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立命館大学の広大な敷地の片隅に佇む臨済宗天龍寺派の名刹・等持院。室町幕府初代将軍・足利尊氏公の墓所があると知り参詣しました。四季折々素晴らしい名勝庭園は必見ですよね。ホームページの写真なんて本当に美しい。ただし、庭園の中央に在る霊光院が工事中なもんですから・・・。写真にその一部が入るとちょっと残念な感じに(笑)。パンフレットによれば1341年、足利尊氏公が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして創建されたそうです。境内にはその尊氏公の墓所がありますが何とも質素な
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は、愛すべき残念な武将シリーズです。今回の主人公は、細川政元君です。細川政元君は、応仁の乱の東軍の総大将・細川勝元の息子です。応仁の乱は、皆さんもご存知かと思いますが、足利家の将軍の後継者争いが元で起きた戦乱ですね。細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)が、それぞれの後継者側について戦った争いです。その最中に、今回の主人公の政元君の、お父さ
キヨタツさんも、うえぽんも、ひろも、くまちゃんも色々あるよね。と思った本日でした。という事で、今回軽く「応仁の乱」について、少しだけ触れておきます。1467年の京都ではこんな事がありました。世継ぎの生まれない足利義政と日野富子夫婦。もう、子供出来ないんじゃね?と思っていました。次の将軍を足利義政の弟に譲った直後!!!日野富子に待望の第一子ができました。しかも、男!でも、将軍はもう義政の弟がなってました。弟はこう思ったでしょう、、「えっ、、嘘、、」ここで夫婦は話し合いをしたでしょ
富樫家の家督相続へ介入していた畠山氏に内訌が勃発します。実子のいなかった畠山持国は甥を養子に迎えて家督を継がせようとしましたが、側室に義就が生まれると心変わりします。勝元・宗全にとっては持国追い落としのまたとない機会の到来です。持国は勝元と宗全に家督争いへ介入され、失意のうちにこの世を去ります。ちなみに、持国の甥も他界してしまいますが、その弟の畠山政長が義就とその後も家督を争い続け、家中が二分され、名門畠山は没落していきました。こうして畠山との政争を制した
銀閣(寺)に行ってきたよ♪̊̈♪̆̈金閣(寺)には何年か前に行ったけど、あまりの違いにびっくりするね!\(°Д°)/でも、私はこっちのが好き♡「応仁の乱」の主役?というか、原因を作った張本人だよね。足利義政。(室町幕府8代将軍)正室、日野富子。幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人。元々政治に興味はなく、雅な世界に浸つていたいのんびり屋さん。つらきかな曽
読者の皆様は、「正長の徳政一揆」という大規模な一揆をご存知ですか❓大学受験では、センター試験でも出題される、高校生にとっては標準的な歴史事項になります。正長は「しょうちょう」と読み、当時の元号のことを指します。徳政一揆は「とくせいいっき」と読み、徳政令の発布を要求する土一揆を指します。少し補足が必要です。「徳政令」についてです。徳政令は、中世(主に鎌倉時代・室町時代を指す)に行われた債権・債務の破棄を命ずる法令のことをいいます。鎌倉時代に出さ
嘉吉の乱から一〇年以上のちの享徳三年(1454)、自刃した赤松満祐の甥にあたる則(のり)尚(ひさ)を幕府に出仕させようとする動きがでます。赤松一族は宗全を敵と思っています。しかも、宗全は満祐自刃ののち、播磨を分国としていました。宗全にしたら、とうてい赤松家の再興は認められません。宗全は「将軍(義政)が親(義教)の仇を取り立てるとは何事か」と罵ったといいます。その声が将軍の耳に達し、宗全追討の話が持ち上がります。このとき、娘婿であった勝元が義政を宥
今日は、金閣寺と銀閣寺に「サクッ」と、触れてみたいと思います。両方とも室町時代のお話し。まず、金閣寺。三代将軍足利義満(※1)は、現在の京都市北区の地に北山殿(きたやまどの)という別荘を建てました。死後、その遺言により、北山殿の敷地内に夢窓疎石(むそうそせき)(※2)を開山として「鹿苑寺」(ろくおんじ)が建ちます。その舎利殿は三層からなり、内外に金箔を貼りつけられたところから、俗に「金閣寺」と呼ばれるようになりました。鹿苑寺は、応仁の乱で消失します。昭和にも消失します(※3)が、再建されて
勝元はこの時代きっての文化人です。いわゆるインテリでした。彼が禅宗に帰依し、石庭で有名な竜安寺を建立した話は有名ですが、同時に勝元は和歌の達人にして、絵筆をとっても一流でした。死去する一年前には医書まで著しています。また、ある人が勝元を招いて饗宴した際、鯉の料理がでました。すると箸をとった勝元が一目見て、「これは淀川の鯉ですね。鯉は酒に浸す際に箸を入れると汁が濁ってしまうが、淀川の鯉はいくら浸しても濁らない」といったほどのグルメ。このほか、
朝起きたら雨は降ってなかったのでシーツ類を洗濯した。枕やクッションも外に干して、洗濯している間に朝ごはんを食べた。洗濯が終わって干そうと思ったら雨が降っていた。全然気付かなかった…。枕たち濡れてもーた。仕方なくしばらく室内干しにしていたが晴れてきたので外に干した。その後は雨が降らなかったのでよかった。枕たちも乾いた。午後からツタヤディスカスで借りた「義経」の続きを見た。義経って人を惹きつける魅力や人望があったのかな。この人が悲劇のヒーローになってゆくなんて切ないね。それから
京都の2日目は銀閣寺へ。8代将軍足利義政が応仁の乱からの俗世から目を背けるためにつくった隠居施設の銀閣寺。わびさびの落ち着く雰囲気にどっぷりつくりました。娘より。何で銀閣寺なのに、銀が貼ってないの??そんな疑問を解消すべく向かいました。大人の僕としての回答は、みればわかるから。景色と寺が一体化した姿が圧巻。隠居して余生を過ごしたであろう庭のかくどのしゃしんがこちら。緑に和みました。そして天空から差し込む光。もうなんていうか、ただの森林浴です。最高でした。そして昼は清水
応永二十六年六月十八日、1419年7月10日、伏見宮貞成(さだふさ)親王の第一王子として彦仁(ひこひと)王が誕生されました。伏見宮家は崇光天皇の第一王、栄仁親王を祖とする持明院統の嫡流に当たる世襲親王家で彦仁王は崇光天皇の曾孫にあたります。第百一代称光天皇の御世でしたが、天皇には皇子がなく弟も薨去されていたので、天皇が崩御されると後小松上皇は彦仁王を猶子に迎え皇位につけました(後花園天皇)。貞成親王は伏見宮家の二代目当主でしたから、宮家の役目を果たしたことになります。称光天皇ま
こんにちは!ホシサトミです(^^)ホシサトミ商店の品揃え【8/4(土)室蘭】こども習いごといろいろ体験会】10/29(月)札幌!かたやまひでこさん言霊セミナー詳細は後日♪11月上旬札幌!今村愛子さんグループファッションコンサル先行予約できます♪HAPPY営業術オンラインセミナーアラサー、アラフォー、アラフィフの女性向けショップ!ホシサトミ商店親勉体験会親勉初級講座親勉中級講座オンライン自習室(無料)北海道室蘭市近郊住宅塗装広報ホシサトミ商店への
『この国のかたち-1』-司馬遼太郎●千利休-③✪堺の室町のころ、将軍や公家や、守護、あるいは門跡にとって身分にふさわしい光沢というのは、「源氏」や「新古今」などの古典に通じていることだった。室町体制がくずれて地方々々に出来星の大名が出はじめると、かれらも教養という装飾を身に付けるべく都から連歌師をまねいた。宗祇(そうぎ)や宗長(そうちょう)のたぐいであった。ただし、尾張の信長にはその方面の素養も趣味もなかった。しかし、信長が卓越した造形美の理解者だったことに驚かざるをえない。たとえば
関西本線島ヶ原駅から北へ2km程のお寺に来ました寺院名;島王山西念寺宗派;天台真盛宗御本尊;阿弥陀如来所在地;三重県伊賀市島ヶ原中村4251TEL;0595-59-3061西念寺は御土御門天皇、足利義政、日野富子等の帰依があり天台真盛宗開祖・真盛上人に帰依した村人により明応2年(1493)に開創されたと伝えられてます榧の木は将棋盤や囲碁磐の用材として、平安時代初期の仏像用材として使用される加工のし易さと美しさが特徴で
水が一番楽だったので最初に終わってました狐いるモンスター可愛い説ジュン可愛いよー
ご訪問頂きありがとうございます。花工房utatane~うたたね~です。フレッシュフラワー・プリザーブドフラワー・アーティフィシャルフラワー・ドライフラワーアロマフレグランスストーン&クレイオートクチュールドール*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*昨晩、家の前で捕まえたクワガタにバナナをあげて、一晩…朝居なくなってましたここ、リビングなんだけど…何処に行ったの〜〜未だに見当たりません。生きてたら良いんだけど(°_°)京都に行ったついでに、銀閣寺に行って来ました
2018GW奈良京都旅行です♪バスターミナルは大混雑600円のバス一日乗車券を購入バスは1回230円なので3回のればもう元とれますね100円周遊バスも走っているけど銀閣寺到着御堂まで直線じゃなく曲がっているのねブラタモリでちょうどあっていたここは何を表しているかわからないと初めてきたわびさびがあり素敵しかしよく見てください丁度8時半くらい2階にお掃除の人がいるのあちらこちらで開始されていた中を少し覗き見ることに成功
銀閣寺(東山慈照寺)へ行きました(5/23)臨済宗相国寺派に属する禅寺で建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政公小雨もやみ清らかな空気を感じながら庭園を歩きました。銀閣観音殿を頂上から眺めました。総門から中門への参道銀閣寺垣と呼ばれる竹垣の調和が森厳で素敵でした。銀閣寺庭園にある向月台と銀沙灘向月台・・・高さ180センチの砂山銀沙灘・・・高さ66センチ波紋を表現月の光を反射させる役目をもつといわれているそうです。銀閣寺の庭がこん
19日に法然院でのLIVE(見る側)があり、そのLIVE前の時間が急遽あいたことで、これまで実は行ったことのなかった銀閣寺に初めて行きました。マップ中門入ってすぐの庭庭を過ぎると銀閣と呼ばれる慈照寺が見えます。拝観時間ギリギリに行きましたが、土曜日ということもあり人は多かったですね。横には八幡社という神社も向月台。見事な銀砂の芸術といったところ洗月泉という場所にある滝。左の石のところには賽銭も高台に上る階段手前には小さい川もお茶の井。足利義政公の
先日は、相国寺へご案内いたしました。ヽ(゚◇゚)ノ足利義満が夢窓疎石を勧請開山し創建しました。創建当時は今の十倍程の広大な敷地を有していたそうです。壮麗な大伽藍を誇る名刹です。o(^▽^)o江戸当時、一流の文化人が集った禅寺・相国寺は足利義満が建立した京都五山第二位の寺、堂宇は新しくなっているものの、厳粛な雰囲気は昔のままです。(*^o^*)相国寺は伊藤若冲ゆかりの寺院で知られています。境内には永代供養の際に若冲が遺髪をおさめた寿蔵があり、堂内の位牌には今も毎日お経があげ
前3篇のブログ♪『東の丸太町通♪(東大路~白川通~鹿ヶ谷通)』『新緑のお散歩道♪(哲学の道♪)』『新緑の銀閣寺♪(東山慈照寺♪)前編♪』のつづき♪GW中の5月5日のお出かけのコト…銀閣寺の庭園を散策中…(銀閣寺境内図♪)・・・・・・・・・・・・・さっきの分かれ道♪さっきはココを左に行くと弁財天の祠やったよね♪今度は右に行こ♪コッチの道は登りみたい…右に♪左に♪ってカンジ…ちょっとした山道みたいやね♪向こうにひらけた場所が見えてきた♪山肌に石がいっぱい突き出た崖が…
ルイ・ヴィトン「TIMECAPSULE」展が大阪に!アーカイブ製品と創業からの歴史を振り返るFashionPressルイ・ヴィトン(LOUISVUITTON)のアーカイブ製品やオブジェと共に、技術・デザインの軌跡を振り返る「TIMECAPSULE」展が、2018年7月14日(土)から8月1日(...チャーチルの知られざる苦悩とは?歴史的な作戦決行までの96時間描く人間ドラマ映画ナタリー英国の元首相ウィンストン・チャーチルが主人公のヒューマンドラマ「Churchill」が、
銀の色は、英語でシルバー、日本語で銀色または、白銀色(しろがねいろ)と言われています銀色は明るい灰色で、金属を磨いて光沢のある銀の表面のような色を表します英語のシルバーグレー、シルバーホワイト、日本語の銀鼠(ぎんねず)など、輝きを持った美しい灰色系や白の形容に用いられます足利義政の時代に作られた銀閣寺の壁面は、近年の調査で、実際には銀箔を貼った痕跡は無かったようだと言われています外壁には、黒漆が塗られ、その漆が日光の加減で銀色に輝いて見えたことから、銀閣寺という名前で呼ばれるようになった
今日は5月の第2日曜日、つまり母の日。朝から家人宛てに息子夫婦と娘夫婦から、それぞれプレゼントが届いて、華人は大喜びしている。私は、昨日までの〝怒涛の″週後半を過ごして、少しだけ疲れてぼんやりしている。今日は朝から、しっかりとした雨になった。韓国の古い友人夫妻が京都を訪れていることは、すでにブログ書いた。彼らは、今日午後の飛行機で韓国へ戻って行った。実に京都にいる間だけ好天に恵まれた、という結果に私もホッとしている。木曜日の夜に一緒に食事をした後、金曜日は彼らだけで、一日、嵐
私は“リンダ”派です!『ブラタモリ』――亀和田武「テレビ健康診断」私は“リンダ”派です!『ブラタモリ』――亀和田武「テレビ健康診断」近江友里恵アナの朝への転出に伴い、『ブラタモリ』五代目アシスタントになった林田理沙アナが、京都東山・銀閣寺の回でデビューした。「林田理沙と申します。よろしくお願いします」。緊張している林田アナに、タモリが「なんて呼べばいいの?」と訊く。音読みで「リンダ」と呼ばれることが多いです。「リンダ……リンダ……うーん、一日考えよう」と、いまひとつ納得できない様子のタ
今回は春の特別拝観を兼ねて哲学の道を訪ねましたまずは京都駅から銀閣寺道までバス🚌で移動だぁ〰️慈照寺[じしょうじ]銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍の足利義政です。義政は祖父である足利義満が建てた金閣寺を参考に、京都東山・大文字山の麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めました。義政は建築を始めた翌年(1483年)にはここに移り住み、別荘としてだけでなく表向きの仕事にも使っていました。金閣寺ほどの規模はありませんが、銀閣寺にも会所、常御所(つねのごしょ)などの大規模な建物が建ち並んで
GW後半の土曜日は快晴。お出かけ日和!ほいじゃあ行きますか。銀閣寺行きますよ。淀屋橋から京阪電車で出町柳駅下車。そこからのーんびり徒歩で30分で到着。テレッテレー…テレッ!こないだブラタモリでタモさんが銀閣寺に来てて、もうこれは行くしかないと。入ってすぐ左にある沙灘。向月台。何のために作られたかはよくわかってないらしいけど、どこかのガイドさんの話に聞き耳を立てたところ、どうやらこの辺りの地質が関係あるっぽい。何となく、この空間には不似合いな気がしないでもない…。で、これ