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今年の1月から3月にかけて金沢文庫で「運慶展」が行われましたが足立百不動29番地蔵院さんの鎌倉時代に運慶派によって作られたお不動さまが出張に出向いてました。僕は見に行けませんでしたが、先月にお参りに行った横須賀の浄楽寺さんの運慶仏もこちらに出展されたようです。そして、本日、お戻り大縁日が行われたので、約1年ぶりにお参りに行ってきました。何かの撮影も行なわれてました。何かの撮影が行われてました。
2018年明けましておめでとうございます!今年のお正月は例年どおり元日に佐野厄除け大師へ初詣に行きました。今年は気候も暖かくて、ちょうど空いてた頃に参拝できたので、新年早々ラッキーでしたね。お護摩の火を浴びて、今年も無病息災をお祈りしてきました。日が変わってしまいましたが、2日は足立百不動第27番の大徳寺さんにて10時から新春護摩法要が執り行われるので一緒に行きましょう!と知人よりお誘いがあったので行ってきました。本堂内にお邪魔して、お不動さまにご挨拶。去年4月
昨日より3連休ですね!3連休初日の昨日15日は、僕の地元にある氷川神社にブログやらSNSでのお知り合いが数名、お参りに行かれたそうです。実は僕も今日、行く予定でしたので行ってきました。僕の目的は神社ではなく、足立百不動88番の般若院に関しての調べものでしたが。。。氷川神社の境内、本殿の左側には不動堂があり、お堂の中に小さな石のお不動様が祀られています。般若院は修験の寺院で氷川神社の別当でした。実は、このお堂の他にもう一つ別のお堂があるのです。4月のご開帳の折に確
今日は28日、お不動様の縁日ということで、全国各地でお護摩が焚かれたかと思います。去年より足立百不動を廻ってきて、自宅の近くのお寺でもやってると知れたので日曜日で天気が良いので行ってきました。まずは足立百不動3番の大善院さんへ。毎月28日の11時から行っています。こちらの本堂には明治に廃寺になった1番玉林院、2番明音院のご本尊が置かれていますが4月のご開帳の折にお邪魔したときは3番のご本尊にばかり目が行ってしまい、確認をするのを忘れてましたので、今日はその確認を兼ねています。
明治に廃寺となった福寿寺の不動尊を拝みに、さいたま市立浦和博物館に行きました。博物館の前庭には足立百不動1番の玉林院の票石が置かれてます。中仙道から与野へ向かう道の分岐点に建てられてたという庚申塔と不動尊もありました。文化元年(1804年)に建てられ、道標の役割も担っていたそうです。お不動様は損傷が激しく、お顏は潰れて見えません・・・・のっぺらぼうに・・・・(;∀;)博物館に入館しますと、中には誰も居らず僕一人の貸し切り状態でした。(受付に
今日、調べものをしてネットを徘徊してたら迅速測図なるものを発見しました。迅速測図:明治政府が地図がないと各地の反乱を抑えるのに障害となったため1880年(明治13年)に陸軍卿・山懸有朋によって地図作成が命じられた。921枚に上る迅速地図は1886年(明治19年)に完成し、21世紀になった現在でも1枚も失われることなく保存されています。Wikiより。農業環境技術研究所の歴史的農業環境閲覧システムとしてネットで見れるんです。とても面白そうだったので、ちょっと調べてみました。
17番の後、18番の芝原不動堂ですが開帳なし。過去にこの近くの地福院を借りてのご開帳だった時もあったようで、そちらにも行ってみましたが、何事もありませんでした。19番の清泰寺さんは本堂改修のため今回は見送り。20番の八丁不動堂は一足早く4日~14日で、ご開帳行事を終わらせていたそうです。今回は16日からという連絡が届いてなかったのか?気づいたときには後の祭りで、こちらのお不動様は拝観できませんでした・・・・・ですので、17番から一気に21番まで飛びます。21番は薬王寺さんです。前
17番の文殊寺さんは16番からは、さほど離れてない場所にあり移動は楽でした。こちらは足立百不動の中では大きいお寺ですね。詳しくは前回の記事を参照してください。この大きく立派な本堂の中に入れました。内陣の奥、ご本尊の左隣に50cmほど不動尊立像がありました。係の方に「こちらがお不動様です。」と案内され、奥までどうぞと内陣に入れてくれました。その際、塗香を差しだされて、右手の薬指に付けて・・・・・・・と、ご指導をしてくれはっ!これは関東三十六不動巡り
報恩寺を後にして16番東漸寺へこちらは無住のお寺で前回訪問したときは、ここはご開帳しないだろうな?と思ってましたがいい意味で裏切られました。檀家さんなのか、地元の人たちが当番で開帳対応されるようです。無住なので、普段はどちらが管理しているのか?を尋ねましたら、4番の吉祥寺さんだそうです。3-40cmほどの不動尊座像でした。厨子も古く、当時のままの様相を表してました。参拝日:2017年4月22日(日)
足立百不動尊のご開帳が始まり、67~100までお参りをし、満願となりましたのでその後は、1~66まで、ご開帳してるところのみ廻りました。14番東泉寺までは終わってますので、15番の法恩寺から続きを書きたいと思います。4月15日に下見に行ったときは、特に準備もされてなく、ここでは行わないのかな?と思ってましたが、再度寄った22日には、ご開帳されてました。本堂内に誰もいらっしゃらなかったので、右隣に隣接している庫裏の呼び鈴を鳴らしたらしばらくして、おてらの方が本堂に来てくれ
足立百不動の開帳マップを作成しました。12年後に誰かの参考になるかどうか・・・・・ほぼ把握できてると思いますが、多少の間違いはあるかも知れません。その点をご留意頂き、参考になればと思います。青:開帳赤:非開帳黄:開帳してるかしてないか曖昧だけど不動尊の拝観できる
99番善応院で楽しい時間を過ごし、時間も押し迫ってきたので、いよいよ最終の100番を目指します。去年の11月3日から始めて、当初は廻れる範囲で行こう!と、軽く・ゆるーい感じでしたけど廻ってるうちに、足立百不動の奥深さや僕の地元周辺の歴史を感じることができて楽しくなり、ブログに毎回のようにコメント入れてくれる方やいいね!をしてくれる方もいらしてやる気に繋がり、終わってみれば36番と37番以外は全て自転車で走破しました。これで新たな出会いもあり、やって良かったなぁ~と思っています。10
信成院を出て第2産業道路に戻り右折します。最初の信号を左折して、少し行くと右側に集会所のような建物があり、ここが善応院です。距離にして400mですので、目と鼻の先です。この中に70cmほどの不動尊立像がありお参りできます。この日、当番でいらした御年80代と思われる、おばあさまのご要望もあり一緒に廻った西原さんと僕と3人で般若心経を唱えさせて頂きました。おばあさまにとても喜んで頂き、12年後の再会を約束いたしました。こうやって、自分の親より年上の方とお話しする機会
足立百不動も残すところ3つとなりました。ゴールはもうそこです。98番の安楽寺は現在、さいたま市南区大谷口の野口家となっていて安楽寺は明治の初期に焼失しました。このお宅の少し先(第2産業道路方面)にお堂が建てられていて、信成院と名を変えて98番札所となっています。このお堂の右側に石碑があり、『修験道師、星野順栄書』と入っており、昔の行弘寺の住職さんです。参拝日:2017年4月16日(日)
97番の観音院は、ご開帳開始の前日(15日)に下見に行ったら、ひっそりと静まり返って何もやる気配は無かったので、期待してませんでしたが16日に念のために行ってみるとご開帳されてました。が・・・・・・入り口には「足立百不動には正式に参加していない・・・・・」旨の掲示板があり、何かあったのでしょうか?しかし、本堂内には入れるように扉は開かれてるし、中で御朱印を頂くこともでき、普通にご開帳されてるのと同じ状態になってました。ご本尊である観音世菩薩の立派な厨子の前に小ぶりな不動
96番大光寺の跡は、現在、伊刈町会会館となっています。会館脇には六地蔵と墓地がありました。会館内、1階の大広間らしい部屋に小高いステージがあり、その脇にお本尊と思われる厨子の隣に不動尊がありました。足立百不動の中で、1番小さいお不動様ではないでしょうか?立像でした。参拝日2017年4月16日(日)
第95番万福寺が昔あった場所は、観福寺の前の道を少し北へ向い、道の両側を挟む広い墓地がある所です。お寺としては94番の中に移っています。こちらが観福寺の本堂で、中にに入ることが出来ませんでしたが、扉が少し開いていて外からの参拝となってました。この本堂内に、95番万福寺の不動尊があります。
第94番観了坊と第95番万福寺は、通称前川観音と呼ばれる観福寺にあります。観福寺の『観』は観了坊から『福』は万福寺から取られました。門を入って赤いお堂のような建物が、観了坊です。ご本尊、観世音菩薩の左側の厨子に50cmほどの不動尊立像が立っていました。参拝日:2017年4月16日(日)
第93番の明達寺は、現在、上青木氷川神社の境内の中にお堂のみが残っています。本殿の左前あたりです。93番の扁額がかかり、中には小さな不動尊をあります。参拝日:2017年4月16日(日)
92番法福寺の近くに大きな幹線道路ができ、周りに新しい住宅が建ち区画整理も始まってるのか?道に少し迷いました。檀家さんのお接待を受けて、お不動様にお参りさせていただきました。赤い火炎が高くそびえた立派な不動尊座像です。両脇には四天王像らしき4体の仏像さんが立ってました。天気も良く、とても気持ちの良い気分になれたお寺さんでした。参拝日:2017年4月16日(日)
足立百不動も残すところ10ヶ所となりました。カウントダウンの開始ですね。91番の真福寺です。本堂の扉は閉まっておりましたが、本堂内よりお手綱が伸びてまして本堂前の角塔婆に繋がってました。扉から中を覗くと小ぶりの不動尊立像を見ることができました。参拝日:2017年4月16日(日)
89番大学院から青木橋を渡り旧鳩ヶ谷市に入ります。90番宝林寺は川口市南鳩ヶ谷5-14(現在、鳩ヶ谷市は無くなり、川口市と合併しました。)あたりにありましたが、昭和27年にお寺は消滅。現在は住宅地となってます。墓石たちは近くの吾智堂に集められたそうです。開帳初日に伺いましたが、こちらは最も謎の多い所でした。扉はロックされており境内に入ることができませんでした。中を覗くとお堂の扉は開いてるのですが、人の気配がありません。買い物にでも行ってるのだろう。と思い、しばらく待ちま
89番の大学院も完全に消滅しています。氷川神社の前あたりにあったそうですが、時間の都合で隈なく捜索することができませんでした。青木5丁目の交差点の辺り。ここら辺に大学院があったとしか言えません。日を改めて、じっくりと探したいと思います。参拝日:2017年4月16日(日)
87番龍泉寺からオートレース場方面へ向かうと川口氷川神社の神殿脇に般若院から贈られた祠があり、その中に石の不動尊があります。この氷川神社の近くに般若院はありました。参拝日:2017年4月16日(日)
86番の蕨市塚越から87番へは一気に川口市の青木町まで飛びます。距離は約3km。川口オートレース場の近くに龍泉寺はあります。建て直したのでしょうか?比較的に新しい綺麗な本堂でした。僕が行ったときは、法要中で中を見ることができませんでしたが、ご開帳はしていない様子でした。不動尊座像があるそうです。参拝日:2017年4月16日(日)
86番の定性寺は塚越神社の境内にあり、坂東足立三十三観音の結願寺です。こちらの管理人さんの話しによると、今回は開帳する気はなかったのだが19日の朝に若い人が来て問い合わせがあったので、その人の為にその日だけ開けてあげ、来る人がいるならということで、急遽、土日と28日の最終日だけ開けることにしたそうです。こちらの扁額が当時のまま綺麗な状態で保管されてました。裏には釘も残っており、当時の役員らしき人の名前も書かれているそうです。資料を見せてもらい説明をしてもらいました。
84番の大行院からは徒歩で5分ほどで芝下町会会館に着きます。昔はここに不動堂がありました。不動堂を取り壊して、会館を建てたそうです。不動尊はここで祀られており、50cmほどの不動尊立像で、当時の鰐口も保管されてました。参拝日:2017年4月16日(日)
83番慈星院の山門前の道を左へ向かい1kmほど進むと左手に84番大行院の看板が見えます。ちょっと目立たないので注意しとかないと通り過ぎるかも。芝高木の交差点の手前です。足立百不動でも3ヶ所しかない本山修験宗の祈祷寺です。京都の聖護院の流れをくみ、かつての1番玉林寺もここと同じだったそうです。本堂内にてお参りをさせて頂きました。50cmほどの黒い不動尊座像。本堂前のお堂にもお不動様がいます。こちらは立像でした。お参り後にお札を頂けました。参拝日:2017年4月16日(
82番神宮寺から再び産業道路に戻り、外環道路をくぐると右手に芝支所がある。芝支所の少し先に右斜め方向へ入る道があるのでそちらへ進みます。長徳寺の脇道になりますが、その先を進んでいくと右側に83番の慈星院があります。16日に行きましたが、準備はできてるけど、まだ開帳がされておりませんでした。慈星院は17日からだったのか?後日、21日に出直すことに。近いと良いですね。ご開帳されていて、お堂の中に入れて頂きました。こちらのお不動さまは、足立百不動の中で
81番真光寺跡から外環道路へ向かい産業道路に出ます。さいたま市方面へ向くと右手にパチンコ屋があり、その脇に鶴ヶ丸神社への参道へ繋がる階段があります。その参道脇に82番の神宮寺があります。もともと何もなかった記憶が・・・・子供の頃、この辺りに住んでいて、大晦日が明けると毎年、鶴ヶ丸神社へお参りにきたのを覚えてますが、神宮寺はありませんでした。近くの長徳寺の住職さんが、再建したそうです。ご開帳初日に伺いましたが、ご開帳してる気配はなく門も閉まってました。ところ