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脳出血したのは2018年8月脳出血発症から一年6ヶ月経過同名半盲左半側空間無視、注意障害、遂行機能障害などなどの高次脳機能障害があります。コロナウィルスの影響で長男の小学校が休校して生活リズムが変わりました臨機応変な対応が難しい私は変化に追い付くことができませんいつもならこどもたちが登校・登園している間に洗濯や掃除などの家事をやりますが小学生の長男が家にいるだけなのに気が散ってしまって作業が進まない洗濯物干し終わるのが16時って...気が散りすぎ...家事が進まな
今まで、ずーっとゴールド免許証今回普通の青になってしまいました一時間の講習受け更新完了ですなぜでしょう.....昨年のこと電車の切符購入のため仕事終わり最寄りの駅に行きました駅の駐車場いっぱいで思わず路肩に車停めすぐ発行できるだろうと窓口に....思いのほか時間かかり気になりながら戻りました.......17分停車できっぷ切られてました(アッチャー)なんで?いま戻り時間書いてあるキョロキョロしたのですが.....わからなかった帰りパートナーに話すと「向
今日は一時間かけて新しく靴をオーダーに来た🚕今回はちょっぴり無理なお願いのため出来上がり1ヶ月後になりましたでも出来上がりが楽しみです😊さて視床痛(脳出血の後遺症)の私は市販の靴は履けないなぜ...履けないの?視床痛は右半身が痛いソックスも普通のは履けない...もちろん痛いから履く行為が無理.....痛いんですでも5足ソックスだと歩ける理由は.....指がふれあうことがダメなんです離れていればいい身体も同様です身体は突然触れられると痛みで倒れてしまうんです夏
脳出血したのは2018年8月脳出血発症から一年5ヶ月経過同名半盲左半側空間無視、注意障害、遂行機能障害などなどの高次脳機能障害があります。5日連続で情報処理多めな外出したら疲れが蓄積したようで軽めの頭痛発生一日目家族会に参加二日目買い物三日目祝日で丸一日こどもの相手四日目こどもの耳鼻科の受診五日目脳神経外科の受診予定が詰まっていることを自覚していたから5日目の時点で夫や母に『頭痛が来そうです』と宣言食事の準備や洗濯をやってもらいました手伝ってもらっている
脳出血したのは2018年8月脳出血発症から一年5ヶ月経過同名半盲左半側空間無視、注意障害、遂行機能障害などなどの高次脳機能障害があります。昨日は次男を耳鼻科に連れていきました先週「急性中耳炎」になってしまったので経過観察の受診です次男の耳を診ていただいたあとのお医者さんの説明が超早口で理解が追いつかなかったなので障害があることを伝えました「先生、私障害があるのでもう少しゆっくり話していただけると理解できます」そしたらゆっくり丁寧に説明してくれて紙にも書いてくれたので
脳出血したのは2018年8月脳出血発症から一年5ヶ月経過同名半盲左半側空間無視、注意障害、遂行機能障害などなどの高次脳機能障害があります。先日のこと、お友達のSさんが会いに自宅まで来てくれましたSさんとはママ友ですが私にとって特別なママ友なんです長男を出産した日に隣の分娩室でSさんも長男を出産しました同じ日にママになって長男は7歳ですが、今でも仲良くさせてもらっている特別なご縁のあるSさん脳出血する前は仕事と育児の毎日に追われてしまってなかなか会えず今回は約4年ぶ
〈脳卒中(脳出血・片麻痺)〉右半身麻痺のみろです。遅いブログになりましたが‥‥読んでいただければ嬉しいです。2月1日は、脳出血の後遺症になり、10年目となりました。は~早いものです。「ママしゃん、歳をとったってことでしゅよ笑」確かに~今までの経歴~TMS治療(磁気刺激治療)入院を6回川平法リハビリ入院を6回また、関西リハビリテーション(☆CI療法☆tDCS(経頭蓋直流刺激)☆電気刺激療法☆ロボットリハビリ(レオゴー)☆Hands療法)など、療法を挑戦してきました。
昨日は「○○専門」についてブログを書きましたが、これは何も整形外科の領域に限ったことではありません。中枢神経疾患や心大血管疾患、呼吸器疾患、小児疾患も基本的に同じです。動きを変えるのが我々治療家の仕事ですが、これには疾患や分野の垣根はありません。もちろん医学的なリスクは考慮して治療にあたります。この事は実力がある治療家では当たり前の考え方なのですが治療を受ける側は、やはり専門家を名乗る人に見てもらったほうが安心という気持ちが働いてしまうのだと思います。腰痛、肩の痛み、足や膝の痛み
昨日とそして今朝ずっとずーっと友達探しで頭いっぱい闘争心でめらめら問合せしまくりなかなか思いが伝わらないけど届かないけどでもまだ始めたばかりゆるりゆるりとのんびり納得のいく出会いを求めたい分かち合いたい思いっきり話したい共有して欲しいな強要はダメだよねエゴにならないように誠実でいられるように準備しよ
脳出血したのは2018年8月脳出血発症から一年5ヶ月経過同名半盲左半側空間無視、注意障害、遂行機能障害などなどの高次脳機能障害があります。今日は次男が春から入学する小学校で説明会がありました難しかった説明が長文で長文の中に指示が入るから指示を理解して把握することがタイムリーにできないでも、まぁいっかぁと開き直ることにしましただって大事なことは案内に記載があるはず初めての小学校入学ではないからどうにかなる長男の入学が脳出血をする前だったのは救いだわかろうじて入学
脳の後遺症は「残るものだ」「治りづらい」と諦めていませんか?私たちは、脳梗塞、脳出血や脊髄損傷(中枢神経疾患)専門のリハビリ施設です。病院などのリハビリでは、麻痺した側の機能はあきらめて、ほかの動く部分を強化することを重点的に行う傾向があります。リハビリを行うにあたって、脳疾患による麻痺は「残る」「治りづらい」と考えているためです。例えば・・・・右手が麻痺したら、左手で箸をもつ訓練・麻痺したままでも一人で立つための訓練・装具を使って歩く訓練をしてきた方もいるのではないでし
こんばんは随分と久し振りの投稿です何かあった訳でもなくクマさん送迎の予定が詰まっていて出たり入ったり落ち着きなく暮らしています車社会の地方都市では公共交通機関での移動は中々大変コミュニティバス🚌も目的地に着くまでに市内をぐるりと回って行くようで車で15分くらいの所へ1時間近くかかる事も有りでついつい送迎をする羽目に大抵の会合は2・3時間の設定。片道30分位の場所が多く一旦家に帰っても往復に1時間かかれば家でゆっくり出来る訳でもなくお茶して買い物して時間
脳出血したのは2018年8月脳出血発症から一年4ヶ月経過同名半盲左半側空間無視、注意障害、遂行機能障害などなどの高次脳機能障害があります。一年前の自分を思い出してみた。障害を受け止めることができずにいた。今でも悔しいなぁって思うことはある。今までいろんなことを経験して出来上がってきた自分がある日を境に大きく変わってしまったのだから受け入れられる訳がないですよね。これからどんなふうになりたいかとかも崩れて無くなってしまった感覚でした。やりがいがあって楽しかった仕事も辞める
☆お知らせです☆12月16日(月)は正午まで診療いたします。脳出血の後遺症のある知人のサポートのため、午後の診療はお休みいたします。からだとココロをゆるめる時間、ホッと一息いれる時間は、慌ただしいこの時季だからこそとても大事なものですね。1年間、がんばってきた、ご自身のからだとココロにありがとう~!よく頑張ってくれたね!動いてくれたからいろんな経験ができたよ~!
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←リハビリ病院の話←前の話母が脳出血で倒れ、急性期病院に入院してほどなく。この頃は、実際にどれほどの運動障害が残るのかよくわかっていなかったので、自宅の風呂の改修について調べたり見積りをとったりしていました。実際には、自宅のお風呂を利用することはなかったのですが……。退院準備やることリスト○ケアマネージャーとの打ち合わせ○要介護認定
また痛ましい交通事故が起こってしまいました。12月1日、関越自動車道で高齢ドライバーの運転する車が逆走し、対向車と正面衝突しました。ドライバーは死亡し、男女が重軽傷を負った事故です。事故直前には、ETCバーを跳ね上げて、Uターンで逆走する異常な行動が記録されていたそうです。逆走したドライバーは8年前、心臓の手術中に脳梗塞を発症し、右足にまひが残っていたそうです。近所の人からも、運転免許証の返納を勧められていたそうですが、『人の世話になりたくない』という理由で返納しなかったそうです。
脳出血の後遺症でリハビリ入院していた頃、窓から見えるリアルな龍雲をiPadで撮ろうとしても片手では重くて撮れなかった話を以前書きましたがコチラ→★同じようにスクリーンショットも私には難しいものでした。当時はiPadを使ってましたが、『電源ボタンとホームボタンを同時に押す』スクショは片麻痺では出来なくなっていました。そのことを、三男のいる時にふと口にすると、(iPadを)「ちょっと貸して」と言って何やらしてくれました。渡されたiPadの画面には⭕️の中ご覧くだ
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←リハビリ病院の話さて。しばらくお休みしておりました本編。母のリハビリ病院生活、ふたたびたどってまいります。←前の話脳出血の後遺症のため、半身マヒや嚥下障害が残る母。リハビリ病院に入院してから、2か月半も過ぎたころ、ようやくリハビリ病院併設の耳鼻咽喉科の専門医に診察していただきました。(その間、ずっと嚥下のリハビリを行って
今を全力で生きるソウルメイトたちへキッチン・ブルー(新潮文庫)594円Amazon食べることは生きること。「食」に憂鬱を抱えた6人が、ユニークでタフな方法で、悩みに立ち向かってゆく。つい頑張ってしまう人に贈る、幸せごはん小説!裏表紙の案内にひかれて読み始めた小説「会食不全症候群」「突発性味覚障害」食事が楽しめないとか食べることが苦手とか皆さん想像できますか『人間は食べなければ生きられない。欠くべからざる日常である。食事をとることは、すなわち、生きること
今頃の時期になると父からほうれん草や小松菜を送ってもらうのですが。今年は、どちらも虫と鳥に食べられて来年1月頃まで、収穫できないそうです(笑)ほうれん草は、苦くない種に変えたのであっという間に鳥に食べられたらしいですがそれにしても、毎年、虫には食われているのでん?と思い、話を聞いてみると社交ダンスを再開していたのでした。15年前、社交ダンス中に脳出血で倒れてから社交ダンスはやめてしまっていた父。あの頃は、級を取るために
前の記事からの続きデスさて、おふとんクリーニングをお願いして、宅配業者さんに集荷に来ていただいて、その布団類が戻ってくるまでに、丸々1ヶ月かかりました脳出血の後遺症がある知人は、いつになったら布団戻ってくるのもう1ヶ月も待ってるのに寒いんだけど・・・って毎日ブツブツ言ってたけど、アナタ、なにもしてないじゃんしかも寒くないように新しいボア素材のブランケットに
朝晩冷え込んできてますが、あたたかくして過ごせてますか実は今年、初めて宅配ふとんクリーニングを利用してみました・・・といっても、私のじゃないんです脳出血の後遺症がある知人のものです。知人は、去年、交通事故にあい、後遺症がいろいろ出ていたときに、暑さ寒さの感覚もぼやけている様子でした。たとえば、初夏に革ものの上着を着て汗だくになったり、真冬に一晩中タンクトッ
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←前の話さて。脳出血の後遺症で嚥下障害が残る母。しかし、なかなかリハビリを進めてもらえない状況で、リハビリ病院に入院して早2か月ほど。いつものように母の見舞いに来ていたある日。けっこう年配(じいさん風。失礼)の白衣を羽織った医師らしき人が唐突に現れました。「あっ、この方ね。こんにちは。ちょっと診せてくれますか。ほうほう。
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←前の話脳出血で倒れ、急性期病院からリハビリ病院に転院して早2か月超……いまだに母の経管栄養は外せず、嚥下のリハビリもほとんど進んでいない様子。先日の主治医との面談において。母の嚥下訓練の件で、耳鼻科の医師との連携ミスがあったことがわかりました。加えて、これまでに交わしたリハビリスタッフとの会話から察するに……どうも母の主治医と
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←前の話脳出血の後遺症でリハビリ病院に入院している母。上下肢の痛みや病院側の連絡ミスにより、リハビリが遅れている状況です。当初予定していた日より、できるかぎり退院日を延ばしてリハビリを行ってほしいと、主治医にお願いしています。先日主治医と話した際。主治医は、母がリハビリ病院を退院したら、その先は施設へ入所することになるだろう、と考えて
録音教材「智慧の脳天法起術」は増田先生がご自分の病を回復させるために開発された録音教材です。ヘッドフォンを使って、両耳から脳細胞へ向けて三元エネルギーを届けることで脳細胞を活性化させることを作用の目的とされたのです。病気になっても病院に行って治して貰うという立ち位置ではなくあくまでも自分の創意工夫で三元エネルギーを駆使して元極功法の力をもって病を回復させさらに、自分の回復にとどまらず広く世の中の皆さんにも役立つような
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←前の話さて。脳出血の後遺症で、半身マヒのほか嚥下障害のある母。急性期病院ではゼリーととろみ付の水を飲みこめるようになり、ソフト食を摂る試みが始まったところまでは回復しました。が。リハビリ病院に転院したものの、ほとんどリハビリが実施されず進展が見られない状況。そんな中、医師から胃ろうを勧められ、納得がいかない父とわたし。入院期間の延長を
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←前の話脳出血で倒れ、急性期病院を経てリハビリ病院に入院した母。マヒ側の上下肢の痛みのためリハビリに遅れがあったものの、鎮痛剤の処方により、ようやくスタート台に立つことができてほっとしたのもつかの間。先日、看護師から聞かされた「胃ろう」の件。まだ満足に嚥下のリハビリも進んでいないのに……父とわたしが「はい、わかりました」