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トッポさんのブログ、壮絶な、お父さんの介護体験が、書かれていて、愕然としました。多くの人に読んでもらいたいし、家族会とかで講演とかされないかな〜と思います。私も、そこそこ介護苦労しましたが、夫は、暴力で、人に手を出すことは、ありませんでしたから。でも、怒りぽい所も、あるので、色んなモノを投げつけ、壊す事は、よくありました。施設に、入所してからは、自宅にいた時の様に、幻覚とケンカして夜中大声も出さなくなり、夜中も、寝られているそうです。ただ、たまに、パットやフィギュアを窓の
私の介護は最後は父を家で看取ることが出来なかった。それでも私たち家族に後悔はない。母も最期を家で看取りたいと言っていたが今はもう【父が認知症から解放】された安堵感を感じて後悔はないと言った今父の認知症を振り返るときに【過去の自分】に話しかけていくなら1『現実をしっかりと認める』家族が認知症を発症した時恐らく割りと早い段階で認知症なんじゃないかという疑いは出てくる。しかしそれは介護の始まりを意味し長年ともに過ごした家族がまさか発症するなんてという否定したい気持ちが大きく受け入れるのには
※あくまで私の個人意見ですのでそうは思わないという方もいると思いますがご理解のほどお願いします。この記事を書くつい先日のことだ。母とテレビを見ていたら【一番過酷な◯◯型認知症を発症!】というテロップを見た。母は『何を基準に誰が一番過酷とか決めたんかね?』と言った。最初の方の記事にも書いたがメディアで認知症のことを放送してくれるのは世間に【認知症】を広めてくれるので世間の理解を得るのに一番効果のあるものだと思う。しかし、その放送内容を間違えれば誤ったまま理解し、やがてその誤った認
あなたの宝物はなんですか?いつも肌身離さず持ってますか?失くさないように気をつけてますか?僕の宝物は毎日落としています家にいても外にいても関係なく落としています落とすと言うより勝手に落ちていきます気をつけて生活してるけどするりと落ちていきますポッケに穴が空いてるのか?と思って調べたけど穴は空いてない大切な宝物なのに落ちてしまうんです落ちたら拾えばいいんじゃないの?いいえ拾えないんです後ろを振り向いたらもうないんです僕の宝物は記憶お金よりも大切な宝物自分を形成して
『本当まだ顔も元気そうでまだ若いのになんで亡くなったんかなぁ』この日最後に父に会いに来てくれた父の友人が別れ際に言った。父が亡くなって3日目父は葬儀会社のスタッフの方に生前に近い姿に近づけるため父の痩せた顔には含み綿が入れられまた日が経ち顔のシワが伸びなくなったことで【65歳】の顔になっていた。私も日に日に若返る父の顔を見てやっと【本来の父】に会えた気がした時刻は21時を過ぎ私は【上着を着て】コップ一杯分のコーラを持ち父のいる隣の部屋に移動した。そして線香を立て手を合わし足を崩し座布団
何かを取りに行って、何を取りに行ったか忘れるということは以前からあったのですが、何かをしなくては…と思ってそうしようと思っても、何をどこへが曖昧になって間違えそうになります。箸をスプーンのところにしまおうとしたり、ソースを食器棚にしまおうとしたり…恐ろしいほど、間違えそうになります。そのうち、冷蔵庫の中に食器をしまうような、異常な行動をするのではないかと不安になります。そして、何かをしなければという焦りばかりが募ります。間違えたり、なくしたり、本当に辛いです。「間違えても大丈夫!」
父がお悔やみに掲載された朝から実家には色々な方から連絡が止まらなくなった。県外の親戚から供花を出したい等父の死に気付いた方から時間が経つごとに連絡がくるようになった。仕方なく母だけ父の元へむかわせ私と兄が交代で実家のお留守番をすることにした。そして連絡が来るのは親戚だけでなく父の友人からも来た。お悔やみに【家族葬】とあったが参列して父の最後を見送ってあげたい。という【父の大親友】からの問い合わせも来た。当然断る義理もないので私『ありがとうございます。ぜひ父の最後を一緒に見送ってあげ
みんなの回答を見るアートリップのアルバム記事2年前です。きんちゃん症状の出始めから三十数年後の記事です。
私にとって、カオスな空間それは冷蔵庫です。入れたものをすっかり忘れて食べそびれたり、何を入れたかすぐにわからなかったり…特に冷凍庫の中は大変!早く取り出さないと溶けてしまうから、とても焦ります。なかなか必要なものを取り出せないので、本当にイライラします。家の中も散らかっていて、部屋もカオスな空間かも?ちゃんと片付けをしなくてはね…
父の向かう先は自宅でなく告別式を行う葬儀場に併設された宿泊施設兼安置所にした。まだ朝が早かったことで実家の周りは集合住宅のため近所への配慮もありまた父が自宅に戻ればイヤでも町内会の方が弔問に訪れ父とゆっくりと過ごす事ができないのが予想出来た。そして一番の理由は『父が荒らした家に再び父を戻したくなかった』父を乗せた葬儀会社の車の後を追いかける車内で『お父さんは最後に私たちにお父さんらしいプレゼント残してくれたよね。』と母が言った。私『どんなプレゼント?』『だって私が結婚記念日避けて
相変わらず低浮上ですいません。愛犬が体調を崩して大変でした。今も週一で通院ですが、最近は安定しています。緩やかだった物忘れ、最近少し進んでしまいました。直前のことを忘れてしまう。その結果、物をなくしたり、今、手に持っていた物をどこに置いたかわからなくなる。何かをなくしても、家の中なら、いつか出てくるかもしれない、だけど外で何かなくしたら出てこないことも…桜の花を撮影に行ったときも、カメラのレンズキャップを2つもなくしてしまいました。最近、ひとりで外出するのが不安になりました。
すぐに出かける準備をして母に話しかけると母は化粧していた。私『なに化粧なんかしてんだよ!早く行くぞ!』『ちょっと待ってよ!お父さんに汚い顔で覚えられたまま死なれたら嫌だよ!先にお兄ちゃんに連絡しといて!』私は焦っていたが母は意外と落ち着いていた私『あと3分で終わりにしてな!』その間私は兄と妻に連絡した。母は本当に3分で終わりにした。そして兄の家に寄り兄を乗せ3人で父の待つ病院へ向かった。しばらくして母が急に言い出した『やっぱりさ、お父さん家に連れて帰って家で最後看取ってあげよ
仕事に向かう途中母から連絡があった『お父さんが夜ベッドから落ちて頭を打ったんだって!』私『…え?』とりあえず今から兄と一緒に様子を見に行くと言われ電話は終わった。私は仕事中精神病院に入院させた時の誓約書と注意事項を思い出していた。『患者様への監視は十分注意を払いますが思わぬ入院中の転倒、転落等の事故が起こりうる場合もあります。』あれだけの無意識で動き回る患者全員を24時間監視するのは私も不可能だと思っていたから母からの連絡を受けてももう仕方がない事故だと思っていた。再び一日の仕事が
リフレッシュしてと友達からのライン薔薇🌹園の写真綺麗~ありがとう私は薔薇が好きで毎年パパとここのガーデンに行っているが今年は出かけたのが少し早くてまだつぼみだったそれから多忙で時期を逃してしまった次は紫陽花だそうです紫陽花を見に行った事はないなあ~今年はパパと紫陽花を見に行こう
痩せ細った父に新しい服を買い着替えをさせた翌日の午前中スマホが鳴った。……母からだ。私『もしもしどうしたん?』母は焦りただでさえ早口なのにさらに早口になっていた。『今病院から連絡があってお父さんが昨日の夜感染症を起こして高熱だしたんだって!』私がいつくるのかと思っていた不安がいよいよ現実となった。その日は仕事が休みだったのですぐに母を迎えに行き病院へ向かった。車中で母は『昨日は私たちが行った時、全然元気だったよね?』私『うん。いつも通りの症状だったよ。』『どうしちゃったんかね
普段あまり本を読まない主人の鞄の中に「妻の取説理不尽な妻の扱い方」という本を隠し持っていることに気が付きました理不尽な妻(笑)自分でも最近は特に感情の波が不安定と感じていましたが、それを受け止める主人はもっと大変だろうね。でも仕方ないじゃん子育て大変なんだもんずっと家に子供と犬といて、自分の食事とる時間もなく、トイレに行くのもやっとで、子供の離乳食作ってあげたくても抱っこ、抱っこと泣かれて溜まった食器の山や洗濯物の山人は、いいんだよ、やらなくて休んでてとかいうけど休ん
3月に入りもう父は暴言暴力はないが【無意識】で行動するようになっていた。2月の終わりから【ドアノブのない個室】から集団部屋に移動していた。しかし父は部屋のベッドでは寝ない床で寝ていた。また面会に行くと父がいなく『今日はどこにいるんかね?』とお父さん探しから始まるそして『いた。あそこ』父はテーブルの下から出てきた。私も母ももうどうしようもない父を『見学』にくるようになっていた。そしてこの頃から私の中で急激に出てきたのが『父の人生の終わり』についてだった。父が暴れ狂ってた頃
さっきまでケアマネと役所の人が面談に来てて日付、曜日、何時、誰?と質問タイムだと思い誰はわかるけどフルーツポンチみたいな答えをするこのケアマネさん僕よりイケメンでる!言語はまだ平気だけど他のことが生活を圧迫してまして…水道出しっ放し簡単な料理の手順がわからない遠隔操作するやつがわからない漢字が書けなくなってきてる昨日のことがあまり覚えてない髪が金髪であるまぁ色々話して帰ってもらったんだけど金髪??うーんと苦笑いするお昼から散歩をする今日は暑すぎずいつもよりスローモー
※これから書く文章は私個人の意見であり異論反論多々あると思いますがみなさんが抱く感情一つ一つが正しいと思っていますのでこういう人もいるんだな程度に読んでください。精神病院に関して私は今振り返ると世間でいう『悪いことほど早く広がり』『良いことは広がるのに時間がかかる』ことに似ていると思う。イメージするなら少量の水に黒いインクを垂らすとみるみる黒ずむこれが悪いイメージ大量の水に黒いインクを垂らすと逆に色は薄れやがて消える。これが良いイメージ確かに精神病院で過剰な拘束や強力な薬物によ
予防医学について考えたいと思います。少し前・・2016年のTEDxです。日本は3年前からそんなに変わってないかな・・・どんな話かというとアメリカ人の約半数は80半ばまでにアルツハイマーを発症する。加齢と遺伝子の影響だから仕方ないといわれていた。なんとかするため食事を調べて、どうなったかのお話。途中に軽度認知障害の話も出で来るけど、去年「大恋愛」僕を忘れる君とで戸田恵梨香さんが演じた若年性アルツハイマーの研究も出てきて、このドラマ泣きながら見ていたからこんな食事や運動が
みんなの回答を見るK氏が20年前の発症ではなく実は30数年前にすでに発症してた説(自論ですが)30数年前(会社の後輩の発言によれば)仕事のお酒の席でお客様を置いてきぼりして酔っ払って帰宅するという事があったそうです。その後輩が仕事をフォローしてくれたから大事に至らなかったという凄い話。全く悪気がない様子だったそうです。(仕事のチームに支えられて有り難いね〜)(俺の酒が飲めないのか!っていう昭和の最後の営業の場です。)すでに認知症とアルコール依存両方持ってい
父を入院させた翌日母を食事に誘った。お店に向かう車中も食事中も母は父を入院させたことに対し『もうしょうがなかったんだよね?』『私たちじゃもう無理だったんだよね?』と何度も繰り返し私と妻に聞いてきた。私『おかんが本当に無理だと思って警察に電話したんだし俺ももうあのままだと共倒れすると思ったから死ぬ気で交渉したんだ。誰がなんと言おうと俺たちに文句を言わせない。もし言うやつがいたら親父を一週間面倒見させてみればいい。親父が壊れ始めておかんも一週間もまともに寝れなくて食事もまともにとれなか
母からの着信に私はすぐに目を覚ました…ついにきた私は警察へ通報する覚悟をし電話に出ると唖然とした。私『もしもし!大丈夫。』『夜中にごめんなさいね。今【警察に来てもらってるんだけど】息子さんたちを呼んでくださいって言われて…。』母は憔悴しきった今にも泣きそうなか弱い声で話した。私『おかんが警察に通報したの!?分かったすぐに行く』立ち上がったわたしはまだ熱で頭がくらくらしていたが妻に一言伝えふらつきながら家を出た実家に向かう車中に兄に連絡し兄もすぐに実家に向かった。信号待ち中に母か
公園から帰ってきたころ母も帰ってきていた。『とりあえず再発の心配はないって』私『良かったじゃん!』『一人心配なのはいるけど』と父の方をチラッと見た。夕方になり母の完治を祝って私たち家族と両親で食事に行った。相変わらず父の食事は絶好調でそばを頼んでも汁につけずにそのまま食べそしてむせる。しかし注意すると暴れるからだれも注意しない。二人の孫は目を丸くして『おじいちゃん』を見ていた。食事を終え実家でしばらく孫とおじいちゃんが楽しそうに遊んでいた。そしていつものように『おじいちゃん、
母の腕には無数の痣がついている。父のトイレの介助の度に数は増えていった。『本当に今が冬で良かった。これが夏だったら半袖着れないしお父さん知らない人にはDVされてるって思われるし。』私『ていうかこれはもうDVなんじゃないの?DVにはならないんかね?』『知らない』私『いっそ親父を傷害罪で警察に逮捕してもらって保護してもらうか。』『馬鹿なこと言ってるんじゃないの』もう私は毎日母に暴言暴力を振るう父を母から離したい気持ちが強くなってきていた。そして私が散々悩んだ服薬の相談をする診察の日が
今日は調子が良いので2人で散歩する昔からの友達なのでなんでも話せていろんな場所で休憩しながら約3時間の楽しい時間が過ぎる友達は2年前に自転車に乗っていて車にひかれ脳高機能障害をおい今はだいぶ記憶がよみがえってきてると言っている人大丈夫か?2人して記憶が曖昧なんだから他の人が見たらおかしな2人である今日は雨も降ってないので掃除デー2人で僕の家に行きさぁ始めよう!と話してとら友達が「これいつのもやし?」「はっ?もやしなんて買ってないよ」「いや袋に入ってるぜ」「じゃ2週間前のかな」
気がつけばこのブログも200回を迎えました。若年性アルツハイマーを抱える家族にとって、私のブログが少しでも参考になれば良いと書き綴ってきました。最近は趣味の手作りの内容のブログも多いですが、夫の介護をしながら書き綴ってきたブログは感慨深いものがあります。自宅介護の時は夫に対しては怒りばかりでしたが、施設に入ってからは少しずつ夫のことを思いやれるようになってきました。今後の私の目標です若年認知症ぐんま家族会をNPO法人にすること。夫の残していった作品を展示発表する。伝
12月から暴力症状が一気に加速した父父の筋力はすっかり落ち殴られたり蹴られたりしても痛くないがやはり『髪を鷲掴みにされたり』『唾を吐きかけられたり』『腕をつねられたり』『物を投げてきたり』するのはさすがに痛いし嫌だ。なんとか年末まで耐え気付くと家の中は殺風景になっていた。父が暴れると投げつけるため『玄関周りの靴や装飾品がなくなり』『台所周りの色々な食器がなくなり』『リビングの本棚がなくなり』父の手に届く場所には本当に必要な物しかなくなっていた。さらに台所の包丁など刃物や
※若年性認知症相談窓口に関しての文章になりますがたまたま私が電話した先のある相談窓口の対応をそのまま載せます。全ての相談窓口が同じでないことを祈ります。猛烈な勢いで進行する暴力行動にもうどうしていいのかわからずただただ父にサンドバッグのように叩かれ振り回される日々となった。そして私は服薬についてわからず担当医師に連絡する前に『確かな自信』がほしくてネットに複数ある若年性認知症相談窓口のうちのある窓口に連絡することにした。介護経験者が親身に相談に乗るという文章を見て藁にもすがる思いで電話し
これから記載する文章は服薬に関してですが私も最終的に担当医師と相談し決めたのでこの文章を読んで『思い込み』や『自己判断』で薬を変えたり【絶対にしないでください】あくまでこういう問題もあるんだ程度に捉えておいて下さい。責任は一切負いかねます。たくさんの若年性アルツハイマー介護者のブログを読むなか服薬について書かれていることが多いことに気づいた。抗認知症薬『アリセプト』と『メマリー』今でも私の検索バーにアリセプトと入力すると履歴に『アリセプト易怒性』『アリセプトアルコール型認知症』