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おはようございます。山の下不動尊のkaoruです。ご訪問ありがとうございます。精神疾患と霊障についてお話です。私自身も霊能修行の時にptsdになりパニック障害的な状態になりました。精神疾患についてはなかなか理解が得られにくい国です。ただ、ココロの状態を理解できてこそ、乗り越える事が出来ると思います。私自身は精神疾患の経験があるので理解はあると思います。ただ、甘えは大敵であり、自分に厳しく向き合う時間が必要と考えています。何れにしろ精神病院自体カウンセリングよりも投薬治療
中島らもも大麻所持で逮捕され塀の向こうに越えた人である。私は、医療保護入院時代、少年院歴のある人と知り合った。統合失調症で暴れては何度か精神病院の壁の向こうにも来ている。そして普段は左官や建築現場を取り仕切る親友に面倒を見てもらっているらしい。(はっきり言って知識人的な事とは縁もゆかりもない人生だ。)人間、こうなってくると分かる感覚や嗅覚というのがあるようだ。私もその人とはかなり通じあえた。精神的に世人と居場所が違い、“立ち交じる”という生き方の感触が生じる。いわば変質現象だ。社会的排除を
寝る前数時間は、ずいぶん楽になります。うつ病の特徴、日内変動というものです。寝る前は、妻といろんなことを話すことができました。夕飯を取りながら、僕の将来どうなっちゃうのか?今とっても辛いこと。病院の中のこといろいろ話しました。家族の(妻との二人ですが)つながりが深まった時間でした。が、いざ寝るときは、次の日の朝を考えると恐怖でした。朝、起きると死にたくなるほどのつらさに逆戻りするのがわかってましたから。朝起きると、あれ普通になった。と思うのですが、すぐ真っ暗闇になるのです
今回は相当重いうつ病でした。朝起きてから、きっかり夕刻4時半まで動けません。妻は心配して、無理にでも散歩に連れて行ってくれますが、途中でしゃがみこむことになります。散歩で気分転換なんて到底無理です。手をつないでもらった時だけ、少しほっとしました。通院は地下鉄に乗る必要があります。死にたいとは思ってませんが、意思とは関係なく、走りこんでくる電車にスーッとよっていきそうな気がします。(1人だと怖いので、つまについてきてもらいました。)妻が、
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おせっかいな天使1995年12月23日公開精神病院を背景に繰り広げられる自分探しの旅をオプティミスティックに描いた新感覚のドラマ。あらすじマルチーヌは仕事の同僚のジャンと一夜を過ごすが、翌日に彼女はジャンを置いてカフェを出て、ある二人の男女に詰め寄る。男は同棲生活からマルチーヌを捨てたフランソワだった。恋人のいるフランソワにつれない態度を取られたマルチーヌは、通りのショーウィンドウに興奮して頭を打ち付けて保護される。一時的な記憶喪失になったマルチーヌは精神病院に連れていかれる。
前回は職場と家族に報告したところまで書きました『休職とうつ②(報告編)』前回は1回目の休職のところまで書きました『休職とうつ①』『仕事とうつ』短大を卒業して、地元で就職した私地元で知り合った彼と結婚して、産休、育休をとりながら3人…ameblo.jp先生から最低3ヶ月と言われたのに仕事を休むことが怖くて2週間にして様子をみることになりましたそんな中、精神病院での治療と並行して子宮筋腫の治療は子宮摘出手術をどうするかという山場に迫っていました結局は大きな病院へ転院して手術を受け
数十年前は、会社が休みの土曜日に母の精神病院への通院の送り迎えを自動車で何回かしました。当時私は車椅子ではなく松葉杖で働き自動車であちこち移動していました。なので私の自動車で土曜日に送り迎えを何回かしました。その後、下肢障害が悪化して不安症状も強くなり、母と同じ精神病院に通院しました。生活保護なので自動車は処分して、市バスでいき、バス停から病院まで遠いし坂道もあります。炎天下や極寒の時期は周辺にはコンビニなどお店がないため、車椅子での移動はとても疲れました。母は市バスで通院して
ファミレスの騒がしさで少し疲れました。早めに布団に入りました。次の朝。起きた途端、何か黒いものが広がりました。ひどい落ち込み感で、真っ暗闇の中にいる感じです。入院していた時、何か引っかかっていた心のモヤモヤが、ここで膨らんだ感じです。苦しくてたまりません。今までのうつなんて、比べようのないほどひどいのです。妻が、退院のために予約していてくれた、精神科に午前中に行きました。医師がどう苦しいのかと聞きます。「焦りですか?不安感ですか?孤独感ですか?。。。」僕、「わからないです。
前回は1回目の休職のところまで書きました『休職とうつ①』『仕事とうつ』短大を卒業して、地元で就職した私地元で知り合った彼と結婚して、産休、育休をとりながら3人を出産し異動はあるけれど同じ仕事を続けていましたやりがい…ameblo.jp今回は1回目の休職の続きを書きます精神病院で先生「最低3ヶ月は休みましょう」私「無理です!怖いです!とりあえず2週間」というやり取りをした後職場に休職の連絡をするのがとても怖くてそのことを先生に伝えると先生「電話しなくても、会わなくてもいいです
沢山のイイネメッセージありがとうございます😊とても励みになって頑張る張り合いになっています🍀アメンバーは現在募集しておりません🍀こんにちはNanaです🐰👉最初のブログから読みたい方はどうぞ👉これまでの経緯はこちら※今日のブログのコメント.メッセージはフォロワーさんのみ了承します。それ以外の方のコメント等は即削除致します⚠️2024年4月19日☁️おはようございます。昨日のブログの続きです。『768家族関係父の病院の付き添いで絶句(;;)』こんにちはNanaです🐰👉
『仕事とうつ』短大を卒業して、地元で就職した私地元で知り合った彼と結婚して、産休、育休をとりながら3人を出産し異動はあるけれど同じ仕事を続けていましたやりがいや楽しみ、喜び…ameblo.jp前回の『仕事とうつ』では、休職するまでについて書きました私はうつ病になってから2回、休職してるんです1回目は前回の投稿に書いたオーバーワーク、キャパオーバー、子宮筋腫などが複雑に混ざりあった時に8ヶ月間そして2回目が職場復帰して半年後から4ヶ月間今回は1回目の初めて休職した時のことを書いて
こんにちはNanaです🐰👉最初のブログから読みたい方はどうぞ👉これまでの経緯はこちら※今日のブログのコメント.メッセージはフォロワーさんのみ了承します。それ以外の方のコメント等は即削除致します⚠️2024年4月18日☁️叔母から連絡があり実家に数年振りに行って来たことを言われました。いつものパターンだと、母がここぞとばかり叔母夫婦の前で父の愚痴をこぼすらしいのですが、この日は母はおとなしく、父が喋り続けていたそうで。その話の中で父が「毎日の生活でストレスが溜まってたまに爆発し
私のうつ病はいろんなことが複雑にまざりあって発症したのですがその1つが婦人病子宮筋腫でした3年半前に子宮と卵管を摘出したのでホルモンバランスが多少崩れて更年期障害とお付き合いしています私の子宮筋腫自体はそこまで大きくなく薬の服用で抑えていたのですが子宮の内膜にイタズラする筋腫だったのでそれも上手くいかなくなりミレーナという避妊具にも使われる器具を子宮に入れましたこれも上手くいかずその時には経過観察で4週間子宮筋腫の治療で病気休暇をいただきましたミレーナも上
こんばんは!皆さんは社会的入院というと何を思い浮かべますか?社会的入院とは医学的な必要がないにもかかわらず、引き取り手が居ないなどの理由で長期に渡って入院させられることを言います。私は初めての精神科への入院で十年や二十年の病院生活を送っている患者に驚愕しました。今では長くても半年くらいで退院できますが、平成初期くらいの精神病院は十年以上の入院生活は当たり前でした。人生の貴重な年月を病院で過ごさなくてはならないのは耐え難い苦痛です。それくらい精神障害者の人権は軽視されていました。つい
YouTube徘徊していたら、とんでもない我が儘女がいました(゚д゚)ハッ!東京都大田区池上6丁目22で現れた車の前に立ちはだかるママチャリ...逆走・信号無視・進路妨害か【ずんだニュースちゃんねる】【合成音声】VOICEVOX:https://voicevox.hiroshiba.jp/使用ボイス:ずんだもん【イラスト】ずんだおばけ様:https://youtu.be/Ifwmb4Oao2Q【使用させていただいているBB素材】https://www.youtube.com/watch?v
減薬をする事になった大きな精神病院。セルシン以外に、毎回SSRIや抗精神病薬を処方されていたため血液検査をすることになった。(服薬はしてない、医師には服薬している体でいたけど。)2週間に一回は通院していたため、次の診察日には、結果がでていた。主治医「えーとね、結果がでたんだけど、これ見て」と、HCV(C型肝炎ウイルス)の検査結果をドヤ顔でみせてきた。これまでの診察の中で、過去にHCVに感染し、インターフェロン治療をして完治した話をした事があった。私「え
退院の当日、入院していた数人が集まってくれて、「退院おめでとう」といってくれました。変なもので、こんなところでも仲間意識ができるのです。一緒にがんばった仲間って感じでしょうか。メールアドレスを交換した人もいました。病院から最寄り駅に行くバスに乗り、病院の建物が遠くになるにつれ、もうこの景色は見なくていいのだろうか?すぐ戻っちゃうんじゃないか?まだ不安でした。
このところ暖かい日が続き、初夏を思わせる天気になっていますが、なかなか晴天が続かず、外壁のシールド塗装が進まない状態です。気温の上昇を地球の温暖化に解答を求める学者が多いですが、何か違うような気がしています。これまで積算されたデータを無視するわけではないですが、もし地球に意思があるとすれば、何か怒っているのではないのかという気がします。人類は地球にとって一番の外敵だと思われるので、人類によって蝕まれた傷を自浄作用によって修復しているように見えます。不安定な気候、自然災害は傷口を治
医師の診察で、退院の話がでました。入院して一月半。本当に待ち望んだ退院でしたが、(毎日、カレンダーを黒く塗りつぶしていました。)また再入院になるんじゃないかなと思いました退院しても、また戻ってくる人も結構いました。中には、4回目の方もいました。僕には、その時は単なる不安というより、言葉では表せないのですが、わさわさしたとでもいうのでしょうか、そんな感じがありました。それが、またここに来るんじゃないかと思わせるのです。看護師は「だいぶ落ち着いてますから、この調子でよくなっていき
高3双子女子娘1ADHD娘2優等生の我が家です4日の娘2の心療内科受診後…『心療内科受診〜鬱』高3双子女子娘1ADHD娘2優等生の我が家です娘2今日は朝ごはんもお昼ご飯も食べないで寝ている年始以来の私の平日有給の日一人旅に出ようと思っていたら、大雨…娘…ameblo.jp今日は精神病院を受診した。娘2は病院に行っても行かなくてもどっちでもいいけど…と言いながら学校に行ったので、今日は私一人で受診した。学校にはかろうじて行けているものの…学校以外の時間は寝たきり…精神病院
孫にも衣装という言葉があるがハゲにも衣装である。スーツつーのはどんなにダメ人間でも一応立派に見えるツールである。ビートルズなんて売れない頃はステージで便器にウンコしたりやっていたが一応スーツとマッシュで決めてデビューした。一応それなりに見えるけど彼らはそこからどんどん異脱していくので面白いしそもそも楽器がちゃんと弾けるのは絵描きがデッサンしっかりできるのと一緒だと思う。ピカソはデッサンめちゃうまかったと聞く。基礎ありきの遊びだと思う。芸事は。でいろいろ新
僕の状態は、だいぶ落ち着いてきました。でもなにか、心がわさわさしています。些細なことが不安です。微熱が続きます。(これも精神的なものからくるらしい)。胃に違和感を感じます。いろいろ、おかしいと思うところはあります。医師は「順調によくなっています。そろそろ退院する準備を始めましょう。」準備というのは、一泊の一時帰宅です。これを日を開けて、何度かします。いきなりの帰宅は、生活の変化に耐えられず、再入院ということがあるらしいです。(実際感じたのは、電話、宅配便との対応、近所の人
精神病院の思い出ですが、昔岡本台病院精神病院に訪問したら全身靴下まで真っ赤なおばさんにジュース1時間ねだられて、買ったら医者に怒られたよ。その精神病院で面会した医者に立野さんあの患者にジュース買ったらしいね。ダメだよ。あの人ここに入院してるが、毎日ここでねだってる、癖になるので次回は無視してね。統合失調症の患者はひつこいよ、大変だよ!と言われる、しかし今なら写真撮っとけば良かったよ全身靴下まで真っ赤ですよ帽子も口紅も頬紅も爪も髪も服も真っ赤で凄い素晴らしいインパクトだった。でも一時間も横で座っ
私はあまりウチのエージェンシーやコミュを取らないかんプロバイダーの愚痴を書かんようにしてます。が、、、だって、言い始めたら山ほどアルアルウチのプログラムはチーム制で各チームにスーパーバイザーがいます。そのスーパーバイザーのひとりにエージェンシーで皆に知れ渡ってる超問題ビッチがいてるし。なんでクビにならへんねん。というのは皆の疑問。その話はまた今度に置いときます。色々と水面下のナンヤラがあるようなのでセンシティブな問題と言うところでしょうか。職場、アルアル、でしょ。プロバイ
僕は大学二年になった。登山サークルに僕は入った。僕はその頃には背が高いと言われるようになっていた。精神病院では色々な人と仲良くなった。しかし照明の問題や幻聴の先鋭化から僕の頭脳は衰耗し、明敏さを失っていった。僕はこのままではいけない、意気阻喪のままではいけないと思い、病院を退院した。意外と退院はスムーズになった。その後はグループホームに入所した。京都にある山に友達と登ったりもした、アドラー心理学の本もその友達から貸してもらった。バーベキューもした。楽しかった。講義は卒業に必要ないのに、無知蒙昧
僕は20歳で精神病院を退院した後、グループホームに入所した。しかしその施設には長くはいられなかった。髭もじゃで、精悍な顔立ち、頻繁に咆哮する男性に僕は気に入られていた。それに僕は非常な落ち着かなさを持っていた。怖くて、怖くて、その事を関係者に相談したりしても、その懊悩を解決し、暮らしやすい環境にしてこらう事は出来なかった。僕の部屋は最初二階の部屋であった。しかしそれも不快に感じ、一階の部屋に変えてもらった。それでもグループホームはストレスが半端なかった。食事も精神科のデイケアでしたりする事も強
毎日、長い道のりを電車を乗り継いで、妻は面会に来てくれました。本当にうれしいかったです。妻は気分転換に、よく散歩に連れ出してくれました。(1人ではダメですが、親族などとならオッケーです。)散歩に出てみると、人里はなれたところにあることがわかりました。いろんな鳥。動物(馬がいました。もちろん飼われてましたが。)無人野菜販売所。なぜか水車。近くには、小さな小さな飛行場がありました。妻と手をつないで歩くと、少し安心しました。面会時間が終わって、妻が帰るのがとても寂しかったです。
入院が半月にもなり、だんだんと周りの人の病状がわかってきました。覚せい剤をやめるため。すぐなんにでも怒り、ずっとおさまらないひと。両親への暴力行為責任感が異常に強く、心が耐えられなくなったひと。躁うつ病、統合失調症もなどなど.....話しをする人は普通と思える人ばかりなんですが。
僕は弟からガタイがデカイとかプロレスラーだと言われている。これは僕が長身で、そう、背が高くて体格がしっかりしているという意味だ。以前作業所にいた職員にも大きい体の人と言われていた。僕は自分の背丈に自信を持つべきだ。そりゃ悪く見える時、チビに見える時はある。それは立ち位置だったり角度だったり気分だったりで変わっていく。またこの前スーパーの戸棚の鏡より顔の上半分が映らなかった事で非常に驚いた。他人から見ても同じように大きく映っているのだろう。出なければ母や弟の証言が整合性を取れない。ガタイがデカイ