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私、実は機械音痴です。携帯電話はいわゆるガラ携!スマートフォンを手にしたのもかなり遅く、LINEも初心者でした。今では何となく使いこなせておりますが、まだまだですね。必要に迫られたり、その必要性や便利さが理解できないと順応するのに時間がかかるのです。そんな中、天明寺ではチームを組んでこのプロジェクトを進めてまいりました。頭の中で考えているだけでは何も発信しないのと同じです。自分が苦手であれば、よく知っている人に聞けばよいのです。私の経験を多くの方に知っていただくための工夫や内容を伝
無料オンラインサロン『成功する寺院運営』を開設いたしました。実はおよそ、一年程前くらいから構想を練っておりました。お寺の業界では「衰退は避けることが出来ないからそのままなるようになる」と考えておられるかたも多い中で、私は、何もしないで寺院の消滅を受け入れるのではなく、どうにかして社会に溶け込み、努力をしていくことも必要だと感じております。私は天明寺住職として今まで積み上げてきた経験から、多くの方に寺院の運営についてご質問やご相談を受けることがございました。寺院の運営を表立って
この度「成功する寺院運営」というオンラインサロン(facebookグループ)を立ち上げました。現在、全国に75000寺のおよそ4割の寺院の運営が立ち行かないといわれております。今後、更なる寺離れ、宗教離れが加速していくとされる現代において、人口の減少とともに寺院が衰退、消滅、廃寺していくことはさけることは出来ません。これからお寺を存続していくために、住職はしっかりとした運営を考えていかなくてはなりません。多くの寺院がそれぞれの宗派に所属されているでしょうが、個々の寺院運営はそのお寺や
自分だけが良ければ良いという会社や経営者は、一時的には利益を独占できるかもしれませんが、長くは続きません。会社を存続させるために常に取引先やお客様のニーズに答えることが求められます。自分や相手だけではなく、その周りにいる方にとっても気持ちのよい取引や良好なご縁が結ばれることになります。近江商人の言葉に「自分良し、相手良し、世間良し」とありますが、これは商売として成功していくため、大切な言葉として伝えられております。お寺もそうですね。これを仏教に置き換えると「自利利他」となります。他者
時間のない時こそゆっくりした瞑想の時を持ちたいと感じます。自分の心の中に沸き起こる様々な考えや思いを日々、精査しています。その考えが正しいのか、思いは一時的なものなのか、じっくり腰をすえて……こうすることでふとした瞬間に気づきがあります。新しいものやよく分からないものにも対応するためには脳内にある電波を張り巡らし、常に役に立つものを取り入れ、余分なことを排出していきます。秋の心地よさは落ち着いた気持ちにさせる空気感を醸し出してくれますね。十三夜の月を見つめることで秋を感じることも大切
イベントを開催したところで人は集まるのか?そして、人が集まったところでご縁を継続的につむいでいけるのか?これは大きなテーマです。いかに出費を抑え集客をするかがポイントです。大本山や資金的に余裕があるお寺ならよいのでしょうが、なかなか限られますね。天明寺で行う行事は基本的に無料です。チラシを撒いたり、新聞広告、ラジオcmなどへの宣伝費はかかりますが、あくまで投資と考えればよいのですね。そして、そこには皆さんが喜べる内容を用意しておきます。行事はやり始める前に続けられるかを考えること
経営は仏教用語である、と聞きました。経とはたて糸のことであり、変えてはならない基準や本質の部分です。仏教でいうところの根本の思想や考えかたです。営とは営むことであり、土地や文化、時代や流行に合わせて変化していくことです。大乗仏教の本質は救済することですからね。悩みや苦しみを取り除くことでどのように収益化するか、これが経営の基本であると考えられます。自分だけに利が及ぼされれば良いというのでは、取引先や周りの方はついて来ないでしょう。取引先や周りの方々へも利益がもたらされることで結果的
今の時代は少子化で!とか、今の若いもんは!とか、常識を知らない!など、年輩者は言いたい放題!ご年配のご住職は、このままだとどんどん寺離れが加速すると認識しつつも、失礼ながら、行動を取る方は少ないような気がいたします。最近ではコロナ禍を理由にどんどんお寺や檀徒との接点が失われてしまっていることもあるでしょう。しかし、そうはいいつつ御朱印を求めにお寺に行ったり、観光スポットのお寺や神社などの落ち着いた空間に足を運ぶこともだんだんと増えてきております。年齢を問わず、仏像や和建築などに興味
一時的なイベントや行事に来られるかたは限定されます。やはり継続的にお寺に来ていただけるような仕組みが必要です。当寺から伊香保温泉へ登る県道15号線の道路沿いに『おもちゃと人形自動車博物館』があります。私も家族で出かけたことがありましたが、施設とは反対側に人の流れが出来ていることが不思議でした。なんと、そこにはジブリ映画で子供から大人まで大人気のトトロが立っていたのです。ここでは次々と皆、携帯電話やスマホなどで記念写真や動画を納めていました。“インスタ映え”を意識したお客の呼び込みは
“お金は好きですか?”お金を巡って我々の心が喜びも産み出し、哀しみも産み出し、憎しみさえも産み出す場合もありますね。お金を稼ぎだすのは何のために?使い道がはっきりしているならその為のお金を稼げばいいでしょう。しかし、使い道がないのにお金があればなんとなく使い道を探してしまいます。手に入れたいものはお金がなくとも得られる場合もありますね。信用=お金必要な時に必要なだけお金を得ようとすることでお金の魔力に振り回されないようにしたいですね。※『聖天福祭り』での福銭撒きの様子です。
このままだとお寺は廃れる!といいつつ何か改善策を考えたり、運営上、新たな試みをしたりしているお寺のご住職はどれくらいいるのでしょうか。お寺の住職になるために多くのことを学び、様々な修行の過程を経てきたのかもしれませんが、現在の地位に甘んじているかたが多いのも事実です。世の中の動きを考慮しつつ、適応しながら対処することが大切だというのは建て前です。「なんとかしたいけどどうしたらよいかわからない」そんな悩みも聞こえてきます。自分だけが、自分の寺だけでもよいから!ではなく坊さんやお寺同士が
お寺を護持していても、その先の発展性はあるのでしょうか?こう質問されることがありました。現在の多くのお寺さんが抱える問題ですね。今はまだ何とかなるかもしれません。でも、その後はいつどうなるかはわかりません。檀信徒が一人抜け、二人抜け、境内の墓地から遺骨を取り出したお宅も増えているお寺も多いと聞いております。どのようにしたらこの流れを食い止めることがでしょうか?、、、それともこのまま衰退の一途をたどっていってしまうのでしょうか?いずれにしても今のままの現状に甘んじているのだけは避け
神仏は何もしてくれないのか?結論からいえば、実際は何もしてくれないし、何も産み出してはくれないでしょう。当たり前ですが、何らかの動きをもたらすのは衆生に生きとし生けるものたちです。衆生世界、すなわち、人間を含む、動植物であったり、目に見えることはない細かな物体や物質が複雑に絡み合うことで様々な作用を及ぼし、様々なものが生み出されます。人間の行為によった機械製品などもその一つでしょう。神仏のように何も産み出さない存在にすがることで、何かを得ようとしているのではなく、自らの信心でもって様々
葬儀を巡ってけんかが起きることは多いですね。今まで葬儀の現場で家族がつかみ合いのけんかをしていたこともあります。生前にしていれば良かった事が、様々な事情でできずにそのまま家族を送り出すことになってしまったことも多いのでしょう。親族や家族の本音の気持ちと世間体に対しての建て前が絡み合うと優先すべきことが優先できずに後悔を生む結果になってしまうこともあります。お墓や家の問題も降りかかり、一筋縄ではいかないことに頭を悩まされることは多いのです。私はいつも遺族にこう告げます。「まずは故人を送
安倍晋三元総理大臣の国葬を巡って賛成やら反対やら様々な意見があるようです。政治的な主張や信条と故人を弔うことは別の話なのに人の死を利用したり、立場で物事を考えるからおかしなことになってしまうのですね。もっと純粋に人の死を悼み弔う。これこそ、日本人が大切にしてきた心の在り方です。その人が気に入らないからとか、嫌いだからとか、そんなことを言わずに黙って手を合わせることがどんなにか大切なのかを世界に示すことのほうが良いですね。日本人の美徳である臆して主張せずの精神は黙っていても存在感を示すこ
僧でありながら物品の販売などをする堕落した僧のことを指す言葉です。寺の住職や坊さんは坊さんらしく、仏道に励むのが本義です。しかし、現代の生活に則して考えると、坊さんは様々な活動をしていることから物品の販売をすることが“堕落”とは一概には言えません。この『売僧』には人をだます、あるいは嘘を言うなどの意味があるようですが、実際のところ、信仰心や仏さまを盾に恐怖心を煽ることも含まれているのでしょう。故人や先祖が救われないとか家族や本人に罪が降りかかるなど信心をもてあそび、不幸になるなどの言葉を
宗教はお金だ!と考えるかたが多いですね。献金やお布施を強要するようなやり方をしている団体はもはや、宗教法人や宗教団体と名乗ることはできないでしょう。日本では多くの宗教教団がありますが、他を退け、自分だけが得をするようなやり方をしている場合は個人であれ、団体であれ、存続していくことは難しいでしょう。『自分良し、お客良し、世間良し』の三方が良いというのはこれは近江商人の商売魂ですが、この根本には仏教の精神があるのですね。皆が共存していられる世の中になるためには心の支えとしての神仏の存在は必要
「お布施っていくらなの?」と聞かれることはあります。お布施が高い、安いという言い方はないはずですが、やはり現実的なところで気になるかたが多いのも事実です。私は「皆さんに納めていただいているのはこれくらいです」と金額をはっきりお話しいたします。仏教の教義や真言宗の教えを布教するのにあたり、お布施という概念が壁になってしまうのであれば、納めていただくかたにお任せするのが大切ですが、相場が気になるようです。何億、何千万と稼ぐ方の一万円と年金などでつつましく生活をしている方の一万円は同じ一万円で
お寺からの手紙は、護持会費の請求や墓地の管理費の納入、あるいは、寄付金の要請など「お金を求めることだらけだ!」と坊さんではない友人が言っておりました。“そうか”確かに封書で届く商品の販売などの営業の手紙に「またか!」という感覚は否めません。もちろん、気に入っているものや望んでいたことに対してのDМには驚きと共に喜びもありますが、望んでいないことには気乗りがしないばかりか、嫌気がしてしまうこともあります。無料のイベントの案内など、お寺から手紙が来てよかったと思えるような内容にしなくては
平成18年12月より『寺子屋新聞』天明寺だよりを発送することにいたしました。お寺の最新情報や行事の案内、住職の考えを知っていただくことで天明寺に親しみをもってもらうためです。はじめは何を書いたらよいか悩んでいましたが、その時々の社会情勢を事件や事故、流行している世情を、住職独自の視点で書き始めました。発送は年に4回です。①2月中旬発送(春彼岸号)②7月初旬発送(8月施餓鬼~お盆案内)、③9月初旬発送(秋彼岸号)④11月下旬発送(12月白菜加持案内、正月護摩祈願案内)※そのほか、特
一人でお寺にいるときは掃除をしたり、法事の塔婆を書いたり、事務作業をしていたり、様々な雑務があります。そんな折に来客があると手が止まります。突然の来客は自分のペースを維持できないのです。そこで何時、来客があってもいいように、少しずつ場所を選定した掃除をするようにしました。塔婆書きなどはすぐに続きができるような場所の確保、事務作業も少しずつです。お寺は突然の電話、突然の来客で手が止まります。そして、その後の予定にも差支えがでます。お寺に来てもらいたいといいつつ、突然来られると困る、こんな
今から30年前、大正大学に通うようになり、師僧のお寺で夏のお盆にお棚参りに行くようになりました。その後、お手伝いに行っていた様々なお寺で、お棚参りの大切さを痛感しました。檀信徒に心良く迎えて下さる場合もあれば、そうでないことも、、、お参りにいくためにはしっかりと日時を通達することが大切だと考えております。何時にお参りにくるだろうかと朝から待っていて、夕方になるまで住職が来ないというのは、不安と不満の原因にもなりますからね。そこでしっかり時間を知らせることで、家族にもお参りの意志を表しま
住職とは“住む職”と書きますので、いつもお寺にいるのが当たり前なのかもしれません。実は常にお寺を維持することを考え、様々な法要に携わり、事務や業務を遂行することが求められています。現在では時間を予約してくださる方も増えてきましたので、予定をしっかり立てた上での来客やご相談に対応することができております。実際のところ、お寺の住職はお経を拝んでいるとき以外は、普段は何をしているのかな?と思っている方もいらっしゃるようです。住職として自分の能力を提供できるための修行を重ねたり、塔婆などを書いた
当寺の檀徒のお墓は境内ではなく、各家ごとや親族でまとまって畑の隅に野墓地として存在していることが多いのです。それぞれのお宅の戒名や故人名など、檀徒のお宅の墓地に行ったときに確認しましたが、風化していたり、移設してあることもありなかなか古いものはわかりません。唯一、判断できるのは位牌ですが、それほど古い位牌をおいてあるお宅も少なかったのです。出来得るかぎりそれぞれの檀徒の戒名などを探ろうとしました。少しずつメモを取りながら、記録をつなぎ合わせていく作業を行いました。これが後の過去帳と檀信徒
私が住職を専任するまで管理をしていたのは祖父の生まれたお寺である徳昌寺や師僧のお寺である大乗寺でした。江戸初期であろう開創の歴史も特定できません。133年の長きにわたる無住職の間には散逸してしまったものもたくさんあったでしょう。江戸後期から明治期までの天明寺の過去帳は存在しており、それ以降は大乗寺の過去帳の中に残されておりました。そこで、大乗寺に在籍しているうちに天明寺の檀徒の過去帳をすべて書き写しました。天明寺の独立した過去帳もありましたが、江戸期以前の記録は存在しておりません。境
昭和28年の火災で古いものは全く残っておりません。133年、無住状態だったために重要書類などは寺に保管しておらず、過去帳などは師僧の寺に管理されていました。総代さんは当時3人、2年ごとに代表を務め、6年間の任期で引き継いでいました。小さな地域のコミュニティーですので、年功序列で順番を決めているようでした。持ち回りで管理している物は天明寺の『鍵』と『古箱』です。この『古箱』は総代さんが持ち回りで保管していてくださったおかげで火事に遭うことがなかったのです。開け閉めされることはなかったよう
ある檀徒のお宅にお参りに伺うことをすっかり忘れていたことがあります。「日中は仕事に行っているために夕方7時に来てもらいたい」こう言われていたのです。しかし、お参りの最中での電話だったためにメモをとることもせずにその日のお参りを終え、自宅に帰っておりました。電話をいただいたのは7時半、「待ってるよ!」と催促され、慌ててお参りに向かいました。遅くなりましたが、快く出迎えていただいたことでホッといたしました。何度も失敗を繰り返しながらもしっかりと対処することが大切だと考えさせられましたね。
長くお棚参りに行っていると様々なことがあります。毎年、顔を合わせることで親しくなるかたもおりますが、場合によっては遠くの親戚やお子さんやお孫さんが帰省しているときにお邪魔することもあります。ある家でピンポンを鳴らすと奥の方から「はーい」という年輩の女性の声が聞こえたものの扉を開けたのは、まだ小学生くらいの男の子です。「坊さん、きたよ!」と大きな声で言ったのを聞き逃しませんでした。そして、奥から聞こえてきたのは家主の男性の声「なんだ、坊主か?」男の子につい
棚経の光景はいわば、風物詩みたいなものだと言われたことがあります。かつてお手伝いに伺っていたお寺では榛名山麓を自転車で登り降りしておりましたので、避暑に訪れる県外ナンバーの車から「坊さん、がんばれ!」と声をかけられることもありました。“田舎の風景”の一部に溶け込んでいたかの様だったのですね。8月15日は自分の誕生日、まさにその日に、一日70件、20代から続けていたお棚参りのお手伝いは50代に差し掛かろうとする頃、若手にバトンタッチしました。汗をかきながら、息をきらしてお経を読む、ある
天明寺に専住した当初、私は檀信徒のお宅全戸にお参りに行こうと考えてましたが、当時、夏のお盆に都内などのお寺さんのお手伝いに行っていることもあり、現実的にお参りに行けそうなのはお彼岸でした。そこで春と秋のお彼岸に全戸をお参りに行くことにしました。はじめのころは件数が少なかったために春と秋とそれぞれのお彼岸にお参りに行っておりましたが、実際、年に2回のお参りは檀信徒の負担になることも考慮しました。檀信徒の軒数も増えてくると、私自身の予定の調整もあり、総代さんらと相談し、結局、年に一度、春彼岸と