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自分は何をしたかったか?随分と時間が経つと全く想定外の現在を歩んでいることがあります。何故、こんなことするのか?といった具合によくわからなくなるのです。僕も、切羽詰まると新しいことに手を出すといった気分が湧きます。その気分との戦いでした。新しいことを編み出すには二つのタイプがあります。一つは、綿密に戦略をたて中長期の計画を見据えて企てていくタイプです。もう一つは現状が苦しくて新しいことを考えると前向きになっていることに合理性を感じる
人類数十億人いる中で自分以外の人と理解し合えるかと考えると、完全には無理だなと。そんな感じに思うのです。おそらく無理なのです。完全には無理。だけど、ある程度の相互理解は可能なんだろうなと思います。お互いに理解し合うことがもしできたとしたら奇蹟なんでしょうね。僕は、これまでの人生で完全に理解し合えたと実感したことはありません。逆に、無理だなとの実感は無数にあります。おそらくは、理解し合えたと思ったところで実際には、数%程度です。僕は、そう思って
事実を捻じ曲げて解釈する論法って色々とありますが国会とか見てますとかなり多いとの印象です。ねじ曲がっていることがわかればいいのですが曲がっていることが認識されない場合もっとねじ曲がっていくということにもなります。対話に感情を持ち込むと答えには行き着きにくくグルグルと対話が回り全く前進しないことも多々あると思います。酒が入ると尚更ですよね。何言ってるのかさっぱりわからなくなる。昔、何を言ってるのかさっぱりわからない上司とお酒を飲みましたがわから
アリスの谷村新司さんが亡くなりました。仕方ないんだねって思うけど仕方ないのか...。さて僕は、中学生の頃ですかねその頃に、よく聞きました。アリス時代の曲を。ロックやカリプソJBやロキシー、ストーンズやらジェームステイラーとかを聞きながらですがフォークポップス?のアリスを聞きました。チンペイさんのMCには今でも影響を受けていて僕のバカなMCには多少なりとも活かされていると思っています。意外というかイブモンタンが好きだったと聞いていたのですが
本能的に冒険する人がたくさんいらっしゃるのを僕は、この数十年間で十分すぎるほど知りました。驚きの事実です。僕は、綿密に計画立ててことを運ぶ傾向がありますが僕とは全く正反対の人たちが多数いらっしゃることに衝撃を覚えたのです。ほとんど無謀な気がしても衝動的に進めるのです。それがとても不思議でした。しかし、今思います。それも大切なことでそうしたチャレンジが積み重なることによって新たなる開拓がなされ新しい人生が拓けるのですね。それを身をもって知らさ
感じる世界は各々異なります。一つの世界に多数が生きても感じ方によって無数の世界があるのです。解釈も違います。元々、私たちに現代人はおそらくですが...お互いに分かり合うには原子力並みのエネルギーを要するのではないでしょうか。とても難しいようです。しかし、それじゃあ面白くない。分かり合えなさそうな人と分かり合うのは面白そうです。それでも疲れます。何度試みても合わない人ときっと分かり合えるとは思ってみてもなかなか難しいのです。チャレンジ
最近、なんとなくですが自分の表現が自分勝手でつまんなく感じていました。なんとも自分勝手だなと。いろんな方々とお会いして明日もそうなんですが僕は日々いろんな方と出会っています。その現実に感謝しつつ時々、なんというかジレンマというか...いろんなことを考えます。一生懸命に生きて努力して結果を得たり努力なしに生きて棚から牡丹餅みたいに得をすることもあったり意外と人生って価値観を揺るがすことが案外あるなと思います。こんなもんかなと思うのですが
久しぶりに海へ行きました。大分県別府市の海は別府湾になりますが一般には、別大マラソンのコースで知られています。ちなみに、この日本で海底沈下していく湾はこの別府湾と大阪湾です。瓜生島が沈んだ伝説は別府湾ですが頷けるところです。別府湾は、近景もいいとは思いますが遠景も綺麗です。子どもの頃別府にバス旅行すると別府湾がいきなりに開けてくると「スゲー!」とか思っていました。今は、別府市に長いこと住んでいるんですがこんなに長く住むとはまったく思っておらずほんの
人生には、様々なシーンがあり中には、損得を考慮することも多々あるはずです。人は、本能的な欲と先々に想定する得を予感して選別する思いを持っています。要するに要領よく生きることを常時、心に秘める人もいれば常時、他者のためを考えるそんな人もいらっしゃいます。祈りは、他者のためにあると僕は思っています。自分のために祈ることが果たしてあるかどうか?僕は、まったくありません。あるがままをご報告し決意とさせていただくというそんな気持ちだけです。他人がよ
いろんなことがあってそりゃあ皆さん受け止めはスタイルの差があります。しかし傷ついた心があるとなればなんとか対処したいですよね。誰かに迷惑がかかるとか自分のプライドが許せんとかいろんな情報が多くなると判断が鈍ってきます。判断が鈍ると解釈の精度は極めて低くなります。そうなるとなんだかわけのわからない決断に至ることになります。頭の中で伝言ゲームが始まり不特定多数の人々には理解不可能な答えに行きつくが自分自身は納得するという珍妙な流れができます。
僕は昔から、天邪鬼です。反対側を意識します。反対側を意識すると色々と気づくのです。人間の作為性や欺瞞に。だから、そうした見方は今の僕自身に繋がっています。ただ単に楽しむだけなら理解できますが本気になって肖りたいといった感覚があればそれはちょっと違うなと。そんなことを思います。ご利益を頂こうとするそんな精神が尊いかというとそうではなかろうと今でも思っています。欲張った思いが精神を律する場面に適応するかというとそりゃ違うだろうと思うわ
深く深く、極めて深く考えすぎる以上に考え最期に至ってはかなり見当違いの答えを信じ込んでしまうという...理解し難いかもしれませんがそうしたことを経験する人が数多くいらっしゃいます。頭の中では永遠に続く伝言ゲームが繰り広げられ続け大概の場合は否定的な結末に至ります。その傾向はありますが一般に知られていることなくごく一部の人たちにしか知られていません。自覚なきまま信じ込んでしまうそんなことがあります。大概の場合本人にとって忙し過ぎたり
季節の移ろいによって気分も変わります。なんら大したことはなくても疲れが過ぎれば問題のないことさえ問題視するようです。悩みは、悩むからこそ悩みとなるのですがほぼ全ての人々が悩みを経験します。その頻度は確実に異なります。その頻度に対してなんら疑問を感じることなく自分は不幸だとリアルに感じるのですね。これが不思議でなりません。心の向きを変えることはとても大切なのですが心がなぜ向きを変えたか?そうしたことを認識できずただ漠然と悩むわけです。私たち現代人は悩
いろんな人とお付き合いがありその中で感動があります。しかし、中には理解し難いお付き合いもあるのでしょう。皆さん如何でしょうか。僕は、長年生きているので中には、そんなお付き合いも多数経験しています。感性の差は大きく全てを理解できることはおそらくありません。自分で理解できない相手でも相手からしても理解できないということであって私たちはそれぞれに理解することが難しい間柄だということですね。ゴツゴツした感性の差ではなくもっと凹凸が明確な差であり
他人からの評価が気になるといった声をよく耳にします。僕は、ほとんどありませんが意外と多くの人が感じていると思うのですが如何でしょう。ところで...プライドなんていうものを僕は持っていませんがカッコつけにしか過ぎない?と思っています。そのプライドって自分を守るためのもので本当のプライドがあれば自分を省みて反省すべきを反省し次へと向かうのだろうと思っています。本当のプライドは一般的に使われているものとまったく違うと思います。一般には、盾
自分はわからない自分のことはわからないという気がしています。わかっていた気がしてもわかっていなかったということでしょうか。最近は、限界を知ることが多々ありまして何事にもそうしたことがあるんだなあと感じます。だからといって悪いわけじゃなく知ることは有難いと思っています。相手のことを知ろうとしても自分のことにはサッパリわからないとなると客観性が働いていないということになります。実際に、客観力でしょうか。そのポジショニングはとても難しい
陳謝!定員が少ないので。からはな百貨店さんで開催した講演なんですが定員が決まってたんですよね。あっという間に決まったことで行きかった!という方が複数いらしたのに申し訳ないです。ですが、やっぱり少人数でやっていきたいので今後は、こちらのブログでお知らせすると思います。SUCの方もいらしたんですがビックリしました。今回は、主催がいらしたので大雑把にしか伝えていません。それにしても...主催の方からのお客様が僕が知っている方だとは。本当に驚
努力は楽しい時間ああ、生きてるなあって近頃感じます。伝染病が流行したり事故が多かったりと何かと物騒なんですが生きているってそれら背景があると事さらに実感します。生きていることを前提にしていろんなことを感じています。根底にあるものがなければ何もできないわけでしてそこに感謝したいのです。生きていることもそうですがその他、ごく当たり前にあるということに対しての感謝が薄くなってしまうこともありそこに、自分自身の浅はかさを感じさせられます。感謝の次に
相手の前に自分自分自身が感じるのだから自分が主人公になるだろうし主観を信じるしかないのです。しかし...何が本当かわからないのだから客観性も必要ですよね。というか必然的にいつも思ってるはず。しかし...そのような前提を考えるというスタイルは多いかな?いや、そうでもないのでは?と思うのです。実際のところ自分の感覚を基としてああだこうだと論じるんですよね。だから自信がない人も自信がないことに自信があるわけでして結果として自
無駄なエネルギー消費どうでもいいことに対してやたらとイラつくことがあります。テレビに向かって「これは問題だ!」と空しく文句を言うのです。年をとるとそんなシーンが多くなります。僕もそんなところがあります。それがとても嫌で嫌で...だけど文句言ってるんですね。学校の先生じゃないのに指摘ばかりになるんです。これも衰えですね。自分が得てきたことと違っていたら反応するということなんですね。憤りまで発展してしまう。自分で感じることって
都合よく捉えること都合の良いことももしかしたら勘違いかもしれないということもあるでしょうし都合の悪いことも同じように単なる勘違いかもしれません。一番大事なことは取り組んだかどうかです。やったかやらないかは人生を通してジャッジされます。他人ではなく自分自身に。成功するとか失敗するとかそんなことはどうでもよくやったかやらないかです。そう感じることが多いのです。都合よく捉えると元気が出るというのであればそうすればいいし逆に都合が悪いと捉えれ
人の縁は繋がり離れるある人と縁があっても段々と会うことが嫌になり結局は、一時的な出会いということになってしまう。よくあることですよね。縁は、ずっと永遠にあるということでもありません。一時的だからといってそれが悪いわけでもなく一時的に必要だったということですね。縁自体に罪はなく次への展開があるというだけのこと。淡々と受け止めるだけです。永遠に付き合う縁はあるのですがその縁に気づくことなく寂しさを覚えることってあるんでしょうね。誰
個性って難しい。私たち現代人は各々が感じる感覚の差についてほぼ、いえ全く実感していません。どれほどの違いがあるのかそのヴォリューム感は一体、どれほど異なるのか?それがわかっていないのです。メディア報道などでもそうした話題はとても少なくほとんど目にすることもありません。お互いの心を思いやることはとても素晴らしいことですが解釈のスタイルが大きく異なると誤解が先立ちます。そうしたケースは多いと思います。これまで、そうした誤解からいろんな悲劇が生まれてきて
2.5キロのダイエットからはな百貨店さんというとても貴重で素晴らしい場所でミニ講演をさせていただきました。ご飯が美味しくてそりゃもう美味しい!!感激しました。皆さん、お昼のランチ旨いですよ。久々に旨いもの食べたなあ。量り売りという昔ながらのお店です。僕が幼い頃は、あんな感じでした。今はもうないね。来られた方々、暑かったと思います。二階で冷房がないのでね。僕はダイエットになったんですが初めての経験でこれも思い出になります。途中、すっとぼけてしま
MIEさん、いいね。ピンクレディーが好きでした。ピンクレディーって名称はいま考えるとダイレクトだなあって思いますね。僕が子どもの頃は曲が好きだったのですが次第にミーさんのファンになり単なるミーハーでした。山口百恵さんのファンでもあって両方好きだったので両方を兼ね備えたような人はスゲエよなあ、なんて思ってました。結局僕は、ある人と結婚しましたが当時の写真を見ると彼女は、その二人の要素が多少はある気がします。意識していませんでしたが「だから
永遠のアイドルたち愛を手向けられる相手には愛を受ける受け皿があってその大きさによって受け止める愛の量は異なるという風に思っています。僕の受け皿はとても小さいので大きな愛には戸惑います。しかし、感謝することはできます。心からの感謝は感じます。僕がこれまでに愛した人は著名人であれば高橋幸宏さん小林多喜二さんジェームスブラウンさんポールサイモンさんといった方々です。もちろん、他にもたくさん。無名の人では地方新聞記者のオッちゃん地元の魚屋のオヤ
年々有難く感じます。年をとる毎におそらくは、今までいた人と同じような心配事や期待そうしたことへの思いを巡らせ生きていることへの感謝を感じます。年をとることで老けたとか死が近いといった悩み?そんな悩みを感じる人はたくさんいらっしゃると思っていますがちょっと角度を変えてみると...0歳からの一年と70歳からの一年に感謝の差があるとは思いません。あくまで感謝しかないのです。いろんなことを感じいろんなことに目覚めるそんな活動を実践できるという
いよいよこれから!とは云いつつ大したことじゃないんですがちょこっと喋んなきゃいけないという場面が近いので何を喋ろうかなと考えてます。本来、カウンセラーって喋ることより聞くことですね。それが主な仕事ですが人前で喋るのは苦手です。ただ、緊張するんじゃなくていいたいこと言ってしまうと心配になるのです。定員が決まっているものなので今回は、少人数です。これまでに言えなかったことを言ってしまう内容になるでしょう。こうした少人数の講演を少しずつやっていこうか