中で見たもの白河法皇・鳥羽法皇院政(跡?)地の石碑冠石鳥羽天皇は譲位後、白河上皇が創建した鳥羽離宮に入り、殿舎や仏殿を増築その際にこの石の上に冠を置き、これを中心に造営したと伝わっている(いしぶみデータベース参照)その近くには鳥羽天皇安楽壽院陵もあります住所・京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽天皇(第74代)生没1103〜1156年在位1107〜1123年鳥羽天皇は父帝である堀河天皇が崩御されたため5
千住明がこだわる特注の五線紙「風林火山」はタテ型で朝日新聞千住明さん(58)は、NHK大河ドラマ「風林火山」のテーマ曲をはじめ様々なジャンルの楽曲を作ってきた。来年には作曲家として35周年を迎える。本人いわく、..<いだてん>阿部サダヲの上司演じるリリー・フランキー「阿部さんの演技は、珍しい動物を見ているような...ザテレビジョン阿部サダヲ演じる新聞記者・田畑政治を主人公に、第2部を放送中の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(毎週日曜夜8:00-8:45ほ
おはようございます。8月最後の週の始まりです。最近では、学校の夏休みが短縮され、今日から2学期の始まる地域もあるようです。夏の終わりは、なんだか切なくて、名残惜しく感じます。さて、今日は、崇徳天皇の忌日です。1164年崇徳天皇(顯仁親王,讚岐院)(天皇(75代))<数え46歳>出典wikipedia実はこの崇徳天皇、菅原道真、平将門と共に非業の死を遂げた歴史上の3人を日本三大怨霊と呼ばれています。これには歴史学者の山田雄司は、江戸時代における読本や歌舞伎などが大きく影響を与
こんにちは。お久しぶりでございます。愚痴聴きセラピストの真月です。インターネットが繋がらなくなって早一週間が過ぎ去りましたが全く進展がなく今日はWi-Fiのある喫茶店で書いています。パソコン💻では無いのでやりにくさはどうしようもありません。このところ真夏のような日が続き幸いにも私はエアコンの中で仕事をしていました。私はちょっと個性的なので暑い→真夏→怪談→祟り→菅原道真→崇徳天皇などという訳わからない連想が頭の中で駆け巡り平成から令和になって天皇も変わったので悲
ああ無情・・・・使い方が違うかも知れないけど、まさにそういう気分なのです。先日の記事で、日本三大怨霊と云う記事をあげましたが、そこで「崇徳天皇」は連載中の怨霊師に使う予定なので割愛とさせていただきましたが・・・ああ、壮大な勘違い。最初の資料集めの時に打ち間違えたのか、予想検索が間違えたのか・・・・崇徳天皇が三大怨霊の一人と見つけた時は「やり~♪」使える題材発見!それから、ストーリーとか組み立てて、先日やっと導入部分が終わり、さあ!ここから♪って事で、再度資料を読み直したら・・・・こ