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新年おめでとうございます。とは言いつつおめでとうとは言い難いそんな出来事が矢継ぎ早に起きてしまいました。能登半島の大地震や救援に向かう方々の訃報といった悲しい歴史が刻まれました。自然の力は強大です。その前に脆いのは命です。私たちも命です。いざとなれば寄り添い合うしかないということですね。私たち家族は今年の元旦朝早く起床し大分県別府市の竈神社さんに向かいました。高台にある神社で鬼滅の刃というアニメ作品と所縁があるそうですね。水平線
なんとかかんとか一年を測っているつもりはまったくないんですが自分なりに探求しています。人生は常に刺激がありそれを受け止める自身の精神が如何にあるか?ということなんでしょうね。気がつけばもう年末が近くなり「生きてるな。」といった印象です。本質を探りたいとの一心で若い頃から探求し続け気がつけば初老です。髪が少なくなり成人病に気配りするそんな年齢です。いつまでも若いと思っていたんですがやはり皆さんと同じ人間です。僕の人生は若い頃に思ってい
『着物でクリパ!その1』12月某日着物友達とのクリパは、東銀座の中華料理屋で、飲茶食べ放題。…の前に、丸の内界隈のクリスマスイルミネーション巡り。ディズニーコラボらしい。投稿が前…ameblo.jpつづきイルミネーション巡りのあとは、この日のメイン!クリスマスパーティー!今年は、東銀座の中華料理屋さんで、飲茶2時間食べ放題、フリードリンク3時間という、欲張りコース。コースメニューと食べ放題の飲茶メニュー。まずは、前菜と酸辣湯。そのあと、飲茶3種が全員に出て、以降は、好き
ひとつの信念を最期まで実践することができたらさぞかし、本望であろうと常々思っています。今のところできてますがどこまでできるかと自分を楽しみに思っています。僕が出会う方々はデリケートで生真面目な方ばかり傷つき易くて優しい人たちです。その人たちを前にして心から思いやりを持てる人でいられるかが僕の挑戦です。度々思うんですが僕は一人で行動するタイプで友人と遊びたいわけでもなく年をとる毎に一人で楽しめるそんな性格になりました。たった一人で歩む人生
AIの台頭が目覚ましい時代です。私たちの時代を照らしてくれるそんな存在になってほしいです。開発って素晴らしいのです。新しいものを開発する力は私たちの知恵の結集です。しかし、もちろんですが心配な部分はあります。そうした心配を乗り越えてこそ新しい時代となります。AIが活躍するとこれからの人材不足問題は多少なりとも克服でき各産業界は一旦の安堵を手に入れます。しかし、私たちのような命ある者たちの活躍の場は今まで以上に、その本質的な存在意
僕がこの仕事に就いてもっとも驚愕したのはこれほど、人の個性は各々異なるのだなということその驚きは、言葉ではもう言い表せないほどです。それぞれ違うのですね。まったく異なるのです。同じ言語を操りながら感じていることは天と地ほど違うのです。ところで、ゴシップですが差別的発言が取り沙汰された政治家さんの件でそれを支持する人の意見が匿名ながら複数あるのを知り驚いています。驚くというかその驚きを超えて逆に興味津々です。なぜ、こんな分かり易い件で
僕とのお付き合いがかれこれ10年以上になる人なんですがその人の頑張り度合いには頭が下がります。苦しい時もあってその時の苦しみは変わってあげたいほどでした。本人に言ったことはないけど本当にそう感じていました。艱難辛苦というか酸いも辛いも経験して若き獅子が成長するように堂々とした獅子になり今では、ビクともしない人になったなあと感心しています。何があっても食らいついていき諦めない心には頭が下がるばかりです。事業は成功していますがそれよ
自分の意志を持つことはとても難しいと感じます。僕自身、30代半ば辺りからやっとのことで意志とやらをもつようになった気がしています。自分の意志が希薄だと後ろをついていく人についていきます。大体、そんなものです。会社でもプライベートでも強い者についていくのです。それが生きる道として。その相手がどうあろうとあまり考えません。考える余裕もありません。自分の意志が希薄だとマインドコントロールされなんとなくわからないまま時が過ぎていきます。
根拠を確認できない世界を楽しめる人がたくさんいます。しかし、根拠のない世界を楽しめない人もいます。根拠が明確でなければ楽しめない人は裏付けを認識して確認する人そういうことです。そうした人は鬼ごっこをしている間「なぜ、逃げなきゃいけない?」と考えている間に捕まります。捕まったら、捕まったことで鬼になりますよね。この世の中そんなもんなのです。「なぜ捕まえられるの?」と問うと「そんなルールだから。」ということなのです。ここから
インフルエンザをはじめコロナもそうですがのど風邪も流行しています。いろんな病気が多くて僕の仕事では、キャンセルも複数件、生じています。原因は色々といわれますが明確ではありません。それにしても気候変動が大きいのは気になるところです。様々な変動があると私たちは心身に影響があり調子が整わなくなり病気になることもあります。やっとのことでコロナが落ち着いたのにインフルエンザなどといった従来の病気が増えているのが気になっています。免疫を高めるこ
なんとなくですが初めの頃に戻りつつあります。初心を忘れることなく戻れているのかなとそんな感じに思っています。元々、我が精神を鍛え他者に貢献することを信条としてきましたがそこには、更なる穏やかさと更なる思いやりが必要だと思っていました。今の僕がそうなのか全くわかりませんが努力をボツボツするしかないのでしょうね。そもそも自分のことには丸っきりわからず仕事ばかりです。自分自身が貢献できるのであればと思いますが全ての人を対象にできず懸命に
かなり前の話ですがお仕事に困っていた件です。僕の仕事ではこのような事例もあります。どんなに指導しても怖がられるばかりで部下が成長してくれないといったお悩みでした。怖がられないように気を使いながら自分なりに懸命に表現し丁寧さを心がけたつもりでも逆に、関係ない人からもバッシングを受けた様子でした。そうした予期せぬ反応に例えようのない脱力感を覚え人に伝えることの困難さが身に染みたとのことでした。私たちは自分の思い通りにならないとストレスを感じます
常識とは、よくある出来事を目の前にして、擦り込まれるそんな意識です。いつもの通りというセオリーが何度も何度も繰り返されやがては擦り込まれる意識そういうことなんでしょう。気候変動により秋や春といった柔らかな季節が失われていく気がします。おそらく実際にそうでしょう。驚きはあります。いつもあるパターンが崩壊していくのですから。しかし、実は緩やかに変化は成されていたのであり実は、茹で蛙のように気がつかないままでいて気がつけば病気になったり心がふさ
スピリチュアルという文化はとても怪しい文化です。もうほとんど根拠のない言ったもん勝ちの世界です。だからといってその文化を否定しません。僕は、僕自身が追ってきた霊性文化が、多くの皆さんが追ってきた世界とはまるで大きく違うことを悔んでいました。ここ近年までかなり悔んできました。しかし、近年思うのです。情報の運動性だなと。情報は、いろんな人々の感性をフィルターとしてその時勢に照らし合わせて様々な色合いとなると。つい先日”Baby・夜・
ティナ・ターナーも亡き今ベテランの歌が聞けなくなりなんとも寂しい気がします。しかし、いま聞けるのは当時の録音された音源です。その価値が高まります。人前で歌うという姿に僕は憧れます。誰の目を気にすることなくただやりたいように人前で正直に表現する。それが素敵です。僕は、人前で歌うことが実は好きです。そして、その評価を楽しみにします。かつて僕が大好きな人を痛烈に批評する人がいてその人の記事を見て嫌味な奴だなと思いました。しかし、今は、その
自分で信じる世界は一つ。みんなが認識する世界は一つ。ということですが世界という人生の舞台をどのように捉えるかは人によって見事に違います。物質的には一つですが捉え方はそれぞれなので自分が解釈している世界は自分だけの世界です。自分の世界を作っているということですね。ですから是非、自分を大切にすることと同様にこの世界を大切にしたいです。私たちは、この世界を国という単位によって憎しみや悲しみの濃度を自分流儀に振り分け「ここに生まれてよかった。」
面白いことには何度も食らいつきます。僕は、面白いことに貪欲です。だから、とことんやります。あえて、しているのではなく本当にやってみたいのです。だから、集中します。覚えにくいなあってよく思うんです。だけどやりたくなる。とことんやりたい。面白いことって興味があることですよね。なぜ興味があるのかをよくよく考えてみると昔、似たことをやってたということですね。それを思い出すようです。それにしてもやってみたいことがあるってとても有難いことで
今までやってきたことがまったく通用しないと面喰ってしまいます。僕自身、そんなことは日々繰り返されその度に時間がかかります。「どうしたらいいんだろ?」こんな思いばかりです。ただ、時間はあるのでなんとかなるだろうなと答えはないのに妙な期待感があります。体調がよろしくないとそうは感じられず人間は、体調不良によって否定的な気分になってもその気分を信じます。いつも自信がないという気分に支配される人でも自信がないことに対して圧倒的な自信があ
どんな時代に遡っても今の自分は通用するか?といったことを考えます。たまたま、この時代に生まれたまたま、生きている。もし、大昔に生まれていたらどうなったのかな?と考えるのです。なぜそんなことを考えるか?生まれた時代のファクターに依存したくないのです。いつ何時でも通用しておく自分であれば最大限の貢献が可能となるそう思っています。とっても珍妙な考えですが今の時代を意識せずどんな時代にも通用したいというのが自分に対する要望と期待なのです。
最高の楽しみって何ですか?僕は、音楽に親しむこと。演奏することが一番の楽しみ。できないことができると最高に楽しいのです。ギターは、見様見真似に過ぎなかったのですが今は、必死になって憶えています。歳をとるとなかなか覚えませんがそれでも覚えるとなるとこれはもう好きだからこそです。特に失敗するとじっくりと成長を確かめることができる。そう感じています。私たちは失敗を恐れます。とても恐れてビクつきます。そんなに失敗は不名誉でしょうか?僕は、
美しさという概念ほど移ろい易いものはありません。美しさを心に思えるのはとても有難き幸せです。本当に美しいと思えるには心を鍛えなければ無理ということもなくただただ美しいと見惚れるということなのです。雄のカブトムシが雌のカブトムシに恋するのは果たしてどんな思いなのか?なんて思います。また、古い映画のヒロインに恋焦がれることもあります。僕は、古い映画ではありませんが戦場のピアニストという映画のワンシーンに見惚れました。※たぶんわかる人はわかるはず。
アウニ・アルドゥーズ君が空爆により亡くなったようです。戦争による悲劇です。他にも多くの子どもたちが亡くなっています。これからしばらくは子どもたちが亡くなります。私たちは、本当に偉いのか?そんなことはありません。これほど不自然な生きものはおそらくいません。この世の中のどこを見渡してもそんな生きものはいないのです。主義主張の差により殺し殺される生きものです。それが人間です。僕も人間ですが僕自身、恐ろしい生きものとは思えないのですが偉い
ところで、いまだに戦争とかやってるようでそりゃまた難儀ですなあなんて思っています。民族の誇りやらなんとならで戦争ですか...。どうせ死ぬのに死に急いでどうなる?とか思ってるのですがアサリとハマグリのように殺し合うことなくなんとなく生息域をギリギリで分かち合うのはスゴイなと思っていますが私たちには難しいようですね。私たち現代人は自然界の生きもののように高度な発展は無理なんですね。いまだに、現代人は生きものとしては底辺を歩んでいるようです。
風変りは、どこから始まるのか?その基準となるところは一体どこなんだろうか?更に風変りは、世間的にマズイのか?マズイのであればどこを基準としてマズいのか?結局、何もわからず明確な判断基準はないのでマイナスポイントはないということだろうと思う。変わり者という言葉の響きには世間から除外されている者との評価がみなされるわけで決して好評価とはみなされない。それが”変わり者”なんだね。変わっていても他人に対して明らかな迷惑がかからなければ本能的に意識するほどの評価とい
原因から結果まで一足飛びの印象はありますがそんな捉え方を実践する人が皆さんが思っているより遥か多くの人々がいらっしゃる。それが事実です。多くの方々は原因から条件を踏まえて結論に至るんですがそうではないんですね。驚くかもしれませんがそんな捉え方の人は意外と多いのです。もちろん、結論に至ってその後に条件という存在に気がついて困ってしまうということですがそれでも不思議なことにそれを経験するうちにとんでもない才能が開花するわけですね。それは驚愕も
40代前半の頃小さな講演会を時々やってました。最近再び始めたところです。下の写真は...やっぱ少しは若いね。髪の毛もまだある。まだサラリーマンから時間が経っていない頃ですね。本当によくいる人って感じです。ただ暴飲暴食してたなあ。それにしてもあっという間に時間が過ぎていきました。風変りな人生ですが少しはお役に立てればと思いつつでした。最近は、昔の友人や音楽関係の方々と連絡をとることもあって段々と、昔に戻りつつある気がします。お仕事はボツボ
どうせ...という言葉が出るときとても疲れているんですよね。自分を意識し過ぎるともちろん、意識するにはその理由はありますが...ひとまず疲れをとること。その疲れがとれると自分以外の何かに向けて意欲が湧いてきます。それでいいんですよね。僕自身、どんな性分なのかよくわかっていませんがいろんな面を持ってるなと感じています。いろんな顔があって色々とやっていくんですね。自分自身のこともわからずではありますがなんとか生きています。意外と楽しめるなあと近頃
何かやろうとして一生懸命に取り組むのは素晴らしいことですよね。しかし思いつきによって走るととんでもないことに繋がっていきます。思いつきはとても大きな力を生みますがそのほとんどは無力のうちに沈んでいきます。思い付きより何度も何度も考究し尽くす計画には勝てません。準備万端には勝たないのです。何かやろうとしたらいろんな利害の匂いに敏感な人たちが群がりいろんなアイデアを提示します。そのアイデアは甘美です。そこに飛びつく謂れを確認することなく
全身全霊をかけて付き合うと疲れます。何事も全力だとなんだかいい響きですが実際に疲れます。7割程度が楽であれば7割の力を使えばいいし6割程度がよければそれでもよし。自分が楽に感じる程度で十分ではないでしょうか。僕は、感覚的にいうと3割程度かな?ずっとそうしてきたと感じています。あくまで主観ですから客観的にどうかはわかりません。かろうじて瞼を開けかろうじて聞きかろうじてお話しするといった程度だと思います。僕には、それが丁度よく疲れが溜
というわけで人生なんて曇っていいのです。曇りのない星は地球ではないのです。だから曇りも必要。嫌だなあって思っても長い人生は、まさに映画のようです。部分的に切り取りそこにある切なさをフォーカスしても全体像は見えないのです。心配事って色々とあってその度に苦しみます。そりゃ大変です。不都合に弱いんです。それでも、翌日にはケロッとしたりもちろん引きずることも多々ありますがなんとかなるんですね。ケロッとしたら次に向かってほしいことが