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エノコログサ(イネ科)路傍にはえてる雑草です。この写真は近所でそよいでいる様子。別名は、猫じゃらし。猫じゃらしは、エノコログサの形から来ています。秋の季語にも使われてますね。沢山群生してますよ。暑い日が続きましたが、確実に秋は側にいます。
人生は「旅」に似ている。一歩一歩、試練や困難を乗り越えた人は、路傍に咲く「かれんな花」に気付き、愛でながら、豊かな境涯を開いていける(誠記者)ユノは路傍の「かれんな花」に気付き愛でる人繊細で優しい人に対しても物に対しても慈しむ心のある人です。ダンスは生命とリズム生きる喜びそのもの芸術の目的は「人を喜ばせたり気持ちよく感じさせるためにある」マティス芸術の目的を貫き通すユノステージに立つその笑顔は最高、最極に美しい芸術の目的を貫き通すというのはユノ
炎天下の路傍にはこんなに頑張って咲いてる花達がいます
《Goodmorning》https://youtu.be/wdL236zlso7日31日火曜日《人生を変える言葉》人間は時として、満たされるか満たされないか、わからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う人は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。『必ず出会える!』笑うということ『年をとるから笑わなくなるのではない。笑わなくなるから年をとるのだ。』youtubeチャンネルals
お地蔵さんにお参りしたことある?ありますヨ!小樽は信心の街。至る所にお地蔵さん。そして小さな祠。ある日ラジオで聴いたこと📻があるけど、交通事故の多い路傍にはお地蔵さんがあるんだって。わいも暇を見つけて、お地蔵さんを写真で紹介しよう。もちろん、お参りも忘れずにね。ちなみにここは、小樽市オタモイ、山中海岸入り口の、出羽三山神社⛩であります!それでは皆様、次回の更新まで、したっけね〜!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
お地蔵さんにお参りしたことある?路傍の小さな神仏さんには出会うたびにちゃんとお辞儀しますよ(о´∀`о)そもそも立派な寺社に祀られている立派で大きな神仏さんよりも、皆に気付かれる事無くそっと居なさる小さなパッとしないような神仏さんの方が好きなんだな(´∀`)地蔵さまとか馬頭観音さまとかが多いよね(о´∀`о)いつ通っても綺麗になっていてお花もいつも生き生きしてるような小さな神仏さんに出会うとより心が嬉しい(´∀`)そして常にご面倒を見ていらっしゃる方に心から敬意を払っていますよ(о
ある方の投稿です。『先日、東京・新橋駅を出たとき、お金をくれと言わんばかりの姿勢で物乞いをしている乞食と出会った。思わず自分の目を疑ってしまったほど衝撃を覚えた。このような路傍の光景は来日33年、初めて見たものだ。日本には浮浪者がいても、物乞いや金銭乞いをする乞食はいないというのは私の、日本社会に対して抱いていたイメージだ。この神話とも言えるイメージが粉々に打ち砕かれてしまった瞬間でもあった。日本社会もここまで成り下がったのだと見るべきか、それとも……。その人の国籍を確かめようと思ったほど、
高校時代以来、芥川龍之介を読んでいます。名作の短篇集をあらためて読み直すと、紀元前の中国や平安時代を舞台にした物語でかつ大正時代に書かれているのに、あたかも今時の社会や現代人の心の弱みを予見したかのような問題提起を感じる部分があります。例えば「芋粥」なんかがその代表ですね。ところで、その「芋粥」には、一生忘れないであろう思い出があります。大学入試の二次試験の国語の問題で「芋粥」に類似した物語の古文が出題されたのです。古文が苦手なうえに過去問の傾向から古文は
今日の宵の口、おシゴトで余市のフゴッペ洞窟の近くへ。そしタラバ何と、線路の🛤側へ出た!線路傍🛤のL標識、そしてローカル線特有の緑豊かな沿線風景を撮って帰ろうとしタラバ、近くで踏切の音が。どちらから来るのかがすぐにはわからず、右を向いたり左を向いたり。そしたら右から来ました!単行のキハ150形気動車が。蘭島、余市間は平坦でまっすぐだから、かなりのスピードでありました。目の前を風のように去っていったので、どちら行きなのかが見えなかったほど。………嗚呼、それにしても今宵は、
頂上を目指さないトレッキング。心地よいそよ風に吹かれながら稜線を歩く。見渡す景色は海や山、湖、小さくなった街並みなど。自然、鼻歌や口笛が口元と心を緩ませ、爽やかな空間にメジャーな音が響き渡ることだろう。店舗経営もよく似た性質を持つ。売上至上主義は作為的かつ無理が生じ、やがて疲労困憊するだけ。フラット、もしくは緩やかな下降線グラフを辿ろうとも、そこに心の軌跡があればそれで良い。チェーン店のノルマを課せられた店長さんなど本当に大変だと思う。やはり商売は雇われず、誰も雇わないのが理想だ
皆様、今晩わ。宵の、越中守です今日も、日本海は、穏やかでした🎵豊かな森の証です❗2㍍越えの、シマヘビです。昨日の午後以降に、轢かれたのでは?これ程の、大物が居ると云う事は、小動物が沢山居ると云う事です❗海も豊かですよ🎵テングニシ🎵遅刻した、桜🎵白い浜ヒルガオが、盛りです🎵自然の中での、せめぎあい❗同種の中でも、争いが有ります❗ブタナの群生。路傍にて🎵自然に親しみ、自然を学ぶ。自然に、優しく。人に、優しく。音楽を楽しみ、自然を想い人を想う。利他主義に生きる、
このブログをご覧の皆様、おまたせしました!よーやっと南小樽駅のサクラ、満開であります!そしてホームを出発する733形電車🚃。サクラとの🌸コラボが、鉄キチには何とも言えないのであります。「写真はあなたの言葉です」という写真学校のキャッチコピーがあるけど、これらの写真はコトバを補完してもまだアマリアル感じがする。わいはiPhoneで画像や動画📱を撮って投稿することが多いけどそれは、「撮りドキを、逃したくないから。」画質にこだわりがあるなら、一眼レフには負けるけど、機動力ならスマ
昨年も紹介している「シャガ」。その記事によると漢字では「射干」、「著莪」、「胡蝶花」と書くようです。自分のブログから引用するかw撮影場所:富山県富山市DateTaken:April21,2018CanonEOS7DMarkII,EF-S18-135mmf/3.5-5.6ISSTMISO:5000,Tv:320,Av:5.6,-1/3勿論近所の路傍に咲いているものです。
けっこう街中でもポツンと見かける「ケシの花」、どんな名前の芥子かは知らないけれど、騒がれることなく毎年同じ場所で咲くということは違法植物ではないのでしょう。しかし、日本へはもともと薬用植物として渡来したケシ、見てるだけでは千代紙細工のような四弁の可憐な花も、アヘンのイメージがあるだけに派手さの後ろに淋しさがよぎります。(この花の赤も悲しい赤に映りませんか。)
おはようございます。今朝は昨日より寒く感じる朝です。路傍のシロツメクサ5月からまた忙しくなりそうです。今日のお伴はグランドセイコーそれでは行ってまいります。
私は生かされている野の草と同じである路傍の小石とも同じである生かされているという宿命の中でせいいっぱい生きたいと思っている東山魁夷(『風景との対話』より)*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆この言葉は今私が感じていることそのままです私は生かされているそう感じてそうすると感謝でいっぱいになってせいいっぱい今を生きたいと思っています東山魁夷さんの絵は優しく
一月(ひとつき)ぶりのblog❗春めいて路傍を眺めながらの散策です
第11回大藪春彦賞受賞作。「流」(第153回直木賞受賞作)で一目惚れした東山彰良さん。これもまた突き抜けてる❗️笑男28歳、友達とつるんで、スリ、酒、ドラッグ、暴力、たかり、女、ヤバいアルバイト、、、。とにかくハチャメチャ。でも、やりっ放しの日常の中に彼らなりのこだわりが見えてくる。純なところがキラリと若さと勢い、無謀、無茶苦茶さ、おもしろくて、一気読み。本を読んでブハッと吹き出すなんてありえない。(〃▽〃)へぇー、こんな世界もあったもんだ❗️読書は楽し🎵
今年は水仙の撮影機会が少ない京都に住んでいた時は近くで簡単に撮影出来たのに…久しぶりに水仙を探しながらバイクで走ってみた白い水仙も黄色い水仙にも出会えたマクロレンズを使用して水仙を大きくアップしてみた時には地面に寝そべったりして撮影マクロレンズがあると僅かな花だけで撮影タイムを楽しめるこの時だけは撮影に集中できて何も考えないから好きだ本格的な春が待ち遠しいなぁ(*^o^*)
動機のない風が街にアクセントをつけていく家に止まる風木にとまる風人に止まる風止まった風を縫いあわせ時間を超えたためらいの衣をなびかせる街の目の奥には路傍に捨てられた多くの小さい光が集まり記憶の底に沈殿していく洗濯物が揺れている風がもどってきた
「鉄板中毒の皆様おはようございます」で始まる私の鉄板実況(http://mixi.jp/view_community.pl?id=5290218&from=home_joined_community)今年からドボンした時の配給ルールが改正されたので、時間の許す限り私が実況を担当しているのですが、初日こそ番手、三番手でこのルールが適用されたものの、以後単独投票でのドボン。そして、昨日は私が模範演技?をやっちゃいました。当初、私の投票にフグタさんが被せたサウンドキアラ号(京都6R)が四着で
連日冷めたい風が吹き荒れて雪が横殴りに吹き付けているふるさとがこんなに寒いとは思っていなかったから日々の寒さは辛い道路脇に咲く一叢の水仙を発見車を止めて撮影するいつものように地面に横たわり水仙を下から仰ぐようにして撮影残念ながら曇り空である水仙の後ろにはライスセンターの高い建物が…久々に撮影する水仙咲いている花の数は少ないけどしっかりと捉えてやりたい青空だったらなぁなんて考えないで
明けましておめでとうございます。昨年は大変にお世話になりまして本当に有難うございました。本年もよろしくお願いいたします!アメブロ読者のみんなに!facebookのお友達のみんなに!そしてnokonokotontonに何も知らせないで見ているあなたに!落ちこぼれおばさんにも年が明けました!枯葉は路傍でカラカラになっているけど、ノコノコトントンはのどがカラカラになっているだけ!お肌は、群馬の女性は、カラカラだとどこかで流れていたけど、
結局様々な宗教があり派閥も出来て限りがないけど、何を信仰しているのかと問われれば、時にキリスト教徒であり、また神道仏教徒でもあるそしてその各地地域ごとに存在する集合した民間信仰を敬愛しそう…嘗ては庶民の気持ちを最も表現し今では…雑草の影や土に埋もれ残骸と化してる路傍の石像信仰の信者でもあると答えるかな…忘れ去られた神仏に手を合わせ感謝し思いを寄せる。ハイブリッド信者…だ
例えばこの雪のように跡形も無く消えてしまっても路傍に残るあのシミのように誰かの心に僕は遺されるだろうか出来るならあなたがいいそんな淡い期待を僕はまだ捨てきれずにいる。冬の訪れは静かに。やがて来る春を待ちわびながら凍える花はいつか誰かに気付いてもらえるだろうか。雪溶けて満ちる光春の木漏れ日に誘われる陽気季節の訪れを待ちながら小さな花は消えてしまうかも知れない。誰にも気が付かれずに…
金平糖のような可愛いピンク色のヒメツルソバ路傍の草花にも可愛い名前があるのですヒマラヤ原産なので寒さに強くて秋~冬のこの時期に見かけると写真におさめたくなります「花言葉」🌱愛らしい🌱気が利く🌱思いがけない出会い🌱最近、「針」使った?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
この世はなんと哀しいのだろう流れゆく雲も頬を撫でる冷たい風もどこへ向かうのだろうこの世に何して楽しいことがあるだろう何して喜びあるだろう何して幸せあるだろう芯から孤独な時何も無いそこには深い悲しみ孤独有るだけ友人身内と想っているものも自分のことを話すばかりただ聞いてくれるだけで良かった解決を望んでいる訳でも無かった何故死ぬほど辛い者が人の話を聞くことになるのだ
乞食44×69cm1978作乞食こつじき仏教僧が修行のため家の前に立ち、鉢をささげ、食をこい歩くこと。托鉢(たくはつ)。 乞食こじきこつじきともいう。本来は仏教の托鉢の意であったが,のち転化して,他人に物乞いをして生活する者を総称して乞食というようになった。路傍にすわって通りがかりの人から物乞いするのをカタイ,家々を訪れて金品をもらい歩くのをモノモライといい,薦(こも)を着てどこにでも寝起きするのでオコモなどという。おはようございます😃お越し下さり、ありがとうござ