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2005年3月号月刊「潮」に掲載したものです。北品川にある原美術館は実業家の原邦造氏の邸宅を孫の原俊夫氏が美術館として開いた。当時、2004年10月〜2005年1月まで開催されていた「原美術館コレクションー25年の歩み」展の出品されたものが展示されていた。建築当時は超未来型洋館の造りだったに違いない。なだらかな廊下はカーブをし、吹き抜けの応接間は広く感じ、ゆったりとしていた。館長は「開放、自由を希求する思い」と芸術の多才を語っていた。作品『自己消滅』草間彌生1980年ミクストメディア(
1982年1月週刊求人タイムスの新春対談1回目この対談を成立させるのに大変時間がかかった。本来なら難かしく断られる事を想像していた。扇谷正造さんは昭和22年「週刊朝日」の編集長になっていた。週刊誌のジヤーナリズムの基礎を構築した。後、朝日新聞社退社、評論家として幅広く活躍。城山三郎さんは政治小説の先駆者で鋭い切り口を表現。第40回の直木賞を受賞した。著書に「落日燃ゆ」「毎日が日曜日」「冬の派閥」など多数。次回のヒューマンモノローグに続く。
昭和51年に取材し掲載されたものです。明治31年に書かれた「不如帰」は大山巌元帥宅に起こった実話をフィクション的に書いた小説である。封建的の時代に悲しい女の葛藤を淡々と描き、姑と嫁のすさましい人間関係を惜しむところなく表現しきっている。小説の舞台の赤坂2丁目、3丁目は全く当時の面影はない。ただ、近くの山の手にある山王神社がなんとなく往時を読み取れる。写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家
池田さんのご自宅が私の事務所と近い為、四谷3丁目では何度かお目にかかった。また、私の郷里が長野県だったせいか、何だかひたしみを抱いて取材を何度かお願いした。後に熱海の自宅までお誘いを頂いた。2005年2月号作品「ハートのダンス」1995年カンヴァスにアクリル絵具を施したもの作品「B.C2000」1996年(右上)セラミツクにアクリル絵具作品「うさぎ」1980年リトグラフ(右上)作品「天女乱舞A」1978年織布のレリーフのコラージュ(左上・部分)写真教室銀
海外編第3弾地中海紀行7000年の歴史を持つ小さな島は周辺に3つの島を持つ。バァレッタ周辺は堅牢な城壁に包まれ歴史的建造物、世界遺産登録は最高の被写体となる。地中海の荒波に浸食された自然の美しさは希である。私の撮影ツアーが来年の2月に470年続いてる国最大のカーニバルと風光明媚を撮るを企画してます。写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を
写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメラメーカなどに依頼され講座を持って来ました。今では、行政や一般企業から基礎講座から撮影技法や現像処理など現代のニーズに沿った講座を開いております。今回は”ペンタックスリコー写真塾”『仲間と共に基礎から学ぶ撮影技法・実習と講座』が銀座の三愛ドリームセンター9階(リコー
当時、私は週刊大衆の編集部に居た。その表紙撮影が秋山先生だった。その縁で写真館の息子だった私が先生の写真に興味を持ったのは当然だった。また親父と同い歳で父親のような思いを寄せて居た。原稿の為、何度か六本木のスタジオを訪れた。鋭い眼光は常に被写体を見抜きモデルの内心の美しさを描いて居た。時に麻雀に誘われたり、お酒を飲ませて頂いた。写真界の重鎮を一介の私が先生を撮影することは烏滸がましく手が震えていた。ありがとうございました。おおお写真教室銀座募集のご案内毎回無料
カメラを持って小説に因みに不忍池の北側から上野の山をぶらついた。小説「雁」は明治全盛期の無縁坂を強烈に描いていた。今では下谷茅町から湯島両門町狭い坂は今は面影すらない。東大学舎の医学部はそれなりの舞台である。今は雑踏と騒音の”団子坂”(今、汐見坂)は観潮楼があった。ドイツを旅した時、ベルリンでは鴎外の軌跡が私のレンズを向けさせた。写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学
水戸藩の藩主徳川斉昭(なりあき)が1841年日本最大の藩校を創設した。江戸当時は文武をはじめ、天文、医学、和歌などゆとりのある教育をほどこした。今、偕楽園総合で世界遺産登録を目指してる。2012年9月号群馬県の「富岡製糸場」は私が取材してから間も無く世界遺産に登録された。明治5年に設置され、殖産興業を基に生糸の品質向上のためフランスの指導者を招き世界最大規模を設置、約300人の工員が働いた。2012年10月号写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受
2005年1月号月刊「潮」のカラーグラビアで『小さな美術館』が全国エリアで始まった。第1回目ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション。東京都中央区蛎殻街に洒落た雰囲気に佇いて招いていた。サンパウロ・ビエンナーレ版画部門で大賞を受賞。以来数々の賞を総ナメ。世界的な名声を得た。建築美の入り口作品「西瓜」左下は当時の浜口陽三作品「アスパラガス」(左)作品「パリの屋根」(右)1964年いずれもメゾチント写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室写真
歴史をたどれば漢時代以降、北部から漢民族が来て肥沃な土地を奪い、土着の民族を僻地の高山に追いやった。人々は漢民族に見つからないように山陰や山奥の谷間にひっそりと生活していた。そのお陰で昔からの伝統や生活が密かに守られて来た。猫族、ブイ族、トン族、イ族、スイ族など17の少数民族が貴州省に居住している。その一つ、猫族を撮影した。まだ、半分も取材出来ていない。小花猫族長裾猫族の歓迎酒の振る舞い六枝寨の長角猫族布依寨の黒猫族苗領山丹寨長裾猫族郎徳上寨短裾猫族
第2回目週刊求人タイムスの対談連載です。この対談は1980年春に行なわれたもので40年後の2020年を様々な角度で語って頂いたものです。今読むと鋭い予測がドンピシャだ。写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメラメーカなどに依頼され講座を持って来ました。今では、行政や一般企業から基礎講座から
女でなければわからない苦悩と悲しみを綴った「にごりえ」樋口一葉の代表作である。小説の舞台は本郷の新開地にある『菊の井』(酒屋)。菊坂、下谷大音寺前、小石川丸山町と移り変わり、売春婦達や職人の付き合いの体験が情趣と女の官能と焦躁が綴られた。今でも本郷菊坂辺りに名残のある風情が写った。写真教室銀座募集のご案内毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来まし
2012年7月号九州鉄道の起点駅。門司港駅明治24年に門司駅として建設。ネオ・ルネッサンス洋風建築でモダンな駅である。関門トンネル開通に駅名が現在の門司港駅となった。駅長室は当時の趣を残している。2012年8月号日本のセメント発祥の地。小野田セメント内にある「徳利窯」。セメントは高温による焼成で大きい窯が必要になる。最盛期には12基稼働していたが現存するものはこの1基で日本最古の物である。平成16年、国重要文化財に指定された。写真教室銀座募集のご案内毎回無
以前、ルーシー・モード・モンゴメリさんの小説の世界を取材したものです。カナダの北端・北極に近いプリンス・エドワード島。この島のクリフトン(現・ニューロンドン・1874年)に生まれた。児童文学を得意とし中でも日本でも有名な「赤毛のアン」は全世界に色々な分野でも紹介され、現在でもファンは絶えない。(写真説明上より)1935年活躍中のサイン入りのプロマイドご自宅は現在記念館としてオープンしている手筆に使われたタイプライター当時の様相をそのまま再現している彼女は学校にも行けなかった男性
日本の風景第2回目各地の晩景を求めてドラマチックな時刻を選んだ。南伊豆最南端・岩間に沈む太陽と灯台を画面に、写り込む斜光の太陽。池に反映するダイヤモンド富士。美ヶ原より夜明け前の富士。雲仙の棚田に沈む塵に霞む陽光を舘山から望む四角太陽が大洗に消える太陽に挑戦写真教室銀座募集のご案内写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメラメーカなどに依頼さ
週刊求人タイムスの井上陽水(フォーク界のミュージシャン)と芹沢博文(棋士)との盤外対談です。サングラスを外した将棋のフアンはかなり強かった。やはり好きな事をしていれば、人間の”素”が写真に現れる。写真教室銀座募集のご案内写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメラメーカなどに依頼され講座を持って来ました。今では、行政や一般企業から基礎講座から撮影技法や現像処理など現代のニ
1976(平成51)年、全国紙の「公明新聞」文化欄にて”名作の舞台”いまと昔のシリーズタイトルに連載が始まった。25回約半年間の新聞連載です。第1回目を国木田独歩の「武蔵野」です。作家が歩いた当時の風景を写真家の私が見たらどう感じたかを書きました。苦難のスタートです。月曜日をこのシリーズで書きます。写真教室銀座募集のご案内写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメラメーカな
2012年5月号より始まった日本近代化産業遺産の連載です。群馬県と長野県の県境に信越本線が開通した。碓氷峠鉄道施設群の中の碓氷峠第三橋梁(めがね橋)。切石積みレンガのトンネル。丸山変電所。碓氷峠鉄道文化村である。旧・田方郡中村(伊豆の国市)韮山に銑鉄を溶かす反射炉を江戸時代末期に考案されたものである。写真教室銀座募集のご案内写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメ
土曜日のテーマが「旅」にちなみ先月の8日に福島県の三春の瀧櫻を見て頂きたいと思います。日本でも貴重な櫻です。天候を読みながら長野県の高遠城址から寝ずに夜間を走り続け、夜明けから撮影したものです。大木に小さな花を持つ撮影は、花よりも幹の成り行きをフレームに決める事だね。写真教室銀座募集のご案内写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメラメーカなどに依頼され講座を持って来ました。
以前、ミヤンマーに行きました。素朴で人懐こく、すぐ近寄ってくる。標高2、500mの片田舎に人口70人ぐらいの村です。写真教室銀座募集のご案内写真を専門に職業としている立木寛彦と申します。写真家です。東京写真専門学校の講師を長年勤め以来、各分野の写真講師を体験して来ました。また、カメラメーカなどに依頼され講座を持って来ました。今では、行政や一般企業から基礎講座から撮影技法や現像処理など現代のニーズに沿った講座を開いております。今回は6月からスタートする”ペンタッ
ブログを始めて、どうなるかまったく未知です。其れでも知らない方から関心を持って頂きました。感謝です。毎日テーマ毎に写真と記事をご紹介して行きたいと思っています。月曜日「名作の舞台」火曜日「人物」水曜日「日本の風景」木曜日「海外の風景」金曜日「日本の美術館」土曜日「旅」日曜日「日本近代化産業遺産」の予定。今日は火曜日なので「人物」から、今月は作家の「川上宗薫」さんです。その当時、週刊「求人タイムス」という週刊誌があり毎
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