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現在自分はアルコール性肝硬変を伴う肝臓癌ですので、率直、毎日は厳しいです。が、依頼を受けたらニーズに従いますが....そこまでの実力はまだですし...ちょっと困っている状態です。
こんばんは母いねこさんの日常を中心に娘こむぎが書いている日記です。月曜日いねこさんの通院で医師から言われた言葉は『いつ急変してもおかしくない状態です緩和病棟の申し込みされますか?』心が凍ったかと思いましたいや身体中が凍ったかといやいやいやそんなそんな私、全部の時間と全部の体力と知恵と全てを使ってなんとかしますから2週間後の母を見て下さい泣くより先にそんな気持ちが湧いて来たのは幸せ貯金が溜まっていて直ぐに前向きな
父の肝臓癌の診察に付き添いました。医師の先生が、「まあ、88だから、なにもしないっていう選択もある。」と。でも、癌があって、そのままだと進行するのなら、カテーテル手術してもらって、と、私と姉からお願いしました。肝臓癌でそのままだと、母のように苦しむのかと聞きました。症状は膵臓癌とは違うらしいですが、人が最期をむかえるのはおなじだと。でも、父の肝臓癌は、それほど進行は速くないらしいです。肝臓癌で亡くなる前に、88だから、その他の病気になることもあるし、と、言われました。患者の父の
1月11日、木曜日の朝気温は2℃、日光浴が出来そうです。去年の大晦日に5ヶ月振りでお風呂(湯船)に入りました。7月に手術をして以来ずっとシャワーでした。やっぱりお風呂はいいね。今日は歯医者です。去年の年末クラウンを被せる予定が痛くて噛めなかったと言うとルートカナルの治療を先にするとまたクラウンを被せる医者とルートカナルの医者が違うので下手な医者でない事を祈るばかりです。8年前の今日の1月11日の母の写真母が笑っています。部分入れ歯が
母が闘病中、どうにもならない気持ちのためかいろいろなことに、苛立つ父がいました私の言動、姉の言動、義理の兄の言動ご近所の方の視線(思い込みだと思います)知り合いの方の父を見る目などでも、母が亡くなって、この2ヶ月は、弱っていたのか、家族に当たり散らすことはなくなっていました。でも、この二、三日、また、気になることに対して、苛立って顔が険しくなっていました。父の今までの人生の歴史があるからどうにもならなくて苛立つ気持ちも分かるけど、苛立つ父に接している姉のストレスが心
2019年1月5日お酒が大好きな父は、肝硬変から肝臓癌と、腎臓まで患って透析まで受けていました。酒で死ねるなら本望だ!が、口癖でしたが、死ぬまではお酒は吞み続ける事はできませんでした。私は40を超えた頃位から、本当のお酒の味が分かったようで、父親に「頼むから週に1回は休肝日を作ってくれや!」と、言われるくらい私は毎日お酒を呑んでおりました。父は日本酒一辺倒。私は日本酒とワインと芋焼酎以外は何でも好き。全て吞めるのですが、日本酒は必ず翌日残りしんどい。ワインは渋い。芋焼酎は
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年は夫の脳症、静脈瘤手術、肝臓移植のための検査、訪問看護の開始と色々とありました。そして締めくくりは肝臓癌。夫の病気にふりまわされた1年でした。その肝臓癌ですが、現在のところ2か所あります。大学病院での説明によると、最も効果的なのは肝臓移植です。そのためには癌は5か所まで、5センチまで、腫瘍マーカー500まで、という規定があるそうです。そして、ただいま原発性胆汁性肝硬変(胆管炎)で脳死間移植待ちの登録している夫はスコア18。癌だと
今年は、旦那様の癌で始まり癌で終わった一年でした。と言うことでまとめます。1月19日(木)健康診断で結核を疑われI病院へ紹介状を書いてもらう。1月23日(月)I病院受診結核ではなく肺がんの可能性2月6日(月)I病院肺がんのおそれ検査予約2月17日(金)S病院PET検査とMRI2月22日(水)I病院検査入院2月23日(木)
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「熱海の夜」とらカラNo.589作詞:荒川利夫、補作詞:藤木美沙、作曲:山岡俊弘、唄:箱崎晋一郎、カバー:とらじろう昭和44(1969)年1月10日発売。箱崎晋一郎(デビュー当時の芸名は箱崎伸一郎、岩手県出身、1945/2/17-1988/7/25、肝臓癌で死去、享年43)は歌手。1964年に日本大学農獣医学部に入学、歌手を目指し佐伯としをに師事。1966年に熱海グランドホテルの専属歌手になり大学を
【オータ】に肝臓癌が見つかったとの連絡が❗️掛かりつけの動物病院での紹介を受けて動物医療センターで再検査(検査だけでも高額で、手術する方向に成れば💦)日獣の動物医療センターの検査にkumaも同行させて貰いました。仮家にいた時と顔付きが全然違って良い顔になっていて、パパさんにベッタリ。お口がたまに出る子だったのに、何処でも触れる様になってました🤗kumaの事も覚えて居てくれてましたが、あくまでも見た事あるオジサンの扱い。検査結果はやはり肝臓癌、それもかなり大きな腫瘍になって居て手術をし
さあ~久しぶりの適当実証実験ですよ~~!!と言うか、今回は怪しい壺「還元くん」で作る「失敗から学君特製ブレンド水素茶」の作り方をご紹介しますよ~!まずは久方ぶりの水素茶特集なので、還元くんと言う壺の基礎知識からおさらいしましょうかっ!この壺は、岐阜県のオジカインダストリと言う会社の小鹿社長と、当時のJAの専務理事とで開発した健康維持を目的とした壺で、正式名称を「低電位還元水素茶製造ボトル」と言います。小難しい事を抜きにして説明すると、この壺に緑茶や紅茶、玄米茶、果物、野菜
1996年(平成8年)の今日は父親が亡くなった日です。享年65歳でした。肝臓癌から肺へ転移して、最後は骨転移でした。12/20が誕生日でしたね。地方公務員でしたが、当時は官官接待が隆盛で、中央官庁の官僚のお相手で、お酒を呑む機会も多かったみたいです。今年還暦を迎えましたが、いつまで生きられるか、死ぬまで生きてみようと思います(笑)
コーヒーは身体に良い?一般的にはコーヒーのカフェインは身体に良く無い!と言われている私は昔から多少のコーヒー飲用は身体に良いという情報を聞いていた当時はアルファベットのJ(ジェイ)曲線と言ってコーヒーを全く摂らないよりは数杯のコーヒーを飲んだ方が健康に良いとされていた私的には1日4杯までとして長年飲用している実は今年の9月にアメリカで開催された食事療法の学会で1日に4杯のコーヒーで肝臓癌が改善すると言う研究発表があったもちろん、一人や二人ではなく大
今日は北大病院に行ってきました。まずは採血から↓微妙にCRP数値が基準値越えでした退院後初の肝臓診察です。今日は特に検査をしていないので久々の顔合わせで終了。次回2月16日にCT造影の検査を行います。そして今月7日にステラーラの治療を行ってから約2週間ほど経過したのもあっていつものIBD
今度は父が、肝臓癌と診断されました。母が亡くなって四十九日。来週、父の手術があります。心にまた、重い石がずしんと置かれたような気分です。母のときと違うのは、カテーテル手術ができること。そんな父は数日前から急に背骨、腰に激痛が走り、整形外科へ。セレコキシブを飲んでやっと、痛みが和らいだとのこと。強い薬なのかな。いまから、肝臓癌の手術するのに、大丈夫なのかな。痛みとれますように。手術成功しますように。
私は名古屋市に住んでいます。私も自分でレイキを習い、自分へのレイキヒーリングで1週間で喘息が治ったりした不思議体験者です。今は、そのレイキヒーリングを3時間半×3日間の受講で使えるようになって頂くのを使命として活動していますヽ(^o^)丿今年は2つの印象的な出来事がありました。そのの1つ目は、5月の出来事でした。レイキ受講終了後も勉強を続けて下ださってるRさんが、先週、癌で入院していた(40歳前後)の弟さんがいて、その方が危篤で、血縁の方が病院に集まったけど、持ち直したというお
夫が癌にビビる理由ワクチン接種が始まり夫の知り合いも、何人か他界していますだいたい、同年代うちの隣は奥さんが喫茶店をやっていてしばらく店をやっていなくてどうしたのかね?と夫と話していました旦那さんが車で、帰って来たところを見計らって聞いてみました喫茶店を一緒にやっている人の実家が秋田で今度秋田に帰る事になり奥さんは落ち込んでいるとの事それならばと思いランチにでも誘おうかと思いました誰かと話せば、落ち込みはやわらぐと思ったからです電話をしようかと思ったのですが前のス
昨日、楽天ROOMというサイトで仲良くなった、埼玉県に住んでる、犬友さんから、LINEが着ました。その犬友さんは、ミニチュアダックスを最大6匹も飼っていました。今年、かりんと同い年のリアンちゃんというダックスが亡くなりました・・・かりんと同じ肝臓癌でした・・・・・あとは、1匹だけミニチュアダックスがいるだけです・・・僕は、いつもお世話になっているので、「花キューピット」で頼んだお花を贈り、後日、リアンちゃんのフォトブロックを、楽天のショップさんで作っ
主人が大腸癌になりました。盲腸癌とS状結腸癌の2つも😨癌って、周りになった人がいなかったので、あまり身近なものではありませんでしたが、本人は勿論家族も大変です。腹痛で、救急車を呼び、即入院、手術となるところが、血液検査で糖尿が発覚して、糖尿の治療が先になりました。5年ほど大腸癌検査はしていなかったそうです。お馬鹿!血糖値が高いと、傷が治りにくいらしくて手術が出来ないのだそうです。やはり、日頃の不摂生がかなり影響していると思われます。まず、タバコを吸う。アルコール(毎日…肝臓は悪
9月29日から北大病院へ入院して11月23日に退院してきました。予定通り10月3日に肝臓癌の手術を行い無事に2か所の腫瘍を摘出してもらいました。今回は4年前に味わった苦痛は無く全然痛みが少なくてとてもラッキーでした。ですが、今回もエコノミー症候群を防ぐ為のフットマッサージが一日中気になって1分たりとも眠ることができませんでした。病理診断の結果ではやはり悪性の癌とのことでし
ただいま検査結果が出ました🏥腫瘍マーカーの数値は問題なかったのですが、主治医の先生から↓「矢部っちさんまた太りました?」矢部っち‥‥🐌↓ギクッ(;゜゜)主治医の先生↓「こちらのASTALTの数値が基準値超えてるんですよね。このままだと「肝硬変」や「肝臓癌」になる可能性が高いので真面目に改善した方が良いですよ」矢部っち動転しすぎて、先生のアドバイスに答えることなく、「あのー、先生は運動とかされてますか?」って空気読んでないクエスチョンを先生に出してしまいました(笑)主治
コーヒーは健康に良い世の中ではコーヒーのカフェインは身体に良く無い!とか?言われておりますしかし、数ヶ月前にアメリカの学会でコーヒーに関する研究発表があったやはり、いろいろな効果があると言うことだ!何となく世界中で、同様の声が上がり始めた昔からコーヒーがアルファベットとのJ曲線と言い全く飲まないよりは少し飲んだ方が身体に良いと言われてきたのだ私は3〜4杯/日を守ってきていたすると、4杯/日のコーヒーで肝臓癌に効果ありとも出ていたのである
母の葬式の間母が亡くなった悲しみもありましたが今後の心配もしていました。小さい弟、赤ちゃんの妹。進学したばかりの高校。私の人生はどうなるんだろう。血の繋がらない父とうまくやっていけるのだろうか。葬式が終わり何が理由か思いだせないけれど父と喧嘩になりました。父が私の真珠のネックレスを引きちぎり白い玉が散らばっていく光景を記憶しています。つかみ合う喧嘩は後にも先にもこれだけだったと思います。
先週の火曜日仕事の帰りに動物病院にプリンを迎えに行った時先生のお話しではプリンの症状黄疸が出ている(肝臓、胆嚢に腫瘍の疑いありの為。)体力も落ちているので、今週末が看取りの時間になるでしょうこんな辛いことはなかったです黄疸が出ると言うことは、末期に入ったってことです車にプリンを乗せ、泣きながら帰りました翌日は、泣き腫らした顔で出勤したマジで休みたかったですそして^^看取りの時間と言われました
出産後、余命3ヶ月と言われましたが5ヶ月後に亡くなりました。最後の方はモルヒネも効かないぐらい痛いと言う日、モルヒネで意識がモヤモヤしてる日が多く、意識がはっきりしていても話をするのが辛いから帰れと言われるときもありました。そんなある日学校にいると急いで帰る支度をしなさいと先生に言われました。迎えに来た若い衆と病室に行くと呼吸しているだけの母が寝ていました。呼びかけても反応はありません。母の妹が必死に呼びかけていたのを記憶しています。ドラマでよく見る心拍音みた
妊娠中に癌が判明した母は手術も抗がん剤治療もせずただただお腹の子供が大きくなるのを待つ毎日でした。そして帝王切開で女の子が産まれました。産まれた妹は保育器の中でする元気な鳴き声が印象的でした。すぐ手術や治療と行きたいところでしたが母の希望もあり、1週間は初乳をあげることになりました。母は体調が悪いなか気丈にも妹に初乳をあげる努力をしていました。母が知っていたかわかりませんが手術はしないと聞いてました。母に残されたものは1日でも延命する治療か痛みを緩和する処置だと言
妊娠中に癌が判明した母は出産=余命宣告を受け入れてしまいました。抗がん剤治療もできないため、日々祈ることしかできませんでした。35才の母は進行が早く徐々に痛みや倦怠感がでるようになりました。大きくなるお腹と比例するように痩せ細っていく母が痛々しく強い母が弱々しくなっていくのが見ていて辛いのと幼い弟の面倒や学校など私の足は次第に病室から遠のいていきました。母に心底惚れ込んでいた父は人が変わったようになりました。毎晩のように飲みに歩き、仕事も休みがちになりました。ある
今年もあと2ヶ月。10月も終わろうとしてる。時の経つのは早いなぁ。刻々と時間だけが過ぎてる感じ。12月中旬に肝臓MRをとる夫さん。腫瘍マーカーも気になるところ。今のままの数値をキープして新年を迎えられたらと願ってます。大腸癌から肝臓癌に転移して肝臓の手術を2回して残せる限界まで肝臓を切除した夫さん。術後、感染して生死を彷徨いなんとか今に至るのです。いけないところは切ってしまえばいい‥と、言われてるけど今回の影は血管に絡みついてるのでとりきれないと言われてる。大腸癌が
私が中学3年のときに母は妊娠した。私を入れると4人目の妊娠。そのときの母の年齢は35才ぐらい。生き別れの弟とは別に2才の弟がいました。さらに兄弟ができると知ったとき中学ライフを満喫中の15才の私には母と新しい父で仲良くやってくれればそれでいいぐらいにしか思っておらず多少、弟の面倒を見ましたが負担に感じることはなく父と若い衆で上手く切り盛りされてました。そんなある日、母が肝臓癌に侵されていることを知ります。中絶をすれば手術を受けることができ延命できると言われました。