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今月で阪神淡路大震災から26年、今年3月で東日本大震災から10年になるということで17日放送のNHKスペシャルでは、「巨大地震と未治療死阪神・淡路から26年災害医療はいま」というタイトルで、阪神淡路大震災の際に救助された多くの被災者が医療崩壊により治療を受けられずに亡くなったり、東日本大震災で病院が津波で被災し通常医療が提供できなくなって入院患者や避難所の被災者が命の危険にさらされた教訓を踏まえた次の巨大地震に備えた現場の取り組みについて取り上げていた。進撃の庶民新サイトで続きを読む
26年前の阪神淡路大震災から一週間後、ようやく大阪まで電車が通じたので、大阪市内のサウナに行った。スカートをはいた女性が行き交う大阪の街は、なんだか別世界のように思えた。淀川を超えると何事もなかったような日常があった。1週間ぶりにお風呂に入り、天ぷらを食べた。1週間ぶりの温かい食事だった。川の向こうとこちらとで、天と地ほどの違いを感じた。あれから度々災害が起こっているが、いつしか私は「川の向こう側」の生活に安住してしまっている。無関心ではないのだが、「愛」がないのだ。
MN@panderbird被災地に通い続けた英国人記者、「日本人の我慢に飽き飽き」本当に伝えたいこと#SmartNewshttps://t.co/Xr8KYuezn22021年01月20日19:26まずこの記事に触れ、なぜ英国の方にここまで書いてもらわねばならないのかと言う、一抹の切なさがあります。「災害以外の状況下で、政府への期待値が低いことは一般的に言って、「悪いこと」になり得ます。原発事故がいい例です。あれは人災であり、完全に回避可能でした。設計のまずさ、計画のまずさ、
この前、ニュースだったか、ワイドショー見てたら、阪神淡路大震災の被災者で、ご家族を亡くされた方が、「後ろを振り返ると涙しか出てきません」って、そんな感じのことを言っていて。すごい素直な言葉に、テレビ見てたこっちがびっくりしちゃって。私、この数年、子供達のことで、「後ろ振り返るより前見てね」って腐るほど言われ続けてきたんだけど、心の中で、何で後ろ振り返っちゃダメなん?後ろ振り返らざるを得ないことがあったから、ハッキリして下さいよ、これは白黒つけないといけないハナシでしょ?って言い続け
このたび私は日本インストラクター技術協会認定の「音楽療法カウンセラー」という資格を取得した。同協会によればこの資格は「ライフスタイルにおける音楽の役割や利用方法を身に着けた人に与えられる資格で、様々な場面で人と自然が調和できる空間、日常に癒しを与える空間を作り出すことを目指す」としている。【協会認定の資格取得証明用バナー】音楽は聴くだけでもリラックスしたり集中力を高めることが出来、また積極的に演奏に参加したり歌うことで他人とのコミュニケーションを図ることも出来る。音楽療法とは、リズム
日曜の投稿予定が今日に…私は26年前阪神大震災を被災しましたいきなり重くてすみません最近ようやく少しずつ語れるようになってきましたあれから26年昨年の25年では節目の年として色々とテレビ放送もありましたが今年はNHKとサンテレビぐらいコロナ禍の1.17は静かに終わりました普段は、震災の辛い記憶は(26年も経てば)日々の中では感じることも減りましたでもこの日だけは別静かに思い出しますしあわせ運べるように聴いたことある方もいるかな?震災の節目に
昨日で阪神淡路大震災が起きてから26年が経ちました。ということで描いたのは家にあったラジカセ📻言葉が小さくて読みづらいと思うのでこちらにも掲載します「初めての募金がラジオからの阪神淡路大震災被災者への募金でした」震災当日かどうか忘れましたが聴いていた深夜のラジオ番組で募金を募っていて当時高校生で1000円を募金しました。全然何の足しにもならなかったと思いますが(--;ゞ当時のラジカセは壊れて捨ててしまったので現在ある物を書きました📻
東北大震災をネタに歌を作り、ユーチューブで儲けようとする。コメントをしてるのは自分の偽名。ドブ男よ人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。嘘っぱちのコメントをかき、同情したふりをしてコメントを書き、悲しい歌を歌う。あんな歌を作っていいのは被災者だけだ。自分は笑いながら何やってんだ。しかも被災地の歌手などを騙して、未払いギャラ多発だろ。馬鹿にしまくりだろ。何が東北大震災の歌だ。
こんばんは。たけちゃんです。今日で阪神淡路大震災から26年が経ちました。1995年1月17日。自分自身が生まれる5年前のこと。直接経験していなければ、身近に亡くなったという方もいない…当時大阪市内にいた父が、「凄い揺れだった」と教えてくれたけど。こうした未曾有の大災害があったということは、これから先も事実として残る。様々な災害が頻発する中、どれも直接被災したことがなく、今日まで生きてきた自分。どう向き合っていけば良いだろう?こうした「◯◯から今日で◯年が経ちました」っていうニュ
伊丹の実家。ベッドに倒れてきた本棚に埋まる。11時のニュースでは死者6人が出ている模様って言ってる。東灘の大叔父の安否確認に芦有ドライブウェイ経由で芦屋に。NHKのニュースでは社会党の山花委員長だかが、騒いでいる。ルナホールに避難している母の友人の安否確認し、ジープを乗り捨て徒歩で、2号線を東灘まで。大叔父は、別の親戚が救出してくれていた。電柱。ビル、が、本来垂直に立っているものがすべて歪んでいるので、頭痛とめまいに襲われる。座屈したビルに張り紙が。「この中に9人いてます」
皆さま、今日も一日お疲れ様でした。今日という日は中皮腫患者さんにとって全く関係のない日とは言えない日でした。そうです。26年前の1月17日に起こったのが阪神淡路大震災です。当日は私は朝起きて仕事へ行く用意をしている最中にこの地震に遭いました。幸い震源地から離れているとはいえ震度5弱の強い揺れに腰が抜けたようになってしまいました。あの悼ましい日は、被災者の方々には忘れることはできないと思います。6434人の方の命を奪った阪神淡路大震災、しかし、被害はこれだけでは終わっていないのは皆さ
忘れられない出来事。月日が流れ記憶が遠ざかっていくが、毎年、この日が「生きる」命日。多くの犠牲者のために。黙祷1995.1.17Anunforgettableday.Asthedaysgoby,mymemorygoesaway,Everyyear,thisdayistheanniversaryof"living".Formanyvictims.prayer
みんなの回答を見る今日は、阪神淡路大震災から26年目になります。今の若い方は知らない人もいるかも知れません。大震災が起きた時は広島にいました。まだ眠りについていた時でしたが、大きな揺れで目を覚ましたことを覚えています。震災から何十年経っても、未だ心の傷が癒えていない方も大勢いらっしゃると思います。10年前のブログで、東日本大震災で被災された方の為の記事を書きました。震災ストレスのセラピーに限りませんが、セラピーというと、思い出まで消し去られてしまうんじゃないか、と心配する方もいるか
今日は阪神大震災の日。人生で忘れられない1日。私、当時24歳震災を経験しました。今でもあの日の出来事あの日の神戸の人や町の記憶が衝撃的に残ります。今日も涙が溢れてしまいます。黙祷
あしや温故知新震災26周年【阪神淡路大震災のレクイエム】最終回芦屋の街は破壊されてしまった、、、。私たちは救助するにも機材が不足し、疲労もピークに達していた。眠っていると言っても仮眠でしかない。急に周りが明るくなった?朝かぁ?時計はまだ夜の10時過ぎだった。周りを見ると何か騒がしい。そうしていると眩しいライトが私たちに向けられた。「こんな所で消防関係者がさぼっているのでしょうか・・・?これはいけませんね~」と声が聞こえた。カメラを回している。「勝手に撮影するん
明日は、1月17日。阪神大震災。26年だそう。日本は、地震国で当時は、関東方面に大きな地震がくると良く耳にしていた。決して、だから油断していた訳でもなく、震災の日の早朝は、忘れる事は、ない。他の自然災害の被災経験のある方々もその日の記憶は、忘れる事は、ないだろう。ある意味、その日に人生が変わってしまうのだから。憤りの悲しみも行く場もなく、時間だけが過ぎて、とにかく、「生きる、生きている」それにひたすらしがみつく。私の場合は、電気、水、ガスが止まったが数日で回復
1月17日阪神淡路大震災が起こって明日で26年たちます。この日は被災者の私には一生忘れられません!【ビジネス成功金運アップコーチ】ハッピー☆元気堂の一色佑希子です転職、結婚、繁盛する時期、事業拡大の時期をずばっとアドバイスします。元気になるエネルギーを皆さんに流します。お手数ですが,ポチッとお願いします。↓"http://blog.with2.net/link.php?1742649:4778"style="font-siz
皇后に頼まれ流刑になったけど、皇太后の刺客に牢獄で殺された。皇后の父親は無能であった。私物、財産投げ売っても被災者は救えない。知恵がなければならないと。帝がエイラク令妃に話していた。難しいね、正義だけでは生きていくのは・・・
🍀仕事人納棺師/葬儀ディレクター木村光希(きむらこうき)EcluTownあしたね2020年08月18日(取材日)納棺師/葬儀ディレクター木村光希さんの職業インタビュー|EduTownあしたね全国の学校でキャリア教育・職業調べサイトとして利用されている東京書籍が運営する教育総合サイトEduTownあしたね(エデュタウンあしたね)仕事人インタビュー、クイズ、学習プリント、アプリなど掲載。ashitane.edutown.jphttps://ashitane.edu
清廉潔白な皇后の父親が収賄罪で死刑に処される。被災者に粥を配るさい、湯水のようだと暴動が起きた。定められた米が途中から抜き取られ三割ほどしか届かなかった。原因は米を抜き取った役人が悪いのだが数が多い為、民を鎮めるために処刑されるらしい。皇太后が頭を使わなかった、清廉潔白だけでは政治家ではないと、さらに皇后の父親だからこそ効果があると帝に死刑をするよう言い渡した。だから悪徳政治家がいつの世もはびこるのか。悲しい。
通院で神戸の中心地を歩いていて、ふと視線をあげると明るい「華」が咲いていた。歌人・俵万智さんが書かれた明るいピンクの「華」。そして思い出した。26年前、このアーケードの屋根さえ阪神・淡路大震災でなくなってしまっていたことを…私はその当時学生で、親元から離れて生活していた。1月17日。震災で、家に火がついてしまって助け出せなかった祖母を亡くした。でも、自分は揺れを体験していない。目の前で、中から声がしているのに祖母を助け出せず、瓦礫が燃えていくのをただ見ているしかなかった両親やおばと
私の誕生日は、阪神淡路大震災の日と同日で、毎年、複雑な思いで誕生日を迎えている。私の住む西宮市も甚大な被害を受けた地域だ。あの日のことを私は今も忘れない。巨大な地響きと大きな揺れで目を覚まし、空気がうねる様を驚きと恐怖と共に目撃した。本箱の下敷きになった息子を助け出し、家族の無事を確認した後、気の遠くなるような長い揺れが治まるのを待って、家族と共に小学校のグラウンドに向かった。一体、何が起こったのか、すべてのライフラインが途絶えた中では何もわからず、強い余震の続く中、不安な思いを抱きな
とあるフリーペーパーを読んでると…「ポリ袋クッキング」の特集が載ってました災害時にも役立つ…かぁ…と読んでいたのですが…なぁ〜んとなく不思議だなぁ〜と思った点があったのですそれは…ポリ袋でご飯を炊いてみよう!という部分。炊き方を簡単に説明すると…ポリ袋に米と水を入れて口を縛る。鍋に水を入れて沸かし、先ほどのポリ袋を入れて加熱する。と、ご飯が炊けるそうですあ〜なるほどと思ってたのですが…むむむっ待て待て待てよ〜以前、土鍋でご飯を炊いてるのをブログを書いてるんですが
尾張旭市消防出初式が、旭中学校で1月10日(日)に開催され、消防職員、消防団員など約100名が、火災や災害から市民を守る日頃の備えをアピールしました。今年は、コロナ禍で名古屋市はじめ多くの消防出初式が中止となりましたが、尾張旭市は人数制限や感染防止対策に万全を期した上での開催です。式典に出席した大村秀章愛知県知事は「災害から住民の皆様の命と財産を守っていくため、日夜ご尽力いただき、感謝申し上げます。コロナ克服の1年にしたい」などと、あいさつしました。、式典のあとは、消防訓練で
あの日の前日、私は次女と東京に居た。3泊4日の気楽な旅行。私も次女もそれぞれ東京の知人と回るために別行動で夜ホテルに戻るという毎日だった。帰りは羽田空港まで私の東京の知人に連れてきてもらってそこで別れた。そこから長崎に戻り次の日の午後車を運転しているとスマホが鳴った。「あの日、一日帰るのが遅かったら、どうなっていたか分からないね。長崎にちゃんと帰りついて良かったと安心したよ。知らない土地で何かあっても特に娘さんの方は別行動で危なかった。」とあとから話した。背中が寒くなった。あの日回
柳屋さんという毛糸屋さん^^のお誘いで「東北支援プロジェクト」にベスト5枚参加しました被災者の元へ届けられた品々が470点も集まったそうです♪お知らせのメールの中に私からのベストも写っていました^^同封した写真もなんとなくですが分かります^^どなたの手元に届いたかわかりませんが着てもらえて「暖かい」と思ってもらえれば嬉しいです♪白い水玉の袋に入った作品5点が私の編んだ物です♪