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早池峰と賢治の展示館を見学した後、羅須地人協会の建物も見に行きました。3年前にも行ったのですが、入口が固く閉ざされていて、断念した苦い思い出がある場所です。羅須地人協会は賢治先生の家とも呼ばれています。羅須地人協会とは、宮沢賢治が設立した私塾です。羅須(らす)という変わった名前の由来は、分かっていないそうです。羅須地人協会の建物は花巻市桜町にあった宮沢家の別邸でした。人手に渡った後、昭和44年(1969年)に現在の場所へ移築され、その土地
宮沢賢治その20「ジョバンニはなぜ銀河鉄道に乗れたのか?」【中有の旅】銀河鉄道の意味に関してそれは「中有の旅」であるという見解をネット上に観ることができますhttp://oryzajpn.com/archives/7643255.html。中有・・・死んでから次の生を受けるまで=死有と生有の中間。http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/shiu.html私も概ねこの見解にそった考え方をしていますが、そうすると問題が一つ残ります。ジョバン
ミュージアムパーク茨城県自然博物館に行った。今までにも行こうとする動機があったのだが頓挫し続けてきて、今日初めてその門をくぐった。自然を守る行為とそこに人工物を造る行為とは相反するものだが、その両立差をできるだけ小さくしようというコンセプトのもとに建設された。菅生沼がそばにあり、森林の中にできるだけ自然に融け込むカタチでひっそりと佇んでいる。自然との共存という主張が認められ、公的建物100選に選ばれている。考古学、博物学、生物学から宇宙物理学に至るまで、幅広いテーマでの貴重な展示物の数
急激な気温の低下に雨が加わり、宛ら真冬のように冷え切ったいい夫婦の日を迎えた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。先日の健康診断の結果、炭水化物低減ダイエットの効果により体形(体重)はA判定となったのですが、肝機能がAからD判定へ頗る低下してしまっていたリトマス博士です。最近の泥酔の原因はこれかもしれません。これからどうなることやら。さて、そんな寒い本日は、2016年2月28日に訪問した岩手県花巻市の様子をお届けいたします。この日、ふと早朝に目覚めた私は突如宮澤賢治の故郷へ行きたくな
宮澤賢治その愛1996年9月14日(土)公開あらすじ大正2年、岩手県立盛岡中学校に在学中の宮沢賢治は、同年代の友人たちと青春を謳歌していた。しかし、中学を卒業して実家のある花巻へ戻った賢治は、冷害による飢饉に苦しむ農民の生活を目の当たりにして、厳しい現実に強くうちのめされる。家業である質屋を継ごうとしても情け心が優先してうまくいかない賢治は、最愛の妹・トシの勧めもあって、盛岡の農林高校へ進学した。賢治は土壌の改良や研究に勤しみながら、仏教にも深く信仰を寄せるようになっていった。ところが、
香川県丸亀市にある『讃岐地人食堂旬菜汐さぎ!庵』思わず(防空壕か)と思ってしまった建物ですが、ウサギの巣をイメージしているとか(防空壕とか、らいらいさん何時の人間ですか)ちょうど店内がいっぱいだったので、外の縁側席に座らせてもらいました。うん、すごく風情があってラッキー山と川と野原を見ながらのランチと相成りました。『汐さぎ!庵』は、豊かな香川の地元食材にこだわった、自称『注文の多い料理店』新鮮
娘・フローレンが初の1人旅学校の課題で「ふるさと」の写真を撮るため、1泊2日で岩手に行ってきました。宮沢賢治ゆかりのスポットを中心に、いろいろ回ってきたようです現地では、私の兄が車でピックアップして、フォトスポットを巡ってくれるので安心ですありがとう、兄者。行きは、深夜長距離バス帰りは新幹線で帰ってきました台風の前に帰宅することができました最初は私も行く方向で考えていましたが、どう考えても一緒には行けない流れになりました。きっと、娘の
しばらく、お休みをいただいておりました。8月28日から昨日9月2日まで、臨時休業を神戸学院大学現代社会学部社会防災学科中山久憲教授研究室、東北被災地実地調査研究員として、東北に行ってまいりました。被災地の皆さんは様々な形で頑張っておられますが、復興途上の感は否めません。「いわて花巻空港」から先発部隊と合流しました。花巻といえば宮沢賢治空港近くに羅須地人協会なのですが、ここは研究旅行なので個人的興味は置いておくことにしました😅というわけでま
本当に!こっちの記事のアップが滞っていますσ(^_^;2日目、ホテルをチェックアウトして某スーパーで買い物。ホヤを買ってきました。笑もちろん!クーラーボックス持参(´艸`)やっぱりね~東北だもの。大きくて安い。←写真は無し(>_<)そしてその後は羅須地人協会に行きました。賢治先生の家は、なんと!県立花巻農業高等学校地内にあるんです(゚o゚)/農学校で教師をしていた賢治は学校を退職し、農業の道に入ります。この羅須地人協会の建物は当時は、『雨ニモマケズ』詩碑の場所にあったの
JAMでマフポッターが引っ張っていた人車を作り始めました!うなぎ(もと乗工社)のを6.5化しました。車輪は付いていたものをパイプ芸で詰めました。概ねCJM先輩の記事に準じています。http://www.chojamaru.com/wks/2ft/nabe.html
宮沢賢治を追いかける旅。食べ物ネタからやっと賢治(≧∇≦)b下ノ畑に居リマスここはかつて、賢治が自炊しながら農業指導を行った「羅須地人協会」のあった場所。羅須地人協会は現在は県立花巻農業高等学校地内に移築復元されています。賢治が花巻農学校教師を辞めて、農耕生活を始めた場所です。現在は、雨ニモマケズ詩碑が建っています。碑の文字は高村光太郎の書によるもの。賢治が病床についていたときに手帳に書かれた「雨ニモマケズ」自分の事より人の事。何よりも限りない優しさ。何度読んでも感動してし
旅行好き!温泉好き!カラオケ好き!な皆様こんにちわ~秋田県にある、効能溢れる癒しの湯治宿「玉川温泉」から岩手県の旅。第6話目です。玉川温泉を終え、岩手県に。この日は、昨日とすっかり変わって晴れ模様。農学校を退職された宮沢賢治さんが、農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために設立されたという、「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」に連れ行ってもらいました。1928年に病気をされるまで、宮沢賢治さんはこの建物で自炊生活をされていたとの事。場所は、いわて花巻空港
『文人悪食』ー嵐山光三郎●宮沢賢治ー⑫✪農学校や羅須地人協会での農業改革運動は失敗に終わった。賢治個人の人格を慕う学生はいても、農業政策は賢治個人の手に負えるものではない。羅須地人協会で育てたトマト、レタス、セロリといった新野菜は、近隣の農民にはただ珍奇なものとして映り「金持ちの息子の道楽」として蔑視された。賢治はそういった周囲の目を意識して、より農民になろうとしたが、その理想が現実の農業の変革には結びつかなかった。してみると、「雨ニモマケズ」の詩は、進軍ラッパのような意志を秘めつつ、
『文人悪食』ー嵐山光三郎●宮沢賢治ー⑤✪賢治は西洋かぶれである。羅須地人協会では、焼きトマトをふるまった。トマトは、この時代には新しい野菜であり、まして焼く食べ方を知っているのは、かなりの西洋通である。畑には、レタス、セロリ、アスパラガス、パセリといった珍しい西洋野菜を栽培した。庭にはチューリップ、グラジオラス、ヒヤシンスの花壇を作った。花の球根は横浜の貿易会社を通じて外国から取り寄せた。家の壁にはわせたツルバラも外国の産であった。クラシック音楽が好きで、レコードの新譜をつぎつぎと
YAHOOニュース(朝日新聞デジタル)5/31(金)6:22配信川崎市多摩区の路上で28日朝、登校中の小学生ら19人が刃物で刺され死傷した事件で、死亡した女児(11)ら私立カリタス小学校の6年生たちは、6月に岩手県内を修学旅行で訪れる予定だった。事件を受けて旅行は取りやめになり、県内の関係者からも悼む声が出ている。カリタス小学校6年生の105人は、6月4日に花巻市の花巻農業高校を研修で訪れ、宮沢賢治が生活した羅須地人協会の家を見学したりするはずだった。事件当日、旅行会社を通じて、訪問中
こんばんは!ひのははです。NHK英雄たちの選択で「本当の幸いを探して教師・宮沢賢治希望の教室」というタイトルで1年半くらい前に宮沢賢治を取り上げていました。歴史上の英雄を取り上げるこの番組で、詩や童話を作った文学者を紹介するのは不思議な感じでした。また、この番組で花巻のイギリス海岸を紹介した後に羅須地人協会(農業技術や農民芸術を教える施設)がサラリと出てきました。この当て字のような名前は、きっと外人それも英国人の名前なのだろうと思いました。でも、誰なのかその時は調べませんで
GW初日から、岩手・福島へ旅行へ行ってきましたまず目指すは岩手県花巻市。長いこと行ってみたいと思っていた花巻市。私、宮沢賢治作品が大好きなんです天気はあいにくの雨だったのですが、うきうきソワソワしながらまずは羅須地人協会へ。賢治が、花巻農学校の教師を辞めて設立した私塾です。ついに実物が見れたーーーーー!中の様子ここで科学や農業技術、エスペラント語などを教えていたそう。縁側。小学生の頃に作品に触れ、図書館にある賢治作品を全部読み、中学以降も同様に。図
月曜日の朝一番の記事では、Nゲージサイズ模型が付録についてくる雑誌、「国産鉄道」の紹介を続けています。アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社発行「国産鉄道コレクション」の記事と付録模型の紹介、今回は第121巻です。毎号お楽しみのNゲージサイズ模型、本号は、国鉄からJRへの移行期の主力電機だったEF65形1000番台のJR貨物試験塗装車の雄姿です。同形のこの塗装は僅か2両だったそうです。それではいつものようにパッケージを解いて第121巻の冊子を取り出して
<音楽が出ます、音量に注意>透きとおった歌声葛巻町の酪農家のミュージシャン橘和徳さんの「千のありがとう」4月も半ばの日曜日花巻で打合せ。また新たな取り組みの始まり。せっかくの花巻です。少しだけ宮沢賢治を感じ、盛岡に帰る途中の寄り道三昧。花巻から東へちょっと走って土沢商店街。佐々長醸造で、味噌と出し汁を持ってレジに。おっと、あるじゃないか!いつも早々に売り切れる味噌おにぎりが何個か残っていた。すかさず3個買った。<佐々長醸造の味噌おにぎりは、経木
宮沢賢治は37年しか生きなかったけれど、なんと沢山の人生を過ごしたことか。★岩手の自然に抱かれ、岩手山や北上川、石や鳥、虫、花、星と会話する、自然人。★法華経に帰依し世界の幸せを願う仏教者。★音楽も演劇もやる、元気な高校教師。★科学の力で農業を変える、肥料の神様。★後世に残る詩や童話を書く、文学者。全てがフル回転、そして善意のフルパワー。磯田先生は、「賢治は本当に世界を救えると思っていて、それを気負わず訥々と本気でやるんですよ。気味が悪いほどに。」と言った。小さ
宮沢賢治=童話作家・・と思っていた私、ごめんなさい。ギャグ漫画家か~?なんて言ってこのばかちんがーっ!('ε'*)賢治は日本を代表する作家になったけれどむしろ科学者、農学者、教師、が本業で◆岩手の農村に理想社会を築くため◆花巻の若者に希望を持たせるため科学+労働+芸術+文化の力で農村を救う!!と本気で考え、一人孤軍奮闘した稀有な、真に稀有な、改革者であった。この本は、賢治が5年間勤務した花巻農学校時代に書かれた原稿を集めた物。ほぼ童話という感じはなく、等身
(前回ブログの続き、最終回)★過去ブログはこちら↓↓↓↓↓羅須地人鉄道協会の軽便SLも登場【第19回国際鉄道模型コンベンションNo.1】日本最大・鉄道模型の祭典【第19回国際鉄道模型コンベンションNo.2】撮影:2018年(平成30年)8月18日(土)スマートフォン撮影鉄道模型ランキングへ←よければどうぞにほんブログ村←よければどうぞ第19回国際鉄道模型コンベンション(JAM)2018年(平成30年)8月17日(金)~19日(日)、東京ビッグサイト(東京都江東区)にて開
こんばんはこのまま続けたいと思います現実逃避の写経です…ガチで…さて…お腹を満たしてやって来たのは…宮沢賢治記念館先程の山猫亭にもあったような…大きめのお人形さんが同じくお出迎えこちらは…館内撮影禁止なので…館外にあった…「セロ弾きのゴーシュ」の車とか…テラスからの景色と「よだかの星」の石碑などをパチリ展示されていたものは…宮沢賢治に関するものはもちろん、御家族の事も…「銀河鉄道の父」を読んでいたので、復習う様に観れて楽しかったです浮世絵を収集していた事…(↑確か…
こんにちは(^^)義母が亡くなってからというもの人の一生って何だろうと思いふけります。好きな事を選べなかった時代。義母と比べるのはおかしいけれど本当に幸せな時代に生まれた自分をとても愛おしく思いましたそして育ててくれた父と母にどうやって恩に報う事が出来るのかな。うん、後悔のない人生を送ること初めて花巻市内を巡り歩いた20代の若き娘は初めて羅須地人教会を見たときにドールハウスに出来ないかと柱の配置、壁の雰囲気、あらゆる角度からシャッターを切りました一時期、ドールハウ
久しぶりに、読んだ。とは言っても、こちらは漫画版。学生の頃、書籍版を読んだ記憶がある。話題になっていると聞いて思い出した。立ち寄ったコンビニで手にした漫画版。30分足らずで気軽に読めるのがいいね。私の学生時代は、日本全体が経済拡大の渦中にあった。80年代半ばの、右肩上がり経済。まさにバブルの真っ只中であった。だから、この本に書かれた内容はどこか真っ当すぎて若さもあり、少々気恥ずかしい道徳のような印象であった。あれから30年あまり。今の私は、あの頃よりずっとこ
前回の投稿は舌っ足らずのまま終わってしまったので、慌てて補足します。前回の投稿を下記のように読み取った方が殆どだと思います。・宮沢賢治は単なるサラリーマンだった。・宮沢賢治の童話や詩作は単なるサラリーマンの趣味だった。・ビル・ゲイツは偶然お金持ちになっただけだった。上記、一面だけ見るとその通りには違いないのですが、ホントはそれだけじゃ無いのです。私がワザとそう書いたので、そう思った方には罪はありません。私が悪かった。ヒントは以下の一文です。「本来インテリってのは、広
突然ですが、「理想の人生」と言う物がどう言うものかと考えた場合、私の場合、実は宮沢賢治だったりします。宮沢賢治は生前は市井の一市民でしたが、死後評価されました。今、市民と書きましたが、具体的には最初花巻農学校の先生で、次に「羅須地人協会」という団体を立ちあげて、農業指導や農民文化振興などの啓蒙活動を行い、最後は採石場に技師として就職してサラリーマン生活をして、肥料や石灰を販売して、、、、死んでしまいました。「羅須地人協会」はポイントなのですが、結果的にポシャっちゃった
■21日(木)に開催された今年の<賢治祭>(HP)の様子を、ネット新聞記事から。過去2回行った賢治祭には、今年も行けなかったので、参加された方のツイッター&ブログ記事からも。■■<賢治の命日に思い寄せて花巻、住民らが朗読や歌>■■詩人、童話作家の宮沢賢治の命日に毎年開催する賢治祭(宮沢賢治記念会主催)は21日、花巻市桜町の雨ニモマケズ詩碑前広場で開かれた。地元住民らによる詩の朗読や歌などが披露され、参加者は賢治が思い描いたイーハトーブの世界を体感した。■住民や全国のファン
昨日は仕事のあと、岩手県の北上まで新幹線とレンタカーで移動。今朝はまず、花巻市桜の羅須地人協会跡を久しぶりに訪問。駐車場から協会跡地までの道が整備され、様々な像が並んでいるのにビックリでした。しかし羅須地人協会跡地まで行くと変わらずに静か。『下の畑』の方角が木でさらに見えなくなってしまったのは残念でした。昔は下に行けたハズだったような…花巻に寄ったからには、昨年最後の訪問…ということで行った『マルカンデパート』を見に。建物は健在、開店前の入口脇には食堂の営業時間の案内が貼ってあり、