戦後5年目の1950年に没した相馬御風は、晩年には病に臥すことが多くなり、以前に比べ著作点数が激減する。太平洋戦争中には、純粋な使命感から意欲的に戦意高揚の為の創作活動を繰り広げた文士の一人だったが、戦後はその事で深く傷つき、以前の自らの行いを悔いて外出や人との交流も控えるようになったと言われる。また、故郷糸魚川で文筆のみを生業としていた御風の暮し向きは決して楽なものではなかったらしい。地元で現在も手厚く保存されている御風宅を訪ねると、奥行きがあり手狭ではないのだが、無駄に贅を凝らした造りの住居