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針生検から一週間後にはがん確定。がんのサブタイプ、顔つきなどは二週間後に分かるとのことでその結果は夫と聞きに行きました。ただでさえメンタルどん底な中新たな事実をひとりで受け止め切れる自信がなくて聞かされたのは浸潤性乳管がんER+PgR+HER2−Ki値30%?うろ覚え…しこりの大きさ3㎝リンパ節転移は画像上なしステージ2aホルモンタイプの乳がんの中では活発かつ再発リスク高めのルミナールBタイプ抗がん剤をやる可能性もある正式な病理診断は手術で切除したもので
父が2月23日に骨折小規模多機能型居宅介護で宿泊誤嚥性肺炎で総合病院へ入院からの療養型の病気へ転院と介護度5になり点滴だけで生きてます。それから認知症の母は介護度2で毎日小規模多機能型居宅介護に通ってます母の物忘れがひどくなってあれ?おかしいな?と思ってからも母は車の運転をしていました。父は数年前に免許を返納していたしまだ、ほそぼそと自営業を続けていたから母にとって、自宅の店は生きがいの1つでもありました。そして最初の頃は、頭のCTは撮ってなかったから分からな
急に退院の話が出て🏥《ほんとにもう退院して大丈夫?》と半信半疑で…まだ座ったり立ったり介添必要だよ?リハビリに特化した病院への転院はどうなった?と(入院した当初からリハビリ専門のS病院に転院したいと伝えてあった)そんな気持ちであのネガティブ発言多発の💢👊ソーシャルワーカーにイヤイヤながらも連絡してみました『リハビリ』今入院している病院の🏥ソーシャルワーカーさんと面談がありました入院して一週間目での様子を見て👀「今の施設に戻るのは厳しいと思いますリハビリの指示も理解できな
今日のリハビリは、松葉杖を使ってみようかという事で、いつもは病室内でのストレッチだったのだが、リハビリの先生に車椅子を押してもらって初めてリハビリ室へ行った。あちこちで患者さんが頑張ってリハビリしてる。みんなどこかしらが不自由で頑張ってるんだね。初めての松葉杖。左足の荷重は0。地面に足を着いてはいけないという事なので、松葉杖と右足だけで歩く練習。こ、怖いー絶対無理でしょ!と思ったんだけど、リハビリの先生曰くスジは悪くない。との事。何度か後ろにぶっ倒れそうになって支えてもらった
最初の不妊治療の病院の時、体外受精をするとなり、一世一代の大勝負、、みたいな気持ちだった。だって、その時だって採卵だけで60万円はした。KLCに転院して均衡型相互転座が見つかり、繰り返し採卵するしかないと言われてから、あの時のハードル感はかなり減った。なぜならこの一回でうまく行くかは分からないよ、というスタンスになったから。でも良く考えてみて?金額ほとんど変わらないよ?しかも前は助成金が出た。60万円の採卵に30万円の助成金。今は助成金はない。どう考えてもお
父が2月23日に骨折小規模多機能型居宅介護で宿泊誤嚥性肺炎で総合病院へ入院からの療養型の病気へ転院と介護度5になり点滴だけで生きてます。それから認知症の母は介護度2で毎日小規模多機能型居宅介護に通ってます最近朝の電話を忘れてしまう。今月から朝仕事に行くのが30分早くなったから朝から家族の弁当2つ作って駅まで子供を送っていき洗濯物したら、もう時間化粧品も慌てて塗るだけ塗って最近電話してないから今朝こそしなくちゃって母のところへ電話した。もしもしーいつもの
今日は大田区の東京労災病院から寝台車で大田区の目蒲病院へ転院のお手伝いです!安全運転で行ってきます。羽田空港蒲田大森糀谷大田区エリアの介護タクシー寝台車ならファイン介護タクシーへ!東京都大田区大森中2-11-703-5753-1650URLhttp://www.fine-taxi.com
昨年の父母の様子を振りかえっているが、もう一年が経ってしまったのだなと改めて思う。昨年の4月以降の父母の様子はまた振り返るとして。実は母は今年の3月半ばに道で転倒し、腰の骨を折ってしまった。兄と一緒の時に起こった一瞬の出来事であった。あとから分かったことだが、母はその時コロナに感染していた。コロナ感染により、もともとあった不整脈で一瞬意識がなくなってしまったらしい。母は転倒した日、すぐに救急病院に行き、入院することになった。昨年の3月も同じ病院にくも膜下出
登場人物紹介くわしくはこちら登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023年12月父、覚醒不良看取りケアに移行看取りケア期2024年1月父、永眠しましたこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯入院中の母に面会に行き
コメントを下さる皆さんへコメントありがとうございます。今の体調は全てのコメントに目を通せる良い状態です。本当に嬉しく、感謝しながら読ませていただいています。コメントのお返事が書けないことを心苦しく思っておりますが、お理解くださいませ。申し訳ありません。がんになりもっと早めに意識すれば良かった事といえば食事です。がんを意識するのは早すぎると思えるくらいのタイミングで色々なものを食べておいたほうが良い。食べ放題も行けるうちに行っていたほうが良いと思っています(笑)私は今はとにかく食
あれやこれやありあちこち削られ凸凹形態となり2年遅れで新社屋、完成するも建築士に続きワンマン社長までもが失踪したそうです。えっw元々ワンマン社長はフィリピンによく遊びに飛んでらしたので✈「保険金〇人🔫に遭ったんじゃ?」などと噂するも10日以上、行方知れず。そして原因判明@「コロナ感染→重篤化してICU行き🏥」だったそうです。もしかして失踪建築士もコロナだったのかな?※だからと言って建築基準
最近深いため息をよくつくねと旦那さんに言われた本人にいうわけにもいかないのでブログにアウトプット娘が倒れて息をつく間も無く治療の決断や付き添い辛いことの連続だった治療が終わり回復をリハビリをしながら待つしかないという現状に今までのとてつもなく痛い思いをさせないで済むという少し張り詰めていた気持ちが和らいだため息と転院したら毎日会えなくなってしまう寂しさと辛さともちろんリハビリがしっかりできる場所だから転院した方がいいのはわかっているただ苦しい時悲しい時涙すら拭い
自然排出してから2週間がたち(私と息子が風邪をひいてバタバタしてたらいつのまにか日にちがぶっ飛びました)いつもの病院へ子宮の状態検査🏥内診から2時間、、、全然よばれねぇいつも朝イチで行くためだいたい1.5時間くらいで終わるんですが診察さえもよばれない、、これ絶対おかしいよねって受付に伝えたらすぐのご対応になると思います!って言われてすぐ呼ばれまぁ想像通りの「子宮は綺麗になって増すので次の生理がきたら再開できます。生理きたら三日目に来てください」と言われましたこの言葉もら
今日は、訪問看護の日でした。相変わらず、子ども扱いされます。今日は、調子が悪いから、ただ、会話するだけです。最後は、普通ぽい会話です。高校生の時の時の話。そういえば、年配の方が、自分語りするよな。最後は、主治医さんと病院についての話になりました。著名な先生だから、看護師さんも名前は知っているが、会ったことないらしい。今の病院は、症状が重い人が入院しているから、入院は、難しそうです。県の病院です。大学病院の方が、入院しやすい。何かあった時、入
今日は担当じゃないドクターの回診。傷口を診てドクター順調だねそして、いつもの脱脂綿ではなく蜂の巣みたいのをくっつけて包帯を巻き巻き。今まで分厚い脱脂綿だったからギプスの中で足が動く。大丈夫なのかな?まぁ歩くわけじゃないし、大して動かさないから平気かな?でも脱脂綿があったかかったから、若干寒く感じる。脱脂綿巻いてほしーなー誰だ!足にマジックでいたずら書きしたの!!!ちょっとだけ腫れが引いた?気のせいかな?蜂の巣みたいだね。げっ!まだ血が付いてるじゃん!ま、いいか。今
奇跡が起きて父が生まれ変わった!と思ったあと母が緊急搬送されたら父の拠り所がまた宗教へ父はすがる思いだったのだろうけどでももうそんなことも言ってられずたちまち1人での教会での役割はこなせないし(84歳まだ役を与えられてる)年金受給者からしっかりお供えを取ってくるのもほんとに限界で↑この話はほんと、闇が深くこちら側(信者側)がお供えをしたくてしてるというように巧妙に持っていかれる宗教の恐ろしい現実なのです私達は何度も何度もそれが異常なこと信仰をやめても今まで
ママの自己紹介⚫︎ママ40代⚫︎20代の半ばから息苦しさ、喉の詰まりなどの不調に襲われ色々な病院を巡りました。最終的にパニック障害・不安神経症と診断名が出て通院しています。●今、飲んでいる薬・デュロキセチン20mg1錠・リボトリール0.5mg1錠1日1回☆不安時の頓服☆・アルプラゾラム0.4mg息苦しい時私は息苦しさに襲われた時にMINTIAをよく舐めていました。後は普通に息を吸って長く吐いたり。。でも1番は気にしない事なのですが、それが難しいですよね。ひ
こんばんは。ミリーです。些細なことが気になり、過敏に反応してイライラしていることを話しました。作業療法士さんから、「薬の量は変わりましたか」と質問されました。私が鬱傾向にあるからだね、きっと血糖値の薬が経口だと吸収出来ず、注射薬に変わったのも2月からでした。同じ薬だそうですが、量が減って効果が出ました。ステロイドもレミケード点滴に入っています。「ステロイドにも鬱を引き起こすこと知ってますか」もちろん、知ってました。そして【トリプトファン】のお話になりました。医療系大
7回目の放射線照射が終わった4/15(月)の午後4時過ぎに義母の妹からメール連絡があった。内容は「なんとか自宅に退院させたいとおもいますが、家事全般に姉さんの看護の継続、終末期の対応と考えると自信はありません。」義母の妹は看護師でいろいろな知識も豊富ですが74歳となっていますから体力面でもかなり負担がかかると思います。私は義母の妹からメールを受けたあと義母の子供である私の夫と義弟に連絡して相談しました。案としては➀自宅近くの市立病院へ転院して最期まで病院で過ごす➁自
【体重】65.8【朝食】久々のファミチキとスティックかまぼこ【昼食】なし【夕食】なし【間食】ローソンおっとっと4/12日に糖尿病内科に行き体重減、HbA1c減(グリコアルブミン換算)を褒められず、生理で採尿が出来なかった為婦人科に行けといわれておかんむりの私。積もり積もった糖尿病発病時から通っている糖尿病内科への不信感が募り、転院を考えています。もう、問い合わせメールにて転院したいので次回の診察時に紹介状を書いて欲しい旨を伝えてあります。返信ないけど。不信感の理由。•何年も高い
こんにちは🍀今日の午後、父のリハビリ病院に妹と行ってきました。父にはもうすぐ退院できるよと毎日言っていて、本人も退院を楽しみにしていました。病院で介護福祉士をしているママ友にも「お父さんは早めに退院できそうよ」と太鼓判をもらっていました私は明日か明後日には退院かな?娘は木曜日が仕事お休みだから木曜日退院がいいとか色々話をしていました。リハビリ病院転院が決まったのが3月16日、そこから二週間待たされ、3月の終わりにようやく転院してきて今日まで長かったです前に入院していた病院ではせん妄
エストラーナテープとデュファストンの内服やめて2日後に生理が来ましたホルモン補充して子宮内膜厚くしてたからそりゃあもう大出血するかと思いきや普段の生理よりもぜんっぜん少なくて。前回移植して化学流産した後の生理どんなだったっけって記憶辿ってみたけど1年前だからか全然思い出せない記録するって大事ですね転院先の初診はしばらく先で今回はお休み周期なのでタイミングはとってみようとひっさしぶりに排卵検査薬買ってきました。7回分で3000円弱。結構お値段するなあ普段は26日周期なの
これまで通院していた不妊治療の病院久しぶりに厚生労働省の先進医療一覧を見たら先進医療ができるようになっていた遅い…遅いよ…ちらっとみたかんじタイムラプスエラ、エマアリス検査PICSIができるようになっていました!これがあと半年でも早かったらなぁと思う私なのでした…理由があって先進医療していないと先生は言っていたけれど結局、先進医療に申請しているんだからもっと早くしてくれたらね…去年1年の苦労を思うとなんとも言えないでも培養技術は今の病院のほうがすごくいいと思
里帰り先での2回目の受診。今回は夫も連れて行きました。今の先生は、エコーも長くて、嬉しい。推定体重2220g子宮頸管25ミリそして動画も頂きました。改めて見てみると、誰かに似ている。こ、これはボブ!!ボブじゃないか!!ボブ・サップ!!ボブ・サップに、そっくり!!夫と叫びました。ボブ・サップは舌をペロっとだしてもぐもぐしていました。そうか、私たちの娘はボブ・サップか。超絶可愛らしいザ・女の子の名前を考えていましたが、そんな雰囲気ではない。リセットかもしれないとこ
もう何から書いたらいいのかわからないくらい時が経ってしまい、そういう時に限っていろいろ変化が起きたりするものです。新年度を迎え子供達もそれぞれ進級し、就活生1名&受験生2名と慌しくなった我が家ですが、とりあえずはサラっと私の近況から。★★★★★★★★★★★★★★★昨年9月に古巣の職場に戻ってから毎日忙しいという話は書いていましたが、今年の2月頃から徐々に残業が増えはじめ、3月はほぼ毎週土曜出勤で週6勤務がずっと続いていました。基本的に残業はしないことになっているのですが、やらざる
大学病院その3①転院先で脳腫瘍(髄膜腫)の診察へ大学病院その2から大学病院その3へ転院初日診てもらいたい先生がいると伝えたところ紹介書に先生の名前が書かれていないから診てもらえるか分かりませんがとのことでしたが〇〇先生を希望されていますというメモを挟んでくれましたさらに脳神経外科の受付でも希望してることを言ってくださいと丁寧に説明してくれました大学病院その2と比べて受付の人の対応が優しくてまずはほっとしましたただ脳神経外科へ行くと建物が古くて
飛行機が欠航しても釧路から日帰りしなければならないのには訳がありました。翌日も東京までの転院の予定が入っておりました。いつも安定の手際の良さで搭乗完了。当初、ご家族さんはクライアントさんが大きな声を出すのを心配されていましたが、飛行機のエンジン音にかき消されるくらいの可愛い声。声かけする事で解消できました❣️このカーテンの向こうの狭く閉鎖的な空間は、一見強靭な男性でも不安を感じるもの。しかもシートベルトでがっちり固定されているし。精神的にも問題を抱える方でしたが、よく頑張って下さいまし
『自分はバセドウ病なのか?!』『バセドウ病と気づくまで』まず私の過去をさかのぼると、、23歳で長女、25歳で次女を出産しました。当時、周りは独身の子ばかり、シングルマザーだった母は再婚した…ameblo.jp後日,再び病院に行きました。前回と違う先生に言われたのが、「うちの病院でこのまま治療もできますが、甲状腺は正直、専門外なのでちゃんと専門の病院にかかられた方がいいかもしれません。どうされますか?」と言われ、、こちらの病院に通う気満々だったので内心は、えーどうしよう私「ちなみ
ようこそお越しくださいました。/私は今が一番幸せ\今をご機嫌で過ごすことで、未来を明るく創造しましょう。kin№205岡田安衣里です。ご訪問くださって、本当に嬉しいです。いいね𓁋やフォロー𓆉は励みになります。ありがとうございます。『起こること全てに意味がある。』『全ては準備されている。』人生って本当に面白いです。今日もありがとうございます<(__)>マヤ暦を意識して過ごすと、明るく生きられますよ第四の城蒔いた種
転院後、父は病院が変わったとことをきちんと認識できていなかったようだった。担当の医師が変わった事は理解していたようだが、とにかくしきりに実家に帰りたがっていた。ただ、実家はゴキブリまみれの上に、弟の買い物依存症で足の踏み場もなく、当然医療設備もない。(おまけに父親の病気に関する医療知識も対応力もない)家族には深刻な病状の父親を引き取る事は到底無理だった。この病院に転院して良かった事は、最初に入っていた病院よりも、実家から近く、モニター越しではなく直接父に会えることだった。父は家族が面会