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「無教会」1901年、明治34年の内村鑑三の言葉である。「われはわが主イエスキリストに倣うて教会なるものを建てざるべし。教会は真理を制限するものなり、しかして制限せられて真理の蕃殖を計る難し。われは真理そのものを伝えてその保存扶植を画せざるべし。われは単純なる伝道者たらんと欲す」岩波文庫「内村鑑三所感集」より「無教会」を述べた一文である。純粋にイエス・キリストに似ようとした宣言である。遥に高い道であるが、南山もこの道を歩む一
画像はお借りしました。今日も訪問して頂きありがとう御座います。いいね👍フォロー有り難う御座います。仏教ランキングに参加してます。ポチ宜しくお願いします。m(._.)m励みになります。『日本と世界の宗教がひと目でわかる!』引用させて頂き投稿させて頂いてます。宜しくお願い致します。🙇編者紹介(下記引用)歴史の謎研究会歴史の闇にはまだまだ未知の事実が隠されたままになっている。その奥深くうずもれたロマンを発掘し、現代
心待ちにしていた文庫化が実現すると、新刊とはまた別のよろこびがわきます。伸ばすことをためらっていた手が、すうっと伸ばせる柔らかさを得たとでもいったらいいでしょうか。この本の文庫化・電子化は無理かもしれない、あるいはずっと後かもしれない、と考えていました。一般的にウケる内容ではなさそうですから。それでも、私は、自分の中で読んでおかなくてはならないリストに挙げていました***◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆教徒でもなく、特定の信仰のない私でも、キリスト教の
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リビングバイブルマタイの福音書5:10JCB神の御心に従ったために迫害されている人は幸いです。神の国はそういう人のものだからです。マタイの福音書5:10神の御心に従ったために迫害されている人は幸いです。神の国はそういう人のものだからです。|リビングバイブル(JCB)|DownloadTheBibleAppNow神の御心に従ったために迫害されている人は幸いです。神の国はそういう人のものだからです。bible.com
失われたと思っていたものは、忘れた頃に現れる。蔵書の中から出てきたんです。新約聖書。ミッション系の大学を出ているためこういった物には縁があったわけで。そして英語と日本語で書かれています。そう、あの頃は英語が出来たんだった。しかしもともと中学時代には苦手科目だったため必死の努力も限界があり、ガチで英語ができるクラスメートとの差は埋まりようもなく。この字の左上ハイエスキリストのイェルサレム入城の場面。今来たる、われらの父ダビデの国に、祝福あれいと高き所に
ご訪問頂きありがとうございます。更新が遅くなり申し訳ありません。一時間前に先に夫が更新しています。どうぞよろしくお願いいたします。マルコによる福音書第5章こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼
過ちを犯してしまっても悔い改めて行動すればより一層の祝福がもたらされる。ルカ15章7節参照神さまはわたしたちすべての人間に美しい配列で描かれるひまわりの種のような黄金比を内包してくださいました。不完全と思える自分の中に永遠に続いてゆく完全性があるという神秘。自分の過失と向き合うと同時に神さまのお恵みを受け取って生きてまいります。
(3346)意外とオチャメ十字架につけられて~処刑された♪イエス♪が…三日後に復活したのは~有名な話なので…知っている人も多いんじゃないかな?その復活した♪イエス♪のエピソードが…♪福音書♪に書いてあるが…墓に葬られたはずの♪イエス♪が…生前♪イエス♪の世話をしていた婦人達の行く手に立っていて…開口一番~何て言ったと思う?おはよう👋😃☀️…だって!意外とオチャメな♪イエスさん♪(笑)VERY~VERY再見!
【質問】聖書には無誤性があると本気で思っているのなら回答していただきたい!マタイによる福音書27:46-50途中これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」という者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。他の人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。マルコによる福音書15:34-37途中これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」
色々なことが起きてくるだろう。創造主に思いを向けさせるためだ。そしてそれらは全て物質世界にめり込み過ぎている私たち人間の精神性を上へ(霊的な世界へ)と引っ張り出す創造主の御手によるもの。しかし、これは“エネルギーの不変性”でもある。悪へ偏り善へ戻り闇を経験して光を求める。この根元的な、“エネルギー(ヴォルテックス)というものの動き”が世界を創っているから、今からは人が、“底をさらうようにして”自分の魂自身から答えを導き出させられる体験を、誰もがしてゆく時代に入
8月12日(土)の礼拝メッセージは「不可能がない神が、深くあわれむ時」でした。全能の神が、底知れぬあわれみの神である事に、感謝しきりです。4福音書すべてに書かれている、男だけで5千人へのパンの奇跡は、読めば読むほど、奥が深い。2023.8.12不可能がない神が、深くあわれむ時www.youtube.comクリックの応援いただくと、励まされます。にほんブログ
生きるだけで困難という通過儀礼を受けている。次第に創造主の方向に精神性が向いてゆくように潮目はある。しかし、初めから創造主との結ばれやすさを与えられた人々と初めから、そのように生まれることなく大変な人生を生きている人々がいる。そうした人々はアトモスフェリア界に入ってから、同じく通過儀礼を受けながらある時、創造主との真の出会いを果たす。そして、知られたことだが、その時精神性に生まれる栄光は大きい。その時そうした人々の精神性には、長い間彷徨い続けた分、彷徨うことなく
前回投稿した、宇宙と意識PART1のつづきです。著者TomChalko博士についてチャルコ博士は1951年にポーランドで生まれ、工学の修士号(1975年以降)とレーザーホログラフィーの博士号(1979年以降)を取得しています。彼は1982年からオーストラリアに居住しています。チャルコ博士の専門的な関心は、レーザーや振動工学から地球物理学、重力物理学、意識物理学、人間の知覚の研究まで多岐にわたります。チャルコ博士の著書『選択の自由』では、宇宙全体の存在
人間は物質世界で生きる自分のことしか考えない。物質的なことしか眼中になく文字どおり、下しか見ずに生きている。それをただやろう。このことをただやっていよう。と埋没して他の世界があることなど考えもしない。全ての能力も神経も感性も物質でなく《エス世界、目に見えない世界からやってきているもの》だというのに。そんな、人間特有の<頑なな精神性>をつぶさに感じ取り呆れはしながらも、正確に観察している存在たちがいる。人間の精神性をまるごと吸い込み全てを感知している身近で天
囲い込まれるように絞り込まれるように順繰り順繰りと、人間は創造主のことを考えるよう仕向けられている。仕向けていただいている。“それが万人、万霊の運命だ。”考えさせて、考えさせて、本気で考えさせて、ご自分についての理解をさせたい創造主。だから《人間に、自分について考える機会をどのように効果的に与えようか》との思考が創造主の至高のお考えだ。霊も同様で、考えるように仕向けられる。《私たちは、創造主について考えれば魂の杭が本物の層まで打ち込まれることになる》ので秩
愛から慈愛へ。いつくしみの精神性へ。創造主の精神性に少しでも一致してゆける精神性へ。そのため創造主の人間のご養育の工程は“与えては奪い与えては奪いを繰り返される”。愛が与えられ、結ばれ、“離れそうになる時”に愛は慈愛へと昇華する。“離れそうになる時”が遠くから眺めれば人間たちは、最も尊く至極に輝き美しくなるから、人間を、尊く至極に輝かせ美しく磨きたい創造主の人間をこねる手法は、着々とそれに向けられ、「かなり手厳しい!!」“まずは、愛し合わせよ
考えが誘導されている。私たちは一番自分の考えを通して霊からのコンタクトを受けている。考えの中に、霊、天使がいる。人間と人間でもそばにいるだけで人間から、その磁石からの放射を常に自分の磁石が受けている。自分からも勿論、磁石から精神性が常に周囲に放射されている。霊は、肉体という殻を取っ払った状態なので、この人々の精神性そのものが分かるのだ。その点の能力を、人は霊になると持つ。しかし、神の精神性を分かるものではないため、人間は身近な霊から常に考えを誘導されるままになってい
霊界に入ったからといってそれですぐ悟るわけではない。霊感者だからといって高い魂なわけではなく、霊感者と一緒にいるドルジャやエスヤンに話や体験を聞いているに過ぎない。ドルジャ(闇の霊)がディズニーランドのような夢の国に無事誘引されたからといって成仏するわけでもない。(仏が、神々、女神たちのような高い天使を意味するなら。または、第2、第3の復活を意味するなら。)人間に曖昧に伝わる霊的な話は<低い霊界と霊の様子とその話>に過ぎず、言うなれば保育園児の会話レベルだ。霊とは私た
大きな霊的体験がありながらキリスト教会に行かなくなったわけですが私には確信めいたものがありました。まだ、もっと何かあるはず、という。こういうとき行動力のある人なら誰かの話を聞きに行ったり世界のどこかに旅立ったりするのかもしれませんね。内向的な私は本に向かいました。宗教、スピリチュアル、非二元、心理学いろんな本を読みましたがそのなかでもこの記事ではキリスト教に関係のある本を紹介します。私のものの見方を広げてくれた、特に印象に残っているものです。ほとんどの方に
人を《本当に幸せな者にする》創造主のシステムがある。創造主は、私たち人間が真に幸せな者になることを願ってやまない方なのだ。しかし、創造主を“受け入れている”魂の人にしかこの創造主のシステムは駆動できない。創造主を受け入れていない魂はこの創造主のシステムを、その反対向きの磁石ゆえに弾き飛ばしてしまい、システムの駆動を受けられないのだ。“そのため、人生は平穏無事なものになる。”そして、【本当に幸せな者にはなれない。】こんな、むごい、悲惨な話があるだろうか。一方で、創
気(アトモスフェリア、霊)は想像が吸収している。気とは想像で得られる実体であり、想像とは気を自分の霊体に取り込む装置だ。だから、【完全な御光】も【完全な御光を想像することにより】実体が湧出するかのように自分の霊に向かって射し込んで来られる。想像している時は神経(磁気)が探っている時。その磁力で、想像中の気(霊界、霊)を引き寄せている。そして繋がり、自分もその気(霊界、霊)に流入し、気(霊界、霊)も自分に流入してきて、融合しあう。そのため私たちは、想像を選択する必要が
頭で理解していたつもりでも、実体とは違う。実体は神経が決め手になる。神経は、慣習により生え繁った磁気であり長い間かけて、心地よさと伴にその対象に固く細かく、びっしりと結びついている。《神経は、人が無意識のうちに対象に結びついている》そして、“毎瞬”私たちの実体(実際の体)である、“霊体の神経として”育っている。【霊は、その神経(磁気)で、“気(アトモスフェリア)”を呼吸しているのだ。】だから私たちは、《自分の居る環境を選んで、どうしても、“そばにあるも
何一つ身を削らず何も傷つくことなく生きられることはない。それでは“でくのぼう”なままだ。創造主は丸太を削って形を創る。身を削り傷つくことを承知で“王とくくられた”赤い縁なし帽の天使は、再び未だ深い闇にいる王を救いに降りて行った。王は、最悪の時に【最高のもの】に出会えるだろう。王の魂は自分が最も傷つけた天使から受ける【完全な御光】を待っていた。至純なる愛はそれほどに実体なるもの。永遠に存在してゆく目には見えない強い力。赤い縁なし帽の天使がどれほどの神と