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品川区西大井にあります帰命山養玉院如来寺へとやって来ました。JR横須賀線西大井駅下車徒歩10分ですきれいな山門ですこの山門の右側から入ります。布袋尊私事ですが、1/8の下谷七福神布袋尊さまだけ抜け落ちてしまいましたので、こちらで拝みます御朱印は座聖観音如来堂すごいですね仁王像金剛力士ですこちらは大井の大佛と言われる木造五智如来坐像が安置されております向かって左から北方世界の釈迦如来西方世界の阿弥陀
近くを通ったので蛇窪神社へお参りにコロナ禍で生まれた花手水水晶も浮かべて美しいですかわいいおみくじがありました華の筒の中におみくじと水引きが入ってます相変わらずおみくじはよくなかった華の筒は持ち歩き用シャチハタケースにします<期間セール1390円>マスクレース50枚やわらか不織布99%カットウイルス感染症風邪花粉対策フィルター3層構造不織布マスク使い捨て優しい黒ブラックブルーピンク【花柄レース使い捨てマスク(50枚入)】楽天市場1,
スマホ・パソコン教室SHARE中延教室です。本年もどうぞよろしくお願いしますみなさんは「七福神巡り」はご存じですか?教室から「荏原七福神」の寺院が近いので、スタンプラリー片手に七福神巡りをしているご家族やカップルをお見掛けしました。中には「もう行ってきたよ!」という方もいらっしゃるかもしれませんね。私は、今年は品川区にある「荏原七福神」と「東海七福神」を巡ってきました。毎年思うのですが、七福神の御朱印って、長蛇の列で、もらうのが大変ですよね。
八幡山法蓮寺は日蓮宗の寺で、毎年十月のお会式には万灯や団扇太鼓を持った信者の参詣で大賑わいする。荏原七福神の恵比寿の寺としても知られている。開山は鎌倉時代中期、日本が蒙古来襲の脅威にさらされていた文永年間(一二六四−七五)のことと伝えられ、八幡太郎義家の子孫というこの地の豪族荏原氏の館に創建された寺だったという言い伝えがある。「こゝに荏原郡の領主荏原左衛門尉義宗と云ふ人あり。(姓は源にして即ち八幡太郎義家朝臣の遠裔なり)代々この地を禄す、依つて中延を氏とし又この所に館せり」『江戸名所図
概要かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が1926年に合併して成立した。前身2寺院の名称をとって「帰命山養玉院如来寺(きみょうざんようぎょくいんにょらいじ)」と号する。宗教法人としての登録名は「養玉院」であるが、「養玉院如来寺」、「如来寺」とも呼ばれる。五智如来堂の瑞應殿(ずいおうでん)には五智如来像(大日如来、薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来)が安置されている。五智如来とは密教の主尊である大日如来の有する5種の智恵を象徴したものである。5体と
養玉院如来寺にやってきました。これで「荏原七福神めぐり」結願です。広そうな雰囲気が漂ってますまだ先が見えないあ、布袋尊様ですよね明王堂あれ、カメさん?こちらはフクロウさんそういえば養玉院如来寺さんの説明もしていなかったですね。この後、本堂と驚愕した場面をUPします。南無阿弥陀仏
地図アプリを頼りに大井蔵王権現神社さんを探します。おっと、通り過ぎちゃってる。駅の方に戻りつつ慎重に探索。あった!想像していたのより若干小さめでした。御由緒正確な創建時期は不詳だが、平安末期に創建された言い伝えがあるという。江戸時代、江戸の町に火事や疫病が流行ったとき、この地域は大井村の権現神社の天狗のおかげで無事だったとされる。その後、人々は天狗に感謝して権現神社のお祭りには太鼓を叩いたり、天狗を祀った神輿をかついだりしてきた。今ある、「大井権現太鼓」の発祥はその
久遠山不動院東光寺は、戦国時代の天文13年(1534)に創建された天台宗のお寺です。ご本尊は阿弥陀如来。現在の本堂は文化10年(1813)の建造で、梵鐘も同年、浅草田町の上総屋喜兵衛らが寄進したものです。参道の中程に、東司(とうす)と呼ばれるお堂があります。東司は寺院のトイレのこと。お堂の中央には不浄除けの神様「鳥瑟沙摩大明」が安置されており、その回りにトイレが並んでいます。中央の「おまたぎ」という便器をまたいでお参りすると下の病にならない、下のお世話にならないといわれています。荏
蛇窪神社由緒略記文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森(大田区)に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。文永8年の秋から50年ほどを経た元享2年(1322
ゴールデンウィーク中は家から出ずステイホームの予定でしたが天気も良く家でごろごろしているの間が持てず二日の日こそゴロゴロしていましたが「午前中だけならいいかも、一人で行くし、誰ともしゃべらないし。せいぜい話しても「おはようございます」と「御朱印を頂きたいのですが」ぐらいだし、いいよね。いいとも」と自己会話が成立し本日5月3日、大井町線「荏原町駅」へ行きました。公式HPよりうわぁー、マジですか。駅降りたらすぐ目の前です。法蓮寺は文永年間
1月6日の御朱印巡りの続きです。東光寺に行った後『2021.1.6⑧東光寺(荏原七福神・毘沙門天)』1月6日の御朱印巡りの続きです。下神明天祖神社に行った後『2021.1.6⑦下神明天祖神社』1月6日の御朱印巡りの続きです。蛇窪神社に行った後『202…ameblo.jpそこから歩いて、大井蔵王権現神社に行ってきましたこちらの神社は、2019年4月に参拝したことがあります↓『2019.4.12④大井蔵王権現神社(御朱印なし)』本日2つめ…通常でしたら翌日以降に書くので
1月6日の御朱印巡りの続きです。下神明天祖神社に行った後『2021.1.6⑦下神明天祖神社』1月6日の御朱印巡りの続きです。蛇窪神社に行った後『2021.1.6⑥蛇窪神社(荏原七福神・弁財天)』1月6日の御朱印巡りの続きです。如来寺に行った後…ameblo.jpその近くにあります、東光寺に行ってきました。下神明天祖神社のすぐ近くにあるのですが道を間違えてしまい無駄に遠回りしてしまいましたこちらのお寺では、トイレの神様を祀っております↓荏原七福神の毘沙門天を担っており
1月6日の御朱印巡りの続きです。如来寺に行った後『2021.1.6⑤養玉院如来寺(荏原七福神・布袋尊)』1月6日の御朱印巡りの続きです。法蓮寺に行った後『2021.1.6④法蓮寺(荏原七福神・恵比寿)』1月6日の御朱印巡りの続きです。旗岡八幡神社に行った後…ameblo.jpそこから歩いて、蛇窪神社に行ってきました当ブログではお馴染みの?蛇窪神社先月、年越大祓で参拝したばかりです『2020.12.21①品川区蛇窪神社(年越大祓)』12月21日の御朱印巡りについて
1月6日の御朱印巡りの続きです。法蓮寺に行った後『2021.1.6④法蓮寺(荏原七福神・恵比寿)』1月6日の御朱印巡りの続きです。旗岡八幡神社に行った後『2021.1.6③旗岡八幡神社』1月6日の御朱印巡りの続きです。摩耶寺に行った後『2021.1.6…ameblo.jpそこから歩いて、養玉院如来寺に行ってきました。余談ですが、荏原七福神巡りの推奨ルート?は法蓮寺→蛇窪神社→如来寺みたいです。しかし私は法蓮寺→如来寺→蛇窪神社と歩きましたそのせいかどうかは分かりませんが
1月6日の御朱印巡りの続きです。旗岡八幡神社に行った後『2021.1.6③旗岡八幡神社』1月6日の御朱印巡りの続きです。摩耶寺に行った後『2021.1.6②摩耶寺(荏原七福神・寿老人)』1月6日の御朱印巡りの続きです。小山八幡神社に行った後…ameblo.jpそのすぐ近くにあります、法蓮寺に行ってきました。こちらのお寺は、2019年4月に参拝したことがあります。(※旗岡八幡神社の記事ですが、下の方で少しだけ触れています↓)『2019.4.12①旗岡八幡神社』4月12日の
1月6日の御朱印巡りの続きです。小山八幡神社に行った後『2021.1.6①小山八幡神社(荏原七福神・大國天)』1月6日の御朱印巡りについて書きます。この日は荏原七福神と、その周辺にあります神社を巡ってきました。(※全て品川区にありますので、ブログタイトルに区名は省略さ…ameblo.jpそのすぐ近くにあります、摩耶寺(まやじ)に行ってきました。中に入っても撮りましたが「堂内の写真をインターネットに掲載するのはご遠慮ください」みたいな事が書かれてありましたので、掲載は控えさせてい
1月6日の御朱印巡りについて書きます。この日は荏原七福神と、その周辺にあります神社を巡ってきました。(※全て品川区にありますので、ブログタイトルに区名は省略させていただきます)まずは東急目黒線・西小山駅で下車しまして小山八幡神社に行ってきました社号碑を見つけることが出来ませんでしたが…あったのかな?ちなみに私は(またしても)裏口を先に見つけてしまったので、そちらから入らせていただきました😅こちらの神社は、高台にありました。稲荷神社↓甲子神社↓こちらで荏原七福神の大国天を祀っ
荏原町のTIPS荏原町で見かけた、何の標語?って思ったら。「COCOAをインストールしよう」だって、、、、うあっ、ちょっと毒、、、頼りないけど、、、きっとこれから改善して強力な武器になる事を信じて、希望かい!!!なんか一過性のものと思っていた、荏原七福神のキャラクター化が何年も続いてたり、、、、だんだん、キャラクター固まってきてますね。荏原のオリジナルキャラ。ちなみに、この前の記事で紹介した。白蛇神社(蛇窪神社)は弁天様で
荏原七福神めぐりをしてきました三密を避けて・・・というより避ける事もないくらいに人出は少ない2012年5月平日という時期外れな時に、ご近所ハイクで歩きましたが同じくらいに人がいない。。。恵比寿【商売繁盛】@法蓮寺開山は日蓮聖人の孫弟子でもあるこの地の領主荏原吉宗公次男「朗慶上人」荏原氏の屋敷に法蓮寺が創建・・・大地主様だぁ~寿老人【延命長寿】@摩耶寺お釈迦様の生みの母摩耶夫人像が祀られてます大黒天【大願成就】@小山八幡神社創立は鎌倉幕府の頃とか・・・旧小山村
お久しぶりです。今日は、荏原七福神をランで巡って来ました〜「大井蔵王権現神社」ここで、キャラクター七福神スタンプラリーのマップをGET。「不動院東光寺」可愛いニャンコがいた。「養玉院如来寺」お堂には、5体の大仏様が鎮座していました。かなり立派だった。「蛇窪神社(天祖神社)」舞蛇窪様がやって来た舞「法蓮寺」「摩耶寺」可愛いワンコがいた最後は「小山八幡神社」初めての七福神ラン楽しかった
荏原七福神めぐり荏原七福神荏原七福神は品川区南部の七つの寺社を巡る七福神霊場で、創立は平成3年。東京では比較的新しい七福神である。■大井蔵王権現神社:福禄寿■東光寺:毘沙門天■養玉院如来寺:布袋尊■上神明天祖神社:弁財天■法蓮寺:恵比寿■摩耶寺:寿老人■小山八幡神社goshuin.net小山八幡神社からスタートしました。こちらは大黒天摩耶寺へ寿老人社務所の前に可愛いこ💕「はるちゃん」だそうです(^^)法蓮寺恵比寿上神明天祖神社(蛇窪神社)弁財天養玉院如来寺布袋尊福々し
緊急事態宣言が出る前に…荏原七福神巡りに行ってきました。今日は6日ということで正月休みが終わっていたせいか?全然"密"ではなくて、むしろ閑散としてました😅七福神巡りは、西小山駅から大井町駅まで歩きましたいただいたマップには「約6.5km徒歩約2時間」と書かれてましたが私は道を迷ったり間違えたり更には七福神以外の神社にも寄りましたので3時間半もかかってしまいました(笑)寒い中歩き回ったのでかなり疲れましたが無事、全部巡ることが出来ました全部巡りますと、満願の絵馬がいただ
その1からの続き如来寺からとことこ歩いて、蛇窪神社(天祖神社)へ。こちらは入口で検温と手の消毒を求められた。いくつかの屋台が出て、食事スペースが用意されており、賑やかな雰囲気である。「白蛇舞」の奉納が行われており、ここが一番お正月らしかったような。「密」になるのを避け、写真を撮るのは控えた。御神米も頂いた。そして、てくてくと歩き、東急荏原町駅のすぐ近くにある法蓮寺に。こちらも大きく立派なお寺。七福神めぐりの写真コーナーもあった。そして、
このお正月、「三密」を避け、感染予防をして身近なところで楽しむ方法はないかと考えた結果、混み合う日時を避け、自宅で食事を済ませて、「荏原七福神めぐり」に行くことにした。昨年は「江戸最初山手七福神」に行っている。この「荏原七福神めぐり」は1991年に品川区で始められたもの。さらに、2015年からは「もう一つの荏原七福神めぐり」も加わり、こちらは各寺社の「キャラクター七福神」を巡るもので、1粒で2度美味しい感じの七福神めぐりである。東急大井町線に乗って、大井町駅で下車し、まずは大
小山八幡神社の後は、すぐお隣にある仏母山・摩耶寺さんへここでも御朱印を頂きましたが書いて頂いている間に寺務所内のパンフレット等を見ていたら寺内の写真や御朱印をインターネットに出さないでください。と書いてあったので仏様に目をつけられないように、お約束は守ります。歴史当寺院は、寛文七年(1667年)の創建と伝えられている。延宝五年(1677年)に祖師像が、延宝六年(1678年)に安置されている摩耶夫人像が造られる。多くの像は日蓮宗不受不施派の弾圧の際、法華寺(現在の円融寺)から
西小山駅から南下して住宅街の中なので地図が必要だと読んでいきましたが、お正月に備えて看板が出ていましたので簡単に見つかりました。「小山」という地名がこの小山八幡神社が由来となっているそうです。なるほどところでここの狛犬さん達、二対で計4匹(匹と言っていいのかどうか)いました。正面は一般的な狛犬さん西参道側にいらっしゃったのがこの子達実にユニークなお姿ですね。右の子なんて特に奇妙です。境内社の稲荷神社荏原七福神・大黒
こんにちは。Lilyです。1950(昭和25)年、暑中見舞いはがきが初めて発売されました。暑中見舞い(残暑見舞い)は、季節の挨拶状のひとつです。記念日サイトより。暑中見舞い、今年は何送る?お世話になった先輩、何か涼しげな食べ物を送りたいですね。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう小山八幡神社に行きました⛩荏原(えばら)の地名は「万葉集」にも登場する、古くからの由緒ある土地です。この地に流れる歴史を、探求してみませんか?平安末期に小山八幡神社・権現神社
こんにちは。Lilyです。先日ウォーキングで法蓮寺に行きました時に、隣接する旗岡八幡神社に立ち寄りました。こちらも由緒ある神社です。当神社は、長元元年、上総・下総で起った平忠常の乱を治めるべく、同3年(1030)に朝命を奉じた甲斐守源頼信公が同地へ赴く際、一族郎党と共にこの地に宿営した時、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉齋し戦勝を祈願したのがその発祥とされています。高台に陣を敷き源氏の白幡を靡かせ大いに武威を誇ったことから、この地が「旗岡」あるいは「旗の台」と呼ばれたのです。
おはようございます。Lilyです。荏原七福神の一つ法蓮寺に行きました。法蓮寺は文永年間(1264-74)創建の日蓮宗の寺院。鎌倉時代中期、この地の豪族荏原氏の居館を寺としたのが始まりで、旗岡八幡神社とともに源氏ゆかりの寺として「八幡山」の山号がつけられています。江戸時代、11代将軍徳川家斉は鷹狩の際、人柄のよい住職を慕ってたびたび寺に立ち寄りました。住職は将軍を相手に勝敗手加減なく相撲を取ったことで気に入られたそうです。荏原七福神のひとつ、清廉で商売繁盛・福徳をもたらす恵比須様が祀
荏原七福神