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こんにちは!ついこの間お正月だと思っていたら、もう3月がすぐそこ...怖いです。改めまして、一昨年10月にvivaceに入りましたTです。初投稿初投稿ということで、自己紹介がてら、今オススメの韓国ドラマを紹介しても良いでしょうか、、!(※中学3年の時、クラスの友達から韓国ドラマと当時まだ日本デビュー前だった少女時代を勧められたところどハマりし、大学では韓国語を専攻しました)韓国ドラマとかどうでもええわ!という方は以下スルーでお願いします。。。その名
飄々と…何処か掴みどころのない男そんな役を、俳優・大泉洋に演じさせたら…まさに水を得た魚のように、大きなスクリーンを生き生きと軽快に、愉快に、立ちまわってくれるに違いない―。…と。そこまでの未来図を、頭の片隅に描かれていた!?…のかどうかは、作者のみぞ知るところではあるけれど。ミステリー小説『罪の声』の著者・塩田武士が俳優・大泉洋を主人公にあてがきしたという同名小説(角川文庫/KADOKAWA刊)で、2018年本屋大賞にランクインしたベストセラーの実写映画化。原作
京都でも再度緊急事態宣言が発令されて、公共の施設の教室は時短やら休講やらかと言って、小学校や中学校は子ども達に言わせると「普通に」授業をやってるらしい時短のお知らせや休講の教室では手本の送付…悪夢の昨年の春がよみがえりますどよ〜んとした空気感に外出のたびに緊張してあーしんどこの前まで、GOTOっていうてたんちゃうのほんとに無策な指揮官にも憤ります気分を明るくするためにお正月に楽天で買ったソファカバーふん、そやのにソファ使ってんのあんた達ばっかりまぁええわ!そ
2021迎春新しい年が始まりました。輝かしいメモリアルイヤーになるはずだった2020年は、一転して多くの人が忍耐を強いられ、予想もしなかった悲しい出来事、胸を傷めることの多かった年になり、やるせない思いをした人も、辛く、到底すぐには受け入れ難い、消化できない別れを、経験した人もいたでしょう。突然仄暗い谷底に突き落とされた私たち。ここからは這い上がる、のみですね。そう。ここからは、ただゆっくりと、でも、確実に上を目指して歩みを進めるのみ。と、思いたいです。歯を食いしばった
(画像は日テレオンデマンドからお借りしました。アイキャッチとなる写真がなくて寂しかったので。一般の方々にも校閲者の仕事に興味を持ってもらうきっかけにもなったこのドラマについては、またそのうちに触れる機会があればと思います)編集・校正者としてさまざまな働き方をしてきた。正社員の時もあったし、編集プロダクション勤務、フリーの校正者として働いたり、派遣会社に登録したり。編集者時代は企画から立ち上げ、取材して文章をまとめたり、ファッション関連だとロケハンなど撮影関係の仕事もあったりで楽しかった。
おはようございます今日も暑くなりそうですむかし母は、お盆に仕事をすると、「地獄の釜のふたも開く」時に・・・とおじいちゃんから叱られたそうですこの「地獄の釜のふたも開く」時に私はやはり仕事をしていますおじいちゃんがおしょうらいさんで帰って来てるので叱られるかもしれませんね盆休み明けに納品しなければならない9月に発刊する本や書道教室の競書の締め切りもあって生徒さんから預かっている清書を整理して提出しなければなりませんし9月の書展の作品も仕上げなけれ
4月14日に河出書房新社から発売されるKAWADE夢文庫2冊です。詳しくはこちら47都道府県話のネタ大事典:博学こだわり倶楽部|河出書房新社47都道府県話のネタ大事典初対面同士が会えば、やはり「お国はどちら?」となるはず。そんなときに、ご当地の鉄板ネタを仕込んでおけば鬼に金棒。県民性や有名人、方言、有名行事、意外なNo.1……など驚き喜ばれる話材の宝庫!www.kawade.co.jpとこちら天皇家のふところ事情:歴史の謎を探る会|河出書房新社天皇家のふとこ
6月30日に彩図社から新刊が出ました。タイトイルは『本当は怖い日本の聖地』。神社仏閣からをはじめ、さまざまな土地にまつわる恐怖のエピソードを網羅しております。ぜひ、こちらからお買い求めのほどを!
6月最終日朝から雨それもけっこう降ってます。小降りになった時を見計らって犬の散歩だけ大急ぎで済ませて帰って来てもまだ猫は寝てましたーご飯を食べたあともこのとおり私は今日は家での仕事がわんさかなのでずっと座りぱなしすると仕事をしている横で…犬も猫もで、お布団敷いたらまたまたこのとおり雨の日の猫はねてばかりもちろん老犬もねてばかり寝ていられないのは私だけ、この子たちの横で今夜はまだまだ仕事、頑張ります
梅雨の晴れ間イオン教室は今日もにぎやかでした!さて昨日、翻訳モノの大著を一つデータアップしました。いろいろな自営業者が廃業や休業を余儀なくされる中こうして、仕事があるだけでもありがたい事です。それにしても私の狭い行動範囲内でも、「閉店のお知らせ」の貼り紙を数店見ました。自粛と言われ、何の補填も補償もないままに営業が制限されて挙げ句に廃業するしかなくなるなんてあまりに酷いコロナのせいばかりではありませんね。「潰れるべき所は潰れても仕方ない」「自己責任」と言う政治家たちが
おかげさまを持ちまして、6月15日で会社設立8周年を迎えました。また、フリーランスとしてライターをはじめ、20周年を迎えました。今後も精進し、事業を継続していきたいと考えておりますので、末永くご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
ここ数ヵ月の活動内容です。【書籍・MOOK】「決算書の読み方超入門」(西東社)一部執筆・漫画シナリオ作成「世界怪異事典」(河出書房新社)全文執筆「イラストでわかる仏像と仏教」(宝島社)一部執筆「古関裕而ものがたり」(彩流社)一部執筆「眠れなくなるほど面白い日本のしきたり」(日本文芸社)一部執筆「Sweet」(宝島社)一部編集【雑誌】「ラジオライフ」(三才ブックス)「昭和の不思議101」(太陽図書)これからはマメに更新する予定です。
そんなこんなでイスラエル行きがポシャってしまったわたくしですが、またすごい偶然に導かれるようにBASHARの本と出会ったのです。少しお話を遡ります。。。短大在学中に仲良くしてもらっていた英語のまだ若い助教授からある時、アルバイトを紹介してもらいました。あと半年で卒業くらいだったと思うけど忘れた、、、大人になるにつれて普通になっていったから子どもの時のシャープな感覚が(けっこうクールとも言える)いつのまにか薄れていきました。小さい時は神童くらい賢かったのにおーいwどこ
GW中から取りかかっていた仕事、お尻に火がついているのでひたすら愛機macの前に座る毎日愛猫ふうもやって来て、自分のメンテナンスですこのところmacの調子が悪くてのろのろしているかと思ったら、勝手に再起動始めるし・・・mac歴30年近くいまのmacも5台目、ノートも入れたら6台目かなとはいえ本体のことなんかほとんどわからないのでとにかく思いつくことはやってみて、修復を試すも調子は戻らずしかたなく今掛かっている仕事を終えるのが先だ
読書ノートの37回めは、大山淳子さんの『原之内菊子の憂鬱なインタビュー』です。(2017年発表。文庫版は小学館文庫)です。猫弁シリーズやあずかりやさんなど、固定ファンのつく作品を多数発表しておられる大山さん。そうした既作とはすこーし違う路線を探ったのかなあというのが、近年発表された本作ですね。わたしは逆に大山さんの過去の作品を存じあげなかったので、本作がファーストコンタクト。そのあとにあずかりやさんを読んで面食らいました。わはは。原之内菊子の憂鬱なインタビュー小学館文庫キャラブン!
気を引き締める。周りに配慮する。みんなのことを思う。それ、大切。憂いてばかりいても仕方ないからね。正直、ドキドキハラハラしながら仕事に出かけたけれど。桜と、太陽の塔の力強い後ろ姿とのコラボを見られたのは。なかなかに、役得!だったなっと、思う。2020年春。4月。【取材メモ・4月8日】お天気も良く。取材に出ています。昨夜、緊急事態宣言が発令されました。その中で、仕事に出ることを心配してくださる声をたくさんいただきます。心遣い、本当に感謝しています。だか
ガダルカナル撤退を成功させた新兵部隊「矢野大隊」困難を極める撤退作戦撤退戦をうまく進めるのは存外にむずかしい。組織的な秩序を保ったまま安全圏へ退避するのがベストだが、やはり敵の妨害をくぐり抜けての行動は困難を極めるからだ。しかも、それが制海権のない離島ともなれば、スムーズな離脱は不可能に近くなる。この難題に立ち向かったのが、ガダルカナル島(ガ島)からの撤退作戦だった。1942年8月からはじまった攻防戦は、42年末ごろには物量と技術に勝るアメリカ軍が圧倒的優位に立っていた。一時は田中新一
履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳/上石津ミサンザイ古墳)前方後円墳/墳丘長365m・高さ27.6m/5世紀前半築造仁徳天皇陵古墳の南に位置し、国内第3位、百舌鳥古墳群2位の大きさを誇る。百舌鳥古墳群の中では、大王陵として最初に築かれたとされ、仁徳陵よりも半世紀ほど早い時期だと考えられている。最寄りの駅はJR阪和線の上野芝駅で、駅から幹線道路の泉北一号線に沿って西に進むと、拝所を示す案内板が見えてくる。さらに西へ進んで右折し、古墳の濠にいたれば、そこは堺市内でも有数の高級住宅地。比
2020年最初の新刊です。タイトルは「最新研究で分かった江戸時代の通説とウソ」(彩図社)。ご購入はこちらからどうぞ。なお、弊社では一冊全部はもちろん、ページや項目分担の執筆も承っております。また、商業・自費にかかわらず、出版全般のご相談も承っております。お問い合わせはinfo@take-o.netまで。
きょうもきょうとて仕事場に行ったら、最終的には4人が働いているという状況。かなりキテます。休みの日はシーンとした中で仕事したくないので、radikoでFM聴きながら作業。思ったよりやること多くて、年始も早くから出ないとダメそうだ。ひー。明日から3日くらいはさすがに休みます!
応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)前方後円墳/墳丘長425m・高さ35m/5世紀前半築造大きさでは日本で2番目だが、体積なら日本一。長さ、高さともに仁徳陵よりも小規模だが、大型トラック17万台分とされる盛り土や周濠が一重ということもあり、墳丘が間近に感じられるのが特徴だ。ただ、周辺は仁徳陵のように整備されておらず、周回できる遊歩道もない。そのため、歩きながら全容を把握するのは難しい。そんな応神陵の壮大さが実感できるのは、東側にある外濠外堤跡だ。ここは野菜やコスモスの畑が広がっ
沖縄戦線、義烈空挺隊の飛行場突入マリアナ攻撃を想定した特攻部隊沖縄戦は特攻の見本市とも言うべき、数多くの兵器や作戦が見られた戦いだった。その大半は微々たる戦果しかあげられず、戦艦「大和」の突入作戦ですら、一矢報いることはかなわなかった。それでも、中にはアメリカ軍に多大な混乱を引き起こした特攻隊もいた。その特攻隊とは、なんと空挺部隊であった。マリアナ諸島の爆撃機地を攻撃するために、日本軍は硫黄島を中継点とする逆空襲を幾度か実施していた。長距離攻撃は1944年11月2日から続けられたの
日本軍によるアメリカ本土攻撃とは潜水艦による砲撃と空襲どれだけ日本がアメリカ兵器を破壊したとしても、本土の生産拠点が無事ならいくらでも修理と追加が可能となる。日本が勝つには本土を攻撃して基地や工業地帯を破壊する必要があった。そのため、アメリカの本土攻撃は日本軍の悲願だった。そんな切実な理由とは裏腹に、距離や技術の問題から、日本軍による本格攻撃ができなかったのは歴史が証明している。しかし、日本がまったくアメリカ本土を攻撃できなかったわけではない。なぜなら日本は、開戦初頭に成功していた
12月2日に発刊するガイド本「凸凹地図とおさんぽマップ百舌鳥・古市古墳群」の売れ行き好調を願い、主な古墳を独自の解説で紹介していきます。仁徳天皇陵古墳(大山古墳)前方後円墳/墳丘長486m・高さ35.8m/5世紀中頃築造言わずと知れた日本最大の大きさをほこる古墳。仁徳天皇の御陵とされているが、記録に残る没年と築造年に差があることなどから、埋葬者は別人であるとの説もある。百舌鳥・古市古墳群の中では、唯一3重の濠が現存しているが、そのために外濠から墳丘までの距離があり、またうっそ
義足の撃墜王、檜與平の復活劇「鉄脚」の異名を持つ陸軍飛行士戦闘機の機銃は金属をも撃ち抜く威力があり、そんなもので人間が撃たれたらひとたまりもない。生き残ることが出来たとしても、手足の切断となることも珍しくはなく、不具となった負傷兵は前線から帰還するのが普通だ。しかし第二次大戦時では、義足を使って戦場に戻り、エースと呼ばれる活躍をしたパイロットもいる。有名なのは、ソ連対空部隊との戦いで右足を失いつつも、義足で戦場に復帰し、500輌以上もの戦車を撃破したドイツ空軍のハンス・ウルリッヒ・ルーデル
市丸少将が残したルーズベルト大統領への遺言硫黄島における海軍の戦闘1944年7月、マリアナ諸島の占領でアメリカ軍はB-29爆撃機の拠点を得たのだが、日本本土の空爆については大きな結果を出せなかった。なぜなら、航続距離の不足で護衛機をつけられず、当初の作戦では迎撃されることも少なくなかったからだ。そうした問題を解決するため、アメリカ軍は小笠原諸島の硫黄島を中継基地にする作戦を発案。日本軍も硫黄島を防衛するため、島を要塞化して迎え撃つ。これが「硫黄島の戦い」である。1945年2月17日には
ソ連戦車を圧倒した九五型軽戦車「ハ号」の勇姿ソ連軍と日本軍との国境紛争「ノモンハン事件」現在でも評価されている旧日本軍の航空機や海軍兵器と違い、陸軍の戦車はとにかく軽視されやすい。しかも、対戦車戦を想定した強力な戦車を保有した欧米諸国と違い、当時の日本は戦車を歩兵支援用としか考えない将校が多かった。日本陸軍は最後まで低性能の戦車しか持てず、米英戦車に苦戦し続けたのはまぎれもない事実だ。しかし、そんな日本戦車が活躍した戦場もあった。その戦場というのが、中国戦線や太平洋戦争開戦初頭のマレー半島
潜水艦「伊19」による空母ワスプ撃沈の舞台裏一進一退だったガダルカナル戦1942年夏から約半年間続いたガダルカナルの戦いは、アメリカ軍の勝利で終わった。しかし、アメリカ軍も決して楽勝だったわけではない。初期の守備隊は補給の遅れで食糧不足に悩まされ、海上でも日本海軍とアメリカ海軍の間で、幾度も熾烈な戦いが起きた。このことで1943年までは、一進一退の攻防をつづけていたからだ。とくに42年9月から11月にかけては米主力空母が次々と沈み、太平洋方面の主要艦がほとんど使用不能となるほど追い詰められ
マレー半島を早期陥落させた前代未聞の夜間奇襲「東洋のジブラルタル」と呼ばれたシンガポール奇襲は敵の不意を打つ戦法なので、隠密性が何よりも重視される。その点でいえば、戦車は奇襲に、致命的なほど向いていない。大型の車体は敵に発見されやすく、エンジンの駆動音は数100メートル先からでも察知されてしまうからだ。そのため太平洋戦争での奇襲は歩兵中心で行われていたのだが、南方戦線では戦車による奇襲を成功させた部隊もあったのだ。1941年12月8日、海軍の真珠湾奇襲とほぼ同時に日本陸軍は南方侵攻を開
インパール作戦における宮崎繁三郎中将の奮戦と人情兵站を軽視した無謀な作戦1944年3月に開始された「インパール作戦」は、日本陸軍が実施した中でも最悪の作戦として有名だ。インパール作戦の目的は、インドの国境沿いにあるインパールを制圧して支配していたイギリス軍を押し戻し、中国への補給路である「援蒋ルート」も破壊するという壮大な作戦だった。この時期のイギリス軍はビルマ(現ミャンマー)での攻勢を強めつつあり、前年の2月にはアラカン山脈を越えて当地を占領していた日本軍を攻撃している。このような状