ブログ記事2,143件
退院してからパパは忌引きで1週間お仕事休んでくれて、子どもたちも連休だったから家族で家にいる時間が多かったけど、今日は1人。パパが子ども達を連れてサッカー観戦に行ってくれた。私は家でゆっくり仏壇を決めよう!ネット検索するか!って思ったけど、ずっと我慢してた涙腺が崩壊してしまった…声出して泣いた戻ってきてよ!!って叫んだ神様にもご先祖様にも毎日無事に産まれるように手を合わせていたのに今はもう何も信じられない。家族がいると感情爆発できなかったんだろうなあ…みんな心配しちゃうしママが元
次女がおなかに来てくれたのがわかったのはちょうど去年の今ぐらいの時期だった10年以上携わった部署から異動になり長女の小学校お受験の時期とも重なっていた10月妊娠がわかったときは“これで来年には仕事を休める・・・”とホッとした来年小学校に上がる長女の生活も大事にしたかったし何より気持ちに余裕のない日々の生活が自分自身で一番苦しかった赤ちゃんが来てくれたことで生活ががらっと変わるようなそんな期待となかなか授からなくて先の見えない未来がようやく結実し
娘が生きていた二日間お世話になったNICUの先生に偶然ばったりと会った向こうが気づいてくれて“あー!!”と声をかけられたお互いマスク同士の顔しか知らないのによくわかってくれたなぁでも覚えていてくれたことなんだか嬉しかった”〇〇の母ですその節は大変お世話になりました”そんな風に名乗る機会は二度とないと思っていたけれど自分はちゃんとあの子の母なのだと最確認できたそのこともまた嬉しかった
グリーフとは“喪失”という意味。グリーフというと“死別”だけだと思っている人も多いけれどそれだけじゃない。離婚転職引越し病気失業ペットを失うなど規模が大きいとか小さいとかそんなことは関係なく日常で失うこと全てを指す。そう。私たちは生きている以上“亡くさない”人生もないけれど“失くさない”人生もないのだ。だからこの言葉を送る。“It’sokaynottobeokay”“大丈夫じゃなくて大丈夫”何かを失
昨日、誕生死という本が届いて一気に読み進めたやっぱり涙が止まらなかったでも、同じ経験をした人がやっぱりいるんだって孤独感から少し救われた気がする常位胎盤早期剥離で新生児仮死状態で産まれてきた子が脳性麻痺になってしまう事もあるのは知らなかった。しかもかなり重度な事も多いみたい。時を戻せたら…緊急帝王切開ですぐ出していたら…って考えるけどきっと手遅れで脳性麻痺があっただろうなあ…そしたら育てていける自信がない…正直ほっとしてしまう自分もいてこんなんだからダメだったんだって思った
県立こども医療センターの慰霊祭に夫が参加した(私は長女の帰宅時間もあって留守番)この一年に亡くなった子の名前が一人一人呼ばれて奉納される約90名のこども双子ちゃんも何組かそれぞれ事情は違うけれどこんなにたくさんの親が絶望の淵から落ち悲しみの海に沈んだことを思うとその痛みが和らぐことを願うしかできない傍目にはわからない我が子を失い生き残った親たち私は今まだ悲しみの海の中にいる感覚貝のようにじっと閉じこもっていたいけれどそれも叶わず魚として泳ぎ
※事情があって1日遅れて投稿中。去年に引き続き今年も無事完走。誕生死啓発月間に31日間毎日投稿。これに重ねてお産支援者限定の誕生死ケアセミナーまで開催してしまったもんで実は途中で挫けそうになったり…。でも毎日投稿する中で私自身が学んできたことを言語化するいい機会になったし色んな方がそれぞれに響くものをシェアしてくださり私だけでは到底届けられない方々にも誕生死について届けることができた。前にも書いたが内容が内容なため
まだたった1週間しか経ってない…1週間前の今日10月25日は朝から下痢のような腹痛があって目が覚めた今思い返すと胎動はあまりなかった気がするトイレに行っても下腹部の痛みと便意はまだ残っていた昨日酸化マグネシウム飲んだからだなそんな呑気な気分でソファに横たわり長男、次男を見送る数時間後まさか赤ちゃんの心拍が停止するなんて…救急搬送されるなんて…亡くなった赤ちゃんを産むなんて…悲しい水曜日。もう来てほしくない水曜日。
※事情があって1日遅れて投稿中。誕生死にまつわるグリーフについて色々と投稿してきた。私がグリーフドゥーラと名乗るようになってまだ日が浅いにも関わらずこの短期間でたくさんの方からそれぞれが抱えるグリーフを聞く機会に恵まれた。その中でいつも思うのがテクニックでもスキルでもなんでもいいからグリーフを軽くするものがあればどれだけ楽だろうということ。それだけグリーフの過程は苦しい。ある日はもう大丈夫だと思えても次の日には
流産について大きな誤解がある部分。それは流産後にどうやって赤ちゃんを産み出すか。産み出すって言い方をしてるのは流産も出産となんら変わりないから。私自身も流産を経験した時流産に対して正しい知識を持ってなくてそれまでに見聞きした情報から最初にネットで検索したのが“流産後手術”だった。だけど現実は全然違う。もちろん手術も方法の一つではあるけどそれ以外にも方法がちゃんとある。これはアメリカで流産をした場合の選択肢↓①
お腹の中で亡くなった命も出産と同じように外に出してあげないといけない。多くの人が知らないのはそのプロセスが出産と同じであること。特に胎内で亡くなった死産の場合は促進剤で陣痛を誘発して身体と心の痛みでぐちゃぐちゃな中産声を聞けないと分かっている我が子を生む。残酷なことにその隣の分娩室からは元気な赤ちゃんの生まれた声が聞こえることすらある。生きている子を生むのと違って胎内で亡くなっている場合産み方を選ぶことは難しい。だけど
次女が空に還って5ヶ月が経った昨日家族でベイマックスを観たのだが夫が主人公がベイマックスと別れるときにいう台詞がどうしても娘への想いと重なって泣けるという“ベイマックスもう大丈夫だよ”いつになったら大丈夫になるのかそれは本当に人によって違うんだと痛感する私自身は妊娠中から次女の死に直面する自分を想像しては自分でもいつになったら大丈夫になるのかいつまでは大丈夫じゃないと言っていても許されるのかそんなことを考えていた予め想定しておいて心のダメージを減らそうと
誕生死を経験した人誰もが思うであろうこと。“なんで私が…”“なんで私の子が…”皆、お腹の中で亡くなる命があることを頭の中では知っている。生まれてきても長く生きられない命があることを頭では分かっている。だけどそれは“私”ではない“誰か”に起きることであると根拠もなく思っている。誕生死というのは他人事だと思っていたことが自分事になり得ると強烈に感じる体験だと私は思う。もしそれがその人にとって初めての喪失体験であるなら尚更
昨日の投稿に書いたように誕生死の経験から意味を見出すかどうかは個々人次第。でも適切なケアやプロセスを辿れば自ずとそこに辿り着くと私は信じている。実際に流産を経験した私もぐっちゃぐちゃでどろっどろな感情をとにかく出し切ってとにかく感じきったその先に私なりの意味を見出した1人。私にとって誕生死の意味を思う時それは“赤ちゃんからのメッセージ”だと強く信じている。母と子の文字通り“臍の緒”で繋がった絆はどの母親でも感じ取
“この体験にもきっと意味があったんだよ”励ましのつもりで誰かに言ったことはないだろうか。誕生死を経験したママやご家族にとって”あの子に会えないことに意味なんかない”そう感じる方は少なくない。しかもそれを経験者でもなんでもないそんな人に言われたら“あんたに何が分かるわけ?”と、怒りさえ湧いてきてもおかしくはない。誕生死という悲痛な体験に意味を見出すかどうか。それは本人次第。私は我が子を亡くした当事者としてもグ
前回紹介した書籍は誕生死を経験した当事者の方たちの声が詰まった貴重な一冊。今日紹介するのはお空に還っていった赤ちゃん目線の一冊。この本はまだ私がグリーフケアの“グ”の字も知らない時友人からお子さんを死産したと知らされて何かしたいけど私にできることなんて…そんな時に友人に教えてもらってプレゼントしたもの。まさか当時は自分も流産して自分のためにもこの本を買うことになるとは微塵も思ってなかった。だけど実際に経験した立場でこの
数日前の投稿と少し重なるけれどメディアで取り上げられるのは“我が子の喪失を越えて〜“みたいな観る人の涙を誘うようにうまく作られてる。そして当事者も周りもそんなものばっかり見せられてるから“いつか乗り越えられるもの“という勘違いを常識のように刷り込ませている。なのでハッキリ言っておく。我が子を失ったその悲しみを乗り越える必要なんてない。紆余曲折を経て当事者がそう思えるならそれでいい。だけどほとんどの当事者に
流産・死産・中絶の赤ちゃんたちは確かにお腹の中で短い寿命でも生きていたにも関わらず社会的には存在しなかったも同然とでも言わんばかりに戸籍にその存在を残すことができない。戸籍云々はどうでも良くても“社会的に存在しなかったも同然”この部分に胸が痛む人は多いのではないかと思う。時が経てば経つほど確かに育まれていた命が存在していたことは当事者の中にしか残らない。だからその証を残す。それが救いになることは多いにある。
毎度聞きたくないことを言ってすいません。“啓発”のためなのでね。映画とかドラマって結構お決まりなのが“葛藤はあるけど乗り越えてハッピーエンド”みたなパターン。多分そういう風に作らないと観てもらえないからだろうとは察しがつく。だけど現代の人は“フィクション”だと分かっていながら実はちゃんと理解してない。映画やドラマで描かれるような皆が同じ結論に辿り着くそんなグリーフの終着点はない。グリーフの過程というのは自分でも本当にう
“誕生死ケアのニーズってないのかも…”これから私のように誕生死の方のケアをしていきたいと思っている私のクライアントさんがある人から言われたそう。確かにそう思っても仕方がないと思うほど恐らくフツーに呼びかけたり宣伝しても人は来ないと思う。これは私がグリーフをガッツリ学んだ@DavidKesslerですら同じことを言っていた。彼の運営しているオンライングリーフサポートグループTenderHeartsでも誕生死のグループは中々
誕生死は悲劇か?そう聞かれたらあなたはどう答えるだろう?散々言ってきてるので察しの良い方は分かると思うが別に正解があるわけじゃない。でも特に当事者でまだ日の浅い人たちは悲劇以外のなにものでもないそう思う人が多いだろう。流産した当時の私がこの質問をされたら迷わず”悲劇だ“と答えたと思う。それくらいあの時の苦しみ悲しみ胸の痛みは本当に形容しがたく“こんな思いは二度とごめんだ”そう思うほどに辛かった。
まず最初に断っておくが私は中絶を推進している訳では決してない。その上でお産にまつわる喪失の中でも1番語ることがタブー視されている中絶。私はその中絶すらも誕生死にカウントしている。“私は”と言っているように一般的な“誕生死”には中絶は含まれない。昨日のパートナーの喪失同様啓発週間の中で中絶について触れてあるものは私がみる限りではなかった。じゃあなぜ私はその中絶を誕生死とみなすのか。答えは簡単。”お腹に宿って命が失われた“
さぁ、後半戦。これまで読んでくださった方は誕生死にまつわるあれこれをなんとなくでも拾って頂けたかと思う。特に先週は啓発週間だったこともありたくさんの投稿を日本アメリカ共に目にする機会があった。が、日米共に私が見た限りやはり話のフォーカスは命を宿した女性側。私も経験しているから分かる。誕生死がいかに過小評価されがちだとしても少なくとも“お気の毒に”くらいには女性側は思ってもらえる。だけど、パートナーは?パートナーだっ
“誕生死啓発月間”で毎日投稿している私。こういったとても繊細なトピックは気軽に“いいね”ボタンを押せるものでないことは百も承知である。去年も毎日投稿したが多分”いいね“の数は平均したら二桁もなかったんじゃないかと思う。でも私は知ってる。ボタンなんか押さなくてもコメントは残さなくても私が思う以上にたくさんの人たちが読んでくれていることを。私が思う以上にたくさんの人たちが考えてくれていることを。そして応援してくれていること
今回の投稿は“流産“に特化した内容。私は不妊治療の経験がないためあくまで知っている情報からそこに起きるグリーフを想像して伝える。ここは本当に切っても切り離せないというくらい恐らく”流産“が起きる確率が1番高いと言っても過言ではないんじゃないかと思う。それと同時にグリーフの巣窟だとも言える気がする。今や不妊治療のような”高度生殖医療“の末に生まれる子どもの数は16人に1人とも言われている。この1人を授かり出産に至る数よりも妊娠に
お産支援者向けのセミナー第一弾を開催します。----------------------------タイトル:誕生死ケアでこれだけはおさえておきたい3つのこと日時:10/30(月)22:30-23:30(日本時間)開催場所:Zoom(お申込者にリンクをお送りします)参加費:3500円or$30----------------------------※私がいう誕生死とは流産・中絶・死産・新生児死を指します。お産に携わる仕事をして
誕生死の後に生まれてくる命のこと。始まりは欧米のようだが最近は日本でもこの言葉を使う人が増えている気がする。私は第三子の妊娠が泣いても笑っても最後だったからレインボーベビーを抱くことはなかった。もちろん葛藤はあった。ものすごくあった。9割型諦めはついてたけど1割だけは理屈では到底諦められなかった。もう一度お腹に我が子がいるという喜びを味わへない悔しさとでもどこかで“宿らなければ失わなくて済む“という安堵も今思うと
誕生死が他のグリーフ体験と大きく異なるのは“亡くなった子との思い出”というものが生きている人を亡くすのと違ってほぼないことだと思う。先日の投稿にも書いたが喪失の大きさは一緒に過ごした長さと比例しない。ただやはり生きていた人に比べて思い出の写真やその人が使っていたものそういうものは全くないかあっても本当に限られている。お産をしてお別れをした後その子が存在したという証は大部分が当事者たちの中にしかないことも多い。そ
これは誕生死に限らないが身近な誰かを亡くす時皆、亡くなった“命”そのものにフォーカスをあてがちだけど当事者が失っているものはそれ以外にたくさんある。その数が多いほどグリーフも重く困難なものとなる。誕生死において失うものの中でほぼ全員に共通して起きる悲しみ苦しみ。それは“未来の喪失“に対してだと私は思う。ママはお腹に命を宿した瞬間から意識的にしろ無意識的にしろ20年、30年先どんな風に育ち反抗期を迎えたり好きな人
”グリーフには終わりがあるはず“そんな期待を持って答えを求めている方がいたら希望を削ぐことになってしまい申し訳ない。でも大事なことなのではぐらかしたり嘘ついたりしたくないんでハッキリ言う。グリーフが終わる日は来ない。ただ、喪失直後の刺すような胸の痛みや心と身体が分離してしまったかのような地に足のついていない感覚どうやって日々を過ごしたのか全く思い出せないような空白の時間などそれが一生続くという意味ではないことは誤解のないよ