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窪田功(くぼたいさお)さんは、1952年(昭和27年)2月11日生まれ。現在68歳、愛媛県伊予市在住の方です。18歳で愛媛相互銀行(現:愛媛銀行)に就職。60歳で定年を迎えた後も、8年間勤務を続け、丁度50年間在籍した今年2020年2月に、68歳で退職されました。〈50年〉という長い歳月の途中には、何度も休職を余儀なくされたようですが、「移植手術を受けて移植された腎臓が、ずっと廃絶しなければ、半世紀の間働くことが出来る」という事を、示して下さったという点で、窪田
そんな〈リスクと背中合わせの時代〉だったにもかかわらず、「えひめ移植者の会」の会員の中には、1982年(昭和57年)に移植手術を受け、38年後の今も、移植腎臓が順調に機能している方や、1986年(昭和61年)の1月と4月に、移植手術を受けた方2名も、長期生着者として健在である。このように、全国的に見ても稀な長期生着者が多数存在している点も、会を支える要因となっている。…さあ、こうなると、読者の皆さん、この方たちの「長期生着ストーリー」を知りたくなりませんか?
或はこの他にも、(これまたブログで紹介した)中国の臓器狩りを調査・公表した、カナダ人の人権弁護士デービッド・マタス氏や、生命倫理学の観点から、「修復腎移植」を肯定する、粟屋剛(あわやつよし)岡山大学名誉教授の斬新な切り口の講演など、私たち夫婦が仲間入りしたここ数年の間だけを見返してみても、なかなか聞くことの出来ない、貴重な話を聞く機会に恵まれている。3⃣・「えひめ移植者の会」は、1990年の設立以来31年目を迎えたが、会員の中には、移植腎臓の長期生着者がいて、
また、2018年には、万波先生が四国初の腎移植手術を実施(1977年(昭和52年))してから、40年を迎えたことを祝う、祝賀会や講演会を開催するなど、(地元宇和島で、一日も欠かさずに腎不全患者と向き合い続けてきた)万波先生に感謝し、先生に一日でも長く現場に居て欲しいとエールを送り続けている患者会でもある。2⃣・「えひめ移植者の会」の会長である、野村正良さんの長年に渡る精力的な活動が、会の存続に大きく貢献している。新聞社勤務だった野村さんの手造りの会報は読み応え
「移植」という選択肢を、身近に見知ることが出来ると、その結果として、「腎移植手術を受けて再生したい」と望む患者が増え…という好循環に繋がり、愛媛は「移植先進県」と呼ばれるようになりました。さて、「移植した患者やその家族」が、「愛媛県内に多数存在する」という土壌があって、どんな芽が出てきたかというと…腎移植手術を受けて再生した患者たちが、交流会を設立するという動きに繋がります。それが、現在私たちが仲間入りさせて頂いている、「えひめ移植者の会」です。1990年(
万波先生のこうした献身的な毎日の精進が、重症患者の絶対的な支持と信頼を得て、「困ったら宇和島へ行け」と云われるような、宇和島伝説を生み出した事は確かです。他ならぬ私たち夫婦の実体験が物語るように、宇和島の地で新たな人生が拓けた患者が、どれほどいることか…そんな土壌が、時間をかけて育成されているので、宇和島市ばかりではなく、愛媛県内では、腎移植が盛んに行われています。愛媛大学医学部附属病院には、宮内勇貴(みやうちゆうき)医師という、未だ40代の若き医師が、精
四国地方の小さな民間病院で行われる移植手術数が、何故、こんなにも多いのでしょうか?私たちがそうであったように、(近隣県からの移植希望者は勿論)全国から、時には海外からも、「移植はムリ」「安全性が確保できない」「高度な技術が必要」だと担当医から告げられ、放り出された(或は紹介された)方々も、沢山宇和島を訪れているからだろうと推察できます。それでも、この驚異的な移植件数には、(当時、臨床研究としてしか認められず、厚労省が目を光らせていた)「修復腎移植」は含まれ
今日からは「愛媛」や「愛媛の人物」にスポットを当てて、愛媛県在住の方々の人生を、皆さんと共有したいと思っています。どんな人物かって…?それは、〈読んでのお楽しみ〉です!愛媛県は、腎移植率が高く、人口当たりの移植件数は、ヨーロッパ並み、とまで云われています。その原動力となったのが、市立宇和島病院の二人の医師、すなわち、1970年代から腎移植に取り組まれてきた万波誠先生と、黎明期で批判の多い腎移植を、長年にわたり後押ししてこられた、院長の近藤俊文先生であることは、
(写真についての余談になりますが)私の父と母は、生前(といっても、母の方は91歳の今も健在で、しかも仕事も続けているスーパーおばあちゃんですが)お葬式用の『遺影写真』を、写真スタジオで早々と撮っていました。父は10年前に、その写真と共に、黄泉の国へと旅立ちました。一方で、今も元気な母は、遺影の準備の理由を、「だって、お気に入りの着物を着てシャンとした姿の自分を見送ってもらいたいから」と言っています。ちなみに母は、自分のお葬式に関しても、「私のお葬式にはお花をいっぱい
入手ご希望の方はコチラ…【命の贈りものPart3~ダブル移植の語り部~】創風社出版定価700円+税http://www.soufusha.jp/本の宣伝はこれくらいにして…先日話題にした掲載写真についてですが、今回本にして頂いて、初めて気付いたことがあります。文中に挿し込む写真の依頼を受けた時、私はバカ正直にも、「最新の写真」を提出するものだと、疑いもなく思っていたので、選択の余地の殆どない近影の中から、掲載写真を送りました。が、しかし…「な~んだ。も
ペンネームって、誰もが持つ別人願望の一種かしら…ここで突然、ある作家のコミカルなペンネームの由来を思い出しました。明治期を代表する作家、二葉亭四迷…本名、長谷川辰之助二葉亭四迷という意味不明なペンネームが、自分自身を卑下して発した、「くたばってしめえ!」から出来たという逸話。真偽のほどはともかく、一度聞いたら忘れられない名前であることは、間違いありません。(二葉亭四迷、大成功!)その意味でも、ペンネームって、ネーミングセンスが問われますよね。ということで、
【日本の腎移植はどう変わったのか】高橋幸春著…この本の最終章『W移植』で、紹介されているのが私たち夫婦です。その中で、私たち夫婦は仮名で語られていまして…夫の名は、本田紀明私はというと、本田万里子それを見て「わあ、本名よりステキ!」と思った私は、「将来のペンネームはこれにしようっと」と決めかけて…でも、「ほんだまりこ」じゃちょっと地味かしら?「まりこ」を派手めに変えて、「まりん」とか「「まりあ」「まりも」、もっと派手にして「まりりん」~本
一方、作家でジャーナリストの高橋幸春さん、この方の写真は、実物よりインテリ風に写っています。本来は、もっと親しみやすい風貌で、偉そうな所の全くない、お話し好きな方です。背がとにかく高い!人混みの中でも、頭一つ分突き出ています。私が勝手にイメージしていた高橋幸春さんは、~取材用の黒いショルダーバッグを肩から下げ、黒のジャンパーを着た、小柄で地味な中年男性~だったので、初めてお会いした時、(予想が見事にハズれ)高身長でブレザー姿の高橋さんの登場に、内心驚いた記憶があ
4回目の今度こそは、完結しないと女がすたる(!?)…4回目の編集作業が始まりました。ズバズバと、自分が紡ぎ出した文章を削りつつ、削っても、一連の話の流れが途切れないように、思案工夫し、推敲に推敲を重ねました。更に、仕上がりが一行でも少なくなるように、、漢字に変換できる言葉は漢字に変換し、行の一番下にピリオドが打てるように、文字数を調整して空白をなるべく減らす、「マス目埋め作戦」を続けたところ…とうとう、100ページで収まる『ダブル移植の語り部』が完成しました
決意も新たに、再び連日連夜、自分のブログと向き合ったのですが…2回目の結果も、400ページ近くにしか減っていなくて、自分が毎日発してきたブログの総量に、改めて驚くばかり…あ~あこの時点で、出版日は延期。刊行委員会の方々にご迷惑をお掛けしたまま、3回目の編集をしなければならない状況に…すると、会長の野村さんが、「私もお手伝いしましょう。ご自分だと、生み出した文章に愛着があって、なかなか削れないでしょうから」と言って、編集を買って出て下さいました。この3回目の
その高速印刷を4回繰り返して、超縮小版指定で印刷し終えたブログは、計200枚…ヤッター!ブログが「紙」になったぞ!何しろ、自分のブログが本になるなんて、想定していなかったので、原稿用紙に換算すると何枚分になるのかなんて見当もつきません。シャーペンと消しゴムをフル活用し、何日もかけて、文章を削除したり、つなぎ合わせたりして、ようやく仕上がったものをパソコンに入力して、野村さんに送りました。すると、「ボリュームが大きすぎて、このままだとハードカバー上下巻にな
移植学会の見解を見つけました→移植医療は停滞しつつあるのだろうか?②という投稿を5月にしたのですが、そこでいただいたコメントに「移植の数が少ないのは移植コーディネーターの不足、らしい」というのを頂いたので、その裏付けがどこかにないかと思って探していたところ…「移植コーディネーター不足」というデータではなく、「メディカルコンサルタント(MC)という役割の医療者の数が十分ではない(らしい)」と日本心臓移植研究会の学術集会の記録を見つけました。まずはMCとは移植医療の中でど
まず、「今までに公開したブログの文章を、紙媒体で再現しないと編集できない」と言うパソコン音痴の私の訴えに対して、夫が、「フラッシュメモリ(メモリスティック)に文章を保存して、コピーしてこよう」と提案。そんな訳で、上野駅前のKinko’s(キンコーズ)というプリントやデータ編集の専門店を、生まれて初めて訪れることになりました。(何しろ、今までの生活では、一枚5円か10円の白黒コピーしか利用した事がありません)店内は、大型のプリンターやパソコンが、何台も整然と配置
いつもご訪問やいいね!ありがとうございます!前回の続きです。やっと、病院を出て薬局にいったのですが、そこで1時間もかかってしまいました病院を出まして、薬局をどこにしようかと考えましたが、駐車場に近いところでいいか・・って、簡単に決めてしまいました。小さめの薬局です。後から来た人たちが先に薬を貰って帰っていくので、「遅いな」とは思っていました。すると薬局の方が来て「0.5錠のものを作っているので少し遅くなっていまいまして」と。あっ、そうだった私、血圧の薬が
「命の贈りものPart3」のウラ話を少し…今から一年半程前、えひめ移植者の会会長の野村さんから、連絡が入りました。「来年、創立30周年を迎えるにあたり、本を出版する予定で、その本のメインに、『ダブル移植の語り部』を使いたいのですが…」という依頼の電話でした。OKしたものの、それからが大変でした。当初は、「既に出来上がって公開しているブログなのだから、冗漫な部分を適当に削れば、1~2か月で出来上がるだろう」との甘い見通し。(←これが大甘でした)この見通しは、依
他にも、この本については、刊行委員会事務局長の野村正良さんが、次のような広報文を寄せています。「命の贈りものPart3」は、肝臓と腎臓を相次いで生体移植し、死の淵から生還した橋本英紀さん(東京都在住)と、その肝臓と腎臓を提供した、ダブルドナーの万紀子さんご夫婦の、紆余曲折の体験を、妻の万紀子さんがつづった手記、「ダブル移植の語り部」をメインとしています。この中で、万紀子さんは、停滞する日本の移植医療に対する疑問や、医療機関の患者に対する在り方にも、一石を投じてい
他にも、5年前に出版された【日本の腎臓病患者に夜明けを~透析ガラパゴス島からの脱出~】は、当時私も、池袋のジュンク堂書店の医学書コーナーでたまたま見つけて即買いしたので、手元にあります。読み始めて直ぐ、何故この本が、医学書(専門書)コーナーに並べられているのか分かりました。この本が余りに広範かつ深遠な学術書だったのです。「近藤本」を初めて読んだ私は、その難解さに驚いた記憶があります。近藤先生は、医学のみならず、歴史学・生命倫理学・社会学・経済学の側面から、移植
(近藤先生の紹介を続けます)医師としては、疫学・遺伝学に詳しく、腎移植の普及にも心血を注ぎ、若き万波医師を、1978年、アメリカ留学に送り出し、移植を学ばせたそうです。近藤先生のこの「先見の明」が、のちに、移植医療に熱心な医師達を育て、宇和島という地を、『腎移植のメッカ』と呼ばれるまでに発展させる土壌を形づくったのではと思います。一方で、近藤先生は歴史にも造詣が深く、宇和島伊達家に関する調査・研究では、他の追随を許さず、これまでに、伊達研究本が多数出版されてい
中村啓著『SCIS科学犯罪捜査班Ⅱ天才科学者・最上友紀子の挑戦』読了中山七里著『カインの傲慢』読了結城絡繰著『処刑された賢者はリッチに転生して侵略戦争を始める2』読了『SCIS科学犯罪捜査班天才科学者・最上友紀子の挑戦』2話目のVRでの死で、自分は死んでいると思い込む話は…昔読んだSF漫画の追体験した他人の記憶に影響を受ける話を思い出した…『カインの傲慢』デビュー10周年作品の一環だから…と言うのもあるからか…犬養隼人シリーズの原
数日前の投稿で、日本臓器移植ネットワークのウェブサイトを見て、2月から5月中旬までの新型コロナウイルス感染拡大下でも、2~3年前の心移植の実施件数と同程度の実施件数でこの数か月は推移していることがわかりました。ですが、一般社団法人日本移植学会のサイトの「一般の方向けCOVID-19関連情報」では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の移植医療における基本指針第3.1版(2020年5月8日公表)という文書が出ていて、それを読む限り、医療者側がこの状況下での
ご訪問ありがとうございます初めましての方はよろしかったらこちらもどうぞ→自己紹介2019年6月発売「わたしが考えるバリアフリー」です。もう発売して1年が経過しようとしています。《一部抜粋》公正さは人々を同じ機会へ近づけやすくすること。個人それぞれの差異や来歴は、何らかの機会への参加に対し障壁なることがある為、最初に公正さが保証されて初めて平等を得ることができる。利用しやすくすることだけがバリアフリーなのではない。↓↓ご注文はコチラ↓↓http://www.taiyowhou
ご無沙汰です。コロナ中ですが、無事に4月のバド外来終えました。我が大学病院内は異様な光景でしたよ(-。-;血液検査は並ぶ事なく、混雑してないし、受付はビニールシートで半分覆われてました。廊下のあちこちの壁に体調悪い方、発熱ある方、咳してる方は専用別窓口へ!!と誘導する張り紙が貼ってありました。それでも心臓外科前には30人位は居ました。全員、バド患者と付き添い者だけだけどね(^◇^;)診察は血液検査問題無し、貫通部変わり無しでオッケーもらえました。ただ、ほとんどコロナの話で終わっただけ
昨夜は、途中覚醒ありましたが6時間眠れましたいつもより、スッキリです午後から、ビデオで「チーム・バチスタ」を見ていたのですが·····チーム医療いいなぁと思い出していました私も、10年ほど移植チームにいました(血液関係)看護師や医者だけでなくコーディネーター、臨床工学技士、検査技師など他職種が集まり、カンファレンスを重ね患者さんとドナーさん、家族の支援にあたっていました退職する時に、このチームの皆さんから写真付きのアルバムにコメントが入っていてとっても暖かく
さ☆☆☆コロナおこもりの間、自分の覚えのために私の強皮症経過を書いています。同病の方になにか参考になれば嬉しいです☆☆☆2018年9月再生医療の最先端、自己細胞移植の手術を受けるための第1回目の入院をしました事前の説明で、合計4回の入院が必要と聞いていました臨床研究のための効果測定は、移植手術後1週間目、2週間目、4週間目、そして6ヶ月目と決まっていましたその都度1週間の入院が必要です汎用性のある正確なデータをとるため、全症例とも同じスケジュールで手順も厳格に行わなければなりま
なんということでしょう!!絶句するしかない、院長の回答…まだ息をしている人達が死んでしまうと、その瞬間から臓器が劣化していくので、そうならないように、臓器移植用の人間が、ストックされている!?「法輪功の学習者である」という、ただそれだけで、彼ら、彼女らにとっては、囚われ殺されるような正当な理由など、全く無いにもかかわらず、臓器を収奪され、殺され、焼却されてしまう。それだけでも、決して許されないむごたらしい処遇なのに、あたかも、割烹で、客の注文に応じて、