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2019年12月15日(日)午後から西山連峰にある西国薬師霊場となっている勝持寺にバイクで行くことにした。勝持寺は花の寺としても知られている。また、西行法師の所縁の寺でもある。春は西行桜、秋は紅葉を見に行く人も多い。紅葉の時期は過ぎたが、まだ落葉が絨毯のようになっていた。東門。入口はこの奥に行ったところの南門になる。南門入口。門を入った前が受付所。拝観料と朱印料を納め、御朱印帳を預ける。書院(拝観出来ない)の横を通り、阿弥陀堂へ向かう。瑠璃光殿。阿弥陀堂。ここが拝観入口。
前回からの続きです城南宮がある京都南インター周辺にはラブホ街がありますその一角にあったのが後宮塚陵墓参考地住所・京都市伏見区竹田西小屋ノ内町18すごく小さくて分かりづらい(^^;これでも宮内庁の管轄更に北へ向かいますそこに田中殿公園というのがありますそこに石碑があります史跡鳥羽離宮田中殿之跡住所・京都市伏見区竹田西内畑町146由緒12世紀末に造営された田中殿には保元の乱の直前に崇徳上皇がおられ、白河北殿へ移られて源平ニ氏争乱の幕は切っておとされた今度は南東へ移動すると
12日のお月さま14時12分に満月を迎えました〜暗くなった空にお月さまが綺麗に浮かびましたぴかぴか今年最後の満月を見られて良かった次の満月は来年ですyoゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん西行法師
四国霊場第七十二番札所の曼荼羅寺は、弘法大師空海ゆかりのお寺というだけでなく、平安時代末期の歌人・西行法師が訪れたこともあるお寺であり、日本の古典に興味がある人には、一度は訪れてみたいお寺なのではないでしょうか。西行に関する本を読んだことがある人が西行の足跡をたどって、四国にわたって曼荼羅寺に来たとしても、全然不思議ではありません。もちろん、善通寺や曼荼羅寺周辺は弘法大師が少年時代を過ごした土地ということで、真言宗の宗祖・弘法大師空海の生涯にとって重要な土地を訪れてみたいという人にも是
佐藤藤兵衛義清と名乗る北面の士が、1140年(保延6年)出家し、西行と生まれ変わるのが、ここ勝持寺でした。西行の愛でた桜から、花の寺という名が広まります。春は桜の名所。秋は自生するもみじの名所でもあります。■不動堂■石不動明王■鏡石■鐘楼堂■西行桜
西行堂へは、この石段を登って行きます。西行堂は延亨元年似雲法師が建立。西行坐像を祀ってます。西行堂から見た紅葉西行墳・似雲墳・西行桜山へ向かいます。山道を登ります。広場に出てきました。広場の一番右奥は、西行墳西行上人のお墓です。歌聖西行法師は晩年の文治5年、弘川寺の座主空寂上人の法徳を慕って来られ、弘川寺に住み「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の願いどおり文治6年2月16日、73歳で亡くなられました。🙏~「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のこ
袋田の滝国の名勝です。西行法師や徳川光圀、斉昭も観瀑に来たらしいです。最近は夜にライトアップもしているようです。トンネル看板滝の隣にある月居山の山頂には佐竹氏時代の城跡や徳川斉昭歌碑、源義家伝説のお堂があります。しかし軽い登山なので途中に危険な崖もあります。また飲み物を持参したり、体力のある人でないと大変です。無論、夜の登山は危険です。佐竹氏時代には那須氏?を撃退した城のようです。攻め手に被害ばかり出る難攻な場所だと感じます。また、月居山の少し近くには、佐竹氏秋田転封後に起
この投稿をInstagramで見る#金色の森#whatawonderfulworld緑から黄色、赤へのグラデーション。雲一つ無い空に映えて、眩しい。こんなにいろんな表情があるのだなぁ。西行法師が過ごしたと言われる、吉野山奥千本にある西行庵を訪れました。厳密には正確な位置ははっきりしないそうですが。武士から出家し、人里離れて暮らした西行法師は月、花、自然の美を謳い上げました。「さまざまの錦ありける深山かな花見し峰をしぐれ染めつつ」本当に、錦のように美しい世界。日本では美を愛で
いつもありがとうございます。大和奈良の井志田和叶です。本日、一年以上前から探していた「とあるもの」が...神様に祈ったら...なんと...すぐに...ホントに一瞬で見つかりました!≪三五八≫なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる(西行法師)歌の意味は...どのような神様がいらっしゃるのかは存じ上げませんが、身に沁みるような有り難さがこみ上げて来て、思わず涙がこぼれてしまいます。読んだままですね。西行法師が、伊勢神宮を参拝したときに詠んだ歌だといわ
西行法師の歌心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮は、元禄年間に大淀三千風が大磯に鴫立庵を立てたため、大磯がその地と言われています。しかしながら西行は、鴫立つ沢の歌の前にえは迷う葛の繁みに妻籠めて砥上原に雄鹿鳴くなりを歌っており、その場所が砥上(現在の鵠沼石上一帯)であることから、鴫立つ沢は片瀬川を渡った鎌倉郡片瀬の稲荷川での歌ではないかとの説があります。西行戻り松(片瀬を歩く④)伝説はそれを物語っているのでしょうか。稲荷川は、片瀬を歩く③で書いたようにかつては清流でした。
今日は、朝から京都に住む長男と待ち合わせて嵐山へ🍁渡月橋のたもとのお蕎麦屋さんで天ぷら蕎麦を食べて保津川沿いをあるきカフェ八翠☕へ和の趣がある店内↓お日様が出てきて🌞色づき始めた嵐山の紅葉を眺めつつ🍁静かに時間が過ぎてゆきます⌛天ぷら蕎麦の直後なのでガトーショコラがちょっと大きいけどココナッツが入ってるみたいで美味しいです😋添えられた生姜の効いた柚子ジャムは、ピリっとしていいアクセントです😋そしてもみじの庭園を公開中の🍁天龍寺塔頭宝厳寺へ↓沙
<第八十六首西行法師>歎けとて月やは物をおもはするかこちがほなるわがなみだかな
願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ西行法師の好きなうた。夢のひとつ。桜の季節に死んでしまいたい。(うつ的とかでは、ないです。元気です。)
今日は2019年11月3日(日)です。僕のブログはヤフーブログから引っ越しをしてきました。ヤフーの時はハッシュタグの機能が有りませんでした。それと・・・お友達限定だったのでヤフー時代は数人のお友達しか公開していませんでした。アメバに引越しをしたのを機会にハッシュタグを入れる作業しています。同時に・・・過去記事として改めて記事を総ての方々に公開する事にしました。過去記事です。↓==============2016年5月8日(日)の出来事です。
今日は2019年11月3日(日)です。僕のブログはヤフーブログから引っ越しをしてきました。ヤフーの時はハッシュタグの機能が有りませんでした。それと・・・お友達限定だったのでヤフー時代は数人のお友達しか公開していませんでした。アメバに引越しをしたのを機会にハッシュタグを入れる作業しています。同時に・・・過去記事として改めて記事を総ての方々に公開する事にしました。過去記事です。↓==============2016年5月8日(日)の出来事です。
36番聖代寺(しょうだいじ)は西行法師が崇徳上皇の菩提を弔うために建立したそうです石段を一気に登ります結願寺なのですけれどけっこう抜かしてるのでこちらで結願叶わずでもお参りさせていただきますね上を向いてる横顔のような八栗のお山がすぐそばに見えます納経所にはこんな可愛らしい仁王様こちらにも屋島のたぬき一家もいます「涼しげな瞳で微笑む」とは、こんな笑顔のことでしょうか
*:..。o○○o。..:*プロフィール小説リリースLINE@おみくじ、占い感覚でどうぞ梶間和歌応援企画*:..。o○○o。..:*題しらず横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆる初雁のこゑ西行新古今和歌集秋下501【口語訳】長く横にたなびく雲が風のためにふた筋に分かれてゆく東雲の空を眺めていると、姿は見えないけれどあちらの山を飛び越えてゆく初雁の声がしたよ。(訳:梶間和歌)【本歌、参考歌、本説、語釈】横雲
大磯うつわの日の続きです。大磯町がジワジワと熱いです!あ、自分の中でです!鴫立庵(しぎたつあん)日本の三大俳諧道場として有名な建物です。歌人、西行法師もここの歌を詠んだと言われています。江戸時代の建物で、昭和の後半に直しています。現在は有料で中を見ることが出来ますよ。門戸に置かれた傘が、結界のように中と外の空間を別のものにしているみたい。さて、潜ります。俳諧道場。はいかい?の顔を察してくれた施設の方が、恐ろしく砕いて説明して下さいました。「あなたが好きよ」を遠回しに俳句で
今年の6月、つまり約4ヶ月ほど前に、急に神社仏閣巡りに目覚めました。神仏の事を殆ど何も知らずにいたので、色々知りたいと思うようになりました。ある神社の本を読んでいた時の事です。伊勢神宮の記事の中で、一首の短歌に目が留まりました。「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」平安時代の歌人、西行法師の歌です。「ここに何が居るのかは分からないが、あまりの有り難さに涙がこぼれてくる」と言ったような意味だと受け取りました。6月に神社仏閣巡りに目覚めてから
おはようございます。三連休明けです。この三連休は台風に翻弄されました。大きな被害を受けられた方、交通機関が止まり移動できなかった方、行事や催事が中止になったりと、予定変更等多かった連休でした。自然の脅威を知ると共に日頃の生活を改めて考えることの必要性を感じた三連休でした。さて、今日は、1140年の10月15日に鳥羽上皇の北面の武士・佐藤義清が出家し西行と名乗った日です。西行というとどのようなことを連想されるでしょうか?歌人として多くの歌を残されています。私は、能の「西行桜」を思い出し
三度目の「光のエネルギー波」体験は、さらに2~3年が経過した頃でした。やはり、研修の中での出来事です。たしか、二泊三日の「経営者向け研修」の中日だったように思います。朝の食事がおわり、海岸沿いを散策中でした。そこは、とても長い海岸沿いの散歩道でした。松林がありました。夏場は海水浴客で賑わっているリゾート地なんでしょうかね。白壁の洋風なリゾートホテルがあったので、そのように連想したものと思います。(イメージ画です)途中に記念碑が
西行物語一生の回顧かくて五十余年を馳せ過ぐし、「もし人、一日一夜を経るに、八億四千万の思ひあり。しかれども、懺悔六根浄のためには、三十一字の言葉を口誦む。これ悪心を止めて、仏道に成ずる媒なり」と観じて、東山のほとり双林寺の傍に、庵を結びて、観念の窓の前には、三明の月を友とし、唱名の床のほとりには、聖衆の御迎へを待ちて、明し暮しけり。こうして五十余年を瞬く間に過ごしてきたが、「もし人が、一日一夜を過ごしたなら、多くの煩悩が生ずるという。しかし私は、過去に犯した罪を悔い、身が
タイトル「二番煎じと呼ばないで」補作詞・曲・唄國松延定歌詞※歌詞の後に動画があります二番煎じと呼ばないで二番煎じと呼ばないでこの本はコピーじゃないカバーじゃない完全オリジナル万葉なら万葉なら結構知っている古今集でも古今集でも少しは知っている新古今ほとんど知らぬ名前が被って同じに見えるのか藤原定家藤原定家有名な歌人でも名前だけでも名前だけ一人歩きして実績はほとんど知らぬだから和歌の内容も荒んでる見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
ご無沙汰しています以前、ジムの風呂友さんに教えてもらった那須の芦野温泉。よくテレビでも取り上げられているようです。8月に予約がとれて行く予定だったのが、都合で行けなくなり今度こそはと9月のはじめに行ってきました芦野温泉はお湯に入ると体がピリピリする薬草の湯が人気なんですが残念ながら9月から10月初旬まで大々的な改修工事をやっているため入れませんでした他にも「メラの湯」と「ツルの湯」と露天風呂、薬草のサウナがあってなかなか良かったです。友達と2人で行ったけど、ため
木蓮もいとおかし日記京都神社仏閣編花園法金剛院です待賢門院さまゆかりのお寺です待賢門院といえば檀れいさんNHKの大河では演じていました彼女は白河法皇(伊東四朗)の養女として鳥羽天皇(三上博史)の妃にしかし白川法皇は彼女をいとしんだとかで彼女はのちの崇徳天皇など生んでいますが鳥羽天皇は叔父子といい自分の子と認めず白河法皇の子だと言い放ったそうです白河法皇死後寂しさを紛らわすため彼女はこちらを文化サロンとしたそうです
*:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろしLINE@おみくじ、占い感覚でどうぞInstagram執筆、講義のご依頼はお気軽に→★(執筆関係)→★(講義関係)*:..。o○○o。..:*題しらず何事もかはりのみゆく世の中におなじ影にてすめる月かな西行続拾遺和歌集雑秋596【口語訳】何事も変わってばかりゆく世の中に、ただひとつ、はるか昔から変わらぬ同じ光を放って澄んでいる月よ。(訳:梶間和歌)【本歌、参考
『響き合う俳句と書上』(金子兜太監修/天来書院)より選句、習字松尾芭蕉暑き日を海に入れたり最上川大石田で上流の最上川を眺めて五月雨をあつめて早し最上川と詠んだ酒田で、とうとうと海に流れ込む河口の最上川に夕日が沈みゆくのを眺めてこの句を詠んだ最上川(河)のある和歌東歌古今最上河上れば下る稲舟の否にはあらずこの月ばかりいやだと拒んでいるのではありませんよ。月のものがあるので…崇徳院夫木和歌集最上川つなでひくともいな舟のしばしがほどはいかりおろさ
お手間でなければ応援お願いします。起業・独立ブログランキングへ西行法師と遊女妙②この卵のトロトロが、うどんにかまってたまらん美味さになるのです。「世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ」「あなたは、悩み多いこの世を嫌って出家なさっている人とお見受けしますので、仮の宿に執着なさるなと思うだけなのです。」と絶妙な返歌で応じたのです。その後、2人は歌の世界に心を通わせて、一晩を語り明かしたという逸話ですが、この記事を読んで驚いたのは僕です。兵庫県
お手間でなければ応援お願いします。起業・独立ブログランキングへ西行法師と遊女妙①本日は、早朝から京都で打ち合わせなので、早めに出てモーニングしてます。先日、喫茶店で新聞を読んでいると、「西行法師と遊女妙(たえ)」の逸話について書かれた記事を目にしました。大阪の中心を流れる淀川と神崎川の分岐点付近は(阪急電車京都線上新庄駅から、淀川に向かって約2Km)、古来より「江口」と呼ばれ、水上交通の要衝だったそうです。そして、この地の遊女は「江口の君」と呼ばれて、芸能や歌の