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キラキラ光る素敵なあなたへこんにちはポテトですskipperさんワタシの誕生日の記事をリブログします。少し前に前世を見て頂きました。メニューには前世二つとありますがワタシは見易かったらしく前世四つ来ました今日はその中の二つこっそりお見せします。一つ目○巫女樹齢数百年はあろうかと思われる杉の大木が見えてきました。そのなかの参道らしき道を歩いている巫女さんらしきお姿が見えてまいりました。ですが現代の巫女さんとは少し趣が違い、白衣と袴は同じなのですが、さらに羽衣を纏
【日本ハム】清宮がイチロー引退に思い語る「偉人。語り継がれる人になるんだろうな」スポーツ報知ああやって最後の試合にあれだけの人々に見送られながら去っていく姿はあこがれますし、偉人だなというか…。僕たちからしたらベーブ・ルースとか王さんとか、...能登・鵜川の3偉人、絵本とDVDにふるさと再発見研究会が製作47NEWS能登町鵜川地区の住民でつくる「鵜川ふるさと再発見研究会」などは22日までに、地区の3偉人についてまとめたミニ絵本3種600部とDVD200部を製作した。若村
内子町は歩くだけでも楽しい。情緒溢れる街並み。そして静か。お店の方々はみんな親切。お蕎麦屋さんまでもこのようなお店。こんな場所で食べたらより美味しく感じそう。『町屋資料館』無料で見学できます。1793年に建てられたものを復元修理したものだそうです。私は普段の食事は質素だと思っていました。が、内子町を観光し当時の暮らしぶりを見て考え方が変わりました。私は贅沢で食べ過ぎだった薪を使って料理するなんて〜。これが毎日なんて〜『あ
ソニーズマーケットプレイス阿知須店で開催中の角身武彦招き猫、郷土玩具コレクション展に第五弾が入荷しました‼️仕事運アップのパワースポットとして人気の京都瀧尾神社福助(大丸百貨店の創始者がモデルと言われています)陶製商売繁盛のご利益にあやかる瀧尾神社は「大丸百貨店」の礎を築いた天下の豪商・下村彦右衛門が熱心に参っていた神社です自宅のあった伏見区京町から行商へ行く途中毎朝欠かさず訪れていたそうです
第47回ですオクニョが王女だと知ったユン・テウォン。オクニョは彼にこれまでと同様に接してほしいと頼む。オクニョたちは、さらわれたイ・ミョンホンの居場所を探し当て助けに行くが、すでに姿はなく、残されていた養父チ・チョンドクを見つける。ユン・ウォニョンはイ・ミョンホンからオクニョの父親を聞きだすのを諦め、代わりに彼を利用して敵対する大尹(テユン)派を排除しようとたくらむ。明宗(ミョンジョン)は、大尹派を陥れるためにユン・ウォニョンが明の使者と取り引きしていたことを突き止め、ユン・ウォニョ
おはようございます♪先日新潟市文化財「旧小澤住宅」へ初めて行ってきました。旧小澤住宅とはhttp://www.nchm.jp/ozawake/index.html江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅。H14年に小澤家から新潟市へ土地・建物が寄贈。新潟町における町家の典型的な豪商のお屋敷を見学に行ってきました。建物内には広い「土間」装飾が素敵な「欄間」見る機会も少なくなった「床の間」畳を敷き詰め、庭園が見渡せられる「座敷」や
ようこそ。ネイル工房彩ネイリストのひとみです。お休みの日に、小江戸川越をぶらりと探索。実は、川越に来たのは初めてなの。都心から1時間弱で、こんなに風情の違う景色が見られるなんて、感激(^^♪「時の鐘」の前も通ってきましたよ。何となく脇道に入ったところで偶然見つけた、お屋敷。昔、豪商の別宅だったところを料亭にしたそう。料亭「山屋」さんで、のんびりとランチをいただきました。個室も多く、ウエデ
今日は朝から会社を少し抜け出して(^^)松阪市魚町に4月5日オープンする「豪商のまち松阪観光交流センター」のガイドボランティアの為の内覧会に行ってきました。1Fはガイダンスフロアーで観光コースの案内やお土産の購入が出来ます^_^2Fは展示フロアーで松阪の歴史などが良く解る展示や映像をご覧になれます(^^)(参宮街道の賑わいを再現したジオラマ)オープンニングイベントとしてスタンプラリーの開催や新料金となった有料三施設の共通券購入者への先着プレゼントもあり
ルビーの結婚指輪は、ロイヤルファミリーや豪商などのごく限られた人たちに限られていた。一般的ではない。そして今も一般的でない。その理由は、天然無処理で美しいルビーは希少だから。ダイヤモンドは、ほぼ100%が天然無処理。ルビーは、現在流通している、ほぼすべてが処理をして美しさを改良し、一般大衆向けに販売されている。宝飾品としては、美しくていいが、天然無処理で美しいルビーではない。ミャンマーから直接、天然無処理で美しいルビーを供給できるモリスが19年がかりで構築したので、
今日は定休日です。久しぶりに手入れのされていない小さな庭を散策していました。苗を植えて4年目「河津桜」がチラホラと咲き始めました。ショボイとおっしゃらずにね「ソメイヨシノ」はまだ硬い蕾です。やはり小さな苗を購入で5年経ち大きく伸びています。「杏」も蕾が膨らんでいます。ピンクの可愛いお花が咲きます「福寿草」が終わりそうです。春先の黄色は元気カラーですね。先日拝観に訪れました東京目黒のホテル雅叙園、百段階段で開催されております「百段雛まつり」「毎年テーマとなる地域を変えて、日
『私の惚れた江戸』-①杉浦日向子✡️江戸は一口に「大江戸300年」といいますが、吉宗から化政期の、11代将軍家斉までの三代70年間が最も充実していた。このころに、”江戸歌舞伎”・”江戸大相撲”・江戸戯作”・落語”・江戸小唄”・”端唄”・”歌舞音曲”・”江戸川柳”・”狂歌”・”浮世絵”等々が次々に生まれた。300年間の前半は、江戸の町の基礎作りで、文化を育むゆとりがなかった。元禄時代に華やかだったのは、江戸ではなくて、京都・大坂だった。江戸は坂東の片田舎であり、上方から入ってくる文化を
子供の時から、、堺屋太一先生の話を、、まあ、、斎藤茂吉先生、、斎藤茂太先生北杜夫先生の話を幼少時から聞かされた、、親から精神科医にはなるなとも、、絶対に精神科目領域の薬を自分は飲むなとも、、幼児教育なのか、、堺屋太一先生、、政治家、、作家、、東京大学卒、、官僚、、、堺屋太一先生、、本名ではなかったのか、、初めて今朝知ったよ❤️堺屋太一先生のあ母さんはいとさん、、、船場言葉、、谷崎潤一郎、、、細雪の世界だな、、、お父さん、、、大正昭和初期
~郷土の歴史~名誉市民西脇済三郎(にしわきせいざぶろう)を小千谷市は「にしわきさいざぶろう」と称する。どこで間違ったのか?誰が間違えたのか?何年、何十年前からか?このページも公開された当初から「にしわきさいざぶろう」である。何故この迷走が生まれたのであろうか?《西脇本家の歴史》西脇本家は、小千谷を代表する豪商であった。特に明治以降に大きな財をなし小千谷町通りに最後まで残った旦那様であった。西脇家は、江戸中期より史料に姿を見せる。延享二年(1745)小千谷村宗門帳には西
豪商・旧三井家の別邸の主屋3階望楼を特別公開四方ガラス窓の3階望楼から特別な景色を2月7日から3月19日
金石本町にある石川県銭屋五兵衛記念館。かつて「海の百万石」と呼ばれた豪商です。その財力すさまじく、加賀藩の財政をほぼ仕切ってたとか。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの彼でしたが。やがて大きな落とし穴にはまり、不遇のうちにその人生を閉じることとなります。一体何があったのか?詳しくは→石川県銭屋五兵衛記念館
ご訪問くださいましてありがとうございます😊皆さんは角倉了以さんご存知でしょうか?江戸時代の京都の豪商朱印船貿易と河川開削をされた方猫をとても大切にいたしました!ネズミに食物を食い荒らされぬように自らの朱印船に猫をのせました猫が皆の心も癒しました角倉了以の開削した高瀬川沿いに家や料理旅館が立ち並びました!これらがますます繁盛するようにと猫のおかげだからと右手を上げた黒猫の護符を家家に配りました!以来多くのお客様に来ていただく繁盛店になりました今も現在のがんこ高瀬川店にはその名残
前回の続き山居倉庫の後、あてもなく市内の方にに行くと、大きなお屋敷があり有料駐車場が横にあったが、まだ係員がいなかったので勝手に止め、外部から眺めただけだが、この屋敷、本間家と言い日本一の大地主として知られ、(ちなみに保有していた土地は1000万坪以上と言うが、この坪数、猫の額ほどしかない我が家では想像ができない広さである。)この本間家、巷では「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とまで謳われたほどの豪商で、本間家三代の光丘は千石船で商いをする一方、農業振興のための土地改良や植林事業
正式名称は「紀三井山金剛宝寺護国院」紀三井寺と呼ばれるのは紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれてます。紀三井山護国院の寺号標の後ろにあるのは、「ざんげと招福の水場」がありました。錫杖を手にする白衣観音のもとに、清浄水が引かれています。清浄水は、罪を洗い流してくれる霊水で、懺悔し穢れを洗い流してから、福を招くため祈るようです。楼門は室町時代の永正6年(1509)建立欄間は牡丹と菊の彫刻されてます。楼門を抜けると結縁坂(けちえんざか)231段あり、江戸時
身分制度最下層に異議を唱えた商人に圧され、幕府が更に下層の身分を作り出したのと同じ。真にこの世界を支配しているのは政府に非ず。その政府を隠れ蓑にした富豪と銀行である。言わば豪商が世界を牛耳っていると言える。時代が幾ら変わっても変わらぬ構図である。そしてそれが故に戦争も又、無くならぬのだ。
睦月三十日御成道の宿場、川口へ。御成道は、日光へ将軍一行が参拝するため(日光社参)に通る道。車道の間にある小島のような緑地に、案内板があった。この奥の道が、赤羽から荒川を渡って通る御成道。この道の途中に川口宿本陣があったという。近くに、川口文化財センターがあったので寄り道。窓口のある2階に上る階段には、災害の啓発になる表示があった。過去の洪水の水位を示してある。津波のあった東北から来た身としては、見過ごせない。川口は鋳物の街である。
11月25日日曜日に参加したJR東海さわやかウォーキング晩秋の伊勢本街道を歩き豪商の里・中万市と清流櫛田川を訪ねよう!の続きです三重県多気町に祀られている相鹿上神社を出発しますちなみに祭神の文筆の神様“天児屋根命”は、神話「天の岩戸開き」にも係わりのある神様です西側に通り抜けると、歩道橋がありましたその歩道橋を渡って、横切る道路を横断していきますそのまま、まっすぐ進んでいきましょう突当たりまで歩いて、右に曲がっていきます
こんにちは、粟津サヤカです京都ツアーコミュニティでガイドをしています。眺めているだけでワクワクしていたとあるレトロの解体がきっかけで、レトロがさらされているどうしようもない現実を知り、ならばせめてその姿を記録にとどめようとブログを書いています*****平成30(2018)年もあと1ヶ月をきりました。今年は春の到来が早かったのを覚えていますか?3月中に桜が満開、散り始めてしまい、桜見物も兼ねた私のツアーは新緑ツアーになってしまいました夏の暑さは異常で、特に京都
繊細、優美匠の技日本伝統工芸展開幕松江山陰中央新報人間国宝(重要無形文化財保持者)らの作品を集めた工芸界最大規模の公募展「第65回日本伝統工芸展」(山陰中央新報社など主催)が5日、松江市袖師町の...区内16件、文化財に建造物や民俗芸能市内全63件タウンニュース市内の貴重な文化財を記録しまちの発展に役立てようと、昨年12月に市教育委員会が創設した「市地域文化財顕彰制度」に基づき選定したもので、今回が1回目...太宰府天満宮で恒例の「すす払い」ささ竹で汚れ落とす
本当は朝ドラ「半分、青い。」のロケ地にもなった恵那市岩村町というところに行ってみたかった!けど、時間がなく断念その代わりにうだつで有名な和紙のまち美濃に寄りました。そういえばうだつって何?簡単に言えば、火事になったとき隣に火が移らないように作られた防火壁。当時の豪商たちが富の象徴として競ってうだつを上げたそうですそこからきたのが「うだつが上がらない」という言葉…これがうだつ旧今井家住宅美濃資料館を見学。江戸時代中期に建てられた美濃市内最大規模の商家。番頭さんの座るところ?
宮城県で村田商人が栄えたのは古く、村田郷が交通の要衝であったことから、紅花の仲買による商品流通が盛んな時代からです。この村田商人の一つ「やましょう」は江戸後期から明治、大正を経て昭和17年に至るまで6代にわたる大沼正七(代々襲名)によって経営され紅花をはじめ生糸、綿糸、農産物、味噌醤油の醸造販売等の商業活動を中心に、土地所有や金銭貸付、株・証券投資等の経済活動も行っていた町有数の豪商として知られ、今も当時の経営の証となる商業鑑札や地券、取引録、大福帳、株券、公債等といったような諸帳簿や諸券が「
フェルメール展、20万人突破日時指定入場も好評産経ニュース上野の森美術館(東京・上野公園)で開催中の「フェルメール展」(産経新聞社など主催、特別協賛・大和ハウス工業、ノーリツ鋼機協賛・第一生命グループ、...迫真の7領松本で「手作り甲冑展」山雅カラーも信濃毎日新聞松本市島内公民館で12日、実際に着られる手作りのよろい7領を集めた「手作り甲冑(かっちゅう)展」が始まった。サッカーJ2松本山雅FCにちなんだ“緑備え”の...東京で展型破りな“全身前衛作家”の仕事を
2日目水族館の後こんな所にも行きましたよ〜オランダせんべいの酒田米菓の工場見学もしましたけど写真なし⬆️これが買ってきたおせんべい山形、2泊3日最終日日本でも有名な豪商本間家の美術館に行きましたホテルの近くだったので前日に歩いて行き着いたのが16時25分16時30分閉館と書いていたのであきらめて次の日の朝イチに行きましたが早く着き門が開いてなかった(笑)ので酒田市立資料館に行き酒田の大火があった事を知りましたその後やっと本間美術館に
ジャーナリストと自分を称するなら、少なくても一次資料にあたること。-11月5日のツイートBLOGOSジャーナリストと自分を称するなら、少なくても一次資料にあたること。俺の発言と、出演者の馳さんの発言を間違えている。おそらくネットに出回っている情報でこの...【加藤達也の虎穴に入らずんば】韓国に2・5兆円ほど要求しては?産経ニュース民間研究機関が発見した資料に基づいて産経新聞が2003年に伝えているが、終戦時に日本人が朝鮮半島に残した個人財産は、報道当時の価格にして4兆9千.