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私、河野裕美はこの度重大決意をいたしました。今は亡き私の祖父である幽玄は、浄玄寺という、香川県の片田舎にある小さなお寺の住職でした。浄土真宗興正派のお寺。私はそのお寺で育ち、祖父は、父親がわりに、母子家庭だった私を大切に育ててくれました。その後、住職だった祖父が亡くなり、程なくして祖母も亡くなり、母がお寺を維持していたのですが、その母も高齢となり、今はお寺は解散してしまいました。ポツンと一軒家のようなところにあるお寺には、今はもう誰も住んでいません。鹿や野うさぎなど
美具久留御魂神社のすぐお隣に素敵な名前のお寺を発見。その名も「月光寺」。あ、がっこうじとお呼びするそうです。真宗興正派の寺院です。興正派の寺院は、本山以外では初めてです。門が開いていたのでお参りさせていただいたのですが、入口に小さく「柴犬が吠えます」という貼り紙がありました。手水龍さん、喉カラカラで心なしか干からびてるような💧境内に入った途端に柴犬ちゃんは「ワン!ワン!ワン!ワン!」元気よく番犬のお仕事をされており、境内を出るまで止むことはなかったです。この
興正寺(こうしょうじ)は親鸞聖人を開祖とする真宗興正派の本山で、鎌倉時代の創建とされている。当初は、京都の山科に建立され、その後、京都東山の渋谷へと移った際に、御本尊が光を放ったことから、後醍醐天皇より佛光寺の寺号を賜り名を改めた。室町時代に、蓮教上人は佛光寺を弟に譲り、再び山科の地に興正寺を興した。その後は、本願寺とともに、各地に移転した後に、桃山時代の天正十九年(1591年)に本願寺とともに現在の地へ移転し、本願寺と隣接して堂宇が建てられた。そして、明治九年(1876年)に、興正寺は本山と
2月に遡ります。真宗本山巡り東本願寺に続いては、西本願寺の隣にある真宗興正派の興正寺。かつて西本願寺の脇門跡であったが、真宗興正派として独立した際に同派の本山となった。実は興正派って初めて知りました。三門御影堂ご本尊は親鸞聖人。中に入れましたが工事中で、何もなくガランとしてました。鐘楼阿弥陀堂ご本尊は阿弥陀如来〇興正寺(こうしょうじ)京都市下京区堀川通七条上ル花園町70拝観料:無料駐車場:なし6:00~17:00(受付時
寺名:附谷山・正林院・眞教寺本尊:阿弥陀如来立像開基:創建:宗派:真宗興正派札所:住所:香川県高松市国分寺町新居852電話:087-874-0725沿革当寺は、古くは正林坊と称していたという。新ノ居の家文書によれば、正林坊は末澤城東側に万灯新居氏の菩提寺として建立。永正九年(1512)に万灯新居氏のもう一つの居城、鹿角城(高松市)の北側に移し、法恩寺としたという。正林坊はその後も法恩寺の末寺として存在していたが、天正七年(1579)に兵火によって堂宇を焼失。
朝晩の冷え込みも昼間の暖かさは嬉しいクチナシ(梔子、梔)アカネ科クチナシ属香川県高松市国分寺町新居眞教寺で2020年12月2日写す。クチナシ:一重(実成り)クチナシ5号ポット[花後に黄橙色の実がつく]Amazon(アマゾン)1,149円舞妓夢コロン山梔子/くちなしの香りAmazon(アマゾン)1,210〜1,500円花名・科・属名の検索に当たっては、下記のサイト様におじゃましています。「四季の山野草様」「みんなの趣味の園芸様」「季節の花300様」「
寺名:不遠山・放光院・西徳寺本尊:阿弥陀如来木仏立像開基:創建:宗派:真宗興正派札所:住所:香川県木田郡三木町池戸3374電話:087-898-0391由緒もと摂津の国(兵庫県)で宝積坊と称していたが、天正年中織田信長の兵乱により焼失した。古い記録がなく開基等は明らかでない。時の住職乗賢は天正七年、讃岐の国にきてこの地に寺を建て坊号を改めて西徳寺と称することになったと伝えられている。全讚史・讃岐国名勝図会等は「摂津の国にありしを、天正年中了願建立」とある。寛
こんばんは京都のkojiro(小次郎)です今日の小次郎は、いつもの休日のようにパンを買いに行くこともクリーニング屋さんに行くこともなく、ただひたすら寝て体調の回復に努めました。若いころには「体調管理も仕事のうち」とよく言われましたが、歳をとるとともに身体のあちこちから悲鳴が上がります。最近になって若い時にケガをした肘(ひじ)に痛みが襲ってくるようになりました。週明けには、腰痛防止のためのコルセットとひじ痛を和らげるためのサポーターをつけて出勤することになりそうです(
昨日(5/16)は、午後から休みだったので、伊丹市にお邪魔しました。行きなれているJR伊丹駅周辺を越え、北伊丹方面に行き、いろいろ曲がって辿り着いた先は・・・摂津国のど真ん中?へその部分です。西国街道から分かれた、多田街道(川西に向かう道)にありました。足元には、古地図が。史跡辻の碑です。こちらが、現物?実物?です。表面は、ほとんど読めません。碑についての、説明です。碑の場所は、神社があったようです。そこから、少しだけ南(徒歩1分ほど)に行ったと