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<2021年4月2日>放浪ドライブで訪れた新潟県弥彦村の「弥彦神社」。手水舎の前を通って「二の鳥居」の右側に御神木があります。讃歌の詠み手は「良寛」さんでした。立派な御神木で、かなりの高さがあります。明治末年に大火で焼けたものの、たちまち新芽が吹き出して元の姿になったとのことです。「二の鳥居」をくぐると、右側に古びた小さな祠がありました。中にいたのは・・・、「御神馬」です。「神馬舎」も由緒正しい趣でした。
どうしても良寛さんに逢いたくて懐かしく出雲に行ったと思ったら次は出雲崎へ行くことにしました。むしょうに逢いたい。だから素直に会いに行く。極めてシンプルw酒井大阿闍梨のなさった千日回峰行というのが法華経の常不軽菩薩の礼拝行なのだと聴いて法華経と常不軽菩薩がわたしのなかに残り調べてみたら宮沢賢治さんもとても影響を受けたのだとか。常不軽菩薩品そしてわたしが若い頃日本画に興味を持って敬愛していた日本画家の安田靫彦さんが日本の美の極致だとリスペク
良寛の有名な句に、『散る桜残る桜も散る桜』というのがある。この句とは、その趣はちがうけれど、これを思い出した時にふと、今食べているお米(日本から持ち帰った日本米)のことを想った。「コシヒカリ冷ご飯でもコシヒカリ」当地でも、日本米系統のお米を買うことはできる。多くは、欧州産だ。何種類か食べたが、我が家でよく買うのは、スペイン産のアキタコマチ系のお米~結構おいしくて(今のところ、この街で普通に買える米の中では一番美味しいと思っている)ので、時間が在る時に車
ごきげんよう、すわこでございます。小さな山小屋のアトリエからの風景。清々しい朝です。『心がすがすがしくなれば、あらゆる物もみなすがすがしい』良寛。心が変われば、もの(事・人・物)の見え方・感じ方・思え方が変わる。さあ、皆さまとお話し致しましょう。*。.(♥´꒳`*)人(*´꒳`♥).。*愛とパワーをこめてすわこ鑑定はこちら-Feel電話佔い-【鑑定師SUWAKO】
めちゃくちゃ寒かった先週の土曜日。しっかり働いて最寄り駅からのんびり歩いて帰ってたらば。あんな、今日そっちの山の方でウグイス鳴いとったで街路樹を一本ずつ見上げながら向こうからゆっくりテコテコ歩いて来たじーちゃんに急に話し掛けられた。真っ直ぐこっちを見て、まぁまぁなボリュームで。へぇーそうですかこんな寒いのにっおぅっ茶色いニットキャップ被って力強く頷くじーちゃんそっちの山の方、それはきっとあのでかい公園のことやななんて瞬時に想像しながらまるでさっきまで会話してましたよ的に間髪入れ
昨日に続き、この本から。乞食僧良寛Amazon(アマゾン)良寛は、なぜ、「子供」を相手に遊んだのか。これも、大きな疑問の一つでした。当時、大人が、子供を相手に遊ぶということは、無かったよう。だから、良寛が、子供を相手に、楽しく遊んでいるという光景は、見ている人には、当初、かなり、特異に見えたはず。さて、この本を読んで、改めて、気がつかされたこと。実は、良寛が、遊び相手にしていたのは「子供」だけではありません。良寛は、「遊女」を相手にも、よく遊んでいたという
最近、良寛について、興味深い本を見つけ、読んでみました。それが、こちら。乞食僧良寛Amazon(アマゾン)この本。他に、多く出版されている良寛をテーマにした本と比べて、少し、毛色の違う感じです。内容は、徹底して、良寛の内面を「リアル」に捉えようとした印象で、良寛の内面を知るには、やはり、良寛の書き残したもの、特に「漢詩」の内容をつかまなければならない。しかし、これが、なかなか、難しい。そして、良寛自身、自分のことを他者に話さなかったので、詳しい経歴が、よく分から
今日来ずば明日は散りなむ梅の花ー良寛ー今日見に来なければ明日には散ってしまうだろう梅の花よそんな意の良寛の有名な一句激しい気温差には参りますね皆さまお身体に気をつけて…花も驚いていることでしょう花を見に行きたくも行けないそんなお天気が続きそうです
岡山県倉敷市玉島にある円通寺に参拝してきました。2月とは思えないほど暖かく、上着なしでも少し汗ばむほどでした。ここでは以下の御朱印をいただきました。中国観音霊場第7番札所山陽花の寺第17番札所汐見門円通寺の通用門です。駐車場から近く、人の流れをみると、こちらの門からの参拝が主のようです。山門駐車場から少し離れた位置にあります。一番近い汐見門に「山門→60m」の小さな看板があり、回ってみました。良寛像と本堂奥は社務所で御朱印はここで頂きます。
2月18日が命日・忌日の有名人・著名人1546年62歳没(脳梗塞)マルティン・ルターさん宗教改革の創始者1564年88歳没(?)ミケランジェロさん彫刻家、画家1590年(天正18年1月14日)47歳没(病気)朝日姫さん豊臣秀吉の異父妹、徳川家康の正室1831年(天保2年1月6日)72歳没(?)良寛さん曹洞宗の僧侶、歌人1851年満46歳没(?)カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビさん数学者ヤコビ行列ヤコビ恒等式1931年満67歳没(?)山下源太郎
さて、三度、良寛について。個人的に、大きな謎の一つに、「なぜ、良寛は、帰郷をしたのか」というものがあります。良寛にとって、故郷とは、本来、継がなければならなかった名主としての仕事、家を放棄した場所であり、場合によっては、厳しい非難を浴びる可能性もあった場所ではなかったでしょうか。もっとも、僧として、それなりの立場、名声を築き、「故郷に錦を飾る」という状態であったのなら、帰郷をする気持ちも、分からない訳ではない。しかし、良寛は、名も無い、一乞食僧として帰郷し、一生、その立場を貫いた。
私は、一昨年前から意図を手放し、全てを女仙様に委ねていたのですが、😊ここ数日強烈に仙界に通おうと意図し、その事だけを考えて生活したら…😶めちゃくちゃしんどかってん…。😱過去一と言っていいくらい。😭とにかく次の朝が来るのが前の日の夜から怖くて。毎朝物凄く苦しんだのですが、何かの拍子にふと力が抜けるとそれまでの苦しみが嘘のように楽になってん。😶私は、根っからの修行体質のようで、道士として隠居したつもりで生活していたのですが、気が付いたら今まで以上に自分を追い込んでいました。😔私は、“ラム
歴史に名を残す僧には、必ず、色々と逸話が残っています。その中でも、禅僧には、多くの逸話が残っている印象。そして、その逸話の内容は、その僧が、どれほど優れた思想を持った僧だったのかということを表すものが多い。そして、良寛という禅僧が、今でも、高い知名度と人気を持っているのは、この逸話の多さにある。そして、良寛に関する逸話は、他の禅僧に逸話とは、かなり、雰囲気の違うものが多い。それは、まるで、無邪気で、何も知らない、子供のような振る舞いを見せる。一見、愚かで、馬鹿な人のする行動。も
今朝目が覚めたら、もうとっくに朝ランの時間は過ぎていた・・・(-_-;)走る気まんまんだったのだが、やはり疲れているのか・・・。最近S社のバイトが、繁忙期を迎えて忙しく、このところ残業が続いててね~・・・。いつもは、定時の午後5時には終えるのだが、今の仕事量では、とてもそれでは処理できず、一時間ほど残業している。それに、昼間もけっこう没頭して仕事をしているので、やはり疲れてるんやろ~と思ふ・・・。ま~いつもは、ヒマなことが多いから、たまにはえ~かも・・・^^;
死ぬ時には死ぬが良く候〜とあり(良寛)それならば例えば、苦しい時には苦しむが良く候~とか病む時節には病むが良く候~とか頑張れぬ時には頑張らないで良く候~であるとか言葉を変えて見たりとか自然の理法に照らしつつ人生の苦悩諸々に意図を巡らすとこうした自然無為の発想法が可能だ。例えば、船筏がうねる荒波に揉まれ揺れ動く際に、ジタバタと藻掻き左右に重心を移動させ治まるを試みた場合は重心の安定性を失くし却って転落の危険すら生じる。正解は揺れ動く船の中間地点に重心を取りて鎮座し妄りに
江戸時代、「良寛」という禅僧が居ました。この良寛は、一休、親鸞と並び、歴史に名を残した僧の中では、最も、知名度が高く、最も、人気の高い人物なのではないでしょうか。以前のブログに書いた通り、僕は、一時、自分の「心の有り様」に悩み、まともな生活をすることが出来なかった。そして、この自分の「心の有り様」に、何とか、折り合いをつけることが出来るようになったきっかけが、この「良寛」という人物を知ったこと。良寛は、宝暦8年(1758)、越後国、出雲崎の名主、橘屋の長男として生まれます。当然、将
磯野風船子氏が曰く⭕️「これまで数回、良寛を主題にする茶会はいかがですかと提案したが、誰も賛意を表せられなかった。⭕️良寛は禅僧として、歌人として、書家として、莫大な信者を持っているが、茶の湯とは全く関係が無い。中略⭕️「良寛と一緒に生活することによって家中が和やかになり、自ずと悟りの境地に居られる事を望んだからであった。」⭕️「これが真の禅僧のいくべき道では無いであろうか。」⭕️「禅僧であればただちに茶席の正客に座る資格を持っていると考えている禅僧は本当の禅僧では無い。」私見補足
読書セラピー「賢者の一言」良寛自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。だからせめて心を温かくするような、心を安らげるような言葉を贈りたい。………………………………✨✨✨人に喜んでもらうことを自分の楽しみにしてしまうと、とても幸せな気持ちになれます🎶💕🤗サプライズのプレゼントなんて、考えているだけでワクワクドキドキしますよね🎁💓贈るものが何もなくても大丈夫🙆♂️笑顔で「ありがとう」と言うだけでも立派な贈り物です💝私も、出来るだけ毎日読書セラピー「
書は人を表す、本当だと思う。字を見ればわかると。また、書は人を表さない、これも本当だと思う。書の深さだと思う。私は良寛の書だけは持っていて、部屋に飾ってある。良寛を感じる。飄逸だと思う。あの字体は、この人一流で流麗とでも言うのか。速さで書いたのでは、想いが飛び跳ねたのか、人に真似が出来ない。越後は出雲崎、かあちゃんの国の佐渡を見ては涙した。飛ぶ鳥をうらやんだ。冬の曇天のなか、向こうへ渡ってくトンビ。・・・・「会いてえて、産んでくれてどうものう。おらも飛びていや」貞心尼
もう一つ言っておかないといけない事は、ピグマリオン効果。上部の思考が影響すると言う法則です。トップがマイナスの事ばかり言うと、会社全体が暗くなり不安事を引き付けてしまうんですね。日本人は不安事を言って組織を緊張させ志気を高めようとする傾向が強いのですが、これは失敗の方を引き付けてしまう事が多いのです。私の会社の四代目社長は、昔会社が不況で危ないと危機感をあおっていました。ところが社員はやる気を失い、不安で意欲も失って行きました。これは家庭にも言えます。奥さんの方
『清貧の思想』という本がベストセラーになったことがある。バブル崩壊直後の1992年のことだ。本書の内容を一言で言うと、「豊かさとは物や金ではなく、心の豊かさである」ということ。ありきたりな話だが、戦後、物と金の豊かさを追い求め、最終的にはバブルに振り回された当時の日本人にとっては身に染みて感じられたのだろう。この本では、過去の日本人(光悦、吉田兼行、鴨長明、良寛、芭蕉など)がいかに金銭に拘らず、自らの信念に生きたかを繰り返し説いている。それに対して、戦後日本が
【小寒】24節気のひとつ。寒の入りにあたり、冬至と大寒の中間。これから大寒に向かい、寒さが厳しくなっていく。天文学的には太陽の黄経が285度の点を通過する日。【色の日】カラーコーディネーターなど、色彩に関する職業の人たちの記念日。「1(い)6(ろ)」の語呂合わせ。【ケーキの日】1879年(明治12年)に上野の風月堂が日本初のケーキの宣伝をした。【消防出初】1659年1月4日に旗本率いる定火消(じょうびけし)が上野東照宮前で一年の働きを誓ったのが始まり。消防の出初め式がこの日に慣例に
災害が起きたときに思い出すことば災難に逢う時節には災難に逢うがよく候死ぬる時節には死ぬがよく候是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候良寛良寛さんが地震に遭って家族を亡くし、悲観に暮れている友人に送った手紙。逢わずに済むならそれにこしたことはないのだけれど、どうにもならない事ってやっぱりあって。逃げようがない災難ならば、それはもう受け入れるしか無いのだ。真正面から受けとめて、痛くても受け入れる。結局、それが一番ダメ-ジが少なくて済む妙法なのだと、良寛さんのアドバイス。亡く
まったりと過ごす午後、、、震災被害の記事、、巡り、、思い出したのはその生き様に深くシンパシー覚えてる2人の僧侶のお一人の良寛坊の、この言葉今!それ言う?不謹慎極まりないって、、またぞろ通りすがりの表面上の言葉しか読めない人、、行間の魂を読まない人から避難轟々、、メッセージが、、深い深い意味を読んでね!言葉を発したその魂を!そして、苦いどろどろターキュシュ珈琲受けはさらに続く、、こっちの言葉
2024年、とんでもない幕開けと、なってしまいました。辰年。地震の映像を見てると、まさに封印されし龍神が再びこの世に現れ出たような、「地」の躍動を感じてしまいました。この年、これだけでは終わらないかもしれませんね。被災地のみなさんに、深くお見舞い申し上げます。ブログにもそう気安く書けない心理に陥っておりました。生きている限り、自然災害はもちろん、どんな運命に出くわすか、それは誰しもわかりませんし、受け入れて立ちあがるしかありません。まさに、良寛さんの「災
vol.433中小企業の財務経営改善に強い!経営”守備”専門コーチ"すずしん"こと、鈴木伸治(すずきしんじ)です。元日に北陸の大地震があり驚いていたところに、今度は、羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突し、爆発炎上するなんてありえない事故が発生しました。もう明日には富士山が噴火してもおかしくないと思えてきます。本当に信じられないような災害や遠く海外では戦争が当たり前のように起こっています知
(公財)日本武道館月刊書写書道1月号がいつもより早く届きました!いつもはキッチリ1日に届いてました!1月号にポンタのが掲載されてました!!1300年ぐらい前の中国の僧侶にして書家の懐素という人が書いたやつの臨書(真似っこ)秋収酒に酔っては奔放に書いたそうで・・・その書風は狂草と呼ばれてるそうです!!そんな昔の坊さんも酒のんでたんだ〜??!!・・・・日本の僧、良寛も少なからず影響を受けたとか・。・。7月に編入試験を受け1級から始まったんですがその後
早速に!応援団が!初めて、、自身の事を!俺、イカリ!ちゃんの烈烈応援団、、フィジカルにシリアスな問題抱えてるって時々、チラッと触れてたから薄々、感じてた!皆んな、、それぞれに抱えながら明るく楽しく歩を、、、君観よや双眼の瞳語らざるば憂い無きににたる良寛
僕の好きな歴史上の人物の一人に良寛さんがいます。僕は大の神道好きではありますが、何故か昔より仏縁もありまして、空海さんや道元さん、ほかいろいろな聖人のことを、書籍も読んで深堀りしています。良寛の生涯その心Amazon(アマゾン)この方は、新潟県の漁村出身で、偉くなってからも子供たちと遊んだりする、またそれを子供たちが嫌がらない不思議なお方です。発言や行動には素朴かつ仏道の芯が隠れていることが多く、現代人からすると、素朴過ぎてわけがわからない行動が多いと思いますが、面白いで
学校で習字の授業を受けたのは小学校まで?中学校で習字の授業があったのかどうか、全く覚えていません。書道のお稽古を始めて、ほとんど書道の知識がないことに気が付きました。常識を得るために高校の教科書Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,を買って、時々眺めています。本の最後に年譜があって天上大風という良寛の字が出ていました。良寛の代表的なものはこれなのね、と思っていたところ、ヤフオクにこの字の帯が!他に入札する人もあまりなくお安くゲットしました。書道のお稽古にこの帯をしめていくと