ブログ記事35件
母娘・家族問題研究家の麻生マリ子です。いまだに当ブログで反響をいただく記事のひとつが、北海道で発生した男児山中置き去り事件について書いた一連の記事です。決して事件を蒸し返したいわけではなく、その声にお応えするために、一点だけ、事件とは離れた記事として、筆を執ります。現在は、当該ご家族については、お父様が過剰に罪悪感を引きずりすぎることなく、健康な家族生活を取り戻されていることをお祈りしております。さて、本事件について、報道や世論でよく聞かれたのが「置き去りにされる、というのは
海外ドラマ「コールドケース迷宮事件簿」。フィラデルフィア市警の女性刑事、リリー・ラッシュ(キャスリン・モリス)を中心に、過去の未解決事件(通称:コールドケース)の再捜査を行う物語です。時には何十年も前の事件を取り扱うこともあるのです。リリー達は、再捜査の依頼を受けたら、倉庫から「COLDCASE」と書かれた資料の入った箱を開ける。そして事件が解決したら「CLOSED(解決済み)」と記して倉庫に戻すのです。空白の年月が埋まる作業なのですね。ヒロインのリリー・ラッシュ(キャ
こんにちは。シニア産業カウンセラー中島です。私の心の経験と、カウンセラーの経験が、一人でも多くの方の心の援助として役立つことが喜びです。心の傷つきを癒し、そして、あなたらしく自ら輝き出すお手伝いをしています。5月28日は、有資格者の方向けの実践力アップ傾聴トレーニングですhttp://www.azumaya-room.jp/koza/index.htmlカウンセリングが進展しない。中断してしまうことが多い。カウンセリングが堂々巡りしてしまう。などなど。人
横浜保土ヶ谷のアロマが香る自宅ネイルサロン敏感肌、ジェルアレルギーの方の為のネイリストアンドCネイル高橋陽子です敏感肌、アレルギー体質の方が安心してジェルネイルを楽しんで頂けるネイルサロンです************************いつもご訪問ありがとうございます(*^^*)昨日は母の日でしたねみなさんはご自身の母親と仲良しですか?私と母親とは仲良しでもなく仲悪いでもなく一定の距離があって何でも話せる仲良し親子ではありませんお互いに仲良くいたいけどどうしたら
紫外線は強くなるこの時期。紫外線に恐怖を感じる島田です。「しまちゃん、今何ってんの?」と聞かれることが増えたので、近況報告も兼ね、アップしていきます。遠くの親戚の人や数少ない友人よ、安心ください。あいかわらず、元気に顔まるくして、動きまわってますヽ(=´▽`=)ノやっていることは・・・・人と人を繋ぐ人。─┤インデックス├─・──・──・──・【1】否定していた母を承認したことで自分が楽になった。─・──・──・──・─
コレを赦せば。……きっと他のことも受け入れられるようになる。今の私のクセだけど、統合した過去も癒されるだろう。……わかっている。赦すのは、●親じゃなくて。赦すのは、自分を解放すること。そこから始まって、これまでに絡まって捕らわれたすべてを、解きほぐすこと。実はもう見えている。結末の受け皿になる、解除の言葉は。別に、相手を肯定することが赦すことじゃないから、嫌いも憎いも持ったままでいい。軽蔑したければそのままでいいし、これからも批判したければすればいい。変わら
まさか、本当に●すことを計画したんじゃなく、内面的な儀式として執り行おうと考えていたんです。……念のためσ(^_^;)帰り道、やる気満々で方法を検討していたんですが、違う選択肢を示されて迷い出した。うーん、「えー?なんでダメなの?」とも思った。それだけのこと、されたと思う、私。それを実行することや、その後のこと考えるとウキウキする位なんだよ。赦すのって、よくわからないけど、きっとしんどいんじゃないかなあ。それに、●す方が、胸がすっきりする気がする。とにかく、もう●親に対して1ミリも
勉強会に出て、自分にかかっている呪いを見つけた。それはそれは大きな収穫だったと思っている。呪いには対抗策がある。許可を与えることだ。「強くあれ」なら「頼ってもいいよ」と。「完璧であれ」には「できなくてもいいよ」と。うん……。前は無理だったね。今はその許可に抵抗感はないし、だいぶ受け入れられている。でも、心から他人を信じるところまで、いかないな~。まだ、他に見つかってない何かがあるみたいだ。とりあえず、呪いについてだが、呪いは幼少期に受けた親からの命令が影響しているという
それはあなたのせいではないから真の癒し2014年03月26日先日、友人から相談を持ち込まれました。その内容については書きませんがその時に感じたのは、両親の事を正しく理解をすることはどんな癒しにとっても、大事なことにつながるようです。さて、両親との関係で、あなたが仮に、両親から愛されないで産まれた、としましょう。そういうケースもないわけではありません。すると、その人たちは、愛情や理解を他人に求めすぎてしまい、自然とそこにある愛情を否定し、これもあれもしてくれていない、こんなに